四神の国の麒麟妃

藤間留彦

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第五話 赤髪の男

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 ――暑い。

 全身に感じる不快感と気怠さに、重い瞼を持ち上げる。

 始めに視界に映ったのは、金色の布。天幕だ。急に明るいところに居たので、目が眩む。

「目が覚めたんですね、良かった」

 すぐ側で声がして、重たい頭を擡げる。赤い長い髪と白い肌。青い瞳が俺を見詰めていた。

「あんたは……赤麗……?」

 石油王の息子と間違えた、白い布を被り、絹布をたっぷり使ったアラビア風の衣装に身を包んでいる端正な顔の男。目が合うと微笑んで、俺の汗で額に張り付いた前髪を細く長い指で搔き上げた。

 ゆらゆらと上下に揺れる床に驚いて辺りを見回すと、俺が居るのは輿の上だということに気づいた。前と後ろに二人ずつ、屈強な男たちが俺と赤麗の乗っている輿を持ち上げて歩いていた。輿の両側には、俺たちが暑くないようにか、美しい女性が一人ずつ大きな羽でできた扇で扇いでいる。皆褐色の肌が映える、白い布を頭に被り一枚布の白い服を身につけていた。

 一番驚いたのは、自分の居る場所だ。地平線の彼方まで広がる砂漠、高く鮮やかな青い空と目が眩むほどの太陽。燦々と降り注ぐ太陽の日差しが、この不快な汗を生み出す要因だ。

「ここは南の国。朱雀である僕が治める太陽と砂漠の国です」

「……どうして、ここに……?」

 記憶が曖昧だ。スイと共に城を出て、森の入り口で白い虎に襲われた、はずだ。その後、何がどうしてここに至ったのか、全く分からない。

「虎に襲われて、スイが……そうだ! あんたの密偵だった水海が……!」

 それ以上言葉にできなかった。あの状況で生きているとは、思えない。

「お話の内容がよく理解できませんが……貴方は、この西の国との国境付近で倒れていたのです。辺りに虎の姿はありませんでしたし、水海という者は我が家臣には居ません」

「え……?」

 スイは自分は密偵だと、赤麗の命で俺を南の国に案内すると言った。西の国を経由して、南の国に行く、とも。気を失った時、俺は北の国の森に居た。西の国の国境まで半日掛かる距離で、西の国にさえ入ってはいない。

 それなのに、南の国との国境に倒れていた? 道案内してくれていたスイを知らない? 俺は夢でも見ていたと言うのか?

「こちらの世界に来て、慣れない環境で意識が混濁していたのではないでしょうか? 黒威に何かされたとか……」

 何かされた、と言われて思い出したのは、俺が黒威の元を離れる原因の一つでもある、あの寝室での行為だった。

「い、いや、何も無い!」

 触れた唇の感触も、口内を撫ぜた舌の熱さも、乳首を弄られて感じた疼きも、身体にしっかりと記憶されている。あのことも全部、夢だったら良かったのに。

「とにかく、倒れてたところを助けてくれたんだろ? ありがとう」

「いえ、感謝して頂ける立場ではありません。全ては、貴方を初めに僕の元にお連れできなかったことが招いたこと。まさか約定を黒威が破るとは思わず……」

 赤麗は落胆したように肩を落とし、ため息を吐く。

「約定……?」

「はい。勝手ながら、争いを無くすため貴方をお迎えに上がる四神をあらかじめ決めていたのです。合議の結果、僕が貴方を妃とし、帝となると決まりました。誰も手出しはしないと、そう約束したのですが……」

 黒威は話し合いで早い者勝ちに決まったと言っていた。しかし赤麗の話だと、初めから赤麗と決められていたことになる。

 俺を迎えに来た――とあの時は知らなかったが――赤麗は、車を用意したり前準備が整っていたように思う。対して黒威は、見知らぬ人からバイクを借りるくらい突発的に行動している。それに早い者勝ちなら、他の二人の王が動かなかったのは可笑しい。赤麗に既に決められていたとしたら、全て説明がついてしまう。

