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観月脩編
第二話 出逢い④
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「確かにゲイっぽくはないね。バイなのかな?」
「さあな、知らねえよ。俺はバレねえうちにさっさと退散すっから」
残りの酒を飲み干し、「じゃあな」と先生の視界に入らないように、逃げるように店を出た。あれが、学生が入り浸ってるとか誰かのタレコミで来たわけでは無いといいと祈りながら。
翌日、バイト帰りに夜の街に繰り出すか迷ったが、昨日来たばかりで、同じ店に行ったりはしないだろうと、あえて同じ店に向かった。
ドアを開けて一通り店の中を見回したが、それらしい男の姿はない。胸を撫で下ろし、いつものカウンター席に座り、ウィスキーのロックを注文する。
「あれ、君は……観月君?」
その声の方に視線を向けた瞬間、自分の考えの甘さを痛感した。俺の顔を金縁の眼鏡の向こうの瞳がはっきりと捉えている。逃げることは、最早無理だ。
「……あの、ここでは脩って呼んでもらえますか。苗字までは、明かしていないので」
先生は一瞬固まっていたが、「ごめんなさい。急に声を掛けたりして」と俺の隣の席に座った。
よく見ると先生の前には飲みかけのグラスが置いてあり、どうやらトイレに行くなどで席を外していたようだ。席に座る前にそのことに気付いていれば、まだ引き返せたかもしれない。
「こういう店は……昨日と今日で、二回目で。下の名前で呼ぶのがここのマナーだとは知らなかったんです」
マナーという訳ではないが、下の名前か簡単なニックネームのようなもので呼び合うのが一般的だというだけだ。
「では、脩君。私のことは芳慈、と」
「……それで、どうしてここに?」
俺はマスターから差し出されたウィスキーを受け取り、氷が溶けるのを待たずにそのまま一口飲んだ。
「どうして、というのは?」
「芳慈さんは……ゲイじゃないですよね」
ここまで来たら話すしかない。もし何か俺に不都合が生じるなら、どうにか見逃してもらえる手立てを探さなければならない。
「それが……分からないんです」
「え……?」
想定外の言葉に思わず先生を見詰めた。先生は少し真剣な眼差しを、テーブルの上で組んだ手に落としている。
「今まで女性としか交際したことは無いのですが、いつもどうしてか長く続かなくて。私の方は相手の女性に愛情を持っているつもりなのですが、愛情を疑われてしまって、別れを告げられてしまうんです。そのことを海外の研究者仲間に話したら、もしかしたらゲイなのかも、と。ゲイタウンに行って確かめてみたらどうだ、と言われて来たのですが」
恐らく相手は冗談のつもりだったのだろう。まさか大真面目にゲイバーに行くなどとは思ってもいないはずだ。
「でも、どうやら私のようなのは受け入れてもらえないようで……昨日からお話しできたのは脩君だけです」
苦笑いを浮かべて俺を見詰める先生に、思わず溜息が零れる。
「いや、それはせ……芳慈さんが、ノンケ丸出しのゲイっぽくない格好をしてるからですよ。せめてもうちょっとラフな格好してないと」
「ノンケ、丸出し……?」
言葉を間違えた。話している雰囲気から、良いとこの坊ちゃんという感じだし、こんな言葉遣いだと面喰ってしまうのも当然だ。バツが悪くなって、グラスを回しながら言葉を探す。
「脩君のような服装なら、話してもらえるのでしょうか」
そう言われて、今の自分の服を再確認する。黒のタンクトップに柄シャツ、シルバーのチェーンネックレス。下はダメージジーンズだ。
「芳慈さんの年齢的にこれは、落ち着き無さ過ぎてヤバイですって」
「そう、ですよね。この年で性的指向に悩んでいるなんて、自分でも可笑しいと思いますから」
そういう意味では全くなかったのだが。しかし、四十代でデビューする人は珍しいし、服装や振る舞いは若い時分に色々試して身についていくものでもある。
今更先生の服装をゲイっぽくしたところで、彼の雰囲気がそれに追い付いていかないのではないか。寧ろ、ゲイではない可能性の方が高いのだから、そうではないことの確信を得ることの方が、先生のためになるのではないだろうか。
「ここに来たのは、男と付き合ってみれば、ゲイかどうかって分かるかもって思ったってことですよね?」
「ええ。私がゲイならきっと、男性に愛情を抱き、そしてその過程で、性的な欲求が生まれるはずです。しかし、考えてみると、私が性的指向を知るために、ゲイの男性に交際を申し込むのは余りに心無い行為です。そんな失礼を働く前に、君と話が出来て良かった」
