テンテキと恋

藤間留彦

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2話 部屋探し

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 ゆさ、ゆさ、と誰かが俺の身体を揺すっている。
「……城、起きて」
 誰の声だ、と一瞬分からなかったが、朝だ、と思った瞬間飛び起きた。と、同時に額に激痛が走る。
「いってぇ……」
 ふと見るとベッドの脇で蹲っている男が居る。俺を起こそうとしていたら、起きた拍子に頭突きされたのだろう。
「だ、大丈夫か、秀仁……」
 顔を押さえていると思ったら、手の間から鼻血がぼたぼたと床に落ちていた。俺は慌ててベッド脇のテーブルからティッシュを大量に取り出すと、秀仁の顔を拭き鼻に栓をする。
「悪い、わざとじゃないんだ、許してくれ」
 秀仁は無言で余ったティッシュで床の血を拭き取っている。
「……部屋、いつ見に行くの」
 言われて気付く。外はもうかなり明るい。慌てて枕元の携帯の表示を見ると九時だった。
「わ、悪い! 今すぐ準備して行こう!」
「……向こうで待ってる」
 と、既に着替えて鞄を持った状態の秀仁が寝室を出ていった。鼻を痛そうに押さえながら。さすがに怒っただろうか。
 早々と着替えて、昨日のファイルを手にリビングに行くと、テーブルの上にコーヒーとマーガリンの塗られたトーストが出されていた。
「俺は急いでないから、食べてから行こう」
「……悪いな」
 勝仁おじさんの教育の賜物か、少しは気を遣えるようになったらしい。俺はソファに腰を下ろすと有難くトーストとコーヒーを頂く。
「これ……何?」
 気付くと横に立っていた秀仁が、俺のファイルを手に取っていた。
「今のうちに見ておいてくれ。昨日目ぼしい物件調べておいたんだ。気に入ったのがあったら言ってくれよ。そこの不動産会社から行くから」
 黙ったまま、秀仁は俺の隣に腰掛けると、黙々と印刷した物件を見ている。こうして間近で見ると、やはり勝仁おじさんに似て綺麗な顔をしている、と思う。若い男に興味がないとは言え、絵画や彫刻の美しい若者を愛でるような感覚は俺にもあるわけで、そういう観点で彼の横顔を見詰めていた。
「……何?」
「いや、秀仁は綺麗だな、と思って」
 やましい気持ちが無かったから、一見すると気障な台詞をさらっと言ってしまった。
「……外で待ってる」
 そう言うと、ファイルを持って部屋から出て行ってしまった。ゲイにそんなことを言われて貞操の危機を覚えたのだろうか。だとしたら、あいつには後でちゃんと俺の性癖について話してやった方がいいのではないだろうか。いや、余計変な目で見られる可能性もある。俺が無意識の差別に一日我慢すれば済むのであれば、その方が良いのかもしれない。
 それでも差別というのに晒されるのは最悪だ、とトーストを口に放り込んでコーヒーの最後の一口を飲み干し、財布と携帯を手に取る。と、携帯のメールが一通届いていた。表示には「藤崎教授」。
「今晩、空いているか? いつものホテルを予約しておいたから、都合が良ければ八時に来てくれないか」
 「藤崎教授」との関係は完全に身体だけの、所謂セフレであり、この関係は大学在学中に声を掛けられてからずっと続いていた。出会った当時、俺は十八歳、教授は四十歳だった。大学の学生と教授という背徳感が堪らず、また身近でゲイの男性と出会ったことがなかったので、学校で声を掛けられた時は舞い上がったものだ。ちなみに俺も若かったので、その頃は四十代もストライクゾーンだった。
 教授との出会いによって、元々交際経験の無かった俺に色々と教えてくれ、それにより俺は完全に開花してしまった。若い分体力のあった俺は、教授とそのお友達数人とのプレイも愉しんだりして、毎日誰かの男根を咥え込んでいるような淫乱っぷりを発揮し、それはそれは乱れた生活をしていた。
 今はもう三十三なのでそのようなことはないが、未だにその名残で週一は誰かと寝ないと落ち着かなくなってしまった。その相手は、いつも藤崎教授だ。
 五十五歳になった教授は今や俺のどストライクだし、見た目も小奇麗な紳士で、夜はSっ気のある言葉責めと濃厚なプレイでたっぷり可愛がってくれる。が、出会った当時から妻子持ちだったせいか、彼に恋をしたことはなく、その辺は割り切っているので、恋人という感覚は持ち合わせていない。