 ただ、引っ掛かるのは、記憶が確かでは無いが、俺に初めて会った時の赤麗の言葉だ。まるで偶然出会ったかのような口ぶりだった。

「初めて会った時、あんた一目惚れがどうとか……言ってなかったか?」

 赤麗を訝しみ、顔色を伺う。と、赤麗は唐突に俺の手を握り、顔を近づけた。

「僕は貴方を決められた相手としか思っていなかった。しかし貴方を見た瞬間、僕は恋に落ちてしまったのです」

 もう片方の手が俺の顎に添えられ、上向かされる。鼓動が早くなっていく。

「決められたから妻になれなど、愛の無い話をしたくなかった。貴方と恋をして愛し合いたかった。僕は哀れな恋の奴隷。どうか貴方の口付けで、解放して下さい」

 今にも唇が触れそうになって、俺は赤麗を半分突き飛ばす勢いで押し返し、身体を離した。

「あ、暑いなあ」

 言うべき言葉が思い浮かばず、天気の話をしてしまう。暑いのは気温のせいだけじゃ無いのは分かっている。革ジャンを脱ぎ、肌に張り付いたTシャツを引っ張って、空気を通した。

「……君、もっとしっかり扇ぎたまえ。麒麟の君が暑いと言っている」

「は、はい、申し訳ありません……!」

 俺の側に居た女性が、慌てて扇を強く動かし始める。よく見ると女性はこれほど暑いのに汗もかかず、しかし苦しそうな表情だった。もう一人の女性も、輿を持ち上げている男たちも程度は違うが、同じように辛そうだ。

「赤麗、水は無えのか?」

「ここに沢山あります。お飲みになりますか」

 赤麗のすぐ近くに水瓶があった。俺はそれを引っ掴み、輿から飛び降りて女性に駆け寄る。

「これを早く飲め。ぶっ倒れるぞ」

 女性の持っていた扇を奪い取って無理矢理水瓶を渡し、扇を傘のようにして陰を作った。女性は戸惑っていたが、相当喉が渇いていたのだろう。水瓶に直接口を付けて飲み出す。

「すみません、私……なんてはしたない――」

「本当だな。下女の分際で王の水瓶に触れるとは、恥を知れ」

「も、申し訳ありません……!」

 赤麗が輿の上から激した口調で女性を叱責すると、女性は真っ青になり震え上がって俺に水瓶を返した。そして太陽の日差しで熱された土の上に平伏する。それを見て血管が切れるほど頭に血が上った。

「ふざけるなッ! 何が王の水瓶だよ! 皆喉が渇いてんだぞ! お前と俺を運ぶために! 感謝こそすれ、怒る理由なんてどこにあんだよッ」

 俺は女性を立たせ、水瓶を持って輿を担いでいる男達に近づく。一人ずつ水瓶を傾け水を飲ませると、「ありがとうございます」と呟いた。もう一人の女性は赤麗が恐ろしいのか、頑なに拒否する。

「……扇を奪って、その下女はどうするのです。仕事の無いものは飢えて死ぬほかありませんが」

 冷たい突き放すような言葉だった。初めに感じた柔和さの欠片も持ち合わせてはいない。

「じゃあ俺の話し相手にしてくれ。この国のことを教わるなら、あんたより適任だろ」

 女性の隣に並んで、扇で日差しを遮るようにして歩き出す。赤麗は面白くないというのをはっきりと表情に出して輿に乗ったまま遠くに目を遣った。その方角に、蜃気楼で歪んで見えるが、緑と建物が見える。しかし日本の猛暑日よりもずっと厳しい中、歩きつけるのか少し不安になった。

「お妃様、この布で肌を覆ってくださいませ。日差しで火傷してしまいます」

 女性は慌てた様子で頭に被っていた布をケープのようにして俺の肩から腕を覆うように掛けてくれる。皆暑いのに長袖を着ているのは、肌を守るためだったのだ。

「ありがとう、助かった。俺は黄太。妃なんて呼ばずに、名前で呼んでくれ」

「はい、私は珪貝けいかいと申します。黄太様」

 彫りが深く睫毛が長い。褐色の肌に黒髪の美人だ。微笑む彼女は、最初見たよりもずっと若く、もしかしたら年は同じくらいかもしれない。

 ふとその容姿に黒威の顔が浮かんだ。特徴がよく似ている。

「もしかして、黒威はこの国の人間だったりするか?」

「はい。北の王は先帝の御落胤で、九つになるまで南の国でお育ちに。私の生まれ故郷と同じ街ですので、よく聞き及んでいます」

 落胤、ということは正妻以外の子ということだ。黒威が王でありながら粗野な物言いをするのは、生まれが関係しているのだろうか。

「珪貝の街ってどういう街なんだ?」

「人々が仕事を求めて集まってできた街です。表通りは歓楽街でお金持ちが毎夜遊び歩き日の落ちない街と呼ばれています。しかし、裏通りでは日銭を稼ぐこともままならない貧しい人達が生活しています。あまり良い街とは言えませんが……北の王がお生まれになったと思えば、とても誇らしいです」

