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観月脩編
第二話 出逢い⑤
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「今日は話を聞いてくれて有難う。夏休みが明けたら、また宜しくお願いしますね」
そう言って柔らかな笑みを浮かべ、店を出て行く。俺はその先生の後姿を目で追っていた。心臓が脈打ったのは、きっと酒がいつもより回っているからだけではないはずだ。
グラスに入った残りの酒を煽って、気付いた時には店のドアを開け放ち、先生の腕を掴んでいた。
「俺じゃ、駄目ですか」
振り返った先生は、驚いた表情で自分の腕を握る手と俺を交互に見た。
自分でも、どうしてそんなことをしたのか、どうしてそんなことを言ったのか分からなかった。今までちゃんと恋愛をしたことは一度も無いのに、どうしてこの人は違ったのだろう。
「俺だったら、芳慈さんの悩みも知ってるし、最初から合意の上で付き合うんだから、気に病むこともないでしょ?」
「いいえ、それは不公平です。言ってしまえば私のしようとしていることは実証研究なんです。それに君を付き合わせるなんて……脩君の大切な時間を無駄にすることになります」
真面目で誠実。最初に思った印象通りの人だ。こういう人を口説き落とす方法は知らない。一夜限りの相手なら、「最短十分でイかせれるけど」とか言えば乗ってきたんだが。
――時間を使わせるのが「不公平」と言うのなら、俺に無くて先生にあるものをもらえばいい。
「じゃあ、俺とのデート代払ってください。俺金無いんで、飯とか奢ってもらえるだけで結構助かるんすよね」
他人にホテル代を出させるのは平気だったが、セックスまで至るか分からないのに相手に金を払わせるのは余り気分の良いものではない、と言った瞬間に後悔して視線を落とした。
「ふっ……一食の食事で買収されてしまうんですか、脩君は」
顔を上げると、先生は目を細め薄く口を開けて、微笑んでいた。その柔らかな表情に心臓がどくんと跳ねる。
「君がそれで良いなら、私は君に楽しんでもらえるようにデートプランを考えます」
「いや、デートとか言いましたけど、そこまでしなくても……っていうか、ホテル行く前に御飯食べさせてもらえたら、それでいいんで」
男同士なのに「デート」とか言ったことが急に恥ずかしくなって、先生を掴んでいた手を離し、頭を掻く。
「私は愛情の無い相手と性行為はできません」
ぴしゃりと頬を打たれるような気分だった。真っ直ぐに俺を見る眼は、刹那的に快楽を貪ってきた俺の醜さを暴くようで、胸の真ん中に鈍い痛みが走った。
「私は……君を心から好きになりたい。そのためには、脩君のことを知らなければ」
――俺を好きになる。そんなことが、あるのだろうか。
期待はしない。期待すれば苦しくなるだけだ。ただ、俺は人と付き合うということがどんなものなのかを知りたいだけ。
「改めて言います。脩君、私の恋人になってくれませんか」
――俺も、鳥海先生で実験をするだけだ。
まるで呪いのようにそう唱えて、今にも駆け出しそうな自分の気持ちを抑え込んだ。ただ心臓の高鳴りだけは、嘘を吐けなかったけれど。
「……はい」
顔が熱い。きっと今の俺は見れたものではくらい酷い顔をしているのだろう。外の暗さであまり見えないといい思いながら、俺は少し恥ずかしそうに笑む先生を見詰めた。
「では早速デートをしましょう。明日は早急過ぎますかね?」
「いや、全然大丈夫です。明日は夜までバイトも無いし暇なので、日中で良ければ」
「ちょうど良かった。では、明日ここの最寄駅で待ち合わせしましょう」
そう言うと先生は持っていたハンドバッグから手帳と万年筆を取り出して携帯電話の番号を書くと、一枚紙を千切って手渡した。
「後で構いませんから、ショートメールで脩君の連絡先を教えてください」
「あ、はい」
