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第一章 ハンドリーツ編
19.困難な救出作戦(リュウサイド)
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井戸の入り口にはテツによって縄はしごがかけられた。
だが、リュウはそれを使わずに飛び降り、井戸の底へと降り立つ。懐中電灯のライトを点け、足下を照らしてみながら、足で軽く土を蹴ってみた。
「水気が全くないな。とても井戸として機能しているようには見えない」
ライトを前方へ向けると、そこでは大穴が口を開けて待っていた。小さなライトでは見通せないほどの暗闇が続いている。
「ビンゴ…………だといいんだけどな」
「おそらく、当たりでござるよ」
リュウが振り返ると、ちょうどアンナをおんぶしたテツが、縄はしごを下り切るところだった。アンナはおっかなびっくりという顔をしていたが、テツは笑顔だ。
腰に両手を当てて胸を張った。
「拙者の勘でござる!」
「勘かよ。……まぁ、調査・潜入部隊の隊長の勘なら、俺のよりは当てになるかな」
再び、ライトを暗闇の奥へと向ける。
リュウとテツはうなずき合うと、その暗い道をひた走り始めた。
想像よりも長かったその道は、しかししばらく走り続けると、やがて遠くに明かりのようなものが見え始めた。
ようやく、目的としていた場所が見つけられたのだと、ほっとしたのも束の間だった。
「何だよ、これ…………」
蛍光灯の明かりが漏れ出る一室。それは井戸の底になどあるはずのない空間で、ここが探し求めていた場所であることがわかる。
けれど、そんな事実が頭の隅に追いやられてしまうほどに、目の前の惨状に言葉を失っていた。
部屋の入口に立ったリュウたちの前には、グロテスクな血の海が広がっていた。それはおびただしいほどの血の量で、一人や、二人の死体から出る血液量を遥かに超えていた。
それらの人間たちが着ていたのであろう白衣などの服だけが、不気味にその海の上で揺れている。
リュウは顔を引きつらせ、アンナは青ざめる。
テツだけは、冷静に目を細めた。
「リーダー殿、あれを」
まだ頭が全然追いつかないままに、リュウはテツの指差す方向を見た。
室内にはいくつもの大型機械が並んでいたが、その中でも、一際大きな紫色の機械が正面の壁に、まるで樹木が根を張るようにしてくっ付いており、ゴウン、ゴウン、と音を立てていた。
「動いているでござるよ」
テツの声は緊張を孕んでいた。
機械の中央が透明なガラス張りになっていて、その中を、まるで洗濯機に転がされる洗濯物のように、肌色の丸い塊が回っている。
「あれは……ボール人間…………か?」
半信半疑でつぶやく。PPPのアジトでモエギによって見せられたものとは、少しだけ様子が違っていた。あれよりも、形がだいぶ歪だった。それに、しわだらけになっているようにも見える。何かが、溶けだしているようにも。
「何かを、搾り取っているのか…………?」
気づけばリュウは一歩、血の海に足を踏み入れていた。申し訳ないような気持ちが芽生えるものの、ここで何が行われているのかを知らなければならない。
リュウはごくりと唾を飲み込み、さらに奥へと足を進める。
後ろからの足音によって、テツも自分のあとをついて来ているのがわかった。
不快な音に足を浸し、唇を噛んで進んだその先で、リュウは手を伸ばし、その大きな機械に触れてみた。ガラス窓の中を覗き込む。
やはりそれは、ボール人間たちだった。近くで確認すれば、ぼやけていても目や鼻や口が付いているのがわかる。
――つまり、これが古代兵器なのか……?
