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第3章 決戦
第14話 戦いの前夜
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こんこんこん、と扉を叩く音がして目を覚ます。気付くと日は沈み、空は藍色に染まっていた。
「ニコデムス様、夕食の支度が整いましたので、広間の方へ」
「ありがとう、イェルク」
聞き慣れた声に少し疲れの色が見える。僕が呑気に休んでいる間に、城壁への弩の配備やミヒャーレの難民の移動、支援を行っていたはずだ。
ジャケットを羽織り、寝癖のついた髪を手櫛で簡単に整えてから部屋を出る。ドアの前にはイェルクとアシュレイ、そしてアリとロビンの姿があった。
「後のことは僕とアシュでやっておくから、イェルクは少しでも休んで。明日も早いんだ。このままでは戦争が始まる前に倒れてしまうよ」
「では、申し訳ありませんが、お言葉に甘えて」
一礼して去っていく後ろ姿を見送り、四人で広間に向かう。その道中、ずっと各所で忙しなく動き回っていた者達の姿は見えず、今は静まり返っている。嵐の前の静けさというものを感じずにはいられない。
ナイフ、フォーク、スプーンが綺麗に並べられたいつもの正面の席に座ると、左側面にアシュレイ、右側面にアリが座り、ロビンがその後ろに立った。
「今日と明日の朝はいっぱい出してって頼んだんだよね! 明日は一日中エネルギーを放出することになるから、途中で疲れちゃわないように」
ナイフとフォークを握り締めて、目をきらきらと輝かせて言うアリを見ていると、生きるか死ぬかの戦争がもうすぐそこまで迫っているなど嘘のようだ。
「アリの好物がたくさん出るといいね」
前菜のスープが運ばれてくる。アシュレイには籠に山盛りになっている様々な果物、アリには特大サイズの皿に並々と注がれたスープだ。
アリはスプーンに持ち替えて物凄い速度で食べていくし、ロビンがその辺に零したスープを布巾で拭ってやっている。アシュレイは相変わらず皮も種も関係なく飲み込んでいた。
その姿が何だか微笑ましくて、笑ってしまった。しかし、「明日死ぬかもしれない」というオルジシュカの言葉が浮かんで、この幸せな瞬間がもし今日で終わりになってしまったらと考えると身が竦みそうになる。
「どうした」
アシュレイが口一杯に頬張っていたオレンジを飲み込んだ。スープを完食してサラダを豪快に食べているアリも、口の中に物を入れたままこちらを見る。
「これを絶対に最後の晩餐にしたくない、しないって、そう思ったんだ」
その言葉にアリは目を丸くし、そしてさっきまで子供のようだった彼の眼が、あらゆるものを見聞してきた老人のように穏やかな色を浮かべる。
「何も恐れることは無いよ。ここには、信頼できる仲間達がいる。この国を守るため、戦に勝利するため、因果の鎖を断ち切るため。理由は違えど、皆強い信念の下に命を捧げることを決めた者達なのだから」
三人の顔をそれぞれ見回して、間違いに気付いた。死を恐れるのではなく、勝利を信じ、仲間を信じること。それだけが、僕にできる唯一のことなのだと。
「そうだね、ありがとう」
微笑んで食べかけのスープに手を付けると、また二人は異常な食欲を見せて、食べ物を口に詰め込み始めた。次から次に食べていくアリの周りを忙しなく給仕が動き回る。結局僕が食べ終わる前に数倍の量の食事を完食してしまった。
いつもにも増して物凄い食欲に絶句していたが、更にアシュレイも同様に倍の量の果物を食べ終えていた。
夕食を終え、広間を後にし、執務室に向かった。しばらくしてオルジシュカやヴァルテリが合流し、布陣の最終確認を行った。
