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2 変な令息

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 さて。

 病人を馬車に乗せて一息ついたところで、元の作業に戻るわけだが、当然誰かが手伝ってくれるはずもなく。予洗い待ちの汚れた食器が折り畳みの簡易テーブルに乗せきれず、地べたにまで積み重なっている。離れた隙にかなり増えたようだ。当然形状別に仕分けなどされておらず、乱雑で、万が一にでも崩れたら高額な食器の数々が割れてしまう。慎重に食器の山を仕分け始めた。

 黄昏てきた空を見上げ、深い溜め息を吐く。

 食器を持ち帰るための荷馬車を操縦するのはアーネである。馭者は行きの分しか手配されていなかった。王家の馬車を利用するとなれば、それが例え荷馬車でも手続きは煩雑だ。更に馭者も手配しようとすれば更に面倒が増すため、ハーリス子爵令嬢は行きの分しか馭者を手配しなかった。上級メイドたちに毎回色々押し付けられるせいで馬車の操舵までできるようになってしまったアーネだが、プロではないため夜道は不安しかない。

 食器を持ち帰ったら今度は厨房で再度洗い治さないとならない。自尊心の高い料理人たちは手伝ってくれないし、厨房の下働きの人達は各々忙しい。

 しかも深夜を回ると従業員寮の門が閉まってしまう。それまでには終わらせたいところだ。城には仮眠室があるけれど、女性用の仮眠室を使えるのは上級メイドだけ。身分問わず使える仮眠室は男性用だけ。そうなると、掃除用具を集めている部屋で丸まって眠るしかない。あの部屋は石床なのでお尻が痛くなる。

 そんなことを鬱々と考えつつも手はとめない。この庭園で茶会を開く度、毎回石床で眠る羽目になっている。今日こそは回避したい一心で黙々と作業していく。持参したランタンに火を灯して、食事もとらず、淡々と。



「まさか、本当にまだいるなんて───」

 どのくらい経っただろう。不意に聞こえた声に集中力が途切れる。アーネが振り向くと、日中、一緒に病人を抱えた青年がいた。前髪で顔半分を隠しているが、どうやら安堵しているらしいことは見て取れる。

 相手は貴族なので、アーネはすかさず向き直り、深く一礼する。

わたくしに何か御用でしょうか?」

「お礼を───いや、やりながら話そう」

 言葉を遮った彼は徐ろに前髪をかきあげた。暗くて瞳の色まではわからないが、かなり整った容貌であることはわかる。そんなお貴族様が腕まくりまで始めたのを見てアーネは慌てた。

「な、何を」

「手伝うよ」

「いえいえ!どなたかは存じませんが、高貴な方のお手を煩わせるわけには参りません。これは───」

 わたくしの仕事です、と言おうとして声にならなかった。当然である。本来、アーネの仕事ではない。

 ちゅ、と頬に口付けされて、アーネの思考はそのままフリーズした。

「昼間のお礼だと思って手伝わせて」

 ニッコリと微笑む様は有無を言わせない。きっと頬へのキスなんて挨拶なのだと自身に言い聞かせるために深呼吸をする。今は仕事だ。ついでに開き直ることにした。相手がやると言うのだ、やらせればいい。

「では、お言葉に甘えさせて頂きます。わたくしは食器を軽く洗いますので、そこの布巾で水気を拭い、隣のスタンドに立てかけて頂けますか?」

「うん、それならできる」

 一度区切りを入れたお陰か、アーネは気合いを入れ直して新鮮な気持ちで作業の続きを始めることができた。もし彼が食器を傷つけてしまったら、と考えなかったわけではないが、その時はアーネが罪を被ればいいだけだ。いっそ、罪を被って今の職場から逃げ出した方が楽になれるかもしれない。

「俺はエスト。君は?」

 貴族のはずなのに彼は家名を名乗らなかった。その名前も本名か怪しいところである。短いので愛称かも知れない。

「アーネです」

「婚約者は?」

「平民にそんなものいるわけないでしょう」

 アーネは呆れと自嘲を滲ませる。

「上級メイドなのに、平民?」

「あ。」

 作業に夢中になっていたこと、疲労が蓄積していたこと。様々な要因が重なって、アーネは失念していた。貴族にしか入れない庭園に、貴族しかなれない上級メイドの服装でいることを。

 ほんの一瞬だけ手が止まったが、すぐに作業を再開する。それを目にした青年の手も作業を再開する。根掘り葉掘り尋ねてくるつもりはないらしい彼に、要らぬ罪悪感が芽生え、アーネは意を決して口を開いた。

「───上級メイドの方々は、貴族令嬢の皆様は、手が荒れるのを厭うんです」

「うん?」

「ですので、雑用を押し付けるために下級メイドのわたくしに上級メイドの制服を着せて毎回連行してくるのですよ。…内緒ですからね?」

「…うん」

 腑に落ちないと言いたげな声で、それでも青年は頷いてくれた。

 予洗い作業の終わりが見えて来た頃、彼は思い出したように話し始める。

「君に、昼間のお礼を言いたくて。ウィル───あの体調を崩した奴ね───を自宅に届けた後、一度こちらに戻ってきたんだ。ちょうど茶会が終わって撤収する馬車の行列が見えたから、それを追いかけて城に行った。でも、城で問い合わせても、帰城した上級メイドに赤髪の女性はいないと言われて困ったよ」

「まぁ、上級メイドではありませんしね」

「まさかと思って戻ってきたらいるし。こんな暗い森の中で1人とか、女の子なのに危機感足りないよ」

 説教のような、心配するような声音。どうして初対面なのに気にかけてくるのか、アーネには不思議だった。アーネが平民だと知った段階で、気にかける価値もないと立ち去ることもできたのに。彼はそれをしない。

 そもそも皿を拭く貴族男性なんて他に存在するのだろうか。

 ───変な人。


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