リュウは眉を寄せ、自分の目の前にある機械を不審げに見る。
「カルチェ・アービン…………」
そして聞こえたアンナの小さなつぶやきに、リュウは振り返った。
「アンナ、やっぱりこれが……」
しかし、そう言葉を返しかけたところで、それを遮るようにして大きな声が響き渡った。
「ちょっと、待った―――――――! それに触るな―――――――――!」
ビクンッ、とリュウとアンナ、そしてテツの肩をも大きく揺れる。三人の視線は部屋の入り口に釘付けとなり、そこに立つ男へと注がれた。
リュウは目を白黒させる。
「えっ……びっ、びっくりした。…………ケビン? お前、ハンドリーツには来ないんじゃなかったっけ?」
「うるさい! 俺だって来たくて来たんじゃねぇよ! 大体、妙な頼み事をしてきたのはお前の方だろ⁈」
ケビンはビシッとリュウを指差す。
――まぁ確かに、頼み事はしたけれど……。
部屋の入口に現れたのは、PPP暗号班の班長を務める男、ケビンであった。
リュウはケビンに、とある調査依頼をしていたのだ。
「……カルチェマニーターについては、あらかた調べ終えた。と言っても、俺が調べられる範囲での話だけどな」
「おぉ、調べられたか!」
リュウはその偉業を素直に喜ぶ。
アンナから、知ることは死に直結するのだと教わっていたので、どうなることかと思ったが、ケビンはとりあえず元気そうだった。血の海を見つめる顔色は悪いが、それはおそらくカルチェマニーターとは全く関係ない理由である。
しかし、せっかく来たにも関わらず、ケビンはそこに足を踏み入れることをいつまでも躊躇っていた。足をいざ踏み出そうとするものの、その足はすぐに引っ込んでしまう。
いい加減こちらが痺れを切らしてきたところで、その背後から救世主の手が伸び、一思いにその背中を突き落としてくれた。
怯えていた境界線を、あっさり踏み越えさせたのだ。
「ぎゃ――っ!」
ケビンの叫びをよそに、リュウはケビンの後ろから顔を覗かせた人物に再び、驚く。
「クリア⁈」
第四攻撃部隊隊長のクリアクレスは、リュウに向かって苦笑いで片手を挙げた。
「昨日ぶりね、リュウ。こっちの作戦も上手くいったみたいで安心したわ。……私たちの方も、ついさっき、ここの制圧が完了したところよ。……町の方のハロイン・ファミリーの兵たちが全員ボール人間になっちゃったみたいで、暇になった三部隊も協力してくれたから、それで結果的には助かったわ」
「そうか…………良かった」
リュウは心の底から安堵し、表情を緩める。
町中でも城でも、ハロイン・ファミリーの兵たちは無力化され、幹部たちもこの町から完全に撤退している。これで、実質的にハンドリーツはハロイン・ファミリーから解放されたことになる。
「それで、ユウタの掘った隠し通路から来たケビンを、クリアが護衛役としてここまで案内してくれたんだな」
「えぇ、この場所については庭にいたソングから聞いたわ」
「おい! お前ら、俺のことを完全に忘れてないか⁈ こっからどうしたらいいんだよ⁈」
ケビンは恐ろしい地帯へ足を踏み入れられたものの、そこから先に進めなくなったらしく、両手を挙げたまま固まっていた。
リュウはそれに呆れつつ、ケビンを迎えに行ってやる。仕方なくその腕を引っ張ってやっている間も、ケビンはぶつくさと文句を言っていた。
「全く、マホたちに遅れてせっかく来てやったっていうのに、何なんだよ、この扱いは……。クリアさんもちょっと酷くないか⁈ こんなところに突き落とすなんて!」
「あはは……ごめんなさい。……ちょっと、時間がかかりそうなものでしたから、つい」
クリアクレスが両手を合わせ、控えめに笑って謝ると、途端にケビンは何も言わなくなった。
――美人に弱いからなぁ……。
とにかくも、ケビンを機械の前に立たせられたことで、ようやく本題に入ることができた。