「相手の索敵があることを考慮して、砦付近にある村の幾つかに威嚇射撃を行うために仕掛けを施してある。敵が近付いてきたら、アリの魔法で起動させ、あたかも弓兵が射たように思わせる」
「それで確信を得たバルタジ軍が森を突き抜ける進路を取るって流れだね」
テーブルの上に置いた地図の上を指でバルタジ軍の動きを辿る。
「森の進路で攻城兵器が引っ掛かって進路を変えないように多少木を伐採した。上手く誘き寄せられると思う」
城壁正面の門のみを狙うのであれば最低二機、投石機を含めるならば四機あればいい。それ以上は進攻を遅らせるばかりで邪魔になるだけだろう。早急に事を決したい彼等ならば、後れを取って包囲される可能性が考えられる状況で必要以上の軍備は用意していないに違いない。間違いなく、正面突破を急ぐはずだ。
「攻城兵器なら心配要らない。兵器の質が上がったとしても、わらわの魔法壁を破れはしない。後は攻城兵器を敵が放棄するか、こちらが破壊するかすれば、負傷兵の治療に入れる」
「攻城兵器の破壊は、アシュとロビンに任せる。宜しく頼むよ」
機動力と自由に動ける立場を考慮に入れて最適だと判断した。二人の顔をそれぞれ見ると、「了解した」と真剣な眼差しを向けて頷く。
地図に再び目を落とす。弓弩の射程距離を想定し、敵の投降を誘うため精鋭を前線に配した布陣。畳み掛けて、一気にここで兵力を削る。
「この四日の合同訓練で何とか連携が取れそうなまでにはなった。あんたの前線の兵はあたしが責任もって預かるよ」
オルジシュカは隣のヴァルテリの肩にぽんと手を置いた。それに力強く頷く。
「騎兵隊の方もシミュレーションを繰り返し、準備は万全です。必ずバルタジ本隊を撃破して見せます」
「うん、頼んだよ」
人対人の戦いならば、ここで勝敗は決する。しかし、敵は『聖母の遺児』という強力な吸血鬼を三人用いている。混乱を極めた状況の中、彼等は必ず、憎き仇であるアシュレイの前に現れるはずだ。
「……吸血鬼が現れた時だが、私以外の兵は出来るだけ離れさせろ。左右に迂回して撤退するバルタジ軍に追い討ちを掛ける動きが望ましい」
本当に一人で三人を相手にするつもりなのだ。しかし、三人と決まったわけではない。恐らく敵は敵味方問わず、兵を吸血鬼化させて幾人もの不死身の兵を創り出すだろう。更なる犠牲を産み出す可能性を考えて、吸血鬼たちを相手にするのは吸血鬼であるアシュレイが適任だというのは分かっている。
しかし、相手がどれほどの実力を持つかも、吸血鬼化される兵の数も不明のまま、一人で戦わせくはない。
「俺も戦う」
空気が抜けるような独特の声に、顔を上げる。ロビンがもう心に決めたというような表情で見詰めていた。
「『聖母』の始末を付けるのが俺達の目的だ。奴等と戦う理由は充分ある」
「お前では経験不足だ。死ぬぞ」
冷たく放たれたアシュレイの台詞にアリの表情が一気に強張る。
「死なない。生きて帰るとアリと約束した。足手纏いにはならない。お前と、共に戦わせてくれ」
アシュレイの眼がどこか遠くを見るように細められ、そして小さく息を吐き、「良いだろう」とロビンに向けた顔は、何処か嬉しそうに見えた。
「吸血鬼との戦いは、どうなるか予測不可能だ。二人に重荷を背負わせてごめん」
「五百年続く戦の後始末をするだけの話だ。お前が謝ることじゃない」
アシュレイの言葉に、胸が詰まる。自分が戦争の絵面をこうして机上で描くばかりの存在だということを思い知らされるようだった。
「僕は……皆の戦を見ているばかりで、剣を振るうこともできない。何も……役に立てない」
傷付き苦しむ者がいる。命を落とす者がいる。その者達を、僕は蚊帳の外でただ見ている。自分で人を死なせる策を講じておきながら、安全な場所から見ているだけなのだ。自分の力の無さが悔しい。
肩を落とし目を伏せると、豪快な笑い声が上がって顔を上げた。
