恐怖の王とドッペルゲンガー

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恐怖の王とドッペルゲンガー

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 壁も床も石でできており、窓はなく、唯一の出入り口は頑丈な鋼鉄性の格子戸。ここは城の南塔にある、尊い身分の尊い罪人のための牢屋だ。備え付けられているベッドが大変立派な木製の一級品だというのがその証拠だろう。地下牢は藁で編んだ粗末なものだと聞く。

 その古めかしくも高級なベッドの上で、女は生まれたばかりの赤子を抱き、途方にくれていた。

 格子の外を見る。本来そこにいるはずの兵士は不在だ。幸か不幸か、女と同時間帯に王妃も産気付き、主要な臣下が城に集まっているらしい。必然と警護の手が足りなくなり、牢の見張りも駆り出された。そういう事情を牢の中にいる人物にまで聞こえるように話してしまうあたり、だから出世できずに見張り止まりなんだなと納得してしまう。

 ベッドの足元を這いつくばるようにして老婆がお産の痕を掃除している。老婆は、喉を潰されており、声を出すことができない。女の初産を、この老婆が一人で助けたのである。

 赤子の性別は、女の子。

 それを知るのは、女自身と、この老婆だけ。この老婆さえどうにかできれば、子供の性別を偽ることはできるかもしれない。

 何故、赤子の性別を偽る必要があるのか。問題はこの子供の父親にある。父親は今年24歳になる若き君主─国王陛下である。自分の実の父親である先代を刺殺した、血に濡れた恐怖の王。先々代も彼に暗殺された、というのは、あくまでも噂でしかないはずなのに公然の秘密のようになっている。

 恐怖の王は自身の娘を欲している。ただの娘ではなく、王族の血を確かにひくことが一目瞭然の、赤髪の娘。長年争ってきた隣国に友好の証───と見せかけて内部から破滅を招く駒として送りつけるための王女を。

 王には現在10人の妃がおり、産まれるのは王子ばかり。中でも、王族の特徴を引き継がなかった赤子は役立たずだと容赦なく切り捨てられた。元々40人いた妃が10人まで減ったのも、その関係である。立て続けに特徴のない子を産み王の不興をかって殺された者、目の前で子を殺されて精神を病んだ者、他の妃の惨状を知り逃げ出そうとして殺害された者。貴族たちは己の家族を守るために、自分達の娘を幼かろうが何だろうが慌てて嫁がせ、王に差し出さなくなった。結果、王は、城で働いていた侍女に手を出すようになったのである。

 蜘蛛の子を散らすように次々城を辞める侍女の穴を埋めるべく、平民上がりの下女が侍女に昇進していき、辞めるに辞められない事情を持つ者ばかりが残っている。

 この牢で出産した女もそんな元下女だ。たった一度の夜伽以降、牢に入れられ、今に至る。暗さと恐怖で王の顔など見ていない。平民という身分故に、城にいても一度たりとて王の顔など見たことがない。そんな男の子供でも、我が子だと自覚すると離れがたい。心なしか、赤子の瞳が、愛した男に似ているような気さえする。

 もし、この子が女の子だと知られたら、きっと取り上げられ、王妃が産んだことにして育てるために、実の母は口封じとして殺害されるだろう。そして、隣国を属国にするための兵器として、この子は嫁がされる…





 ───嫌だ。





 牢で生まれた赤子は12歳になった。

「お迎えにあがりました、王女殿下」

 田舎で母子二人で細々と暮らしていた彼女の家は貧しく、母が重い病にかかっても医者にみせる金などなかった。隙間風が通り抜けるような粗末な小屋で、3日3晩寝ずに母の看病をするのが精一杯。母が生き延びることだけを祈っていたところ、いつもお世話になっている隣の家の主人が家を訪れた。しかも、何故か兵士の大軍を連れて。更に仰々しく片膝をおり、頭を下げてくる。

 思わず舌打ちする。

 己の出自は母から聞いていた。幼い頃から欠かさず髪を黒く染めてきた理由がそこにはある。純粋に「どうして?」と聞く娘に、母は包み隠さず教えてくれた。誰かに聞いて欲しかっただけかもしれないが、感情を込めず淡々と事実だけを語る母の瞳は慈愛に満ちていた。