ケビンはガラス窓の中をよく覗き込み、眉をひそめる。
「……動いてる。まずいな」
ケビンは周囲に視線を走らせ、機械の脇にあるコントロールパネルを発見すると、それをいじり出した。さっきまでのおちゃらけた雰囲気は嘘のように引っ込み、深刻そうな顔をして、目の前の暗号のような数字と文字の並ぶ画面を見つめている。そうしながら、話し始めたのだった。
「……調べるのにはかなり苦労したんだ。なんせ、ウォッグ族の人間自らが残した資料はこの世に存在していないらしくて、それ以外から情報をかき集める必要があったからな。……実際にその兵器が使用された千年前の悲劇を目にして、その後それを調査することに人生を費やした男の手記を読んだのが、一番ためになったかな」
「千年…………えぇっ⁈」
そのあまりにも遠い過去の資料に、驚愕するしかない。
ケビンはしかし、淡々と報告を続けた。
「カルチェマニーターは恐ろしい兵器だった。人の姿をボールのような肉塊に変えてしまう、気体の兵器、カルチェ・ジェム。そしてそのボール人間をエネルギーに変えて、破壊行為を行うことのできる機械の兵器、カルチェ・アービン。……その両方が、カルチェマニーターという一冊の本から作り出せるらしい」
ケビンは不気味な大型機械を見上げ、苦々しくそうつぶやく。
大体はリュウが以前、アンナから聞いた話と同じだった。しかし――。
「……お前は、それだけのことを知っても平気なのか? その、知ることは危険だって話を聞いていたんだけど……」
今さらになって少し、心配になった。
「これぐらいのことを知っても、死んだりすることはねぇよ。……けれどどうやら、この二つの兵器を作るその過程では、人が死んでしまうみたいだ。作り方を詳しく知り、動かし方を詳しく知り、それを実行に移す時、脳が破裂するらしい」
「うぇっ……破裂…………」
リュウはぞっとしながら、足下の血の海を見下ろした。
「……この様子だと、脳だけじゃなく体ごと破裂している感じだけどな。まぁ、所詮は大昔の調査資料だから仕方がないか。……けれどとにかく、今の俺みたいによくわからずに機械をいじってる分には、何の問題もないってことだ」
ケビンはげんなりとした顔をしながら、手を動かし続けていた。
――っていうかそれ、よくわからずに動かしてるのか……。まぁ、この中で一番機械に強いのはこいつで間違いないから、別にいいんだけどさ……。
ケビンはなおも機械をいじくりながら、話を続けた。
「……何かを知ることによって、人が死ぬなんてことは、本来ならありえない。……だから、現実的に考えるとするのなら、脳の記憶容量の限界を超えたことによる死……っていうことになるのかもな。……普通なら、そんなことも起こらないはずなんだけど」
「脳の? でも、ウォッグ族は……」
「おそらく、ウォッグ族だけが特別なんだ。特殊な脳の作りをしていて、この兵器の全てを知っていても、死ぬことがない」
――言われてみれば、耳がいいだとか、記憶力がいいだとか、その時点で普通の人間とは少し違っている。見たもの、聞いたものを絶対に忘れないということは、人より多くのことを記憶できるということだ。
「人の頭は優秀じゃないから、普通ならそんなに都合よく何でもかんでも覚えていることはできないんだ。提示された全ての情報を、紙から写し取るように綺麗に頭に入れるなんてことは、本来なら不可能だ。でもだからこそ、人の脳はパンクを起こすこともない。ちゃんと取捨選択するようにできているからな。……けれどもし、強制的に人の脳内に入り込める情報体があるのだとしたら、それが脳をパンクさせるほどの情報量を有しているのだとすれば…………もう、想像もできないな。本を一冊、二冊、なんて量じゃないんだろう。何億冊という本の情報を頭に叩き込むようなものだ」
「億……」
確かにそれは、途方もない数字だった。