「ナマ言ってんじゃないよ。十五のガキのくせして全部を一人で背負い込めるもんか。あんたは策を考え、あたしらは剣を振るう。あんたはあんたの戦をしてる。そうだろう」
――僕の戦。仲間を信じて、見守ること。王として、できることをする。
全員の顔を見回して、覚悟を決めた。少しでも戦争による犠牲を減らし、気持ちを一つにする。そのためにできることをしよう、と。
「みんなありがとう。明日は勝つための、未来を生きるための戦をしよう」
力強く頷く皆の顔を見て励まされるなんて、王として失格だと思う。皆を鼓舞し、前を歩いて道を示す存在でなければならないのに。
それでも、皆に支えられて立ち上がっていることを実感できるのは純粋に嬉しいことだった。
「それでは、充分な休息を取って明日に備えて。解散」
各自執務室を出て部屋に戻っていく。彼等を見送って地図に目を落とした。不安が無いわけではなかった。だが、もう心は決まった。迷いはない。
「アシュは、これから何を」
部屋に残ったままの彼に声を掛ける。僕を待ってくれているのだろう。地図を片付けて、一緒に部屋を出る。
「……お前の部屋に行っても良いか」
「え……」
予想外の言葉に思わず声が出た。と、同時に昼間ノエやオルジシュカからからかわれたことを思い出して、顔が熱くなる。
「眠ることがない私にとって、夜はとても長い。一人で過ごすと余計に長く感じる」
そこで今更ながら、彼が今までどうやって夜を過ごしていたのかを知らないことに気付いた。最近は専ら国事に関わる書類に目を通し、書物から知識を得ることに充てていたようだったが、どこでどのように何をとはっきりとは知らない。
「うん、分かった。今晩は僕も一人じゃない方がいい」
一人でベッドに横になれば、余計な事を色々と考えてしまって、眠れそうになかった。
一瞬でも変なことを考えた自分を恥じて、共に自室に戻る。いつもならイェルクが蝋燭に火を灯してくれ、着替えを手伝ってくれるのだろうが、今日は先に休んでもらっていて居ない。
充分に月明かりで辺りが明るかったのもあり、そのまま用意されている寝間着に着替えることにした。
服を脱ぎながら振り返ると、アシュレイが視線を逸らす。
「どうかした?」
桶に水を溜め、木綿の布を濡らし身体を拭ってから、 さっさと着替える。不思議に思いながらアシュレイに問いかけると、額に手を当てて聞こえるくらい深い溜息を吐いた。
「裸を見られて……恥ずかしくないのか」
「……そんなこと、考えたことも無かった」
服を着替える度に誰かに手伝ってもらうのが普通で、週に一度身体を洗ってもらうことさえある。そういう生活が普通だったせいもあって、意識したことが無かった。
「イェルクにもそうなのか」
そこでどうして彼の名前が出てくるのか分からなかったが、「そうだね」と頷く。
「イェルクには赤ん坊だった頃から面倒を看てもらっているから」
「私も、お前にとってはそういう存在なのか」
真っ直ぐに見詰める黄金色の瞳が、月光に照らされ輝いている。その眼を見ながら、初めて彼を見た満月の夜の事を思い出し、小さく横に首を振った。
「……そうか」
まるで安堵するように呟く。ざわざわと騒がしくなる胸に、逃げるようにベッドに潜り込んだ。傍に近付いてくる気配を感じる。
「手を、貸してくれ」
すぐ傍から聞こえた声に、毛布で隠していた顔を出す。ベッド脇の椅子に腰掛け、僕を見下ろしている。
「握っていれば、気が紛れる」
差し出された手を、ぎこちない動きで握る。温かい掌に包まれて気付いた。僕はいつから、そうだったのだろう。手が微かに震えている。
「ありがとう」
繋いだ手から、温もりが全身を伝って緊張を解してくれるようだった。アシュレイに微笑み掛けて、目を閉じる。
「おやすみ」