手帳とペンを鞄に仕舞い、「では明日」と去っていく後姿を呆然と見送る。余りに慣れた様子に、もしかして、この人天然のたらしでは、とちょっと思ってしまった。
もうここで相手を探す気にはなれないし、自分にしてはあまりに早い時間だったけれど、退散するしかない。俺は手に握っている紙に書かれた電話番号を携帯に登録した。
すぐに連絡先を送ると「デートが楽しみで仕方ない奴」みたいに思われそうだから、家に帰るまで我慢したけれど。
帰宅後、電話番号とメールアドレスをショートメールで送った。返事を待っているのが嫌ですぐにシャワーを浴びに行く。
が、烏の行水並みの早さで出てきてしまい、髪をタオルで乾かしながら携帯を見ると、先生から「明日のデートについて」という件名でメールが届いていた。
開くと分かりやすく待ち合わせの時間と場所が書いてある。そしてまだ俺が外に居ると思っているのか、「あまり遅くならないうちに帰ってくださいね。おやすみなさい」と締め括られていた。
「あー……やばい」
自分に向けられた気遣いと「おやすみ」という言葉の破壊力に思わず声が出る。恋人というのはこういうものなのだろうとは思うけれど、俺には恋人という存在に対する免疫力が無いらしい。
今まで本当に身体の関係だけだったのだ。肉体や見た目について好きだと思うことはあっても、それは性玩具に対する感情でしかない。
皆欲求不満で嬌声を上げてケツ振ってるような奴しかいなかったし、行為が終わればあっさりとさよなら、だ。相手は俺のことを肉の棒きれとしか思ってないし、俺も精液を吐き出す肉便器としか見てない。それが当たり前過ぎて、誰か特定の相手を作ろうなんて、今まで一度も思わなかった。
それがどうして鳥海先生だけは違ったのか。ただ見た目や性格が好みだというなら、今まで通りベッドインすることだけを考えているはずだけれど、そうじゃない。
明日、先生とデートすることを考えている。セックスがその先にあるか分からないのに。いや、多分無いだろうけど――先生がノンケである可能性は未だに高い――、それでもいいと思う。
その理由が、「御飯を奢ってもらえるから」じゃないことぐらいしか、今の俺には分からなかった。
そう言って柔らかな笑みを浮かべ、店を出て行く。俺はその先生の後姿を目で追っていた。心臓が脈打ったのは、きっと酒がいつもより回っているからだけではないはずだ。
グラスに入った残りの酒を煽って、気付いた時には店のドアを開け放ち、先生の腕を掴んでいた。
「俺じゃ、駄目ですか」
振り返った先生は、驚いた表情で自分の腕を握る手と俺を交互に見た。
自分でも、どうしてそんなことをしたのか、どうしてそんなことを言ったのか分からなかった。今までちゃんと恋愛をしたことは一度も無いのに、どうしてこの人は違ったのだろう。
「俺だったら、芳慈さんの悩みも知ってるし、最初から合意の上で付き合うんだから、気に病むこともないでしょ?」
「いいえ、それは不公平です。言ってしまえば私のしようとしていることは実証研究なんです。それに君を付き合わせるなんて……脩君の大切な時間を無駄にすることになります」
真面目で誠実。最初に思った印象通りの人だ。こういう人を口説き落とす方法は知らない。一夜限りの相手なら、「最短十分でイかせれるけど」とか言えば乗ってきたんだが。
――時間を使わせるのが「不公平」と言うのなら、俺に無くて先生にあるものをもらえばいい。
「じゃあ、俺とのデート代払ってください。俺金無いんで、飯とか奢ってもらえるだけで結構助かるんすよね」
他人にホテル代を出させるのは平気だったが、セックスまで至るか分からないのに相手に金を払わせるのは余り気分の良いものではない、と言った瞬間に後悔して視線を落とした。
「ふっ……一食の食事で買収されてしまうんですか、脩君は」
顔を上げると、先生は目を細め薄く口を開けて、微笑んでいた。その柔らかな表情に心臓がどくんと跳ねる。
「君がそれで良いなら、私は君に楽しんでもらえるようにデートプランを考えます」