リュウたちはしばらく、手伝うこともできずにケビンの作業を見守っていた。
だがやがて、険しい表情を浮かべたケビンの手は止まってしまった。
「……ダメだ」
「ケビン、ダメって何が……」
リュウが尋ねると、ケビンは顔を歪めてつぶやいた。
「……言っただろ。俺は簡単にしかこの兵器のことをわかってないんだ。兵器の使用を解除しようにも、その方法がわからない。どれほど機械の内側を探ってみても、そんな方法が一つも出てこない。……初めから、そんな方法は用意されていなかったと考えるのが、妥当なのかもしれない」
「そんな……!」
そう声を上げたのはアンナだった。テツの背中から急いで飛び降りると、コントロールパネルの前へと駆け寄る。だが、そこに並べられた複雑なボタンを前にして、手を付けることもできずに立ち竦んだ。
それはとても、機械をろくに触ったこともないような少女が手の出せる代物ではなかった。
気の毒そうにアンナを見ていたケビンだったが、そこに、リュウはさらに質問を重ねた。
「ケビン、カルチェ・アービンが発動するまでにはどのくらいの時間がある?」
「……わからない。調べても、どこからもそんな情報は出てこなかった。……でも、このボール人間たちがこの兵器を動かすためのエネルギーなのだとしたら…………この人たちが溶け切るまで……あと一時間、あるかないかっていうところだと思う」
ケビンは難しい顔で、機械の中で回り続けているボール人間たちを見やる。
状況は悪く、打つべき手も見えてこない。それでもリュウはまず、現状の把握に努めた。
「発動した場合の被害範囲はどのぐらいになると思う?」
「男の手記によれば、大体町一つを破壊できるぐらいの威力の大爆発が起こるらしい。具体的には書かれていなかったから確かではないけれど、おそらく被害はハンドリーツ全域にまで及ぶだろう……」
悪い情報ばかりが開示されていく中で、ぱちゃんと、水音が響いた。
アンナが、崩れ落ちるようにして血だまりに座り込んでいた。
「私の……せいだ…………」
アンナの頬を、透明な雫が一筋、伝って落ちる。
「私が……兵器をあんな人たちに渡しちゃったから………………私が……ちゃんと考えもせずに、あんな人たちに話しちゃったから…………」
アンナの頬を、次々に涙の雫がこぼれ落ちていく。
ケビンも、テツも、クリアクレスも、そんなアンナに、何の言葉もかけられずに押し黙る。
けれどリュウだけは、アンナのその細い肩を叩いた。顔を上げたアンナに、力強い言葉をかける。
「アンナ、まだ諦めるなよ。……俺は、まだ諦めない」
アンナの瞳が大きく見開かれる。
「諦めないって…………どうするつもりだよ」
ケビンは怪訝な顔をした。
リュウは軽く笑みを浮かべ、腕まくりをした。
「こんなもん、所詮はただの機械だろ。止められないなら、壊してしまえばいいんだ」
ケビンはリュウのその決断に、卒倒しかけた。
「……アホか―――――――――――――!」
テツはすかさず、後ろからリュウのことを羽交い絞めにする。
「えっ、なっ、何?」
「リーダー殿、それはさすがにまずいでござる……」
暗い顔のテツを不思議そうに見るリュウに、ケビンは頭痛がするように自分の額を指で押さえた。
「リュウ…………あのなぁ、こういうデリケートな機械は、壊せばそれでいいってわけじゃないんだよ。いつ、何をきっかけに大爆発を起こすかわからないんだ。お前が一発、パンチを食らわせただけでドカンかもしれない。そんなことになればな、俺たちに逃げてる時間はないんだよ」
「だったら俺が一人でやってみるから、お前らは避難してろよ」
背の高いテツに羽交い絞めにされ、リュウは足が床に着かないまま、冷静に返す。
それに、ケビンの怒りは爆発した。
