アネモネの花

藤間留彦

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風岡一温編

最終話 エピローグ、そしてプロローグ②

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 放課後、俺は生徒指導の教師に呼び出しを食らっていたので、面倒だと思いながら職員室に向かった。

 一日を終えて男の名前が風岡一温かぜおかひいろということと、生徒も教師も風岡を煙たがっているような空気があるということに気付いた。

 風岡をいじめている奴ら以外の生徒も、いじめに巻き込まれたくないということ以前に、風岡という人間を嫌がっているように見えた。いじめはそういう空気の中作られた結果に過ぎないのだ。

 風岡は三年の始業式の後転入してきている。恐らく何らかの問題を抱えている。

 担任と体育教師に、先週の他校の生徒との喧嘩についてくどくどと説教された。そもそも喧嘩を吹っ掛けてきたのは向こうで相手は五人だったわけなのだが、なぜ病院送りにしたからといって俺が停学になるのか分からない。

 そういう不満が表に出ていたのか、目付きや態度が悪いから絡まれるとか生活態度を改めろなどと説教が長くなったのだろうが――その理論なら、地毛で短髪の俺ではなく茶髪や長髪の奴が喧嘩を吹っ掛けられていると思う――、生徒指導室を出た頃には日は落ちてすっかり暗くなっていた。

 早く家に帰って飯を食って寝ようと下駄箱の靴を取り出す。と、すっと横に立った男に目を向ける。風岡だった。

「こんな時間まで何してんだ?」
「……君は?」

 風岡はローファーを取り出しながら、俺の方を一度も見ずに言った。「君」。新鮮な言い方に思わず目を見張った。というか、今初めて風岡の声を聞いたのだ。

「俺は停学明けの説教」
「そう」

 さして興味はないが、答えをはぐらかすのに都合が良かったから訊いただけだろう。俺は運動靴を履いて、靴を履き終える風岡を待った。

「お前の家どっちだ」

 面倒だと思ったのが何となく分かった。風岡は黙って俺の横を通り過ぎたが、その横について歩く。
 校門までの間に俺を振り切りたかったのか早足だったが、門を出てから方向が一緒だと分かると観念したように歩みが緩やかになった。

「……何か用でも?」
「用っていうか……知りたいというか」

 自分でもこの風岡と一緒に歩いているのが不思議なぐらいなので、なぜと聞かれても答えが出ない。

「何が知りたいの? 今日教室で何があったのか? それとも僕が時期外れにこんな底辺校に転校してきた理由?」

 定型文を読み上げるように心底どうでもいいと思っているのが伝わってくる言い方だった。俺は考えた挙げ句、出た答えはやはり一つだけ。

「お前がどういう時笑うのか、とか?」

 急に風岡が立ち止まったので、数歩行き過ぎてしまい振り返る。
 目が合った時、何かの感情が一瞬瞳に浮かんで見えたが、すぐに視線を落としてしまったのもあって分からなかった。

「僕は、男性教師に淫らに言い寄ったから、親に転校させられたんだ」

 突然の告白に、呆然とそれを聞いた。俯いたまま、無感情に、第三者が評したことをただなぞったであろう言葉を。

「だから、もう僕に関わらない方がいい。君もホモの僕に好かれたら困るだろ」

 思わず苛立って舌打ちをした。俺を追い払うために言ったのか、それとも本当に自分をそれほど卑下していて出た言葉なのか分からない。
 しかし俺の直感では後者のような気がしたから、癇に障った。

「馬鹿じゃねえの。何でお前が俺を好きになるんだよ。意味わかんねえ」

 思っていた返答や態度では無かったのだろう。風岡は顔を上げて俺を真っ直ぐに見た。何かを期待するというより、俺の真意を窺うように。

「そんなことより、お前の家もこっちだろ。行こうぜ」

 返事が無いまま歩き出したが、俺が隣を歩いても何も言わなかった。 

 それから会話もなく学校から歩いて数分のマンスリータイプのマンションの前で、風岡は立ち止まった。
 「じゃあな」と歩き出した俺の後ろから、「君の」と風岡の声がして立ち止まる。

「君の、名前……聞いてない」

 俺に少しでも興味が湧いたのか、と思いながら振り返り、「陽川花火ひかわはなび」と笑って答えた。
 風岡は「じゃあ」と戸惑っている様子でマンションに足早に入っていった。

 俺はその後ろ姿を見送りながら、自分は名乗らないんだなと苦笑して、ぽつぽつと電灯の灯る薄暗い道を学校を挟んで向こう側にある家へ向かって引き返した。
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