その、梔子の匂ひは

花町 シュガー

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【side 伊都】


「ようこそおいでくんなました、竹田(タケダ)様」

「あぁ梔子(クチナシ)、今宵も格別に美しい」

「まぁ、褒めても何も出てきませぬ」


煌びやかに光を灯す江戸の町、吉原。

豪華絢爛に着飾った遊女で溢れる華やかな大通りを路地ひとつ入った所にあるこの見世は、そんな遊女たちに飽きた男がこぞって屯ろする場所である。

ーー男香を売る見世。

それが、此の楼閣だ。


「久しぶりに梔子が取れた。どれだけ金を貢いでも、お前はいつも知らん者の腕の中だ」

「ふふ、許してくんなまし。私も竹田様に逢いとう御座いました」

「はははそうか!にしても、梔子の香りは誠いいな。撫子(ナデシコ)や杏(アンズ)で我慢しておったが、やはりこれでないとなぁ」

肩に顔を埋められ大きく深呼吸されるのが擽ったくて、笑ってしまう。

「酒は頼みませぬか?」

「あぁ、早う抱きたい」

「なればあちらへ。此処では部屋子に聞こえてしまいます故」

「相変わらず奥ゆかしい…もうお前の鳴き声など何度も聞いているだろうに」

布団が敷いてある方へ歩き、直ぐにその艶やかな着物に手をかけられた。

「……嗚呼、見事な肌だ」

「ふふふ。さぁ、めいいっぱい抱いてくんなまし」

それを合図に、ゆっくりとその背を押し倒された。




『お前、梔子の匂いが付いておるな』

それは初めて此処へ連れて来られた齢十つ程の頃、楼主様にかけられた言葉だ。

私の家の周りには梔子の花が沢山咲いていた。
母が好きで、よく世話をしていたからだ。
そんな母に…私は売られた。
幼き弟や妹の為にはしょうがない事だった。

『伊都…っ、伊都、ごめんなぁ……っ!』

泣きながら謝ってくる母と、人買いの者が迎えに来るまで抱き合っていて。
その時に、母の体に染み込んでいた梔子の匂いが私へ移ったのかもしれない。

『ふむ、顔も悪くない。お前たちが女と間違うのもよう分かる…良いだろう、お前はうちで雇ってやる。
今日から名前は〝梔子〟だ。香料は後で準備させよう』

此の見世では、匂いのある花の源氏名を貰いその匂いを体へ染み込ませることから始まる。

(誠、よくできているものだ)


〝匂い〟は、人の心を掴む。


ふとした瞬間に思い出したり何故か無性に心焦がしたり……
そんな焦燥に駆られて、つい何回も何回も通ってしまう。
まるで花に群がる虫のようだ。

(……彼の人も、こうして私の事を時々思い出してくれてるだろうか)

それは もう、随分遠い昔の話。

『おまえ、なにやら花のにおいがするな!』と話しかけてくれた彼の人は…今、何をしているのだろうかーー


「ひあぁ!? ぁ、ぁあん!」

「梔子。今日は心ここに在らずではないか」

「ぁ、そんな、こと、は……っ、はぁ…は、前の竹田様との逢瀬を、思い出しておりました…、」

「はっ、如何わしい。もしそうなれば今に集中しろ。お前を組み敷いているのは…この私だっ!!」

「っ、ぁぁあ!!」

ズンッ!と奥まで突き立てられ、息が詰まる。
震えながら耐える私にニヤリと笑い、布団を握る右腕をゆっくり掬った。

「嗚呼…我が梔子。こんなに痛々しく爛れ残るとは思わなかった。だが、この傷跡も私がお前を好いている証拠なのだ」

手首の内側にある煙管の焼け跡を、ペロリと舐められる。

「梔子。いつぞやか必ず私が身請けさせよう。今はまだ金が足らんが、時期貯まる。それまで待っておれ」

「ぁ…は、お待ち…申しております……っぁあ!」

欲しい言葉が貰え快くしたのか、再び激しく動き始めた。


竹田様は政において位が上のお方で、初めて私を買った時から私に執着し始めた。
それを、楼主様が上手く利用しているのだ。
どれだけ高く金を積もうとも「梔子は今他の者と共に」といい具合に駆け引きをしている。
身請けの金も、他の者とは比べられぬ程の額を突き付けられている。

それに痺れを切らした竹田様に、腕飾りを大切そうにしているのを見られた。

『梔子!何だそれは!!誰から貰った!』

『っあ、竹田様、お止めく、これだけはっ!』

私の細腕では到底敵う筈なく、それは目の前で簡単に糸が切れ…ばらばらと零れ落ちてしまって。

『ぁ、ぁあぁ…なんて、事を!竹田様 ーーいっ!』

グイッと右手を取られ、煙管を構えられる。

『こんな砂利を不器用に通した腕飾りがそれ程に大事か!お前は…お前はこの私のだ!』

『っ、やめ! ぁぁあぁぁぁっ!!』

ジュゥッ!と手首の内側から響く、嫌な音。
自分の肉が焼け爛れる、最悪な匂い。

私の叫び声を聞いた部屋子が急いで楼主様を呼び、我に返った竹田様が大金を叩いたことにより、結局その場は丸く収まった。

だが、私の心と手首の火傷は、あの日のままで……

(そんな竹田様に身請けされるとは、甚だ可笑しき人生だ)


ーーもう、〝あの頃〟には戻れぬのだな。


腕の中で揺さぶられながら、今宵もそっと目を閉じた。





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