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アーモンドガール
しおりを挟む「ねぇ、聞いてよ」
「え?」
「アーモンドを見ると扁桃腺を思い出すの」
「へんとうせん」
「なんでかしらね?」
「僕に聞かれても………」
チョコレートを食べながら、おかしなことを言い出した女の子。手に握られたパッケージには大きくアーモンドの写真がプリントされていた。彼女は地元高校の制服を着ている。光加減で赤っぽくも見える髪は、肩の辺りで外向きに跳ね返っており、制御できていないのが見てとれた。
というか、誰だろう。
コンビニ前で立ち止まり、携帯電話で天気予報を見ている最中に、まさか話しかけられるとは思わなかった。しかも初対面で、女子高生で、アーモンドの話。
「…え、と、僕に何か?」
「気にしないで。質問するのは私の方。今日の予定は?大学生?」
気になる。何が目的なんだろう。
「………逆ナン?」
いや、まさか、それはないだろうと思うと、乾いた笑いが口から漏れた。案の定、アーモンド色の目が呆れたように僕を睨み付ける。
「質問に答える気がないなら、ないって言いなさい」
「大学生です。今日はバイトもないし、講義も終わったから、本屋にでも行こうかと」
午後2時近く。こんなにも時間に余裕があるのはいつぶりだろう。せっかくだから買い物に行きたかった。本屋にも行きたいし、生活用品も買いに行きたい。そろそろトイレットペーパーのストックが心許ない。問題は天気だ。どんよりとした雲は今にも泣き出しそうで、暗い。雨の中、たくさんの荷物を持つのは避けたかった。
「ここから一番近い駅前の本屋に行くのはやめなさい。行くならバスに乗って三丁目の本屋に。徒歩はダメよ。雨は気にするだけ無駄。早く帰ることね」
「駅前の本屋に行くと何かあるの?」
「あなたが死ぬ」
目と目をしっかり合わせて、とんでもないことを断言された。彼女に迷いがないことを読み取って、曖昧に頷く。
「占い師?」
「違う。でも、あなたに死なれたら困る」
「困る?」
「とても、困る。だから、私の言うことを聞きなさい」
その日、ビル工事の現場で、高所から巨大な鉄骨が落下する事故が起きた。
奇しくも、それは行こうとしていた本屋の目の前で、何人か怪我人が出たというテレビの報道を目の前に、僕はアーモンド女子高生との出会いを思い出す。結局本屋にもどこにも行かず、真っ直ぐ帰宅した。その判断は正しかったらしい。居間の卓袱台の上に広げたノートと参考書の上にシャープペンを投げ出し、畳の上に寝転がる。何故か酷く体が重い。
ふと目にした仏壇。飾られた女性の写真。20代前後の女性が固い表情で真っ直ぐ前を見ている。確か、履歴書か何かの証明写真を引き伸ばして遺影に使ったのだと聞いたことがある。僕を産むのと引き換えに失くなった女性だ。アーモンド色の瞳をした、髪を一つに束ねた女性。
「ねぇ、聞いてよ」
三年後、再び僕の目の前にアーモンド女子高生が現れた。社会人になった僕は慣れないスーツ姿で帰宅する途中で。
対する彼女は、あの日のまま。変わらず、高校の制服姿。跳ねた髪。そして当たり前のように並んで歩きだした。
「アーモンド娘さん」
「変なあだ名つけないで」
「じゃあ、名乗ってくれないかな?」
一瞬、驚き、息を飲んだ彼女は、悔しそうに唇を噛み締め、散々迷ってから舌打ちした。
「───アーモンドでいいわ」
「わかりました、扁桃腺さん」
「!」
どうやら気に障ったらしい。無言でバシバシ横から叩かれる。痛くはない。
「君のせいで僕までアーモンド見るたびに扁桃腺を思い出すんだから仕方ない」
「だからってそれで呼ばないでよ!」
「実は扁桃腺が名字でアーモンドが名前でしょう?」
「発想が貧困すぎる。そんなんでよく開発部に在籍してられるわね!」
会社員だということはスーツ姿から予想できても、開発部に身を置いていることはわからないはず。死の危険だけではなく、僕の個人情報は全て把握しているのかもしれない。女子高生なのはきっと見た目だけ。得体の知れない女の子だ。不思議と気味が悪いとは思わなかった。彼女が命の恩人だという実績があるからかもしれない。
「今回の用件は?」
「電車に乗らないで」
前回とは異なり、今回は特に質問などはないらしい。
「乗ったら死ぬ?」
「わかってるなら聞かないで」
素っ気なく言い残し、彼女は雑踏の中に消えていく。夕暮れの日差しの中、去っていく後ろ姿を、ただ呆然と見つめることしかできない。
帰宅後、意を決してテレビをつけると、ちょうどニュースの中継で、見覚えのある景色が写し出された。通勤のためによく利用していた路線で脱線事故が起こり、死傷者が出たという。詳細を知るのが怖くなり、慌ててテレビを消す。
あの子は何故僕に死なれると困るのだろう。何故僕が死ぬであろう事態の未来がわかるのだろう。何故、彼女の瞳は亡くなった母の写真によく似ているのだろう。
触れてはいけない領域なのだという予感がした。
───10年後、その答えを知ることになる。
桜によく似た、五枚弁の花が咲く頃。
「なんだか、赤く腫れた扁桃腺みたいだね」
泣き叫ぶ生まれたばかりの娘を前に何と言っていいかわからず、おかしな感想が零れた。目の前の赤子は全身を真っ赤にして、全力で泣き叫び続けている。すかさずベッド上にいる妻から脇腹にパンチを見舞った。デリカシーの欠片もないことを言った自覚はあったので、甘んじて受け入れた。
「ちょっと!名付け大丈夫なの?扁桃腺なんて却下だからね!」
怒られた記憶が、あの日と重なる。
「扁桃って、アーモンドのことなんだって」
急に何を言い出すのかと妻は目を丸くしたが、僕の様子に違和感を覚えたのか、小さく頷き話に乗ってきた。
「アーモンドチョコ食べたいわ」
妻は、ナッツ入りのチョコレートなら何でも好きだ。アーモンドでも、マカダミアナッツでも、何でも構わないらしい。僕も好きだ。きっと、この子も好きになる。
「この病院から見えるあの木、何の木かわかる?」
「桜でしょ?咲いてるじゃない」
眠くて泣いていただけらしく、赤子は母親の腕の中で、すぴーすぴーと眠り始めた。
「あの木、アーモンドの木なんだって。アーモンドと桜は花がよく似ていて間違われやすいらしい」
僕の母は、桜の花のように儚くすぐに散ってしまった。
でも、アーモンドの花は桜とは違う。
「アーモンドって名付けるとか言わないわよね?」
見慣れているはずの、肩口で外向きに跳ね返った妻の髪が、酷く懐かしい。光に照らされて赤っぽく見える。
「アーモンド色ってさ、赤みを帯びたオレンジ色だろ?オレンジは日本語で橙色なわけだ。橙に花と書いて“橙花(とうか)”はどうかな?」
「とうか…、いいわね。あなたの名前は橙花よ。宜しくね」
きっと、この子の望む未来に繋がるはずだ。そう信じて、僕はこの子の言葉によく耳を傾ける父親でいようと決めた。
【終】
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