人形姫の目覚め

ひづき

文字の大きさ
上 下
8 / 25
2)作られた英雄 ─ ギーゼル視点

しおりを挟む



 衝撃的な手紙を、どこまで信じていいか、否、信じたくないという気持ちが強くて、ギーゼルは床に座り込んだまま夜明けを迎えた。





 死んだように生きるギーゼルに、国王が命じる。

「そなたの嫁となる我が娘を迎えに行って欲しい。そなたとの婚姻に嫉妬した女に誘拐され、領地の館にいることがわかっている」

「───御意」

 もう何もかもがどうでも良かった。何を悩めばいいかもわからない。

 英雄にならないで下さい。その一文が頭にこびり付いている。

 お兄ちゃんと呼ぶ声が現実のように耳から離れない。





 英雄とはいえ、未だギーゼルの立場はただの兵士に過ぎない。爵位も何も無い平民だ。

 押さえつけた女性の背中は今にも折れそうで、自分は何をしているのだろうと、ぼんやり思った。兜で顔を覆っていることもあり、ここにいるギーゼルが噂の英雄であることに気づく者はいない。

「連行しろ」

 文官のその言葉に従い、ギーゼルは目の前の女を立たせる。

異母姉おねえ様!待って!異母姉おねえ様!!」

 騎士に囲まれた美しい姫が泣き叫んでいる。しかし、ギーゼルに両手を背後で掴まれた女が振り向くことはない。その凛とした背中に、光で透けて輝く毛先に、ギーゼルの思考が釘付けになる。

 ───こんなことの為に───

 手紙の一文が頭に蘇る中、荷馬車に女を詰め込む。一見普通の荷台だが、幌の下は格子で仕切られた大きな檻だ。

 格子越しに女と目が合う。女の目は無気力。諦め。まるで鏡を見ているかのようだと、ギーゼルは思った。

わたくし異母姉おねえ様と同じ場所に乗ります!」

「何を仰るのです、ラウエリア姫様!」

異母姉おねえ様が罪人だと言うのなら、異母姉おねえ様を罪人にしたわたくしは大罪人の極悪人です。檻に入れなさい」

 そんなことを言われても実行すれば処罰されるのは目に見えている。姫に権力があるわけではない。姫の生まれに、姫の父親たる王に権力があるのだ。

 気づけばラウエリア姫を宥める為に、騎士も兵士も彼女を取り囲んでいる。檻を乗せた馬車の周辺にはギーゼルしかいない。



 突然、馬がいななき、荷馬車が猛スピードで走り出した。

 その様子を、その場にいた者たちはラウエリア姫を含め、ポカンと口を開けたまま見ていた。誰も彼もが、しばし無言のまま、予想外のことに固まっていた。

「…に、逃げたぞ!追え!追うんだ!」

「逃げたと言うより誘拐では!?」

「誰だ、あの兵士は!!」

 ギーゼルが混じっていることなど、誰も把握していなかった。ラウエリア姫を一目見れば、渋っているギーゼルも婚姻を前向きに考えて爵位を受け取るだろうと確信していた王が密かに手回ししていた為、名簿上は別の人物の名前になっていた。

 ギーゼルは元々村で馬と共に生活していた為、兵士の中では誰よりも馬の扱いに長けていた。幼少期から馬術を習ってきた貴族の騎士達など足元にも及ばない。馬と過ごした時間の差は歴然だ。残された者達も慌てて馬に乗って追いかけたが既に遅く、数キロ先で荷台のみを発見しただけ。そこからは進んだ方角すら検討がつかなかった。





「そろそろ大丈夫?落ち着いた?」

 切り株に座る女は未だに青白い顔で、朝焼け色の鮮やかな瞳をギーゼルに向ける。

「あの、これからどうするおつもりですか」

「追っ手が来る前に国境を越えよう」

 荷馬車と共に鎧を脱ぎ捨てたギーゼルは単なる青年だ。旅をするには身軽過ぎる点は不審に思われるかもしれないが、逆に言えば今のところ心配なのはそのくらいだろう。

「私もですか?」

「近くの町が良ければ送り届ける。それとも、あのまま城に帰った方が良かったか?」

 彼女をあのまま城に返していたら、取り調べも行われず、ありもしない罪を全て擦り付けられて、民衆の不満を鎮めるために処刑されただろう。死んでも尚、その存在は不当に扱われ、不名誉を背負わされ、遺体は曝されて───

 そんな未来が容易く想像出来てしまう。ギーゼルの退路を経つ為に故郷を焼き払うような連中だ、もっと残酷なことをしようとしている恐れもある。

「……………わかり、ません。私の代わりに別の誰かが酷い目に遭うのなら、私が我慢すればいいとは思います」

「俺はアンタが死んだら嫌だと思った」

 何でも思い通りになると思っている連中の、犠牲者が増えるのは容認できなかった。

 手を差し伸べると、彼女は瞬いてギーゼルの手を見つめる。

「貴方は何者なの?」

「ゼルって呼んでくれ。アンタは?」

 聞きたいのは名前などではないと、彼女の憮然とした表情が語る。わかっていながら、ギーゼルは応えない。

 そもそも今まで自ら英雄を名乗ったことはない。とはいえ、単なる兵士とは言い難い自分の立ち位置も理解している。


しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

【完結】不協和音を奏で続ける二人の関係

つくも茄子
ファンタジー
留学から戻られた王太子からの突然の婚約破棄宣言をされた公爵令嬢。王太子は婚約者の悪事を告発する始末。賄賂?不正?一体何のことなのか周囲も理解できずに途方にくれる。冤罪だと静かに諭す公爵令嬢と激昂する王太子。相反する二人の仲は実は出会った当初からのものだった。王弟を父に帝国皇女を母に持つ血統書付きの公爵令嬢と成り上がりの側妃を母に持つ王太子。貴族然とした計算高く浪費家の婚約者と嫌悪する王太子は公爵令嬢の価値を理解できなかった。それは八年前も今も同じ。二人は互いに理解できない。何故そうなってしまったのか。婚約が白紙となった時、どのような結末がまっているのかは誰にも分からない。