「あのなぁ! この町に今、どれだけのボール人間がいると思ってるんだ⁈ 敵の兵隊だけじゃなくて、町の住人も観光客も、みんなボール人間になってるんだぞ⁈ そんな人たちを全員、短時間で移動させられるとでも思うのか⁈ だい、たい! 自分が犠牲になればそれで済むんじゃないかって考えてる思考が気に食わん!」
ケビンはそう言って、リュウの額にデコピンを食らわせた。
「あいたっ……!」
リュウは額をおさえ、拗ねたような顔をする。
「だったら、どうするんだよ……?」
「それを今、全員で考えるんだよ! 一人で先走るな!」
再び、ケビンに怒鳴られてしまう。
リュウはさらに渋い顔になったが、そこに、場違いな笑い声が響いた。
「フッ、フフフ……」
アンナが涙を拭いながら、笑っていた。
リュウもケビンも、途端に黙り込む。
そしてみんなの視線が自分に集中していることに気づくと、アンナはハッとして顔を赤らめた。
「すっ、すみません……! こんな時に笑ってしまって……」
「……いや、別にいいんだけど、どうした?」
まだ宙ぶらりんのままのリュウが、格好つかないままに尋ねる。
「いえ、その……こんな時なのに、皆さん明るいなって…………。誰も、諦めてはいないんだな……って」
アンナは恥ずかしそうに、目線を下へとやりながら話した。
リュウは頬をかく。
「そりゃ、まぁ……」
諦めてはいなかった。ハンドリーツに入り、町の現状を知り、ハロイン・ファミリーの幹部たちを下し、ようやく、兵器を止められるあと一歩というところまできているのだ。
こんなところで、諦められるはずがない。
と、ここで、クリアクレスが両手を広げ、大仰にため息を吐き出した。
「アンナちゃん。PPPのみんなが、こんなに騒がしい人たちばかりだとは思わないでね? こんなに騒がしくするのは、精神年齢の低い男の子たちだけよ」
「えっ、ひどくない?」
急なディスりだった。
「まさか、それ、俺も入ってるのか?」
ケビンは不本意だという顔をする。
「まさか、拙者も入っているのでござろうか……」
テツは困惑していた。
「フッ、フフフフ……」
そしてアンナは、またもや笑っていた。
「あっ、すみません。……でもやっぱり、PPPって楽しい人たちばっかりなんですね」
やわらかく笑って、そんなことを言う。そして、小さな声で続けた。
「私も…………大切なことを思い出しました」
アンナはゆっくりと、血だまりの中から立ち上がる。
「……大切なのは、希望……ですよね。リュウさんが、私にそう教えてくれたんですから」
「…………アンナ?」
その様子に、リュウは異様なものを感じていた。
アンナは震える手で、自分の胸を叩いた。一度唇を噛んで、前を向いた。
「カルチェ・アービンは私が止めてみせます」
「えっ…………えぇっ⁈」
素っ頓狂な声を上げるリュウ。
同じように、テツとクリアクレスも驚きを隠せなかった。
ケビンはややのけ反りつつ、両目を見開く。
「そっ、そんなこと、どうやって………………あっ、こいつみたいに壊すとかいうバカな発想はなしだぞ!」
「……おい」
ケビンは思いっ切り、リュウを指差していた。
アンナはしかし、首を横に振る。
「いいえ、私にそんな力はありませんし、機械に強いケビンさんでも解除できないのなら……きっと、そういう方法ではダメなんだと思います」
リュウはようやくテツの腕を振り払い、地面に着地した。着衣を整えながらアンナに、真剣に尋ねる。
「アンナ、お前なら…………ウォッグ族の人間なら、この兵器を止められるのか?」
「それは…………わかりません。けれど、もう可能性があるとしたら、私しかいないんだと思います」
リュウは、アンナの瞳を真っ直ぐに見つめた。
その目はもう、迷ってはいなかった。弱々しい少女のものではなかった。
助けをただ、待つだけの人間のものでもなかった。
リュウはその決意に、自分でも意外に思えるほど戸惑った。己が救おうと決めた少女が、今度は逆に、自分たちを助けようとしている。そのことに、心が変に納得しなかった。