そう言うと、少し悲しげな表情でグラスに口を付けると、ぐいと一気に飲み干して立ち上がった。
「さあな、知らねえよ。俺はバレねえうちにさっさと退散すっから」
残りの酒を飲み干し、「じゃあな」と先生の視界に入らないように、逃げるように店を出た。あれが、学生が入り浸ってるとか誰かのタレコミで来たわけでは無いといいと祈りながら。
翌日、バイト帰りに夜の街に繰り出すか迷ったが、昨日来たばかりで、同じ店に行ったりはしないだろうと、あえて同じ店に向かった。
ドアを開けて一通り店の中を見回したが、それらしい男の姿はない。胸を撫で下ろし、いつものカウンター席に座り、ウィスキーのロックを注文する。
「あれ、君は……観月君?」
その声の方に視線を向けた瞬間、自分の考えの甘さを痛感した。俺の顔を金縁の眼鏡の向こうの瞳がはっきりと捉えている。逃げることは、最早無理だ。
「……あの、ここでは脩って呼んでもらえますか。苗字までは、明かしていないので」
先生は一瞬固まっていたが、「ごめんなさい。急に声を掛けたりして」と俺の隣の席に座った。
よく見ると先生の前には飲みかけのグラスが置いてあり、どうやらトイレに行くなどで席を外していたようだ。席に座る前にそのことに気付いていれば、まだ引き返せたかもしれない。
「こういう店は……昨日と今日で、二回目で。下の名前で呼ぶのがここのマナーだとは知らなかったんです」
マナーという訳ではないが、下の名前か簡単なニックネームのようなもので呼び合うのが一般的だというだけだ。
「では、脩君。私のことは芳慈、と」
「……それで、どうしてここに?」
俺はマスターから差し出されたウィスキーを受け取り、氷が溶けるのを待たずにそのまま一口飲んだ。
「どうして、というのは?」
「芳慈さんは……ゲイじゃないですよね」
ここまで来たら話すしかない。もし何か俺に不都合が生じるなら、どうにか見逃してもらえる手立てを探さなければならない。
「それが……分からないんです」
「え……?」
想定外の言葉に思わず先生を見詰めた。先生は少し真剣な眼差しを、テーブルの上で組んだ手に落としている。
「今まで女性としか交際したことは無いのですが、いつもどうしてか長く続かなくて。私の方は相手の女性に愛情を持っているつもりなのですが、愛情を疑われてしまって、別れを告げられてしまうんです。そのことを海外の研究者仲間に話したら、もしかしたらゲイなのかも、と。ゲイタウンに行って確かめてみたらどうだ、と言われて来たのですが」
恐らく相手は冗談のつもりだったのだろう。まさか大真面目にゲイバーに行くなどとは思ってもいないはずだ。
「でも、どうやら私のようなのは受け入れてもらえないようで……昨日からお話しできたのは脩君だけです」
苦笑いを浮かべて俺を見詰める先生に、思わず溜息が零れる。
「いや、それはせ……芳慈さんが、ノンケ丸出しのゲイっぽくない格好をしてるからですよ。せめてもうちょっとラフな格好してないと」
「ノンケ、丸出し……?」
言葉を間違えた。話している雰囲気から、良いとこの坊ちゃんという感じだし、こんな言葉遣いだと面喰ってしまうのも当然だ。バツが悪くなって、グラスを回しながら言葉を探す。
「脩君のような服装なら、話してもらえるのでしょうか」
そう言われて、今の自分の服を再確認する。黒のタンクトップに柄シャツ、シルバーのチェーンネックレス。下はダメージジーンズだ。
「芳慈さんの年齢的にこれは、落ち着き無さ過ぎてヤバイですって」
「そう、ですよね。この年で性的指向に悩んでいるなんて、自分でも可笑しいと思いますから」
そういう意味では全くなかったのだが。しかし、四十代でデビューする人は珍しいし、服装や振る舞いは若い時分に色々試して身についていくものでもある。
今更先生の服装をゲイっぽくしたところで、彼の雰囲気がそれに追い付いていかないのではないか。寧ろ、ゲイではない可能性の方が高いのだから、そうではないことの確信を得ることの方が、先生のためになるのではないだろうか。
「ここに来たのは、男と付き合ってみれば、ゲイかどうかって分かるかもって思ったってことですよね?」
「ええ。私がゲイならきっと、男性に愛情を抱き、そしてその過程で、性的な欲求が生まれるはずです。しかし、考えてみると、私が性的指向を知るために、ゲイの男性に交際を申し込むのは余りに心無い行為です。そんな失礼を働く前に、君と話が出来て良かった」
そう言うと、少し悲しげな表情でグラスに口を付けると、ぐいと一気に飲み干して立ち上がった。
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