安堵の息が漏れ、身体から力が抜ける。そして胸の奥を騒がせていた音は静かな小波のように緩やかだ。
アシュレイに見守られるようにして、ゆっくりと眠りについた。
「ニコデムス様、夕食の支度が整いましたので、広間の方へ」
「ありがとう、イェルク」
聞き慣れた声に少し疲れの色が見える。僕が呑気に休んでいる間に、城壁への弩の配備やミヒャーレの難民の移動、支援を行っていたはずだ。
ジャケットを羽織り、寝癖のついた髪を手櫛で簡単に整えてから部屋を出る。ドアの前にはイェルクとアシュレイ、そしてアリとロビンの姿があった。
「後のことは僕とアシュでやっておくから、イェルクは少しでも休んで。明日も早いんだ。このままでは戦争が始まる前に倒れてしまうよ」
「では、申し訳ありませんが、お言葉に甘えて」
一礼して去っていく後ろ姿を見送り、四人で広間に向かう。その道中、ずっと各所で忙しなく動き回っていた者達の姿は見えず、今は静まり返っている。嵐の前の静けさというものを感じずにはいられない。
ナイフ、フォーク、スプーンが綺麗に並べられたいつもの正面の席に座ると、左側面にアシュレイ、右側面にアリが座り、ロビンがその後ろに立った。
「今日と明日の朝はいっぱい出してって頼んだんだよね! 明日は一日中エネルギーを放出することになるから、途中で疲れちゃわないように」
ナイフとフォークを握り締めて、目をきらきらと輝かせて言うアリを見ていると、生きるか死ぬかの戦争がもうすぐそこまで迫っているなど嘘のようだ。
「アリの好物がたくさん出るといいね」
前菜のスープが運ばれてくる。アシュレイには籠に山盛りになっている様々な果物、アリには特大サイズの皿に並々と注がれたスープだ。
アリはスプーンに持ち替えて物凄い速度で食べていくし、ロビンがその辺に零したスープを布巾で拭ってやっている。アシュレイは相変わらず皮も種も関係なく飲み込んでいた。
その姿が何だか微笑ましくて、笑ってしまった。しかし、「明日死ぬかもしれない」というオルジシュカの言葉が浮かんで、この幸せな瞬間がもし今日で終わりになってしまったらと考えると身が竦みそうになる。
「どうした」
アシュレイが口一杯に頬張っていたオレンジを飲み込んだ。スープを完食してサラダを豪快に食べているアリも、口の中に物を入れたままこちらを見る。
「これを絶対に最後の晩餐にしたくない、しないって、そう思ったんだ」
その言葉にアリは目を丸くし、そしてさっきまで子供のようだった彼の眼が、あらゆるものを見聞してきた老人のように穏やかな色を浮かべる。
「何も恐れることは無いよ。ここには、信頼できる仲間達がいる。この国を守るため、戦に勝利するため、因果の鎖を断ち切るため。理由は違えど、皆強い信念の下に命を捧げることを決めた者達なのだから」
三人の顔をそれぞれ見回して、間違いに気付いた。死を恐れるのではなく、勝利を信じ、仲間を信じること。それだけが、僕にできる唯一のことなのだと。
「そうだね、ありがとう」
微笑んで食べかけのスープに手を付けると、また二人は異常な食欲を見せて、食べ物を口に詰め込み始めた。次から次に食べていくアリの周りを忙しなく給仕が動き回る。結局僕が食べ終わる前に数倍の量の食事を完食してしまった。
いつもにも増して物凄い食欲に絶句していたが、更にアシュレイも同様に倍の量の果物を食べ終えていた。
夕食を終え、広間を後にし、執務室に向かった。しばらくしてオルジシュカやヴァルテリが合流し、布陣の最終確認を行った。
「相手の索敵があることを考慮して、砦付近にある村の幾つかに威嚇射撃を行うために仕掛けを施してある。敵が近付いてきたら、アリの魔法で起動させ、あたかも弓兵が射たように思わせる」
「それで確信を得たバルタジ軍が森を突き抜ける進路を取るって流れだね」
