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24 幸せな終わりを

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 ジェノール伯爵家を障む空気は重い。

 城から来た使者が、ウェスティールの、ウィルの病死を告げてから早幾数日が過ぎた。エストは部屋に篭ったまま出てこない。

 養父母は逆に冷静だ。取り乱すこともない。2人が落ち着いているから、アーネも取り乱さずに済んでいる。ソリュートは聞いた時こそ絶句していたが、カロリナに支えられて、何とか日々を過ごしている。

「不思議そうね?」

「………はい」

 養母の問いかけに、アーネは躊躇いつつも素直に頷く。もっと全力で泣き叫ぶかと思ったなどとは流石に言えない。

「あの子なら、こうするって、わかっていたの。悲しいけれど、納得しているのよ」

「ふふ。ウィルは、エストとアーネのお兄さんだからねぇ」

 養父は力なく、それでもいつも通り笑ってみせる。

 養母の口から、ウィルが、エストとアーネの間に産まれてくるかもしれない、不確定な未来のために死を選んだと聞かされて。そんな展開など全く予期せず、ウィルは戻ってくるものだと無条件に信じたアーネは自身の浅慮さを恥じ入る。同時に、ウィルはやはり、アーネにとって兄なのだと実感した。

「ウィルの意図がわからないエストではないわ。ただ、心の整理がつくまでは見守ってあげて」





 間もなくして、国王が病に倒れて政務が出来ないほどに悪化したという報せが国中を駆け巡って。王弟が国王代理に就任し、次期国王としてゼルトファンがウェスティール王子の国葬を取り仕切った。

 それでもまだエストは部屋から出てこない。意を決してアーネはエストの部屋をノックする。

「誰だ」

 聞いたことも無い、低く地を這うような声が誰何すいかする。アーネは思わず唾を飲み込んだ。

「アーネです」

「……………」

 音も立てず、静かに開かれたドアを、アーネはドキドキしながら見守っていた。



「ジェノール伯爵家にてお世話になることになったウィルです!宜しくお願いします、ヴィレストル坊ちゃん」



「は───、はァァァ!?」

 やつれたエストは、元気に大声で驚きを叫んだ。アーネはクスクスと笑う。

「こちらは、当家で住み込みで働くことになった執務補佐官殿ですよ、エスト」

 眼鏡をかけ、髪を黒く染めて変装したウィルはもう単なる平民だ。ウェスティールを名乗ることはない。

「いやさぁ、死ぬ気満々だったんだけどね、ゼルトファンがやはりそれは許容できない!って駄々こねてねぇ。一か八か、仮死状態になる薬品で王弟を欺いて逃げてきたぜ!」

「は……………?」

「いやぁ、僕の身体が仮死状態になる薬でうっかり死ななくて良かったよぉ。ホント博打だった!」

「もう!笑い事ではありませんよ、ウィル」

「あれ?もうお兄様とは呼んでくれないの?」

「だって今のウィルは赤の他人ですもの」

「それもそうかぁ。じゃ、エストをお兄様って呼んでやりなよ」

「今のエストは血の繋がらない兄であると同時に婚約者でもあるのです。後者に重きを置くのは当然では?」

「ばんばん言い返してくるねぇ。さすが僕の妹!」

 固まっているエストを無視し、2人でいつものように言い合いをする。こんなにも喜ばしく、楽しいことはない。

 ヨロヨロと動き出したエストは、その場に座り込んでしまった。

「ちょっと待て。俺の思考が追いつかない」

「はは、待たないよ!」

「というわけで、私達は領地に帰りますよ!荷造りしておいて下さいね」

「亡くなった王子と恋仲だった令嬢は、傷心のあまり体調を崩し、田舎に引っ込む、という設定。心配した兄が同行して、という感じ」

 領地ならば田舎なので王子の顔など知られていない。エストも前髪で顔を隠す必要はないだろう。

 そろそろ、肩の荷を下ろしていいはずだ。

 座り込むエストと同じ目線になるべく、アーネは屈み込む。エストの目は赤い。クマも出来ている。そんな彼が愛しい。

「エスト、わたくしは貴方とデートがしてみたいの。一緒に手を繋いで、色んな景色を見て、美味しいものを食べましょう?」

「ほら、男を見せないと、デートに毎回僕がついて行っちゃうぞ★」

 ウィルが最悪な脅しを添えてくるのには笑うしかない。

「───アーネ、好きだ。王子ではなくなったけれど、俺と結婚して欲しい」

「もちろんです、エスト。貴族なのにお皿を拭いてくれた貴方の優しさに、わたくしは恋に落ちたのですよ」





 数年後。

 恋仲になった王子に先立たれ、失意のまま領地に移住した令嬢が、血の繋がらない兄と新たな恋に落ち、戸惑いながらも慣れない領地運営に奮闘する。そんな内容の小説が新たに流行り始めた。

 作者は、同僚の執務補佐官と結婚したサラである。

 サラの誤算は、大自然の中の生活で癒された夫が健康を取り戻した挙句、絶望的と言われて期待していなかった子供を授かったことだろう。お陰で今のサラは侍女ではなく乳母だ。

「私の幸せはアンタが運んでくるのね」

「どうしたの、急に」

 ソファに腰掛けるアーネは、夫の昼寝に膝を提供しつつ、冬に備えて子供のためにセーターを編んでいた。





[完]
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