――そんなの、危険なんじゃないのか……? アンナはPPPの人間じゃない。一般人なのに、そんなことをさせてもいいものなのか? ……でも、それで兵器が止められるのなら……いや、でも、誰かを犠牲にするような方法はやっぱり、いいわけが……。
頭の中であれこれと考えていった結果、リュウはぶすっとした顔付きになる。
それでも、納得していなくても、アンナに向き直った。
「……で、その方法は?」
「はい……まず、私自身がボール人間になって、この機械の中に入り、そして内側から……」
「却下」
「えっ……えぇ――っ⁈」
今度はアンナが大きく目を見開き、秒で反対されたことに本気で驚く。
だがもちろん、反対の意思を示したのはリュウだけではなかった。
「却下だな」
「却下ね」
「それはその、さすがに危険過ぎるでござるよ……」
ケビンもクリアクレスも深くうなずき、テツも、言葉を濁しながらも同意はしなかった。
アンナは慌てた様子で、さらに言葉を続ける。
「でっ、でも、これしか方法が……!」
「いや、そもそもそれで上手くいく保証なんてどこにもないわけだし」
やれやれと、リュウは頭をかく。やはり一般人のアンナが出した案は現実的ではないと、取り下げることができたことに内心ほっとする。
けれど、怯んだかに思えたアンナの瞳にはまだ、強い光が宿っていた。
リュウはそれを認めた瞬間、ドキリとした。
嫌な予感に。
「リュウさん…………上手くいく保証なんて、どんな手段を選んだって、きっとないはずです。今はそれよりも、小さくても、上手くいく可能性に懸けるべきなんじゃないでしょうか? ……私はやれます。思い出したんです。祖父が以前、言っていました。カルチェマニーターの鍵になるのは“理解”と“希望”だって。私には今、その二つがあります。だからできます。……だから、リュウさん!」
アンナは必死に叫ぶ。
リュウは顔を歪めた。
――なんで……そこまで…………。
アンナが握り締め合っている両手は震えていた。
――ビビってるくせに。本当は、怖いくせに。
それでもアンナは不格好に笑ってみせた。
「“希望”は、リュウさんが私にくれたんです。……だから、もう大丈夫なんです」
攻撃部隊顔負けの覚悟を、アンナはすでに決めていた。
リュウは目をつぶり、頭を乱暴にかく。それから、ケビンに声を飛ばした。
「ケビン、モエギの作っていたボール人間の特効薬は?」
「一応、完成はしたらしいけど…………って、お前、まさか……⁈」
何かを言おうとしたケビンを手で遮り、今度はテツに話しかける。
「テツ、そこにカルチェ・ジェムはあるか?」
「えーっと…………あぁ、これでござる。あったでござるよ、リーダー殿! ……て、まさか、リーダー殿……」
周囲のガラクタをあさり、ご丁寧にカルチェ・ジェムと書かれた瓶を見つけ出してきたテツは、最終的に顔を曇らせた。
「その、まさかだよ」
リュウはテツから奪うようにして取り上げたカルチェ・ジェムの瓶を、そのままアンナに突き出した。
「こっちが危ないと判断したら、どんな状態でも中断させる。それでも構わないのなら、この方法を試してみよう。……それでいいか? アンナ」
真っ直ぐ向けられた眼差しに、リュウの心からの言葉に、アンナは瞳に涙を溜めながらも、嬉しそうに微笑んだ。
「はい!」
仕方なく、渋々という様子で準備を始めたケビンとテツを尻目に、リュウは機械に寄りかかり、深々とため息を吐き出していた。
「良かったの? 行かせることにして」
その隣に、クリアクレスが現れる。
リュウは渋い顔をした。
「……仕方ないだろ。今は最善を尽くすしかないんだ。打てる手があるなら、打つしかない。…………俺よりもよっぽど、アンナの方がそのことをわかっていた」
不思議そうにリュウの顔を覗き込んでいたクリアクレスだったが、フッと小さく笑みを浮かべた。