テーブルの上に置いた地図の上を指でバルタジ軍の動きを辿る。
「森の進路で攻城兵器が引っ掛かって進路を変えないように多少木を伐採した。上手く誘き寄せられると思う」
城壁正面の門のみを狙うのであれば最低二機、投石機を含めるならば四機あればいい。それ以上は進攻を遅らせるばかりで邪魔になるだけだろう。早急に事を決したい彼等ならば、後れを取って包囲される可能性が考えられる状況で必要以上の軍備は用意していないに違いない。間違いなく、正面突破を急ぐはずだ。
「攻城兵器なら心配要らない。兵器の質が上がったとしても、わらわの魔法壁を破れはしない。後は攻城兵器を敵が放棄するか、こちらが破壊するかすれば、負傷兵の治療に入れる」
「攻城兵器の破壊は、アシュとロビンに任せる。宜しく頼むよ」
機動力と自由に動ける立場を考慮に入れて最適だと判断した。二人の顔をそれぞれ見ると、「了解した」と真剣な眼差しを向けて頷く。
地図に再び目を落とす。弓弩の射程距離を想定し、敵の投降を誘うため精鋭を前線に配した布陣。畳み掛けて、一気にここで兵力を削る。
「この四日の合同訓練で何とか連携が取れそうなまでにはなった。あんたの前線の兵はあたしが責任もって預かるよ」
オルジシュカは隣のヴァルテリの肩にぽんと手を置いた。それに力強く頷く。
「騎兵隊の方もシミュレーションを繰り返し、準備は万全です。必ずバルタジ本隊を撃破して見せます」
「うん、頼んだよ」
人対人の戦いならば、ここで勝敗は決する。しかし、敵は『聖母の遺児』という強力な吸血鬼を三人用いている。混乱を極めた状況の中、彼等は必ず、憎き仇であるアシュレイの前に現れるはずだ。
「……吸血鬼が現れた時だが、私以外の兵は出来るだけ離れさせろ。左右に迂回して撤退するバルタジ軍に追い討ちを掛ける動きが望ましい」
本当に一人で三人を相手にするつもりなのだ。しかし、三人と決まったわけではない。恐らく敵は敵味方問わず、兵を吸血鬼化させて幾人もの不死身の兵を創り出すだろう。更なる犠牲を産み出す可能性を考えて、吸血鬼たちを相手にするのは吸血鬼であるアシュレイが適任だというのは分かっている。
しかし、相手がどれほどの実力を持つかも、吸血鬼化される兵の数も不明のまま、一人で戦わせくはない。
「俺も戦う」
空気が抜けるような独特の声に、顔を上げる。ロビンがもう心に決めたというような表情で見詰めていた。
「『聖母』の始末を付けるのが俺達の目的だ。奴等と戦う理由は充分ある」
「お前では経験不足だ。死ぬぞ」
冷たく放たれたアシュレイの台詞にアリの表情が一気に強張る。
「死なない。生きて帰るとアリと約束した。足手纏いにはならない。お前と、共に戦わせてくれ」
アシュレイの眼がどこか遠くを見るように細められ、そして小さく息を吐き、「良いだろう」とロビンに向けた顔は、何処か嬉しそうに見えた。
「吸血鬼との戦いは、どうなるか予測不可能だ。二人に重荷を背負わせてごめん」
「五百年続く戦の後始末をするだけの話だ。お前が謝ることじゃない」
アシュレイの言葉に、胸が詰まる。自分が戦争の絵面をこうして机上で描くばかりの存在だということを思い知らされるようだった。
「僕は……皆の戦を見ているばかりで、剣を振るうこともできない。何も……役に立てない」
傷付き苦しむ者がいる。命を落とす者がいる。その者達を、僕は蚊帳の外でただ見ている。自分で人を死なせる策を講じておきながら、安全な場所から見ているだけなのだ。自分の力の無さが悔しい。
肩を落とし目を伏せると、豪快な笑い声が上がって顔を上げた。
「ナマ言ってんじゃないよ。十五のガキのくせして全部を一人で背負い込めるもんか。あんたは策を考え、あたしらは剣を振るう。あんたはあんたの戦をしてる。そうだろう」
