異眼賢王と吸血鬼の涙

藤間留彦

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第4章 終わりと始まり

第20話 式典への旅立ち

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 翌日も紅獅子団歓迎の余韻は続き、賑わっているようだった。城の使用人達も楽しめたようで、昨日の話を聞くと笑顔で話してくれた。
 紅獅子団が滞在する一ヶ月の間宿屋はほぼ満室、飲食店や食料品店、服屋や武器屋の売り上げも見込めるとあって、商人たちの間にも活気が溢れている。
 旅立ちの時にまた何か催しをするという話も持ち上がっているそうだが、ちょうどその頃三国同盟成立一周年の時期でどうするかもめているらしい。
 そんなもめごとさえ楽しい話に聞こえてくるのは、平和な証拠だとアシュレイと語り合った。
 アシュレイの事は、数日の間に国中に伝わった。彼が仕事の合間に街中を歩くと、周りに握手を求めて人だかりができているとイェルクが言っていた。彼が吸血鬼であることや先の戦争で巨大な翼手となったことをよく思っていない国民が居るのも事実で、時々心無い言葉を掛けられている、とも。
 本人にそれとなく聞いてみたが、五百年生きてきてそんなことは常で、むしろ受け入れてくれる者が多い今の状況の方が慣れないと特に気にしていない様子だった。