「何?」
リュウはその表情に、不機嫌そうに返す。
「あぁ、ごめん。……リュウも、普通の十六歳の男の子なんだなぁって思って」
「元より十六歳の男の子ですが?」
「いや、そういう意味じゃなくて…………まぁ、わからないならいいわ」
クリアクレスは手を振る。その表情は苦笑いに変わっていた。
「?」
最後までクリアクレスの言葉の意味はわからなかったが、その時はすぐにやってきた。
ケビンに紙製簡易ガスマスクを手渡されて、またこれかと思う。カルチェ・ジェムの効果がアンナ以外には及ばないよう、念のためにガスマスクを付けるのだ。
そのマスクを口に付けようとした時、アンナはリュウのことを振り返った。
その顔に、満面の笑みが広がる。
「リュウさん…………もし、私が生きて帰ってこれたなら、きっと、私をPPPの仲間にして下さいね」
リュウはそれに、目を見開いた。
何も言えず、何も返せずに、立ち尽くすしかなかった。
その目の前で、刻々と作業は進んでいく。
アンナは瓶に口をつけ、中の気体を大きく吸い込んだ。すると、ほんの数秒ほどで体がねじれるようにして折れ曲がり、すぐに小さな、一つの丸い物体へと変換される。
それをケビンが拾い上げると、カルチェ・アービンに取り付けられたはしごを上っていった。天井近くにある、大きな機械の細い蓋部分を開けて、そこから中に転がすようにして入れる。
アンナだったものは、すぐにガラス窓の向こう側でくるくると回り始めた。
ケビンは袖をめくり、腕時計で時間を確認する。
「……ボール人間の耐久性を考えると、二十分が限度だろうな。それ以上は、形状が変わる可能性があって危険だ」
「それじゃあ、二十分経って何の変化もなければ、この機械を破壊する……っていうことでいいな?」
付けていたマスクを取ったリュウは勢いよく、自分の拳を自分の手のひらで受け止めた。
テツはゴクリと唾を飲み込み、クリアクレスは緊張した面持ちを見せる。
たがケビンだけは、顔を引きつらせながらもうなずいた。
「あぁ、いいぜ。……この際、全員で心中と行こうか」
だが、リュウはそれを使わずに飛び降り、井戸の底へと降り立つ。懐中電灯のライトを点け、足下を照らしてみながら、足で軽く土を蹴ってみた。
「水気が全くないな。とても井戸として機能しているようには見えない」
ライトを前方へ向けると、そこでは大穴が口を開けて待っていた。小さなライトでは見通せないほどの暗闇が続いている。
「ビンゴ…………だといいんだけどな」
「おそらく、当たりでござるよ」
リュウが振り返ると、ちょうどアンナをおんぶしたテツが、縄はしごを下り切るところだった。アンナはおっかなびっくりという顔をしていたが、テツは笑顔だ。
腰に両手を当てて胸を張った。
「拙者の勘でござる!」
「勘かよ。……まぁ、調査・潜入部隊の隊長の勘なら、俺のよりは当てになるかな」
再び、ライトを暗闇の奥へと向ける。
リュウとテツはうなずき合うと、その暗い道をひた走り始めた。
想像よりも長かったその道は、しかししばらく走り続けると、やがて遠くに明かりのようなものが見え始めた。
ようやく、目的としていた場所が見つけられたのだと、ほっとしたのも束の間だった。
「何だよ、これ…………」
蛍光灯の明かりが漏れ出る一室。それは井戸の底になどあるはずのない空間で、ここが探し求めていた場所であることがわかる。
けれど、そんな事実が頭の隅に追いやられてしまうほどに、目の前の惨状に言葉を失っていた。
部屋の入口に立ったリュウたちの前には、グロテスクな血の海が広がっていた。それはおびただしいほどの血の量で、一人や、二人の死体から出る血液量を遥かに超えていた。
それらの人間たちが着ていたのであろう白衣などの服だけが、不気味にその海の上で揺れている。
リュウは顔を引きつらせ、アンナは青ざめる。