ここは貴方の国ではありませんよ

水姫
ファンタジー
傲慢な王子は自分の置かれている状況も理解出来ませんでした。 厄介ごとが多いですね。 裏を司る一族は見極めてから調整に働くようです。…まぁ、手遅れでしたけど。 ※過去に投稿したモノを手直し後再度投稿しています。

何もできない妻が愛する隻眼騎士のためにできること

大森 樹
恋愛
辺境伯の娘であるナディアは、幼い頃ドラゴンに襲われているところを騎士エドムンドに助けられた。 それから十年が経過し、成長したナディアは国王陛下からあるお願いをされる。その願いとは『エドムンドとの結婚』だった。 幼い頃から憧れていたエドムンドとの結婚は、ナディアにとって願ってもいないことだったが、その結婚は妻というよりは『世話係』のようなものだった。 誰よりも強い騎士団長だったエドムンドは、ある事件で左目を失ってから騎士をやめ、酒を浴びるほど飲み、自堕落な生活を送っているため今はもう英雄とは思えない姿になっていた。 貴族令嬢らしいことは何もできない仮の妻が、愛する隻眼騎士のためにできることはあるのか? 前向き一途な辺境伯令嬢×俺様で不器用な最強騎士の物語です。

[完結] 邪魔をするなら潰すわよ?

シマ
ファンタジー
私はギルドが運営する治療院で働く治療師の一人、名前はルーシー。 クエストで大怪我したハンター達の治療に毎日、忙しい。そんなある日、騎士の格好をした一人の男が運び込まれた。 貴族のお偉いさんを魔物から護った騎士団の団長さんらしいけど、その場に置いていかれたの?でも、この傷は魔物にヤられたモノじゃないわよ? 魔法のある世界で亡くなった両親の代わりに兄妹を育てるルーシー。彼女は兄妹と静かに暮らしたいけど何やら回りが放ってくれない。 ルーシーが気になる団長さんに振り回されたり振り回したり。 私の生活を邪魔をするなら潰すわよ? 1月5日 誤字脱字修正 54話 ★━戦闘シーンや猟奇的発言あり 流血シーンあり。 魔法・魔物あり。 ざぁま薄め。 恋愛要素あり。

モブで可哀相? いえ、幸せです!

みけの
ファンタジー
私のお姉さんは“恋愛ゲームのヒロイン”で、私はゲームの中で“モブ”だそうだ。 “あんたはモブで可哀相”。 お姉さんはそう、思ってくれているけど……私、可哀相なの?

(完結)初恋の勇者が選んだのは聖女の……でした

青空一夏
ファンタジー
私はアイラ、ジャスミン子爵家の長女だ。私には可愛らしい妹リリーがおり、リリーは両親やお兄様から溺愛されていた。私はこの国の基準では不器量で女性らしくなく恥ずべき存在だと思われていた。 この国の女性美の基準は小柄で華奢で編み物と刺繍が得意であること。風が吹けば飛ぶような儚げな風情の容姿が好まれ家庭的であることが大事だった。 私は読書と剣術、魔法が大好き。刺繍やレース編みなんて大嫌いだった。 そんな私は恋なんてしないと思っていたけれど一目惚れ。その男の子も私に気があると思っていた私は大人になってから自分の手柄を彼に譲る……そして彼は勇者になるのだが…… 勇者と聖女と魔物が出てくるファンタジー。ざまぁ要素あり。姉妹格差。ゆるふわ設定ご都合主義。中世ヨーロッパ風異世界。 ラブファンタジーのつもり……です。最後はヒロインが幸せになり、ヒロインを裏切った者は不幸になるという安心設定。因果応報の世界。

王太子妃が我慢しなさい ~姉妹差別を受けていた姉がもっとひどい兄弟差別を受けていた王太子に嫁ぎました~

玄未マオ
ファンタジー
メディア王家に伝わる古い呪いで第一王子は家族からも畏怖されていた。 その王子の元に姉妹差別を受けていたメルが嫁ぐことになるが、その事情とは? ヒロインは姉妹差別され育っていますが、言いたいことはきっちりいう子です。

冷徹宰相様の嫁探し

菱沼あゆ
ファンタジー
あまり裕福でない公爵家の次女、マレーヌは、ある日突然、第一王子エヴァンの正妃となるよう、申し渡される。 その知らせを持って来たのは、若き宰相アルベルトだったが。 マレーヌは思う。 いやいやいやっ。 私が好きなのは、王子様じゃなくてあなたの方なんですけど~っ!? 実家が無害そう、という理由で王子の妃に選ばれたマレーヌと、冷徹宰相の恋物語。 (「小説家になろう」でも公開しています)

処理中です...