 いつか、見つかってしまう日がくるだろうと、心のどこかではわかっていた。だが、よりによって“今”その時が来るなんて!タイミングが悪い。最悪だ。

「いま、うちは病人がいて大変なんです。アホなこと言ってないでお引き取り下さい」

「陛下より、実力行使も止むを得ぬとのご命令です。お許しください」

 壁を突き破る勢いで流れ込んできた兵士たちは真っ先に粗末な寝台に横たわる母へと向かう。

「やめて!母さんに触らないで!」

「母君のお命が惜しくば我々に従いなさい」

 そう声をかけてきた兵士は困ったように微笑んでいる。その手には剣。どのみち、徹夜続きで体力も気力も衰えている少女では抗ったところで結果は見えていた。抗うほどに母を危険に曝すだろうということも。

「母さんを助けてくれるのなら、従います」

 兵士越しとはいえ、国王陛下にこのような条件を提示するのは無礼だ。本来は気にとめて貰えないどころか、咎められたり罰を与えられてもおかしくはない。単なる王様ではなく、“恐怖の王”とあだ名される残虐な男だ。ところが、長年隣人の皮を被っていた諜報員の男性は、はっきりと頷いて微笑んでみせた。

「陛下とて悪いようにはしませんよ、レティ───いえ、レティシア姫」

 母とは別の馬車で城に連行され、着くなり直ぐ様湯浴みさせられた。着色料を落とさないと
レティの髪は黒く、王家の血筋を示す赤が表に出てこないのだ。何度も繰り返し洗い、ようやく輝きを取り戻した美しい宝石のような赤髪に、世話をしていた侍女たちからは感嘆の声が漏れた。果たしてそれは高貴な色合いに対する感嘆なのか、自分達の苦労が報われたことに対する感嘆なのか。

 コルセットは断固拒否し、明らかに高級そうなドレスには渋々袖を通した。

「姫様、母君は薬が効いて呼吸が落ちつき、一先ず命の危機は去ったとのことですわ」

 椅子に着座させられ、数人がかりで髪をすかれているところに、侍女がそんな報告をしてきた。

 母のことは素直に嬉しい。

 ただ、今後の自分の行く末を思うと不安しかない。母を人質にされているようなものだ。姫として嫁げと言われれば嫁ぐしかないし、誰かを殺せと言われれば従うしかないだろう。

「陛下がお呼びです」





 ─カ

 ──ゼシカ

「ローゼシカ!!」

 体を大きく揺さぶられ、はっと目をあける。全身から勢いよく汗が吹き出した。隣を見ると、心配そうな瞳とかち合う。不思議な、穏やかな赤い影を宿す瞳だ。

「ユーグ…、ごめんなさい、私、どうしたのかしら?ぼーっとしてたみたいね」

 ユーグは庭師見習いとして幼少より城で働いているらしい。恐らく下級貴族の出なのだろう。どことなく品がある。一方のローゼシカは、田舎から出てきた下働きの日雇い下女だった。それが本来貴族しかなれない侍女に抜擢されてしまったが、平民は平民。道に迷って人に助けを求めようにも、何故か誰にも相手にされず、そんな時に助けてくれたのがユーグである。

「どうした?顔色が悪いよ」

 彼が好きだ。好きだからこそ、言えない。

 王の寝所に呼ばれてしまったことなど、知られたくない。

「だいじょうぶ、だいじょうぶよ」

 泣いてはいけない。陛下は残忍な方だ。機嫌を損ねれば迷わず殺される。気が済むまで、上司や親しい同僚、ユーグも、きっと殺されてしまう。この人を守る、その決意だけがローゼシカの気力を支えていた。

「僕は、頼りない?僕では役に立てない?ねぇ、ゼシカ!僕は君が、」

「やめて!」

 彼の言葉を遮り、耳を塞ぐ。この身はもう自分の自由にはできないのだ。決意の揺らぐようなことを言わないで欲しい。

 一筋の涙が頬を伝う。

「好きよ、ユーグ。だから、さようなら」





 ユーグ。

 熱に魘された母は何度かその名を呼び、手をさ迷わせた。そして、ごめんなさい、と夢の中で泣くのだ。

 母は熱が下がっても尚、ユーグという人を寝言で呼ぶ。

 そしてそれに応えるように、赤い髪に、赤褐色の瞳をした男性が、母の手を握りしめ、小さく返事をする。

「大丈夫だよ、ゼシカ」

 母の愛称を優しく呼び、泣きそうな表情で母を見つめている男性。

 ───私は一体何を見せられているの?

