アネモネの花

藤間留彦

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観月脩編

第五話 幸せは泡沫のごとく①

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 それから、俺と先生は、普通の恋人のように過ごした。先生は忙しい人だったからいつでも会えるという訳ではなかったけれど、先生が家に居る時はバイトが終わると会いに行った。食事を一緒に取って、テレビや映画を観て、キスをして、セックスして、眠る。朝目覚めると寝癖のついた先生が隣で眠っていて、俺はその愛しい寝顔にキスをして胸に顔を埋め、この幸せがいつまでも続くといい、そう祈った。



 一年ほど経った、俺が大学三年になった秋の頃だった。
 父が事故に遭い、全治三か月の大怪我を負った。車で花を届けている最中、飛び出してきた子供を避けようとして塀に衝突したということだった。

 母から一報を受け病院に駆け付けたが、幸いにも脚と肋骨を折ったものの命に別状はなく、後遺症も残らないという話に胸を撫で下ろす。

 しかし、車は大破し廃車、届ける予定だった花の弁済や手術費用、入院費も重なり、元々ぎりぎりの状態で回っていた家計は火の車となった。
 入っていた保険で幾らか賄えるけれど、花の配達での収入が月の半分以上を占めていたため、車も無く母さん一人ではやっていけない。俺は「金は俺が何とかする」と父と母に言い残して、病院を飛び出した。

 実家から戻ってきて、その足で先生の家に行った。先生は俺の顔を見るなり、優しく肩を抱いて家に招いてくれた。

「……こんなこと、芳慈さんに頼みたくないんですけど……でも」

 俺はソファに座ったまま、じっと膝の上で組んだ手を見詰める。

「幾ら、足りないんですか」

 その言葉に、俺はゆっくりと顔を上げた。先生は優しく包み込むような微笑を浮かべて、俺を見詰めている。

「車が、無くて……それで……店も、やっていけなくて……」

 気付くと涙が溢れていた。言うのが、怖かった。金が欲しいだなんて言って、嫌われたらどうしようって、帰り道そればかり考えていた。
 先生は泣きじゃくって何も言えなくなった俺を抱き締めて、宥めるように背中を撫でてくれた。温かい掌の感触に、俺は先生の胸に縋りつくように顔を埋める。

「大丈夫ですよ。いつか脩君がお金持ちになった時に、返してくれたらいいんですから」

 返してもらおうなんて思ってはいないだろう。けれど、きっと俺が気に病まないように、気を遣ってそう言ってくれたのだ。俺は優しい恋人の優しい言葉に甘えて、人生で初めて誰かを頼った。

 俺は金の出所は言わずに先生から借りたお金を母に渡した。母は配達用の車を中古で買い配達を始めた。店頭の方は、学校が終わって夕方から兄弟たちが総出で手伝っているので、夕方から少し営業できるようになった。父も退院してからは、座ったままでできる作業を手伝い始めたけれど、それでも今まで通りとはいかず、今までの収入の二割減の状態が続いた。

 俺は家に金を入れるためバイトの数を増やし、居酒屋のバイトの後は警備員の仕事をするようになった。学校とバイトと目まぐるしく回る日々。そのせいで先生に会っても疲れてすぐに寝てしまうような体たらくだ。

 そして悪い事は更に続いた。一番上の妹が大学に進学しないと言い出したと母から連絡が来たのだ。妹の志望は国立の医大。先生は合格圏内だし奨学金も貰える成績だと言っているから、本当は行かせてあげたい、けれど学費は払えても入学金が工面できない、と。そして俺には隠していたが、破損した塀の修理に数百万円掛かり借金をしているから、入学金のお金を借りることができない、と。

 妹には「俺が金を工面するから勉強にだけ集中しろ」と伝え、生活費を切り詰めて金を貯めた。先生に相談しようかとも思ったけれど、これ以上は頼れない。
 それに最近先生の研究が海外の研究者の目に留まったらしく、先生は今まで以上に色々な会に出席するようになって忙しく、会うことすらままならなくなっていた。



 そんな、学校でも会えない日々が二週間ほど続いたある日のことだった。

「……先生、観月です」

 研究室の戸を叩くと、中から久々に聞く恋人の声がして、高鳴る鼓動を押さえてドアを開けた。

「脩君? 珍しいですね。ここに――」
「観月君、ですよ。先生」

 俺は気付かれないように後ろ手にドアの鍵を掛けて、ゆっくりとソファに座っていた先生に近づく。

「ああ、そうでした。つい口に出てしまって、気を付けないと」

 微笑む先生。俺はメールこそすれ、電話の一本くらい寄越してくれてもいいのに、という不満を抱いてここに来ていた。ので、そんな顔したって許してはやらないぞ、と先生とテーブルの間に割り込み、正面に立った。

「先生、俺……先生のこと考えると夜も眠れないんです」
「え……?」
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