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第4章 元カレとお世継ぎ問題
第2話
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アストゥラ国に残ると決めた僕は、この世界について本格的に勉強することにした。王宮の四階に置いてあるのはラトゥリオ様の私的な蔵書で、それ以外の本は主に三階の図書室に詰まっている。実用的なものは一階の資料室だ。夢中で読みふけっていると、ラトゥリオ様が探しにくる。
「あまり根を詰めるな」
「んー、もうちょっと。この章だけ」
「その章は、あと百ページはあるだろう」
「う、知ってたんですか」
「町に行くのだろう?」
「それはまだ……って、もうこんな時間!?」
慌てて本を棚に戻し、支度をする。
「行ってきますっ」
駆け出し、ハッと気づいて戻った。彼は分かっていて、待ち構え、僕を軽々と抱き上げた。行ってきますと、行ってらっしゃいのキス。
「いい子だ。気を付けて行け」
「はい!」
今日はゾイさんが半日休みの日で、僕がまだ行ったことのない辺りを案内してくれるんだ。僕は国王陛下の護衛という名目でお給料をもらえるようになったから、ちょっとした買い物もできる。護衛って……うん、護衛だよな。
町へ行くのは、僕なりの視察の意味もある。できるだけたくさんの人と話をして、困っていることや、修理したいのに手付かずになっていることはないか、それとなく探る。人を呼ぶまでもない程度のものなら、僕がその場で直す。大工仕事と機械いじりが好きでよかった。趣味と実益を兼ねるというやつだ。
僕はもともと、人付き合いが特にうまいわけじゃない。趣味に没頭しがちな点を、内向的と評されたこともある。大学では、好きな分野を勉強できたらいいな、というぐらいで、どんな職業に就きたいかは漠然としていた。エンジニアという言葉を覚えてからは、「将来の夢」に一貫してそう書いていたけど、具体的な努力はしていなかった。ただ、好きなだけ。そろそろ真剣にやらないとな……と、家の前で空を見上げていた時に、こっちに飛ばされたんだ。結果的に、夢が叶いつつある。
「ありがとうございます、レオ様。陛下のこと、なにとぞよろしくお願いいたします」
「はい」
どこへ行ってもそう言われるのは照れ臭い。同時に、その言葉がどれほど重いのかを噛みしめる。僕にあるのは、前からの趣味とラトゥリオ様への想い、それに謎の魔力だけだ。何かこう、心もとない。恋に関しては「大好き!」って毎日伝えるしかないし、中和の力は、僕が実感しているかというと微妙だ。何しろ、あれよあれよという間にああいうことになったので。となると、とりあえず手を動かして、この世界を自分の目で見て、人々の中へ入っていく。そうやって、一歩ずつ、ちゃんとここの住人になる。それが僕にできることだと思っている。
町との行き来は、運動を兼ねて歩いていくこともあれば、馬車を使うこともある。アストゥラの人たちは健脚で、大人なら数時間は平気で歩く。貴重な交通手段として、馬に乗れる人も多い。馬車を御するのは、ある程度大きくなれば女性も教わるそうだ。生活の中で必要な技術。母さんと沙良がハマっていた西部劇には、軽やかに馬を乗りこなす女性も出てきたっけ。
ゾイさんはどうなのかと、馬車に揺られながら尋ねると、「乗れるわ」という答えだった。真紅の長いスカートをものともせず、荒野をひた走る姿が思い浮かんだ。
「昔、ね……よく遠乗りをしたの。いい相棒がいたのよ。彼はこの国で五本の指に入る騎手だと言われていたわ」
その人は、今は……なんて、聞ける雰囲気じゃなかった。いないんだ。
「すみません、変なこと聞いて」
「いいのよ。ほら、そんな顔しないで。思い出は、時々取り出して眺めてあげないとね」
思い出。もういない人。帰れない場所。戻らない時間……そう、か。僕にとっての元の世界も、思い出に変わっていくんだな。忘れることはできないし、忘れるつもりもない。忘れる必要も、ないんだ。
「ねぇ、レオ。彼の話、またしてもいいかしら?」
「はい、もちろんです」
「ありがとう」
ガラガラと、馬車が音を立てる。ふと、大学の図書室で読んだ本のことを思い出した。江戸時代、伊能忠敬が地図作成に使った道具の中に、車輪の回転で距離を測定するものがあったっけ。
大学は、入ったばかりであまり行けなかったけど、楽しかったな。友達になれそうだった人。レポートの採点は辛いと評判だけど、研究テーマは物凄くおもしろい教授。何度か食べに行くうちに顔を覚えてくれた、近くの食堂のおばさん。高校までにも、たくさんの出会いがあった。そのすべてが、何らかの影響を与えて僕という人間を作ってきた。人に限らない。本もそうだし、映画もいろいろ観た。旅行は、北から南まで、日本国内を家族とあちこち。北海道では、宿の窓からキタキツネを見た。綺麗だったなぁ。ラトゥリオ様とアントス様の宝箱は、沖縄で見た椰子のような木の根元にあるのかな。
思い出は、ここで見聞きしたことと少しずつ混ざり合っていく。僕が暮らした日本や青い地球は、確かに存在していた。今も存在している。なくなったわけじゃない。
「ゾイさん」
「なあに?」
「知りたいです、僕。この世界のことを、もっとたくさん」
「そうねぇ。レオは、ここにいてくれるんだものね。陛下はあれで口下手だから」
「ああいうの、口下手っていうんですかね」
「肝心の言葉を口に出せない男のことを、口下手というのよ」
「あぁ、そういう……」
それは少し当たっているかもしれない。リナも気になることを言っていたっけ。
肝心の言葉って、何だろう?