 レティシアは目の前の光景に、唖然としたまま立ち尽くしていた。赤い髪、だからきっと、あれが国王陛下、なのだろう。

「………“恐怖の王”?」

 盛大に首をかしげてしまった。しかも、うっかり声に出してしまったものだから、男性が振り向いた。怒鳴られるかも!と身を竦めたレティシアに、男性は苦笑する。

「そうだよ、レティ。私はユークリッド。この国の“恐怖の王”だよ。───3ヶ月前からね」

「3ヶ月?計算が合わないわ。私は12歳よ。少なくとも12年前から“恐怖の王”のはず」

「うん。これは国家機密なんだけど、本当の“恐怖の王”は私の双子の兄だよ。私は髪を染めて庭師の弟子、時々影武者」

 国家機密という割には、やけに軽く言う。

「それ、教えていいの?」

「いいんだよ。君は、私の娘なんだから」

「“私の”?───“兄の”じゃなくて?」

「安心しなさい。間違いなく君は“私の”娘だ」

 ───それ、何をどう“安心”すればいいの?

「うーん、レティは賢そうだし、変に誤魔化すと拗ねそうだから、直球で言うけど、」

 レティシアの目の前まで来て、ユークリッドは屈む。レティシアを見上げるような形で、真っ直ぐ目を合わせた。

「兄がゼシカに夜伽を命じたのは本当。自分の影武者と仲良くしている女性が気になったんだろう。私は兄に睡眠薬を盛って入れ替わり、事をなして、兄からゼシカを守るためにゼシカを牢に隔離したんだ」

 12歳のレティシアはしっかりと意味を理解した上で、真顔のまま、ユークリッドを睨む。

「事をなさない、という選択もあったでしょう?」

「王の夜伽ってのは面倒でね、正当な血筋を守るためだったり、無防備な状態で王が寝首をかかれて暗殺するのを防ぐために、薄いカーテン越しに立会人がつくんだよ。事をなさなかったら、ばれるんだ」

 ユークリッドも、真顔で返す。レティシアは頷いた。

「それは、できれば知りたくなかった」

「私も、できれば教えたくなかった。取り敢えず、そんなこんなで君は間違いなく“私の”娘です」

「母さんはそれらを全く知らないの?」

「残念ながら、知らないねぇ」

「言ったら、泣きながらビンタされると思うわ。しかも、複数回」

「うん。そうだろうね」

 ユークリッドは笑う。幸せそうに、笑う。

「迎えに行くのが遅くなって、私が直接迎えに行けなくて、ごめんね、レティシア」

 “恐怖の王”を、実の兄を、この人は殺したのだろうか?そんな疑問がレティシアの頭を横切った。いくら双子でも別人なのだから、成り代わるのは容易ではないはず。周囲の協力がなければ無理があるだろう。長年隣人として母娘を見守ってきた諜報員のように、協力者が。

 きっと、王への恐怖や不満が募るにつれ、協力者は増え、影武者の力が増していったのだろう。

「“恐怖の王”は死んでしまったの?」

「───人はね、本人と同じ形をとれるほどに成長した負の感情と出会うと、死んでしまうんだ。これは誰にでも起こり得ることなんだよ、レティシア」

 レティシアは頷く。

「ドッペルゲンガーを生み出さないよう、気をつけるわ」





 “恐怖の王”の子供たちは、王位を巡り、互いに殺し合い、誰一人残りませんでした。ようやく己の間違いに気づき、嘆く王は、母親の身分の低さ故に手放した娘の存在を思い出したのです。必死に探しだした二人の温かさに触れるうち、王は、愛を知り、まるで別人のように生まれ変わりました。

 愛を知った王の治世は、優しさに溢れていたそうです。



【終】
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