 南の国に生まれ育った珪貝が、同郷とはいえ北の国の王を誇りに思うのは意外だった。俺の思う黒威の姿と、実際は異なっているのかもしれない。

「珪貝は北の国や黒威をどう思ってる?」

「北の国は元は貧しい国だったそうですが、現王が即位されてから減税なさり、また私財を投じ山を調査し資源を見付けられたとか。山では黒岩と白岩という建築資材や石油石炭が採掘されています。今では資源豊かな国のイメージが強いです。しかしそれだけ潤っていても数ヵ月は雪に閉ざされてしまうので、税は軽いまま王は一切贅沢をなさらないのだそうですよ」

 笑顔で話す珪貝の姿は、おとぎ話を語る少女のように瞳が輝いていた。聞いているだけで北の国や黒威に対して好感を抱いているのが分かる。

 黒威の質素な衣装も、最低限の調度品しかない城も、彼が民のために尽くしているが故なのだ。民が幸福でなければ国は成り立たない。民が幸福であれば国も平和で豊かになる。一代限りの王ならば特に、民からの信頼が無ければ上手くはいかないだろう。

 俺は黒威の一面だけを見て決めつけ、ちょっと変なことをされたぐらいで――個人的には一発くらい殴るべきだったと思うくらいには未だに腹立たしいが――感情的になって飛び出してきたけれど、間違いだったかもしれない。

 母さんに「思い付きで考え無しに行動するのは悪い癖」と言われたことを思い出し、もう滞在一日目にしてその癖を発揮してしまったのは、最早苦笑するしかない。

「あ、でもっ、赤麗様には感謝しています。私のような不束者を雇ってくださっているのですから。お陰で故郷の家族を食べさせてあげられます」

 輿の方に視線を向けて、珪貝は慌てて言葉を続けた。赤麗に聞かれていたら、と思ったのだろう。

「赤麗は逆にこの国の人じゃないよな?」

 赤い髪も白い肌も、この国の人の特徴とはかなり異なっている。

「赤麗様は中つ国の歌伝かでんの名家の御方です。御母堂様は最も先帝の御寵愛を賜った御正室、絶世の美女で名高い来凪らいなぎ様です。言うまでもなく赤麗様はその御容姿を色濃く受け継いでいらっしゃいます」

 中つ国は帝だけが唯一統治できる中央の国のことだろう。帝のお膝元だけあって、貴族が住んでいるのだ。赤麗はその中でも由緒正しい家柄。気品のある、時に高慢さを覚える言動は、その生まれと容姿も相まって表れているのだろう。

「歌伝、って?」

「宮廷音楽のことです。赤麗様の御家は、帝の前で舞踊と弦唱げんしょうという弦楽器を演奏することを許された唯一の家で、来凪様は舞踊、赤麗様は弦唱に秀でていらっしゃいます。王となられてからは御演奏なさることも無くなってしまわれましたが」

 貴族が音楽を奏でるというのは、平安時代の日本を思い浮かべてみれば頷ける。赤麗がどんな音楽を奏でるのか聴いてみたい気もする。全くジャンルは違うけれど、同じく音楽を奏でる人間としては。

「俺も音楽やってるからさ、ちょっと聴いてみてえな」

「……黄太様が?」

「あ、今お前みたいな粗野なやつがって思ったろ? 大丈夫、そんなお行儀の良い音楽じゃないから」

 笑う俺に珪貝は「そんなこと、滅相もないです!」と顔を真っ赤にして手をばたばたと振って慌てている。

 しかし、音楽の話で思い出したが、俺は大事なギターを黒威に渡して、そのままだった。あの城に置いてきてしまったことに気付いて、早く取りに帰りたい気持ちが高まる。

「あとどれくらいで着くかな」

 雪の中も歩き辛かったが、砂漠も砂を踏みしめる一歩が重い。それでも少しずつだが、街が近づいている。

「今太陽が真上ですから、もう少し傾いたくらいでしょうか」

「よし、何とかなりそうだ。珪貝、城に着くまでこの国のこと教えてくれ」

 珪貝は「勿論です」と嬉しそうに笑った。
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