62 / 75
陽川花火編
第四話 募る想い⑩
しおりを挟む
「そんな辛気くせぇ顔すんなよ。俺にしたら記憶にねぇからなんとも思わねーし、ちゃんと育ててくれる親がいるし、親父が結構自由にさせてくれっから、今まで苦労したこともねえしな? どっちかっていうと恵まれてる方だと思うぜ」
――どうして君は、そんな風に笑えるのだろう。
僕には分からなかった。陽川花火という人間の過去は、誰がどう考えても悲惨だ。事件のことを知っている人から偏見の目で見られたこともあるだろうし、記憶がなくても多少なりとも歪みが生じていても可笑しくはない。――なのに、君は、何処までも優しい。
「ほら、帰ろうぜ」
促す花火に、俯く。そして、僕は覚悟を決めた。僕という人間の醜い部分を曝け出す。花火に、嫌われても。それでも、僕を、知って欲しい。
「……僕は、先生が好きだった」
空気が一気に凍り付くのが分かった。そして俯いたままの僕を見詰める、花火の視線を感じる。
「一方的で、独り善がりな想いだった。先生は僕のことを好きではなかったけど、受け入れてくれようとした。それが、嬉しかった」
思い出すのは、先生に告白した放課後の化学準備室。先生がほんの一瞬動揺したこと、思案したことが、僕には分かった。先生には、初めから「誰か」が居たのだ。でも、僕はきっと、そんな先生だから好きになったのだと、今は思う。
「僕は先生と肉体関係を持った。正直、好きな人と身体を繋ぐのは気持ちが良かったし、一緒に居られれば、それで良かったから。僕だけが、心も身体も満たされた心地になっていた」
軽蔑されただろう。多少知っていたとしても。友人がゲイで教師と淫らな行為に興じていたことを僕の口から聞かされれば当然だ。僕は顔を上げることもできずに、ただ電灯に照らされたアスファルトを見詰めた。
「でも両親に僕がゲイであること、教師と関係を持ったことを知られてしまった。最後に先生に会った時、その事で迷惑を掛けたことを知った。その後先生がどうしているかは、分からない。僕はそのまま転校させられてしまったから」
「……そっか」
花火のいつもと変わらない声の調子に反射的に顔を上げた。その表情は少なくとも笑んでいて軽蔑はしていなかった。
「でも、まだ好きなんだろ?」
その問いに答える間もなく、花火は僕の脇を通り抜けて歩き出す。僕はその後ろを慌てて追いかけた。
「一温が好きになるって、どんな人なんだろうな。会ってみたいけど、まあ無理か」
こんな話を聞かされても、花火は何も変わらなかった。変わらない、友人のままだ。どうしてだろう、少し胸の辺りが痛い。
「そうだ! いっそのことその人に会いに行ってみようぜ!」
「えっ……」
想像もしなかったことだった。そもそも僕には先生に会う権利はない。余計に迷惑を掛けるだけだ。
「まあ、無理にとは言わねえけど、そのことで何か悩んでるなら、本人に言っちまった方が楽になると思うけどな」
そう言われて、僕は自分の弱さに気づいた。言って楽になりたかったのだ。僕は僕の過ちを花火に話して、楽になりたかっただけ。自分のことを知って欲しいだなんて、また独り善がりの都合のいい考えだったのだ。
「……楽にならなくていいんだ。僕はこのままで、いい」
薄暗い通りを歩く。花火は「ふーん」と言っただけで、その後は何も言わなかった。
「じゃあ、また明日な!」
マンションに着くまで何も会話は無かったけれど、花火はいつものように笑って手を挙げた後、小走りに去っていった。
その背が見えなくなるまで見送ってから、マンションのロビーに入った。鍵を取り出そうと鞄を開けた時、携帯電話が見えてどきりとする。もしこの数時間の行動を母親に見られていたら、と。
しかし、時間帯を考えると、母親は仕事中で忙しく、携帯電話を見る暇もないだろう。幸い電話もメールもなく、胸を撫で下ろした。
――どうして君は、そんな風に笑えるのだろう。
僕には分からなかった。陽川花火という人間の過去は、誰がどう考えても悲惨だ。事件のことを知っている人から偏見の目で見られたこともあるだろうし、記憶がなくても多少なりとも歪みが生じていても可笑しくはない。――なのに、君は、何処までも優しい。
「ほら、帰ろうぜ」
促す花火に、俯く。そして、僕は覚悟を決めた。僕という人間の醜い部分を曝け出す。花火に、嫌われても。それでも、僕を、知って欲しい。
「……僕は、先生が好きだった」
空気が一気に凍り付くのが分かった。そして俯いたままの僕を見詰める、花火の視線を感じる。
「一方的で、独り善がりな想いだった。先生は僕のことを好きではなかったけど、受け入れてくれようとした。それが、嬉しかった」
思い出すのは、先生に告白した放課後の化学準備室。先生がほんの一瞬動揺したこと、思案したことが、僕には分かった。先生には、初めから「誰か」が居たのだ。でも、僕はきっと、そんな先生だから好きになったのだと、今は思う。
「僕は先生と肉体関係を持った。正直、好きな人と身体を繋ぐのは気持ちが良かったし、一緒に居られれば、それで良かったから。僕だけが、心も身体も満たされた心地になっていた」
軽蔑されただろう。多少知っていたとしても。友人がゲイで教師と淫らな行為に興じていたことを僕の口から聞かされれば当然だ。僕は顔を上げることもできずに、ただ電灯に照らされたアスファルトを見詰めた。