 そうしているうちに、一月ほどが過ぎた。
 数日前にミヒャーレ国王ミヒャエル七世らミヒャーレの方々が式典参加のために我が城に来訪されたところだった。
 会談を兼ねたものだったが、ミヒャーレからは我が国を通ってカーロへの向かわなければならないため、どうせ行くのならと道中を共にすることになっていた。
 しかし、ミヒャーレ国王は少々楽観的な性格なのか、国内の状況も鑑みてのことだろうが、兵士を最小限の人数しか伴っていなかった。
 同盟関係とは言え他国に赴くのだ。カーロまでの道中は我が城から二日ほど掛かる。その間賊に襲われない可能性もないわけではない。
 そこで、それを知ったオルジシュカが申し出て、元々本拠地のあるカーロまで帰還する予定だったため、紅獅子団がミヒャーレの式典参列者の護衛を兼ねて同行することとなった。帰りはアレクシル国内移動中は我が国の一部兵士を同行させれば問題はない。
 予想を超える大集団での移動となったが、城下では同盟成立記念と紅獅子団旅立ちの宴を同時にできることになって都合が良かったようだった。
 盛大に祝いの祭りが催された翌日、先頭を我が国、後続にミヒャーレと紅獅子団と隊列を成して出発することになった。
「オルジ、二日の旅だけれど宜しく頼むよ」
 金色の甲冑に身を包んで馬のケアをしているオルジシュカに声を掛ける。
「ああ、あの呑気な爺さんは任せな」
 と後ろの方で馬車に乗り込んでいる小太りでたっぷりと白い髭を蓄えたミヒャーレ国王を顎で示す。
 ミヒャエル七世は気が長く温和な性格のようで、オルジシュカの余所では無礼だと叱責されそうな言動も笑って許してくれている。むしろ彼女の豪快な性格を気に入っているようで、紅獅子団の面々との関係も良好だ。二日の間に問題は起こらなそうで安堵する。
「ありがとう、助かるよ。騎士団全員を数日も不在にするわけにはいかないから」
「一ヶ月この国にもあんたにも世話になったからね。護衛くらいするさ」
 出発の準備ができたと騎士の一人が呼びに来る。
「じゃあ、また後で!」
 オルジシュカに手を振って馬車の後方を守る騎士に挨拶をしながら、先頭の方へ向かう。他国に赴くために用意された北方民族の伝統的な模様を施した白を基調とした美しい造形の馬車が見えてくる。その側で待っていたのはアシュレイとイェルクだ。
「留守の間のことは頼んだよ、アシュ」
 アシュレイの腕を掴み、見上げる。僅かに瞳が揺れた。
 僕が城を空けている間、国政を任せられるのは、ヤーコブとアシュレイ、イェルクの三人だ。ただ、もし何か不穏な事態が起こった場合、特に武力攻撃に関してヴァルテリを含む騎士団の半分が不在となるため対処ができる人間が残っている必要があった。そのため、内政に強いヤーコブと伝説的な英雄であるアシュレイが残ることになった。
「もし何かお前の身に起こったら、すぐに駆けつける。カーロまでならば半日も掛からない」
「それは安心だ。でも知らせに二日は掛かりそうだけどね」
 そう言うとアシュレイが渋い顔になって冗談を本気にしそうな気がしたので、笑って誤魔化す。アシュレイの手が僕の頬に伸び、優しく撫でた。
「数日も傍を離れるかと思うと、胸が張り裂けそうだ」
「……うん、僕も」
 アシュレイの手に自分の手を重ねて、目を閉じる。この温もりを忘れないように、心にいつも感じられるようにと願って。
 馬車のドアをイェルクが開ける。促されるように乗り、続いたイェルクがドアを閉め鍵を掛けた。
 カーテンを開いて小窓から顔を覗かせると、アシュレイが不安そうな顔で立っていた。
「いつまでそんな情けない顔をしている。ニコデムス様のことは心配するな。私が付いている」
 イェルクはそう言うと、首から下げていたペンダントをアシュレイに見せた。それは、祭りの日にアシュレイが贈ったものだった。
「私はニコデムス様を、お前は国を守れ。信じているぞ」
 その言葉に、アシュレイは微笑むと小さく頷いた。
 号令と共に前を行く騎士団が動き出した。アシュレイの手が小窓から入ってきて、僕の顔を引き寄せる。と、唇に柔らかな感触がして、馬車が走り出すと共に離れた。
「……公衆の面前で、何と気障な……」
 そう言ってイェルクが深く溜息を吐いた。その正面に座っている僕は、ただ顔を熱くしているしかなかった。
「しかし、アシュレイの提案通り、開催日の前日に空で移動すれば半日で着くのですし、その方が良かったのでは……?」
 イェルクが訝しげな表情で僕の顔を見る。
「そうだけど、ミヒャーレ国王達や他の皆は地上で移動しているのに、自分だけ楽をしようだなんて良くないよ。それに、アシュレイの飛行能力については、一部の人間しか知らないから、きっと怖がらせてしまうだろうし」
 がたがたと揺れる馬車の外から歓声と大きなラッパの音が聞こえてきた。城の門を出ると中央通りの両側に沢山の人が集まっていて、僕等に手を振っている。
 花弁が舞い散る美しい光景の真ん中を進む。見上げると建物の二階から人々が花弁の雨を降らせていた。
 僕は人々に手を振りながら、「行ってきます」と声援に答えた。
 正面を見ると城壁にぽっかりと穴が空いている。大きく開かれた門の向こう側に地平線と青空が広がっていた。
 門を通り一瞬暗くなった後、突然視界が広がる。思わず小窓から身を乗り出すと、イェルクが慌てた様子で僕の身体を押さえた。
「一年前、この門を潜ったのは戦うためだった。今、平和を願いながらこの景色を見られるなんて、素晴らしいよ」
 人々の亡骸が積み上げられた、赤黒い大地。今は青々とした草木が茂り、野の花が道を縁取るように咲いている。
振り返ると、「そうですね」とイェルクが頷いた。席に座り直し外を見る。何処までも続く草原と青い空が美しい。
「私の住んでいた北部地域も、初夏になるとこのような草原が広がっていました」
 イェルクは懐かしむように目を細めながら、外を眺めている。短い夏の間牧畜で、冬の間は織物で生計を立てている北部民族は、その長い冬を少しでも明るく過ごそうと考えたのか、独特の伝統音楽が育まれた。イェルクが我が城に召し抱えられるまで、吟遊詩人として土地を巡っていたそうだ。
「イェルクの故郷にもいつか行ってみたいよ。それはつまり、母上の故郷でもあるから」
「他国との関係だけでなく、国内の融和を図るのは良いことです。北方地域の橋の建設が終わったら、視察も兼ねて訪れるのも良いかと思いますよ。その時は私がご案内致します」
 目を糸のようにして笑うイェルクに微笑んで、かつて母やイェルクが家畜を追い回し駆けた大地に想いを馳せた。
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