 そう考えると、俺は恋をしたことも恋人が居たことも無いのか、とふと思った。好きになるのは画面の向こうの俳優ばかりだし、リアルで好きになりかけたのは、小一の時、同じマンションのに住んでいた「竹山さん」ぐらいのものだった。
 竹山さんは、定年を迎えた六十半ばの御爺さんと言っていい男性だった。竹山さんは引っ越してきてから、毎日マンションの下にあるベンチに居て、マンションの人達に挨拶をしてくれる柔和で朗らかな笑顔が印象的な人だった。
 ある日、学校が終わって家に帰ると、母親が丁度買い物に出掛けていていなかった。仕方なくマンションの下のベンチに座っていると、竹山さんが声を掛けてきた。親が出掛けていていないことを伝えると、竹山さんは「御菓子を食べながら私の家で待っていなさい」と言って、俺を自宅に招いた。竹山さんは沢山の饅頭や煎餅を出してくれ、家では御菓子をそんなに食べさせてもらえなかったので嬉しかった。御菓子を頬張っていると、竹山さんは急にこんなことを言うのだ。「身体を気持ち良くしてあげようか」。よく家族で温泉に行くことがあり、父親が年配の男性から身体を揉まれて気持ちよさそうにしていたのを思い出して、俺はそれをしてもらえるんだと勝手に解釈し、言われるまま裸になった。竹山さんは今まで見たことも無い鋭い目つきになり呼吸を荒げながら俺の身体に触った。幼い陰茎を手で撫でまわし、俺の乳輪を弄り始めた。その時お父さんがしてもらっているのとは違う、と分かったのだが、触られると気持ちが良いのは確かで、俺はされるがままなされるがまま、その行為に身を委ねた。
 その行為が終わると、竹山さんは俺にチョコレートを一つくれた。「誰にも言わないんだよ。でも、また来たかったらいつでも来なさい」と言いながら。
 その日から母親が居ない時は毎回竹山さんの家に行った。御菓子も食べられて気持ち良くなれるのだから。しかし、それがいけないことだったと分かったのは数か月経った頃だった。竹山さんは同じマンションに住んでいた女の子に猥褻行為をしたとして捕まったのである。母親は俺に何もされていないか心配そうに聞いてきた。俺は竹山さんが好きだったので嘘を吐いた。多分恋とは違って、親切なおじさんとして好きだったのだと思うが。
 それからだと思う。中年の男性を見ると、親しみや憧れを覚えるようになったのは。逆に同じくらいの年齢の子や年下に興味が湧かなくなったのは。恐らく竹山さんの思い出は俺にとって良いものでしか無く、更に人より先に性に目覚めてしまったせいでそれを知らない子達が嫌になってしまったのだと思う。その感覚は思春期を経て性癖に変わり、今に至るわけだ。
 時計を見てぼんやりとし過ぎたことに気付いた。この性癖に不思議と困ったことは無いし、構わないと思っていたので今まで深く考えなかったのだが、どうして急に過去を掘り出したり自己分析を始めてしまったのだろうか。答えの出ない問答は止めて、俺は慌てて外へ出た。
「悪い、待たせた」
 俺の言葉には反応せずに、物件の載っているプリントを差し出した。これがいい、ということなのか。
「じゃあ、そこの不動産屋に行こうか」
 相手が反応しないと独り言のようだなと思いながら、鍵を閉めてはっとする。この男はどうやって部屋に侵入したのだろうか、と。答えないことを前提に聞こうと思った瞬間だった。
「鍵の事だけど……管理人のお婆さんに事情を話したら鍵を開けてくれたから、不法侵入じゃない」
 エスパーか、と思うと同時に親切な良いおばあさんだが、相手が犯罪者だったらどうするつもりだったのか、と呆れてしまった。
「そうか。まあ、良いよ」
 それっきり最寄駅に着くまで会話も無く、駅の券売機での遣り取りを除けば、不動産屋まで会話らしいものは何もなかった。どうせ返事は無いのだし、と諦めてしまったから。
 不動産屋に着いて、先の物件について従業員に話した。1K、家賃五万、駅まで徒歩十分という良物件だ。
「申し訳ありません。こちらの物件、一時間前に決まってしまいまして……」
 何ということだ。俺が寝坊したせいで、秀仁とおさらばできるチャンスを逃してしまったのである。後悔しても遅い。
「同じような物件、他にありませんか」