「でも両親に僕がゲイであること、教師と関係を持ったことを知られてしまった。最後に先生に会った時、その事で迷惑を掛けたことを知った。その後先生がどうしているかは、分からない。僕はそのまま転校させられてしまったから」
「……そっか」
花火のいつもと変わらない声の調子に反射的に顔を上げた。その表情は少なくとも笑んでいて軽蔑はしていなかった。
「でも、まだ好きなんだろ?」
その問いに答える間もなく、花火は僕の脇を通り抜けて歩き出す。僕はその後ろを慌てて追いかけた。
「一温が好きになるって、どんな人なんだろうな。会ってみたいけど、まあ無理か」
こんな話を聞かされても、花火は何も変わらなかった。変わらない、友人のままだ。どうしてだろう、少し胸の辺りが痛い。
「そうだ! いっそのことその人に会いに行ってみようぜ!」
「えっ……」
想像もしなかったことだった。そもそも僕には先生に会う権利はない。余計に迷惑を掛けるだけだ。
「まあ、無理にとは言わねえけど、そのことで何か悩んでるなら、本人に言っちまった方が楽になると思うけどな」
そう言われて、僕は自分の弱さに気づいた。言って楽になりたかったのだ。僕は僕の過ちを花火に話して、楽になりたかっただけ。自分のことを知って欲しいだなんて、また独り善がりの都合のいい考えだったのだ。
「……楽にならなくていいんだ。僕はこのままで、いい」
薄暗い通りを歩く。花火は「ふーん」と言っただけで、その後は何も言わなかった。
「じゃあ、また明日な!」
マンションに着くまで何も会話は無かったけれど、花火はいつものように笑って手を挙げた後、小走りに去っていった。
その背が見えなくなるまで見送ってから、マンションのロビーに入った。鍵を取り出そうと鞄を開けた時、携帯電話が見えてどきりとする。もしこの数時間の行動を母親に見られていたら、と。
しかし、時間帯を考えると、母親は仕事中で忙しく、携帯電話を見る暇もないだろう。幸い電話もメールもなく、胸を撫で下ろした。
0
お気に入りに追加
28
あなたにおすすめの小説
思い出して欲しい二人
春色悠
BL
喫茶店でアルバイトをしている鷹木翠(たかぎ みどり)。ある日、喫茶店に初恋の人、白河朱鳥(しらかわ あすか)が女性を伴って入ってきた。しかも朱鳥は翠の事を覚えていない様で、幼い頃の約束をずっと覚えていた翠はショックを受ける。
そして恋心を忘れようと努力するが、昔と変わったのに変わっていない朱鳥に寧ろ、どんどん惚れてしまう。
一方朱鳥は、バッチリと翠の事を覚えていた。まさか取引先との昼食を食べに行った先で、再会すると思わず、緩む頬を引き締めて翠にかっこいい所を見せようと頑張ったが、翠は朱鳥の事を覚えていない様。それでも全く愛が冷めず、今度は本当に結婚するために翠を落としにかかる。
そんな二人の、もだもだ、じれったい、さっさとくっつけ!と、言いたくなるようなラブロマンス。
【完結】嘘はBLの始まり
紫紺
BL
現在売り出し中の若手俳優、三條伊織。
突然のオファーは、話題のBL小説『最初で最後のボーイズラブ』の主演!しかもW主演の相手役は彼がずっと憧れていたイケメン俳優の越前享祐だった!
衝撃のBLドラマと現実が同時進行!
俳優同士、秘密のBLストーリーが始まった♡
※番外編を追加しました!(1/3)
4話追加しますのでよろしくお願いします。
Take On Me
マン太
BL
親父の借金を返済するため、ヤクザの若頭、岳(たける)の元でハウスキーパーとして働く事になった大和(やまと)。
初めは乗り気でなかったが、持ち前の前向きな性格により、次第に力を発揮していく。
岳とも次第に打ち解ける様になり…。
軽いノリのお話しを目指しています。
※BLに分類していますが軽めです。
※他サイトへも掲載しています。
学院のモブ役だったはずの青年溺愛物語
紅林
BL
『桜田門学院高等学校』
日本中の超金持ちの子息子女が通うこの学校は東京都内に位置する野球ドーム五個分の土地が学院としてなる巨大学園だ
しかし生徒数は300人程の少人数の学院だ
そんな学院でモブとして役割を果たすはずだった青年の物語である
俺の好きな男は、幸せを運ぶ天使でした
たっこ
BL
【加筆修正済】
7話完結の短編です。
中学からの親友で、半年だけ恋人だった琢磨。
二度と合わないつもりで別れたのに、突然六年ぶりに会いに来た。
「優、迎えに来たぞ」
でも俺は、お前の手を取ることは出来ないんだ。絶対に。
鈴木さんちの家政夫
ユキヤナギ
BL
「もし家事全般を請け負ってくれるなら、家賃はいらないよ」そう言われて住み込み家政夫になった智樹は、雇い主の彩葉に心惹かれていく。だが彼には、一途に想い続けている相手がいた。彩葉の恋を見守るうちに、智樹は心に芽生えた大切な気持ちに気付いていく。
Take On Me 2
マン太
BL
大和と岳。二人の新たな生活が始まった三月末。新たな出会いもあり、色々ありながらも、賑やかな日々が過ぎていく。
そんな岳の元に、一本の電話が。それは、昔世話になったヤクザの古山からの呼び出しの電話だった。
岳は仕方なく会うことにするが…。
※絡みの表現は控え目です。
※「エブリスタ」、「小説家になろう」にも投稿しています。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる