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19 国王の絶望と希望

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 ウェスティール第一王子が、ジェノール伯爵家に滞在している。その事実は大衆紙にも取り上げられ、話題となった。

 例の小説のモデルとなった男女が幸せな結婚をするだろうと、誰しもが信じて疑わない。祝いのムードで王都はいつになく活気づき、婚約の発表はいつになるのかで盛り上がる。王城で働く者達の中でも、ウェスティールがどのような扱いをされて来たのか、全く知らない使用人達は城の外と同じように浮かれている。

 国王は忌々しいとばかりに歯ぎしりし、手当り次第目に付いたものを壁へと投げつける。派手な音が連続するが、部屋を揺らすには足らないし、ましてや彼の世界を揺らすことなど出来やしない。欠けて転がる陶器に、砕けた硝子細工に、ひび割れて散る鏡───何ひとつ国王の心を鎮めはしない。慰めにもならない。それでもある程度の数を投げつけると、体力が底を尽き、不本意ながら動きは止まった。

 肩で息をしつつ、国王はその場に座り込んだ。疲労感で身体は重いが、少しも憤りは収まらない。

 王太后の暴挙から王妃とウェスティールを守ろうとしなかったツケが回ってきただけのことであると、国王は気づかない。国王は幼少期から常に王太后───母の言いなりにさえなっていれば、何の苦難もなく順調に進んできたし、願いは叶ったし、王にもなれた。当然、次の王にも自分の血筋を遺せると思っていた。その絶対者である母に裏切られた。

 母の裏切りの結果であるゼルトファンが憎い。母を絞殺したようにゼルトファンも殺してやりたい。───国王は心からそう願ったけれど、自力で何かを成し遂げたことがなく、常に母の傀儡でしかなかった為、今更どう動けばいいのか分からない。それがまた憤りに拍車をかけた。

「使用人達が怯えていますよ、兄上」

 いつの間にか背後に立っていたのは王弟だ。国王は血走った目で弟を睨む。王弟は淡く微笑んでいた。体躯のしっかりした国王と異なる、優男。その線の細さはゼルトファンとよく似ている。

「入室を許可した覚えはない」

 傀儡であった国王とは異なり、幼少期から自由で常に母を困らせてきた弟。今ではその面影はなく、むしろ知的な紳士といった様相だ。

「何も知らない愚かな兄上に教えて差し上げましょう。兄上は、母上がこの世で一番大嫌いな男の子供なのですよ」

「───我が父は先王だが?」

 お前もだろう?───そう、国王は目で問いかける。王弟は笑みに優しい慈愛を滲ませて応える。

「まだわかりませんか?私の父親は王族ではありません。母上が愛した、ただ一人の男、それが私の父です」

 王太后には、幼い頃から将来を誓った婚約者がいた。しかし、王太后に一目惚れした先王が2人を引き裂き、王太后を奪ったのだ。それでも王太后は貴族の義務に従い、妻として先王に尽くしたとされる。───表向きは。

「王太后が、先王を裏切ったというのか!」

「裏切るも何も。母上は憎い男の子供を不幸に陥れ、絶望の底に叩きつけることを望んでいました。それが先王への、否、愛する人との仲を引き裂いた権力への復讐になると信じてね」

 つまり、ゼルトファンには王家の血が一滴も入っていないということになる。国王は青ざめるべきなのか激高すべきなのかわからず、口を開けたまま、声にならない声で呻く。

 王太后の目的は、愛する男との血筋で王家を乗っ取ること。

 彼女がウェスティールを虐げたのは、忌まわしい双子だからではない。凶事だから国のために双子の片方を殺すよう優しく国王に語りかけたのも、ウェスティールが子を望めない身体になったのも、全てが王太后の策略だったのだ。全ては王家の血筋を途絶えさせるため。

 逃げ延びた双子の片割れに、王太后が気づかなかったことは幸いだったと言える。

「先程、ゼルトファンが私を父と呼んでくれたのです。ふふ、思いのほか嬉しいものですね。その可愛い息子が嘆願するのでウェスティールを殺すのはやめます。どうせアレは子を望めない身体ですし」

 場に似つかわしくないほど幸せそうに笑う王弟を前に、父と呼ばれた覚えが一切ないことに国王は思い至る。

 ───今度は俺がアンタを捨てる番だ。

 脳裏に蘇るのは、自分が守ろうともせず、見殺しにしようとした双子の片割れの声。

 国王は絶望した。だが、同時に救いの光を遠くに見た。王家は簒奪されても、捨てた双子の片割れから血筋は遺るという希望だ。見つかれば簡単に潰されるだろう、小さな希望。故に、国王は何も知らないふりをすることにした。

 希望を知らない愚王なら、どうするか。私生活も政治も、王太后の言いなりで、王太后亡き後は宰相の言いなりで。人生でこの時ほど脳をフル回転させた事があっただろうかというほど国王は考え─────

「あぁ…、ぁぁぁぁ…」

 弱々しい呻き声を発しながら、頭を抱えてその場に崩れ落ちた。





「国王陛下が倒れたとのことです!至急城へお戻り下さい!」

 ジェノール伯爵家に城からの伝令が駆け込んできた。

 交代で仮眠をとったものの、エストもウィルも寝不足で朝を迎え、家族で朝食をとり一息ついたところだった。


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