 隣の秀仁の視線に気付き、慌てて従業員に言う。カチカチとパソコンを操作してみるも、「この家賃だと、もうトイレと風呂別の部屋は無いですね。1Rの風呂なしの四万五千円の物件しかないですね。家賃を一万円上げてもらいますと何件か――」
「じゃあいいです」
 言い終える前に隣からぴしゃりとはねつける言葉が飛び出し、秀仁は俺を置いて不動産屋から出てしまった。俺は従業員に「すみません」とフォローを入れて慌てて追いかける。
「お前、勝手なことを――」
「親に負担を掛けられないから家賃は五万が限度。だからって古過ぎるのも通学に時間が掛かるのも部屋の設備を甘くするのも嫌だ」
 この時期にそんな部屋あるわけないだろう、と思うけれど、数時間前まであったわけで、そこを借りられなかったのは俺の失態のせいなわけで。ここで突っ撥ねられたら楽なのに、と思いながら、俺は溜息を吐いた。
「あと条件に合うのはこれだけ」
 そう言って一枚プリントを差し出す。1R、家賃四万八千円、駅まで徒歩十三分と書かれている。先の物件には劣るが、良さそうなリノベーションマンションだ。
「よし、すぐ行こう!」
 もうこうなったらここに決めるしか、と意気込んでまた電車に乗って不動産屋に向かう。が、プリントを見せた従業員の反応に地獄に突き落とされる。
「申し訳ありません、先程決まってしまいまして……」
「そ、そうですか……」
 秀仁の視線を隣から感じる。咎められている感じがして、視線を逸らす。
「同じような物件でしたら、二件良いのが今日入ってきまして、ご覧になりますか」
「ぜひ!」
 もう藁にも縋る気分で物件情報を見せてもらう。駅まで徒歩十五分の物件が二件。設備には申し分ない。ちら、と秀仁の様子を窺うが、文句が飛んで来ないのは良いということだろう。
「部屋の方、拝見させてもらえますか」
「はい、大丈夫です。車を回しますので、外でお待ちください」
 このどちらかに決まれば、今日で煩わしいこいつともおさらばだ。にやつかないように気を付けつつ出入り口の前に立っていると、ちらちらと通りを歩く人の視線を感じる。向かいの店舗の喫茶店にいる女子高生三人組が笑顔でこちらに手を振っている。視線を点で辿ると、隣の秀仁に行き付く。
「モテるんだなあ。女がお前を見てるぞ。あそこの女子高生なんか手振ってアピールしてるし」
 反応は無く、相変わらず無表情で沈黙を保ったままだ。この性格を置いておけば、顔は良いし高身長だし、俺と同じ大学に受かるくらいだから頭もそこそこ良いのだろうから、女が放っておかないとは思う。彼女の一人や二人居ただろうし、今も進行形で居るのかもしれない。聞いても答えないだろうし、彼の恋愛遍歴に興味があるわけでもないから聞かないが。
「城はゲイの世界ではモテるのか」
 久しぶりに声を発したと思ったら、俺のゲイ事情についての問いである。警戒しているなら、余計なことを聞かなければいいのに。
「モテないわけじゃないけど、俺のストライクゾーンに行くと、がっちり体型の若い男が好きなネコの人が多いからな。俺はネコだし、そういう意味ではあんまりモテないかもな」
 恐らく「ネコ」なんて言われてもよく分からないだろうとさらっと言って、秀仁の方をちらと見る。と、秀仁が思いの外じっとこちらを見ていることに気付いて、視線を通りを行く人に移した。
「城は突っ込まれたい人なのか」
 唐突に爆弾を投下されて、身体がびくりと反応して固まった。昨日あれだけのゲイ雑誌を読んでいたのだから、知識がついてしまったのだ。
「お、俺のストライクゾーンは五十歳以上! お前に興味なんか一切ないからな!」
 しばらく俺を見てから視線を逸らすと、また黙り込んでしまった。
 焦ったり怒ったり、昨日から一方的に疲弊していることに心底嫌気が差す。若いと興味本位で相手の気持ちを無視して何でも突っ込んでくる奴が多い。心を乱されるのが一番嫌いだというのに。だから若い奴は嫌だ。
 目の前に車が止まる。運転席から降りてきた不動産屋の従業員に誘導されて車に乗り込む。あと少し早く来てくれたら、この男とこんな会話をせずに済んだのに、と思ってしまった。舌打ちしたい気分だったが、車内の雰囲気が悪くなるからやめておく。
