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番外編
番外編 幸運という名の犬①
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ただ、立っている。一日中、何も起きないのに。意味があるのかも分からない仕事は、僕を憂鬱な気分にさせるには充分だった。
「スウード、三時間後に交代だからな」
武器として役に立つのか不明な木の棒を僕に渡して、去っていく同僚を見送る。
用水路の警備。それが僕に与えられた今日の仕事だった。このひと月、門番、宿舎の清掃、壁外の巡回、今はもぬけの殻になっている塔の保全だったりを犬族の同胞たちと交代で担当してきた。
しかし、それらの仕事は、僕が今まで担ってきた仕事とは比べものにならないくらい、無味乾燥なものだった。
僕は、羊の国の娼館で生まれた。母は娼婦で、父は誰だか分からない。だが、犬族のαだったことだけは確かだった。羊の優性のΩだった母から産まれた僕が、犬だったから。
母は産後の肥立ちが悪く間も無く亡くなったそうだ。母が与えてくれたのはこの丈夫な身体と、スウード──「幸運」という名前。健康で五体満足であるという以外は、「幸運」だとは言えない人生だった。
母の死後、壁の外の同胞たちによって育てられることになった僕は、物心のつく頃には宿舎の雑用を任されていた。
荒っぽい性格の犬族も多く、失敗すると罵倒されたり殴られたりしたが、日常の一部だったそれらについて、何の疑問も不満もなかった。孤児である僕が、生きるための唯一の道だったからかもしれない。
ひとりだけ、心優しい老人がいた。僕と同じ娼館生まれの犬族で、優性のα。身長が二メートルを超えるアラスカン・マラミュートという種の大男だ。彼は僕の種がウルフ・ドッグだと教えてくれた。
犬族の優性のαは皆狼に近く、ごく少数で、更に狼と犬との混血でどちらかに寄らない僕のような者は、その中でも稀有な存在なのだとも言った。
寝たきりだった彼の食事の世話を任されていた幼い僕にとって、その老人が唯一の心の拠り所だった。丁寧な言葉遣いをする彼に、僕は美しい言葉と最低限の道徳、生きる上で必要な知識を教えて貰った。
しかし彼も僕が九つになる頃に逝去し、同胞の中に居ながら孤独感を抱く日々が始まった。
数年後、女王が不慮の事故で亡くなり、王子が王位を継承した。しかし新しい王はまだ子供で、側使いに立候補した犬族の男が三十半ばだったため、ちょうど新王より四歳年上だった僕を雑用係として付けることになった。
まさか、側使いになったあの男が、反逆者だとは誰も思わなかった。長く続く王の一族に反感を持つ者や恨んでいる者が居ないとは思わなかったが──同胞たちの会話で不満を語る者も稀に居た──、暗殺を企てるとは予想もしていなかっただろう。
僕があの日獣化の力に目覚めなければ、恐らく僕の人生は、謀反人の男と共に終わっていた。
男と親しかった者たちの中で、この計画に加担した者は皆投獄され、反乱因子は摘み取られた。そして、この一件で唯一王の信頼を得た僕が、従者として仕えることになった。
あの塔という箱庭で、陛下の従者として過ごした日々は、僕にとって唯一の幸福な時間だった。
仕えて間もない頃はたくさんの失敗をして、陛下を呆れさせていたが、しかし陛下は湯の温度が高過ぎて苦くなってしまった紅茶を渋い顔をしながらも飲んでくれるような優しい方だった。
だから、僕は少しでも陛下の役に立てるようにと、せめて美味しい紅茶を淹れられるように練習をしたものだった。
周りの犬族は皆陛下を神経質で高慢な王と見做していて、僕のことを可笑しな奴だと揶揄したけれど。僕は陛下の繊細で心優しい側面を知っているから、一面だけを見て勝手なことを言う同胞とは次第に距離を置くようになっていった。
「スウード、三時間後に交代だからな」
武器として役に立つのか不明な木の棒を僕に渡して、去っていく同僚を見送る。
用水路の警備。それが僕に与えられた今日の仕事だった。このひと月、門番、宿舎の清掃、壁外の巡回、今はもぬけの殻になっている塔の保全だったりを犬族の同胞たちと交代で担当してきた。
しかし、それらの仕事は、僕が今まで担ってきた仕事とは比べものにならないくらい、無味乾燥なものだった。
僕は、羊の国の娼館で生まれた。母は娼婦で、父は誰だか分からない。だが、犬族のαだったことだけは確かだった。羊の優性のΩだった母から産まれた僕が、犬だったから。
母は産後の肥立ちが悪く間も無く亡くなったそうだ。母が与えてくれたのはこの丈夫な身体と、スウード──「幸運」という名前。健康で五体満足であるという以外は、「幸運」だとは言えない人生だった。
母の死後、壁の外の同胞たちによって育てられることになった僕は、物心のつく頃には宿舎の雑用を任されていた。
荒っぽい性格の犬族も多く、失敗すると罵倒されたり殴られたりしたが、日常の一部だったそれらについて、何の疑問も不満もなかった。孤児である僕が、生きるための唯一の道だったからかもしれない。
ひとりだけ、心優しい老人がいた。僕と同じ娼館生まれの犬族で、優性のα。身長が二メートルを超えるアラスカン・マラミュートという種の大男だ。彼は僕の種がウルフ・ドッグだと教えてくれた。
犬族の優性のαは皆狼に近く、ごく少数で、更に狼と犬との混血でどちらかに寄らない僕のような者は、その中でも稀有な存在なのだとも言った。
寝たきりだった彼の食事の世話を任されていた幼い僕にとって、その老人が唯一の心の拠り所だった。丁寧な言葉遣いをする彼に、僕は美しい言葉と最低限の道徳、生きる上で必要な知識を教えて貰った。
しかし彼も僕が九つになる頃に逝去し、同胞の中に居ながら孤独感を抱く日々が始まった。
数年後、女王が不慮の事故で亡くなり、王子が王位を継承した。しかし新しい王はまだ子供で、側使いに立候補した犬族の男が三十半ばだったため、ちょうど新王より四歳年上だった僕を雑用係として付けることになった。
まさか、側使いになったあの男が、反逆者だとは誰も思わなかった。長く続く王の一族に反感を持つ者や恨んでいる者が居ないとは思わなかったが──同胞たちの会話で不満を語る者も稀に居た──、暗殺を企てるとは予想もしていなかっただろう。
僕があの日獣化の力に目覚めなければ、恐らく僕の人生は、謀反人の男と共に終わっていた。
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仕えて間もない頃はたくさんの失敗をして、陛下を呆れさせていたが、しかし陛下は湯の温度が高過ぎて苦くなってしまった紅茶を渋い顔をしながらも飲んでくれるような優しい方だった。
だから、僕は少しでも陛下の役に立てるようにと、せめて美味しい紅茶を淹れられるように練習をしたものだった。
周りの犬族は皆陛下を神経質で高慢な王と見做していて、僕のことを可笑しな奴だと揶揄したけれど。僕は陛下の繊細で心優しい側面を知っているから、一面だけを見て勝手なことを言う同胞とは次第に距離を置くようになっていった。
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