「あまり根を詰めるな」
「んー、もうちょっと。この章だけ」
「その章は、あと百ページはあるだろう」
「う、知ってたんですか」
「町に行くのだろう?」
「それはまだ……って、もうこんな時間!?」
慌てて本を棚に戻し、支度をする。
「行ってきますっ」
駆け出し、ハッと気づいて戻った。彼は分かっていて、待ち構え、僕を軽々と抱き上げた。行ってきますと、行ってらっしゃいのキス。
「いい子だ。気を付けて行け」
「はい!」
今日はゾイさんが半日休みの日で、僕がまだ行ったことのない辺りを案内してくれるんだ。僕は国王陛下の護衛という名目でお給料をもらえるようになったから、ちょっとした買い物もできる。護衛って……うん、護衛だよな。
町へ行くのは、僕なりの視察の意味もある。できるだけたくさんの人と話をして、困っていることや、修理したいのに手付かずになっていることはないか、それとなく探る。人を呼ぶまでもない程度のものなら、僕がその場で直す。大工仕事と機械いじりが好きでよかった。趣味と実益を兼ねるというやつだ。
僕はもともと、人付き合いが特にうまいわけじゃない。趣味に没頭しがちな点を、内向的と評されたこともある。大学では、好きな分野を勉強できたらいいな、というぐらいで、どんな職業に就きたいかは漠然としていた。エンジニアという言葉を覚えてからは、「将来の夢」に一貫してそう書いていたけど、具体的な努力はしていなかった。ただ、好きなだけ。そろそろ真剣にやらないとな……と、家の前で空を見上げていた時に、こっちに飛ばされたんだ。結果的に、夢が叶いつつある。
「ありがとうございます、レオ様。陛下のこと、なにとぞよろしくお願いいたします」
「はい」
どこへ行ってもそう言われるのは照れ臭い。同時に、その言葉がどれほど重いのかを噛みしめる。僕にあるのは、前からの趣味とラトゥリオ様への想い、それに謎の魔力だけだ。何かこう、心もとない。恋に関しては「大好き!」って毎日伝えるしかないし、中和の力は、僕が実感しているかというと微妙だ。何しろ、あれよあれよという間にああいうことになったので。となると、とりあえず手を動かして、この世界を自分の目で見て、人々の中へ入っていく。そうやって、一歩ずつ、ちゃんとここの住人になる。それが僕にできることだと思っている。
町との行き来は、運動を兼ねて歩いていくこともあれば、馬車を使うこともある。アストゥラの人たちは健脚で、大人なら数時間は平気で歩く。貴重な交通手段として、馬に乗れる人も多い。馬車を御するのは、ある程度大きくなれば女性も教わるそうだ。生活の中で必要な技術。母さんと沙良がハマっていた西部劇には、軽やかに馬を乗りこなす女性も出てきたっけ。
ゾイさんはどうなのかと、馬車に揺られながら尋ねると、「乗れるわ」という答えだった。真紅の長いスカートをものともせず、荒野をひた走る姿が思い浮かんだ。
「昔、ね……よく遠乗りをしたの。いい相棒がいたのよ。彼はこの国で五本の指に入る騎手だと言われていたわ」
その人は、今は……なんて、聞ける雰囲気じゃなかった。いないんだ。
「すみません、変なこと聞いて」
「いいのよ。ほら、そんな顔しないで。思い出は、時々取り出して眺めてあげないとね」
思い出。もういない人。帰れない場所。戻らない時間……そう、か。僕にとっての元の世界も、思い出に変わっていくんだな。忘れることはできないし、忘れるつもりもない。忘れる必要も、ないんだ。
「ねぇ、レオ。彼の話、またしてもいいかしら?」
「はい、もちろんです」
「ありがとう」
ガラガラと、馬車が音を立てる。ふと、大学の図書室で読んだ本のことを思い出した。江戸時代、伊能忠敬が地図作成に使った道具の中に、車輪の回転で距離を測定するものがあったっけ。
大学は、入ったばかりであまり行けなかったけど、楽しかったな。友達になれそうだった人。レポートの採点は辛いと評判だけど、研究テーマは物凄くおもしろい教授。何度か食べに行くうちに顔を覚えてくれた、近くの食堂のおばさん。高校までにも、たくさんの出会いがあった。そのすべてが、何らかの影響を与えて僕という人間を作ってきた。人に限らない。本もそうだし、映画もいろいろ観た。旅行は、北から南まで、日本国内を家族とあちこち。北海道では、宿の窓からキタキツネを見た。綺麗だったなぁ。ラトゥリオ様とアントス様の宝箱は、沖縄で見た椰子のような木の根元にあるのかな。
思い出は、ここで見聞きしたことと少しずつ混ざり合っていく。僕が暮らした日本や青い地球は、確かに存在していた。今も存在している。なくなったわけじゃない。
「ゾイさん」
「なあに?」
「知りたいです、僕。この世界のことを、もっとたくさん」
「そうねぇ。レオは、ここにいてくれるんだものね。陛下はあれで口下手だから」
「ああいうの、口下手っていうんですかね」
「肝心の言葉を口に出せない男のことを、口下手というのよ」
「あぁ、そういう……」
それは少し当たっているかもしれない。リナも気になることを言っていたっけ。
肝心の言葉って、何だろう?
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