 一件目の物件には十数分ほどで到着した。その間、不動産屋の男と俺がずっと会話していたわけだが、秀仁は外をぼんやり見ているばかりで、考え事をしているのか、それとも何も考えていないのかさっぱり分からなかった。ただ、何となく今から良物件を見に行くというのに、気乗りしないように見えて不思議だった。
「こちらの一階の部屋です」
 築年数は結構いっているがリノベーションマンションで、見た目はその辺の新築とそう変わりがない。外観は白のコンクリで清潔感のあるものだった。
 鍵付きの玄関ドアを開けて廊下を真っ直ぐいった奥の部屋に案内される。ドアを開けると若干薄暗く、どうやら北向きのようで、少しじめっとしている気がする。
「……暗い」
 ぼそりと秀仁が呟く。不動産屋が慌てて風呂場を開ける。
「部屋はベランダがありますが、北向きで洗濯物が少し乾きにくいかと思うんですが、こちらのお風呂場には衣類乾燥が付いていますので大丈――」
 言い終わる前に、ベランダ側の遮光カーテンを開け放つ。と、ベランダの向こう側に無数の自転車が置かれていた。俺もびっくりして窓を開けてみると、ベランダには空き缶やら弁当の空やらが投げ捨てられており、目の前は向かいの大型マンションの駐輪場であることが分かった。どうやら、駐輪場でたむろしている学生がこの部屋のベランダにごみを捨てていっているようである。
「秀仁……ど、どうする?」
 俺は引き攣った笑顔で彼を見上げる。いつもの無表情で踵を返すと、「……次」とぼそりと呟く。慌てて俺は不動産屋に誤ってついていく。
 その後乗り込んだ車内の空気は悪く、仕事以外でこんなに気を遣わないだろうと思うくらいの営業スマイルとトークで切り抜いた。
 しかしまあ、どんなに綺麗で設備がしっかりしていても、泥棒に入られる危険性や騒音や若者達の迷惑行為を考えたらあの部屋はさすがに俺も住めない。
 次の物件は、不動産屋の隣町との境にあり、ちょうど駅と駅の間くらいの静かな住宅街の中にあった。貰った資料によると、築五年の十階建てマンションの七階1Kの部屋で、バストイレ別、システムキッチン、オートロック、宅配ボックス有り、モニター付きインターホン付きという充実した設備で、全く文句の付けようがない部屋であった。石造りの玄関は高級感を溢れさせ、住民用の鍵でオートロックを開錠し、白の壁と灰色の床というモノトーンの綺麗な廊下を進む。
 合鍵作成不可のディンプルキーであることを説明しながら、不動産屋は七階の突き当りにある角部屋のドアを開ける。
 玄関は靴置き場が設置されていて、広々としている。靴を脱ぎ部屋に上がると、玄関を入ってすぐのところにあるダイニングには二口のIHコンロと広々とした流しのシステムキッチン、充分な広さの冷蔵庫を置くスペースもあった。ダイニングと居間の間のドアを開くと、光が充満した明るいフローリングの部屋が広がっていた。
「クローゼットは一畳近く取ってありまして広々使えますし、こちらの部屋は南向きでベランダも広々一畳ございます。エアコン、浴室乾燥機、一人暮らしの部屋では珍しい追い炊き機能もついており、部屋の広さ設備ともにこれ以上ない物件だと思います」
 自信満々の不動産屋の台詞に、俺も同意する。こんな物件がよく残っていたものだと思う。前の部屋の人が、急遽転勤にでもなって部屋が空いてしまったのだろうか。俺が秀仁と同じく部屋探しをしていた時にこんな部屋を見つけたら喜んで即契約していただろう。
「秀仁、この部屋凄くいいじゃないか。防音もしっかりしていそうだし、設備にも広さにも文句ないだろう?」
 無言のままガラガラとベランダの窓を開け、外に出る。俺は溜息を吐いて一緒に外に出てみると、目の前に高いビルも無いし、住宅街が見渡せる良い景色である。
「……城、感じないのか」
「え?」
 神妙な顔でベランダの下を覗き込んでいる秀仁の隣になって、階下を見下ろしてみる。何か一瞬ぶわっと強い風が吹き下ろしたかのような感覚に襲われてぐらっとしたところを秀仁の大きな腕に腰を抱えられる。一瞬落ちるかと思ってヒヤッとしたと同時に、何だか至近距離にいるせいか、気恥ずかしくなる。
「不動産屋の人に聞きたいんだけど……前に住んでた人……死んだでしょ」
 先程まで自信満々に話していた従業員の顔が一瞬にして凍りつく。
「若い女だったろ、二十前後……夜の仕事をしてた。間違いじゃなければ……この部屋から飛び降りたんじゃないか」