――僕の戦。仲間を信じて、見守ること。王として、できることをする。
全員の顔を見回して、覚悟を決めた。少しでも戦争による犠牲を減らし、気持ちを一つにする。そのためにできることをしよう、と。
「みんなありがとう。明日は勝つための、未来を生きるための戦をしよう」
力強く頷く皆の顔を見て励まされるなんて、王として失格だと思う。皆を鼓舞し、前を歩いて道を示す存在でなければならないのに。
それでも、皆に支えられて立ち上がっていることを実感できるのは純粋に嬉しいことだった。
「それでは、充分な休息を取って明日に備えて。解散」
各自執務室を出て部屋に戻っていく。彼等を見送って地図に目を落とした。不安が無いわけではなかった。だが、もう心は決まった。迷いはない。
「アシュは、これから何を」
部屋に残ったままの彼に声を掛ける。僕を待ってくれているのだろう。地図を片付けて、一緒に部屋を出る。
「……お前の部屋に行っても良いか」
「え……」
予想外の言葉に思わず声が出た。と、同時に昼間ノエやオルジシュカからからかわれたことを思い出して、顔が熱くなる。
「眠ることがない私にとって、夜はとても長い。一人で過ごすと余計に長く感じる」
そこで今更ながら、彼が今までどうやって夜を過ごしていたのかを知らないことに気付いた。最近は専ら国事に関わる書類に目を通し、書物から知識を得ることに充てていたようだったが、どこでどのように何をとはっきりとは知らない。
「うん、分かった。今晩は僕も一人じゃない方がいい」
一人でベッドに横になれば、余計な事を色々と考えてしまって、眠れそうになかった。
一瞬でも変なことを考えた自分を恥じて、共に自室に戻る。いつもならイェルクが蝋燭に火を灯してくれ、着替えを手伝ってくれるのだろうが、今日は先に休んでもらっていて居ない。
充分に月明かりで辺りが明るかったのもあり、そのまま用意されている寝間着に着替えることにした。
服を脱ぎながら振り返ると、アシュレイが視線を逸らす。
「どうかした?」
桶に水を溜め、木綿の布を濡らし身体を拭ってから、 さっさと着替える。不思議に思いながらアシュレイに問いかけると、額に手を当てて聞こえるくらい深い溜息を吐いた。
「裸を見られて……恥ずかしくないのか」
「……そんなこと、考えたことも無かった」
服を着替える度に誰かに手伝ってもらうのが普通で、週に一度身体を洗ってもらうことさえある。そういう生活が普通だったせいもあって、意識したことが無かった。
「イェルクにもそうなのか」
そこでどうして彼の名前が出てくるのか分からなかったが、「そうだね」と頷く。
「イェルクには赤ん坊だった頃から面倒を看てもらっているから」
「私も、お前にとってはそういう存在なのか」
真っ直ぐに見詰める黄金色の瞳が、月光に照らされ輝いている。その眼を見ながら、初めて彼を見た満月の夜の事を思い出し、小さく横に首を振った。
「……そうか」
まるで安堵するように呟く。ざわざわと騒がしくなる胸に、逃げるようにベッドに潜り込んだ。傍に近付いてくる気配を感じる。
「手を、貸してくれ」
すぐ傍から聞こえた声に、毛布で隠していた顔を出す。ベッド脇の椅子に腰掛け、僕を見下ろしている。
「握っていれば、気が紛れる」
差し出された手を、ぎこちない動きで握る。温かい掌に包まれて気付いた。僕はいつから、そうだったのだろう。手が微かに震えている。
「ありがとう」
繋いだ手から、温もりが全身を伝って緊張を解してくれるようだった。アシュレイに微笑み掛けて、目を閉じる。
「おやすみ」
安堵の息が漏れ、身体から力が抜ける。そして胸の奥を騒がせていた音は静かな小波のように緩やかだ。
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