「いや、デートとか言いましたけど、そこまでしなくても……っていうか、ホテル行く前に御飯食べさせてもらえたら、それでいいんで」
男同士なのに「デート」とか言ったことが急に恥ずかしくなって、先生を掴んでいた手を離し、頭を掻く。
「私は愛情の無い相手と性行為はできません」
ぴしゃりと頬を打たれるような気分だった。真っ直ぐに俺を見る眼は、刹那的に快楽を貪ってきた俺の醜さを暴くようで、胸の真ん中に鈍い痛みが走った。
「私は……君を心から好きになりたい。そのためには、脩君のことを知らなければ」
――俺を好きになる。そんなことが、あるのだろうか。
期待はしない。期待すれば苦しくなるだけだ。ただ、俺は人と付き合うということがどんなものなのかを知りたいだけ。
「改めて言います。脩君、私の恋人になってくれませんか」
――俺も、鳥海先生で実験をするだけだ。
まるで呪いのようにそう唱えて、今にも駆け出しそうな自分の気持ちを抑え込んだ。ただ心臓の高鳴りだけは、嘘を吐けなかったけれど。
「……はい」
顔が熱い。きっと今の俺は見れたものではくらい酷い顔をしているのだろう。外の暗さであまり見えないといい思いながら、俺は少し恥ずかしそうに笑む先生を見詰めた。
「では早速デートをしましょう。明日は早急過ぎますかね?」
「いや、全然大丈夫です。明日は夜までバイトも無いし暇なので、日中で良ければ」
「ちょうど良かった。では、明日ここの最寄駅で待ち合わせしましょう」
そう言うと先生は持っていたハンドバッグから手帳と万年筆を取り出して携帯電話の番号を書くと、一枚紙を千切って手渡した。
「後で構いませんから、ショートメールで脩君の連絡先を教えてください」
「あ、はい」
手帳とペンを鞄に仕舞い、「では明日」と去っていく後姿を呆然と見送る。余りに慣れた様子に、もしかして、この人天然のたらしでは、とちょっと思ってしまった。
もうここで相手を探す気にはなれないし、自分にしてはあまりに早い時間だったけれど、退散するしかない。俺は手に握っている紙に書かれた電話番号を携帯に登録した。
すぐに連絡先を送ると「デートが楽しみで仕方ない奴」みたいに思われそうだから、家に帰るまで我慢したけれど。
帰宅後、電話番号とメールアドレスをショートメールで送った。返事を待っているのが嫌ですぐにシャワーを浴びに行く。
が、烏の行水並みの早さで出てきてしまい、髪をタオルで乾かしながら携帯を見ると、先生から「明日のデートについて」という件名でメールが届いていた。
開くと分かりやすく待ち合わせの時間と場所が書いてある。そしてまだ俺が外に居ると思っているのか、「あまり遅くならないうちに帰ってくださいね。おやすみなさい」と締め括られていた。
「あー……やばい」
自分に向けられた気遣いと「おやすみ」という言葉の破壊力に思わず声が出る。恋人というのはこういうものなのだろうとは思うけれど、俺には恋人という存在に対する免疫力が無いらしい。
今まで本当に身体の関係だけだったのだ。肉体や見た目について好きだと思うことはあっても、それは性玩具に対する感情でしかない。
皆欲求不満で嬌声を上げてケツ振ってるような奴しかいなかったし、行為が終わればあっさりとさよなら、だ。相手は俺のことを肉の棒きれとしか思ってないし、俺も精液を吐き出す肉便器としか見てない。それが当たり前過ぎて、誰か特定の相手を作ろうなんて、今まで一度も思わなかった。
それがどうして鳥海先生だけは違ったのか。ただ見た目や性格が好みだというなら、今まで通りベッドインすることだけを考えているはずだけれど、そうじゃない。
明日、先生とデートすることを考えている。セックスがその先にあるか分からないのに。いや、多分無いだろうけど――先生がノンケである可能性は未だに高い――、それでもいいと思う。
その理由が、「御飯を奢ってもらえるから」じゃないことぐらいしか、今の俺には分からなかった。
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