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15 呪い

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「ウィル、ウィル!アーネに後回しにされたんだけど!」

「ふふ、エストより僕を気にかけてくれるなんて嬉しいなぁ。さすが僕の妹」

 アーネは指先が白くなるほど本気でウィルを心配しているのに、目の前の男達は能天気に騒いでいる。要らぬ心配をかけまいと配慮して明るい空気を維持しているのか、素で談笑しているのか。不安や不満を通り越して、アーネは自身の気持ちを軽く見られているようで苛立った。

 苛立つ、という感情を覚えるのが久しぶりで。一体どうすればいいのか、表現の仕方がわからず、眉根を寄せる。同時に、サラから言われた「怒りなさい」という無茶な要求を思い出す。この不快な感情も自分の一部なのだと、アーネは理解した。

 怒り、苛立ち。吐き出せばいいのだろうか、と思い至り、しかめっツラのまま取り敢えずとばかりにエストの胸板に肘鉄を見舞うことにした。

「アーネちゃん、ただいま帰ったわよぉ」

 前触れもなく開いたドアに、肘鉄は不発に終わる。客室にいた3人は揃って声の方へと振り向く。満面の笑みを浮かべていた養母が室内に足を踏み入れようとして固まる。

 一応、片方は第一王子だ。客人である。そこに乱入してきた母にアーネは狼狽えた。一方の養母は、スッと表情を消す。

「何をしているのかしら、愚息共。───特にエスト!アーネちゃんを離しなさい!」

 迅速に歩み寄ってきた養母は容赦なくエストの頭を叩き、アーネを奪うように抱き締める。アーネは展開についていけず、目を白黒させた。

「何すんだよ、母さん。慰めてただけなのに」

「お黙り!お前は何もわかってないわ!泣いたら目元を冷やしてあげないと!ああもぉ、エストといい、ウィルといい、朴念仁ばっかりなんだから!どうせ侍女たちが進言するのにも耳を貸さずに人払いしたんでしょう!」

 こんなに腫らして可哀想に!と養母の両手がアーネの両頬を包む。その柔らかさに、アーネの目からは再び涙が零れた。

「お母様…」

 悲しいわけではない。剥き出しの心に養母の温かさが染み込んでいく。下地にある実母との温度差が痛い。

「まぁまぁ、仕方の無い子。後でちゃんと冷やしましょうね。今は泣きたいだけ泣きなさい」

 泣いてもいいのだと抱き締められ、ますます涙が溢れてくる。養母は、そんなアーネに慈愛の眼差しを向けて、次に凍てつくような眼差しを息子達に向けた。

「───で。どこの誰が、うちの娘を泣かせたのかしら?」

「は、母上、落ち着いて下さい。僕達が泣かせたわけではないのですから」

「母さん、アーネの前で豹変するのはやめよう?落ち着いて、ね?」

 ウィルとエストは揃って狼狽え、姿勢を正してソファに座り直す。2人は共に第一王子であり、同時にジェノール伯爵夫妻の子供なのだとアーネはようやく理解した。

「父さんも母さんを止めてくれよ!」

 エストの悲鳴じみた声で、アーネは養父もその場にいることに初めて気づいた。アーネを抱き締める養母の斜め後ろ───アーネからは見えない位置で養父は穏やかな笑顔を浮かべていた。

「ふふ、うちの奥さん、生き生きしてて可愛いだろう?」

 のほほんとしたセリフから、養父に養母を止める気が全くないことだけはわかった。あと、養母にベタ惚れであることも伝わってきた。

 長兄のソリュートが不在だが、これが今はアーネの家族である。





 グレリュード国の第二王子───ゼルトファンは、本日何度目かになる溜め息を呑み込み、自室のドアを見遣る。兄王子のウェスティールが帰城したら報せるように命じてあるのだが、一向に伝令が来る様子はない。別にウェスティールに用があるわけではないのだが、毎日兄が無事に帰ってくることを祈ってしまう。

 ウェスティールはゼルトファンの4歳年上だ。ゼルトファンが生まれたため、今までは1人しかいない後継者だったから生かしていたウェスティールを本格的に暗殺しようと、王太后が動き出した。

 王太后は一思いに殺したりはせず、猫が捕まえたネズミを甚振って遊ぶように、あるいは生体実験でもするかのように効果不明の様々な毒をウェスティールに与えたらしい。

 同時にゼルトファンの立場を強固なものにするため、2人の教育に明確な差をつけた。ゼルトファンは幼い時から王位継承者としての英才教育を施されたが、対照的にウェスティールは家庭教師から最低限の読み書きしか教わることを許されなかった。

 父である国王は、王太后の言いなりで。母である王妃は夫と姑に絶望し、壊れてしまっていた。

 ───私が生まれなければ、兄が毒に苦しむこともなかっただろう。

 もしそんな思いを口に出せば、誰しもが否定してくれるだろう。ゼルトファンもまた、一番悪いのは王太后だと思っている。それでも、王太后に切り札を与えてしまった〝第二王子〟という存在が忌々しかった。

 王太后は亡くなる直前、ウェスティールを王位につけるべきだと主張したゼルトファンを嘲笑い、ゼルトファンに呪いの言葉を吐いた。

 ───お前は王の子ではない。

 ───王弟に王妃を襲わせて出来た子だ。

 ───王位継承者を手放せば、誰にも必要とされない忌まわしいだけの子。

 死ぬ間際だというのに、笑いが止まらないとばかりに愉悦を滲ませる老婆は、まるで絵本に出てくる古の魔女のようだった。


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