「な、何言って――」
「あ……ほら、花が供えてある……」
 がたがた震えながらベランダから彼の目線の先にある下の方を恐る恐る見遣ると、確かに花束がいくらか置かれているのが目に入った。
「あと……いるだろ、そこに……血だらけで……首が変な方に曲がって泣いてる女が」
 彼を部屋の隅の方を指差すと、俺の全身の鳥肌が立った。何も見えなかったが、居ると言われると怖い。物凄く怖い。
「ひ、秀仁っ、帰ろう! 帰ろう!」
 俺は慌てて彼の腕を引っ掴んで、「ありがとうございましたっ」と声を引き攣らせながら不動産屋に言って、部屋を飛び出した。
「……怖がりだな、城」
「怖がりじゃなくてもさすがに怖いだろ、あれは!」
 無表情で無感情にあんなことを言ってのけるお前が可笑しい、と心の中で叫びながら、俺は不動産屋に送らせれば良かったと思いながらも、近くの駅に小走りで向かった。その途中でずっと秀仁の腕を掴んで歩いていたことに、女子大生らしい二人組にくすくす笑われて気付き、慌てて手を離した。
「……昔、同じように俺の手を引いてくれたよな……」
「は? あれはお前が葬式始まるっているのに動かないから、無理矢理引っ張っていっただけだろ」
 隅の方で一人で遊んでいるあいつの腕を引っ掴んで式場に連れていった。俺の親父は喪主だったし、勝仁おじさんも親父と一緒に参列者の相手で忙しかったから俺にまかせっきりだったのだ。
 ふと親戚の集まりの時に秀仁が祖父と二人で祖父の庭の木々を見て回っている姿を思い出した。無表情だけれど、何だかその後ろ姿が楽しげに見えたんだっけ。
 もしかしたら、秀仁は爺さんのことが好きだったのかな、と思った。物腰の柔らかい優しい笑顔の爺さんと勝仁おじさんは瓜二つだって言われていたけれど、彼もそれを感じていて心を許していたのかもしれない。
 葬式の日、ぼんやりとして無表情で一人で遊んでいた彼は、本当はすごく寂しかったんじゃないだろうか。思い出す小さな背中は、寂しい悲しいと言っていたように思えて、俺はぽんぽんと腕を叩いた。
「……何?」
「いや、何となく」
 もしこいつが昔みたいに小さかったら、俺は頭を撫でてやったんだろうけど、俺の頭一個分くらい大きくなった今では、これくらいが限界だった。
「城……恋人はいるのか」
「な、何だよ急に」
 駅前のロータリー前で信号待ちをしているところで、また唐突な爆弾投下である。本当に何を考えているか分からない。
「……恋人はいない。ずっと」
「いない……のか」
 その言い方が哀れんでいるように聞こえて、俺はイラッとして秀仁を睨み付ける。
「代わりみたいな人はいるよ。大学の時から相手してくれてる教授。セフレなんて俺達の世界では珍しいはなしじゃないし、俺は恋人なんて堅苦しい間柄なんか御免だから。それに相手金持ってるし、大人だし家族持ちだし、気楽でいいしな。お前と違って」
 何で「お前と違って」なんて言ったんだろう。別に秀仁とどうこうなるつもりはないから、比べる必要もないのに。
「……そんな不誠実な男はやめろよ」
 真っ直ぐに俺を見下ろす彼の視線が突き刺さる。苛立ちと、よくわからない焦燥感に襲われ、視線を逸らす。
「なんでお前にそんなことを言われなきゃいけないんだ? 俺が好きでやってることだ。見た目も年齢もストライクだし、あっちの方だって相性良いんだ。他を探す理由なんかないだろ?」
 俺は嘲笑しながら、秀仁を見上げた。俺は誰を嘲っているのだろうと思いながら。
「それとも何か? お前が俺の相手でもしてくれるっていうのか?」
 彼の目はいつになく真剣だった。その目に射られて、俺はその後続く言葉が、答えが、恐ろしくなった。
 俺は逃げるようにロータリーに止まっていたタクシーに乗り込んだ。
「○○グランドホテルまで行ってもらえますか」
 藤崎教授との約束にはまだ早いけれど、ここと自宅以外の逃げ道を俺は知らなかった。そう、ただ逃げたかっただけだ。あいつの真剣な眼差しの先に待っている答えが何なのか、それを知りたくなかった。
 俺は焦っていた。どうしてこんなことをしている? 考えている? どうしてあいつには大人の対応ができないのだろう? ただそればかりが頭の中を渦巻いていた。
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