孤高の羊王とはぐれ犬

藤間留彦

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番外編

番外編 幸運という名の犬②

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 あの狭い箱庭は、先に生まれたというだけで偉ぶる粗暴な輩も、汚い言葉で羊族を辱める者もいない、静かで平穏な、僕が生きている意味を、「ここに居ていい」と存在意義を噛み締めることができる、夢のような場所だった。

 ──王にとっては、鬱屈した心情を溜め込んでいくだけの場所でしかなかっただろうが。僕は、陛下の幸福を望んでいたが、同時に、この日々が続くことも望んでいた。
 だからあの日、陛下が外の世界に出てロポと歩く姿を見て、幸福感と喪失感の両方を抱いていた。
 僕は、あのふたりの側には、もう居られないから。


 羊族の国では、αは壁の外にしか住めない。例外として番を得た者は住むことを認められるが、それでもあまり良い顔をされないと聞く。
 「運命の番」でもなければ、国民の八割がΩである国では、どんな強靭な精神をもってしても、強烈な誘引の前には屈してしまうからだ。

 他国の者など、羊の国のことを知らない者は思い違いをしているが、同意のない性行為は、強姦罪で逮捕され裁かれる。
 カーニバルの期間は、娼館が客の財布の中身を根こそぎ奪うためや番の居ないΩが搾乳するための出産を計画して合わせるため、淫らな噂が流れているようだが、商売が絡まない場合には、パートナーとの性行為しか行われない。

 ──それらについては、全て知識があるというだけで、壁の向こうの世界を目で見たことはないのだけれど。


 用水路の水が絶え間なく流れている。近くの川から引いたもので、羊の国の全ての生活用水を担っているから、重要な拠点であり、唯一壁に囲まれていない部分でもあるから、外部からの侵入を防ぐために警備が必要なのだ。
 日の傾き方を見ると、そろそろ交代の時間だ。

 と、用水路の水の流れが急に速くなったように感じて、覗き見た瞬間だった。黒い影が現れたかと思うと、突然浮き上がってきたのだ。

「スウード!」

 木の棒を構えていた僕の目に飛び込んできたのは、見たことのある顔。丸い耳に丸く大きな瞳、茶色の髪──。

「ロポ……!」

 満面の笑みで用水路から顔を出している。

「何故ここに? というか、何故用水路から……!」

 そもそも王妃になった彼が城の外に一人で出てきていること自体が、大問題なのだが。

「城を警備してる犬族の獣人から聞いたんだ! 今日は用水路担当だって」

 そう言いながら水から上がってきた彼が、何も身につけていないのを目の当たりにして、硬直した後顔が一気に熱くなる。

「何で服を着てないんだッ……!」

 慌てて僕の身に付けていたローブを脱いで、ぶるぶると頭を振って水を飛ばすロポに羽織らせた。

「え? 水の中に入るのに服を着てたら危ないじゃん。どこかに服が引っ掛かったりしたら、身動きが取れなくて溺れることがあるんだぞ?」
「そうかもしれないが、頼むから軽率に裸にならないでくれっ……!」

 「何で?」と首を傾げるロポは、ひと月前から少しも変わっていない相変わらずな様子で、呆れながらも安堵する。

「……それはいいとして、どうしてここに?」
「ずっと会いたかったから、スウードに」

 ロポは嬉しそうに僕を見上げた。予想外の言葉に驚く。

「城から抜け出す方法が無くってさ。そしたら、用水路は上流と下流しか警備されてなかったから、スウードが下流の警備の時を狙えば会えるんじゃないかなあって。会えてよかった!」
「……僕に会うために泳いでここまで来たのか?」
「うん! ちょっと流れが速かったけど、おかげで思ったより楽だった!」

 城は用水路のほぼ始点に当たる上流にある。あの位置からここまで、距離にして最低でも二キロはあるはずだ。その距離を、ずっと泳いで──。

「俺とアルが城で生活することになってから、会えなくなっちゃって……スウードがどうしてるか心配だったんだ。アルも心配してる」
「陛下が……?」
「うん、口には出さないけど、城警備の担当に毎日スウードがどこで何の仕事してるか聞いてるんだよ」

 ロポがわざわざ苦労して会いに来てくれたこと、陛下が僕のことを気にして下さっていること。ただの一従者でしかなかった僕のために──それは、とても嬉しい報告だった。
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