異眼賢王と吸血鬼の涙

藤間留彦

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第3章 決戦

第12話 恋の話

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 忙しなく一日一日が過ぎ、四日、バルタジ側の準備が完了しミヒャーレに軍を終結させたとの報告が入った。明日の夜明けと共に進軍を開始する様相である。
「やはりバルタジは、士気の高い今の勢いのまま、早々に片を付けたいようだ。一カ月以内に二国を落としたとなれば、恐れた四国は戦争も無しに降伏、もしくはバルタジにとって条件の良い同盟関係を提示してくる可能性もあるからね」
 広間に集まった者達は、もうこの事態になって慌てることもなく、真剣な眼差しでじっと僕の顔を見詰めていた。
「相手が急いていればいるほど、こっちとしては有利なんだがねえ」
 オルジシュカが机に肩肘をついて、にやりと笑う。
「数が多いばかりで連携が取れていない。前線には捕虜となったミヒャーレの民兵がほとんどだ。ちょいとつついてやれば武器を捨てて簡単に投降してしまうさ」
 この四日の間に、オルジシュカ、ヴァルテリ、アシュレイと練った作戦はこうだ。
 初めに兵に投降を促し、動きが無ければ前線を混乱に陥れるため、城壁から弩、そしてソニャの部隊による後方からの弓の連続射撃を行う。更にオルジシュカ、モーリス、ノエの部隊、アシュレイとロビンが正面から突撃、追い打ちを掛ける。この段階でおおよそ投降に応じる想定だ。
 瓦解した組織を落とすのは容易い。後方からのヴァルテリの騎馬隊が右翼側の部隊を急襲、全体に混乱が波及する。その後各前線部隊が押し返しながら兵を後退させ、挟み撃ちにし、敗走させるという流れだ。
 この作戦は犠牲を最小限に抑え、有利に事を運ぶためとはいえ、ミヒャーレの罪もない人々の命を奪うことになる。胸が痛まないと言えば嘘だ。しかし、物量で劣る我が軍の勝機は、少しでも敵の数を減らし、本隊である三部隊を孤立させること、そしてアシュレイが疲弊する前に彼の元に三人の吸血鬼を誘き出した先にしかない。
「兵達の士気はどう」
「戦力の差を前にしていても、驚くほど高いです。恐らく連日の騎士団と紅獅子団の合同訓練、更に予想を超える多くの志願兵が集まったことによるものでしょう」
 ヴァルテリ、オルジシュカら紅獅子団隊長の面々の顔を見ても、物怖じするどころか戦いの時を待ち兼ねているかのように思われるほどだ。彼等の眼には勝利の未来しか見えていない。
「昨日から始まった城内へのミヒャーレの難民の移動状況は」
「城の敷地内に立てた臨時テントに、今日中に全員の避難が完了する予定です。今のところ生活に不満の声も無く、寧ろ率先して物資の移動や矢の製造を手伝ってくれている者もいて、予定よりも早く準備が完了できそうです」
 ミヒャーレの難民も好きでアレクシルにやってきたわけではない。戦争が終結し、平和になればいつか母国に戻りたいと願っている。この戦いでバルタジが敗走し、国家間の交渉が上手くいけば、ミヒャーレの返還が叶うかもしれない。そういった想いが、彼等を衝き動かしているのだろう。
「そういえば、バルタジ軍の誘導って話は上手くいってんのかよ? 奴等が真っ直ぐ進攻してくれなきゃあ困るんだろ」
 椅子の背に寄り掛かり、テーブルに両足を組んでのっけた姿勢で、気怠そうにノエが言う。全員の視線が僕に向けられる。アシュレイがちらとこちらを横目で見て目を伏せた。
「敵が全面戦争を宣言して四日で進軍準備を整えている状況を考えたら、伝わったと見て良いと思う。長期的な戦争を想定しているなら、バルタジからミヒャーレへの物資の輸送、拠点や砦を建設する時間が必要だからね。一度で簡単に決着がつくと見て、そんな準備は必要ないと思ったんだ」
 ノエが鼻で笑い、「舐められたもんだな」と好戦的な眼で宙を睨み付ける。
「我が槍で、そのにやけた面を凍りつかせてやれるかと思うと心躍りますな」
「上等だ。あたしの剣も血を吸いたがってたところさ。戦が早まって喜んでるだろうよ」
 余裕の表情を浮かべる彼等もバルタジ軍を軽く見ているわけではない。しかし我々には唯一の生還の道である勝利を掴み取るしかないのだ。負けることなど考えられない。その危機的状況を寧ろ楽しむことで奮い立たせているのだ。
「決戦は明日。各自準備と充分な休息を取って欲しい。そして万全な状態で迎え撃とう。必ずやアレクシルに勝利を、そして平和をもたらすために」
 「おう!」と力強い声が上がり、会議は終了した。
 席を立つと、訝しげな表情でイェルクが見詰めている。聞きたい事は解っていた。
「ニコデムス様、バルタジへの情報漏洩は、どういった経路を使ったのです? バルタジへの内通者も諜報員も各方面から調べましたが、結局出て来なかったというのに」
「アシュの伝手を使ったんだ。彼は各国を渡り歩いていたからね。バルタジの情報屋との繋がりがあったんだ」
 ちらとアシュレイを見たイェルクに黙って頷く。少し不満げな様子なので、嘘がばれただろうかと焦る。
「何故私やヤーコブにおっしゃってくださらなかったのです。今日までそのことだけが気掛かりだったのですよ」
 どうやら嘘がばれたわけではないようだ。ほっと胸を撫で下ろす。
「不安にさせてごめん。ばたばたしていてすっかり忘れていたんだ」
