アネモネの花

藤間留彦

文字の大きさ
上 下
31 / 75
観月脩編

第五話 幸せは泡沫のごとく①

しおりを挟む
 それから、俺と先生は、普通の恋人のように過ごした。先生は忙しい人だったからいつでも会えるという訳ではなかったけれど、先生が家に居る時はバイトが終わると会いに行った。食事を一緒に取って、テレビや映画を観て、キスをして、セックスして、眠る。朝目覚めると寝癖のついた先生が隣で眠っていて、俺はその愛しい寝顔にキスをして胸に顔を埋め、この幸せがいつまでも続くといい、そう祈った。



 一年ほど経った、俺が大学三年になった秋の頃だった。
 父が事故に遭い、全治三か月の大怪我を負った。車で花を届けている最中、飛び出してきた子供を避けようとして塀に衝突したということだった。

 母から一報を受け病院に駆け付けたが、幸いにも脚と肋骨を折ったものの命に別状はなく、後遺症も残らないという話に胸を撫で下ろす。

 しかし、車は大破し廃車、届ける予定だった花の弁済や手術費用、入院費も重なり、元々ぎりぎりの状態で回っていた家計は火の車となった。
 入っていた保険で幾らか賄えるけれど、花の配達での収入が月の半分以上を占めていたため、車も無く母さん一人ではやっていけない。俺は「金は俺が何とかする」と父と母に言い残して、病院を飛び出した。

 実家から戻ってきて、その足で先生の家に行った。先生は俺の顔を見るなり、優しく肩を抱いて家に招いてくれた。

「……こんなこと、芳慈さんに頼みたくないんですけど……でも」

 俺はソファに座ったまま、じっと膝の上で組んだ手を見詰める。

「幾ら、足りないんですか」

 その言葉に、俺はゆっくりと顔を上げた。先生は優しく包み込むような微笑を浮かべて、俺を見詰めている。

「車が、無くて……それで……店も、やっていけなくて……」

 気付くと涙が溢れていた。言うのが、怖かった。金が欲しいだなんて言って、嫌われたらどうしようって、帰り道そればかり考えていた。
 先生は泣きじゃくって何も言えなくなった俺を抱き締めて、宥めるように背中を撫でてくれた。温かい掌の感触に、俺は先生の胸に縋りつくように顔を埋める。

「大丈夫ですよ。いつか脩君がお金持ちになった時に、返してくれたらいいんですから」

 返してもらおうなんて思ってはいないだろう。けれど、きっと俺が気に病まないように、気を遣ってそう言ってくれたのだ。俺は優しい恋人の優しい言葉に甘えて、人生で初めて誰かを頼った。

 俺は金の出所は言わずに先生から借りたお金を母に渡した。母は配達用の車を中古で買い配達を始めた。店頭の方は、学校が終わって夕方から兄弟たちが総出で手伝っているので、夕方から少し営業できるようになった。父も退院してからは、座ったままでできる作業を手伝い始めたけれど、それでも今まで通りとはいかず、今までの収入の二割減の状態が続いた。

 俺は家に金を入れるためバイトの数を増やし、居酒屋のバイトの後は警備員の仕事をするようになった。学校とバイトと目まぐるしく回る日々。そのせいで先生に会っても疲れてすぐに寝てしまうような体たらくだ。

 そして悪い事は更に続いた。一番上の妹が大学に進学しないと言い出したと母から連絡が来たのだ。妹の志望は国立の医大。先生は合格圏内だし奨学金も貰える成績だと言っているから、本当は行かせてあげたい、けれど学費は払えても入学金が工面できない、と。そして俺には隠していたが、破損した塀の修理に数百万円掛かり借金をしているから、入学金のお金を借りることができない、と。

 妹には「俺が金を工面するから勉強にだけ集中しろ」と伝え、生活費を切り詰めて金を貯めた。先生に相談しようかとも思ったけれど、これ以上は頼れない。
 それに最近先生の研究が海外の研究者の目に留まったらしく、先生は今まで以上に色々な会に出席するようになって忙しく、会うことすらままならなくなっていた。



 そんな、学校でも会えない日々が二週間ほど続いたある日のことだった。

「……先生、観月です」

 研究室の戸を叩くと、中から久々に聞く恋人の声がして、高鳴る鼓動を押さえてドアを開けた。

「脩君? 珍しいですね。ここに――」
「観月君、ですよ。先生」

 俺は気付かれないように後ろ手にドアの鍵を掛けて、ゆっくりとソファに座っていた先生に近づく。

「ああ、そうでした。つい口に出てしまって、気を付けないと」

 微笑む先生。俺はメールこそすれ、電話の一本くらい寄越してくれてもいいのに、という不満を抱いてここに来ていた。ので、そんな顔したって許してはやらないぞ、と先生とテーブルの間に割り込み、正面に立った。

「先生、俺……先生のこと考えると夜も眠れないんです」
「え……?」
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