「いえ、構いません。しかし、アシュレイに人間の知り合いが居るというのは初耳でした」
 イェルクに見えないようにアシュレイが肩を竦めてみせるので、僕は苦笑いを浮かべた。
「では、私はヤーコブと最終調整を致しますので」
 広間を出て一礼して去っていくイェルクを見送る。さてこれからどうしようか、と考えたところで、ドアの脇に立っていたノエと目が合った。
「アシュレイさんよ、ちょっといいか」
 ノエが吸血鬼であるアシュレイに興味を持っているのは知っていた。幾度となく手合せを申し出ていてその度に断られているらしいことも聞いていた。嫌そうな顔をするアシュレイに、「手合せじゃねえよ」と少し言い難そうに頭の後ろを掻いて言う。
「……ヴァルテリ落とすにはどうしたらいい」
 予想もしていなかった台詞が飛び出して、僕は目を丸くした。視線を逸らしているノエをじっと見詰め、驚いたのだろう、面喰ったのか固まっているアシュレイを見上げる。
「何故私に訊く」
「年の功ってのがありそうだろ」
「それならば、アリが良いだろう。ロビンという伴侶も居る」
 アシュレイの言葉に、あからさまに嫌そうな顔をする。
「ありゃ異常だ。何百年も同じ相手を愛するなんてどうかしてる」
 ――異常。そうかもしれない。ただ一人の人を一生涯愛するのは素晴らしく美しい。しかし、永遠の時をそうして過ごす二人には、愛と同じように執着や依存する心があるように思えたからだ。
 少し面倒臭そうに息を吐いて、アシュレイはノエに向き直る。
「ヴァルテリとは契約したと言っていただろう。お前が此度の戦で生還すれば叶うのではないか」
「そりゃあ、そうだけど……」
 そういえばそんなことを言っていた。個人的には、どうしてそんな話になったのかの方が気になるのだが。
「心の方も欲しくなったか。強欲な奴め」
「うるせえな。一目惚れだったんだ、仕方ねえだろ」
 アシュレイがからかうような態度を取ったのに、怒るどろか予想以上に素直な答えが返ってきた。彼は僕が思う以上に、真剣なのかもしれない。
「ガキだと思ってまともに聞いちゃくれねえし、それになんか……好いてる奴が居るような感じなんだ」
「ニコ、そうなのか」
 アシュレイに訊ねられて首を傾げる。ヴァルテリが私用で街に出て行っているとか、誰かと親しくしているとかいう浮いた話は一切聞いたことが無かった。端正な顔立ち、鍛えられた体躯にすらりと長い手足、国内随一の剣術使いで、清廉潔白な騎士団長。そんな彼に恋人が居ないのは、寧ろ可笑しいと思う。
「……ならば、恐らくその相手には敵うまい」
「そんなの、やってみなけりゃ――」
「もうそいつは死んでいる」
 はっとしてアシュレイを見上げる。五年前の、賊討伐戦。傭兵団のうち生き残ったのは、ヴァルテリただ一人だった。傭兵団の名前は――『双頭の狼』。
 そんな悲劇が、あっていいわけがない。ただの勝手な妄想だとそこまで考えて、頭を振り打ち消す。
「……だから、俺に生き残ってから言えって言うのか」
 ノエがぼそりと地面を睨み付けながら呟く。その言葉を、ヴァルテリがどんな想いで言っているのかを噛み締めるように。
「ふざけんじゃねえ……ヴァルテリもそいつも、とんだ馬鹿野郎だぜ、全く……」
 ぶつける場所の無い怒りを吐き捨てるように言って、小さく溜息を吐いた。そして何か決意したような力強い眼差しをアシュレイに向ける。
「生きて帰って、あいつの心を貰う」
 「それがいい」とアシュレイがふっと鼻に掛かるように息を吐く。笑ったのだろうか。
「それで、あんたらはどこまでいってるんだよ。聞いてもらった礼だ、惚気たっていいんだぜ」
「それは……どういう意味?」
 唐突に意味の分からないことを言われて、呆気に取られていると、ノエの顔がみるみるうちに強張る。
「おい……王様、あんたまさか……童貞どころか処女なのか」
 ノエのど直球の言葉に、頭が真っ白になる。そして、意味を理解して顔が一気に熱くなった。
「な、何で今そんな話になるんだ……!」
「いや、いい……そういうことなら、まあ……お互い頑張ろうぜってことで」
 そう言ってアシュレイをちらと見ると肩を竦め、片手を挙げて掌をひらひらさせながら去っていった。
「……一体なんだって言うんだ……」
 まだ赤くなっているだろう顔のまま、アシュレイを見上げると、じっと何か思うような顔で見詰めている。
「どうかした?」
「お前にもまだ子供らしいところがあるのだと感慨深かっただけだ」
「そ、それは僕が、未経験だからって……」
 それ以上は恥ずかしさのあまり言えなかった。アシュレイにもそういう風に見られるようになってしまうのかと思うと顔から火が出そうだ。
 咎めるようにアシュレイを見上げる。と、柔らかく息を吐きながら微かに、口角を上げて笑っていた。初めてちゃんと笑っているのを見た気がする。胸の辺りがきゅっと締め付けられるような感覚がした。
 嬉しくなって笑顔を返すと、アシュレイは我に返ったようにすぐに無表情ないつもの顔に戻ってしまった。
「騎士団の様子を見てくる。お前はあまり無理せず、今日くらいは休め」
 そう言って外套を翻し去っていく。その後ろ姿を見詰めて、どうして鼓動が高鳴っているのか、その理由を探したが、やはり答えは出なかった。きっとそれは、僕がまだ子供だからなのだろう。
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