零下3℃のコイ

ぱんなこった。
BL
高校1年の春・・・ 恋愛初心者の春野風音(はるのかさね)が好きになった女の子には彼氏がいた。 優しそうでイケメンで高身長な彼氏、日下部零(くさかべれい)。 はたから見ればお似合いのカップル。勝ち目はないと分かっていてもその姿を目で追ってしまい悔しくなる一一一。 なのに、2年生でその彼氏と同じクラスになってしまった。 でも、偶然のきっかけで関わっていくうちに、風音だけが知ってしまった彼氏の秘密。 好きな子の彼氏…だったのに。 秘密を共有していくうちに、2人は奇妙な関係になり、変化が起こってしまう…

極悪家庭教師の溺愛レッスン~悪魔な彼はお隣さん~

恵喜 どうこ
恋愛
「高校合格のお礼をくれない?」 そう言っておねだりしてきたのはお隣の家庭教師のお兄ちゃん。 私よりも10歳上のお兄ちゃんはずっと憧れの人だったんだけど、好きだという告白もないままに男女の関係に発展してしまった私は苦しくて、どうしようもなくて、彼の一挙手一投足にただ振り回されてしまっていた。 葵は私のことを本当はどう思ってるの? 私は葵のことをどう思ってるの? 意地悪なカテキョに翻弄されっぱなし。 こうなったら確かめなくちゃ! 葵の気持ちも、自分の気持ちも! だけど甘い誘惑が多すぎて―― ちょっぴりスパイスをきかせた大人の男と女子高生のラブストーリーです。

寮生活のイジメ【社会人版】

ポコたん
BL
田舎から出てきた真面目な社会人が先輩社員に性的イジメされそのあと仕返しをする創作BL小説 【この小説は性行為・同性愛・SM・イジメ的要素が含まれます。理解のある方のみこの先にお進みください。】 全四話 毎週日曜日の正午に一話ずつ公開

キャバ嬢(ハイスペック)との同棲が、僕の高校生活を色々と変えていく。

たかなしポン太
青春
   僕のアパートの前で、巨乳美人のお姉さんが倒れていた。  助けたそのお姉さんは一流大卒だが内定取り消しとなり、就職浪人中のキャバ嬢だった。  でもまさかそのお姉さんと、同棲することになるとは…。 「今日のパンツってどんなんだっけ? ああ、これか。」 「ちょっと、確認しなくていいですから!」 「これ、可愛いでしょ? 色違いでピンクもあるんだけどね。綿なんだけど生地がサラサラで、この上の部分のリボンが」 「もういいです! いいですから、パンツの説明は!」    天然高学歴キャバ嬢と、心優しいDT高校生。  異色の2人が繰り広げる、水色パンツから始まる日常系ラブコメディー! ※小説家になろうとカクヨムにも同時掲載中です。 ※本作品はフィクションであり、実在の人物や団体、製品とは一切関係ありません。

熱中症

こじらせた処女
BL
会社で熱中症になってしまった木野瀬 遼(きのせ りょう)(26)は、同居人で恋人でもある八瀬希一(やせ きいち)(29)に迎えに来てもらおうと電話するが…?

創作BL)相模和都のカイキなる日々

黑野羊
BL
「カズトの中にはボクの番だった狛犬の『バク』がいるんだ」 小さい頃から人間やお化けにやたらと好かれてしまう相模和都は、新学期初日、元狛犬のお化け・ハクに『鬼』に狙われていると告げられる。新任教師として人間に混じった『鬼』の狙いは、狛犬の生まれ変わりだという和都の持つ、いろんなものを惹き寄せる『狛犬の目』のチカラ。霊力も低く寄ってきた悪霊に当てられてすぐ倒れる和都は、このままではあっという間に『鬼』に食べられてしまう。そこで和都は、霊力が強いという養護教諭の仁科先生にチカラを分けてもらいながら、『鬼』をなんとかする方法を探すのだが──。 オカルト×ミステリ×ラブコメ(BL)の現代ファンタジー。 「*」のついている話は、キスシーンなどを含みます。 ※小説家になろう、カクヨムでも掲載しています。 ※Pixiv、Xfolioでは分割せずに掲載しています。 === 主な登場人物) ・相模和都:本作主人公。高校二年、お化けが視える。 ・仁科先生:和都の通う高校の、養護教諭。 ・春日祐介:和都の中学からの友人。 ・小坂、菅原:和都と春日のクラスメイト。

ふたり占め~イケメン双子に溺愛されています~

すずかけあおい
BL
平凡な男子生徒が、転校先で出会ったイケメン双子にふたり占めされる話です。 本編13話+番外編5話、1話完結タイプです。

【BL】はるおみ先輩はトコトン押しに弱い!

三崎こはく
BL
 サラリーマンの赤根春臣(あかね はるおみ)は、決断力がなく人生流されがち。仕事はへっぽこ、飲み会では酔い潰れてばかり、 果ては29歳の誕生日に彼女にフラれてしまうというダメっぷり。  ある飲み会の夜。酔っ払った春臣はイケメンの後輩・白浜律希(しらはま りつき)と身体の関係を持ってしまう。  大変なことをしてしまったと焦る春臣。  しかしその夜以降、律希はやたらグイグイ来るように――?  イケメンワンコ後輩×押しに弱いダメリーマン★☆軽快オフィスラブ♪ ※別サイトにも投稿しています

処理中です...