テツだけは、冷静に目を細めた。
「リーダー殿、あれを」
まだ頭が全然追いつかないままに、リュウはテツの指差す方向を見た。
室内にはいくつもの大型機械が並んでいたが、その中でも、一際大きな紫色の機械が正面の壁に、まるで樹木が根を張るようにしてくっ付いており、ゴウン、ゴウン、と音を立てていた。
「動いているでござるよ」
テツの声は緊張を孕んでいた。
機械の中央が透明なガラス張りになっていて、その中を、まるで洗濯機に転がされる洗濯物のように、肌色の丸い塊が回っている。
「あれは……ボール人間…………か?」
半信半疑でつぶやく。PPPのアジトでモエギによって見せられたものとは、少しだけ様子が違っていた。あれよりも、形がだいぶ歪だった。それに、しわだらけになっているようにも見える。何かが、溶けだしているようにも。
「何かを、搾り取っているのか…………?」
気づけばリュウは一歩、血の海に足を踏み入れていた。申し訳ないような気持ちが芽生えるものの、ここで何が行われているのかを知らなければならない。
リュウはごくりと唾を飲み込み、さらに奥へと足を進める。
後ろからの足音によって、テツも自分のあとをついて来ているのがわかった。
不快な音に足を浸し、唇を噛んで進んだその先で、リュウは手を伸ばし、その大きな機械に触れてみた。ガラス窓の中を覗き込む。
やはりそれは、ボール人間たちだった。近くで確認すれば、ぼやけていても目や鼻や口が付いているのがわかる。
――つまり、これが古代兵器なのか……?
リュウは眉を寄せ、自分の目の前にある機械を不審げに見る。
「カルチェ・アービン…………」
そして聞こえたアンナの小さなつぶやきに、リュウは振り返った。
「アンナ、やっぱりこれが……」
しかし、そう言葉を返しかけたところで、それを遮るようにして大きな声が響き渡った。
「ちょっと、待った―――――――! それに触るな―――――――――!」
ビクンッ、とリュウとアンナ、そしてテツの肩をも大きく揺れる。三人の視線は部屋の入り口に釘付けとなり、そこに立つ男へと注がれた。
リュウは目を白黒させる。
「えっ……びっ、びっくりした。…………ケビン? お前、ハンドリーツには来ないんじゃなかったっけ?」
「うるさい! 俺だって来たくて来たんじゃねぇよ! 大体、妙な頼み事をしてきたのはお前の方だろ⁈」
ケビンはビシッとリュウを指差す。
――まぁ確かに、頼み事はしたけれど……。
部屋の入口に現れたのは、PPP暗号班の班長を務める男、ケビンであった。
リュウはケビンに、とある調査依頼をしていたのだ。
「……カルチェマニーターについては、あらかた調べ終えた。と言っても、俺が調べられる範囲での話だけどな」
「おぉ、調べられたか!」
リュウはその偉業を素直に喜ぶ。
アンナから、知ることは死に直結するのだと教わっていたので、どうなることかと思ったが、ケビンはとりあえず元気そうだった。血の海を見つめる顔色は悪いが、それはおそらくカルチェマニーターとは全く関係ない理由である。
しかし、せっかく来たにも関わらず、ケビンはそこに足を踏み入れることをいつまでも躊躇っていた。足をいざ踏み出そうとするものの、その足はすぐに引っ込んでしまう。
いい加減こちらが痺れを切らしてきたところで、その背後から救世主の手が伸び、一思いにその背中を突き落としてくれた。
怯えていた境界線を、あっさり踏み越えさせたのだ。
「ぎゃ――っ!」
ケビンの叫びをよそに、リュウはケビンの後ろから顔を覗かせた人物に再び、驚く。
「クリア⁈」
第四攻撃部隊隊長のクリアクレスは、リュウに向かって苦笑いで片手を挙げた。
「昨日ぶりね、リュウ。こっちの作戦も上手くいったみたいで安心したわ。……私たちの方も、ついさっき、ここの制圧が完了したところよ。……町の方のハロイン・ファミリーの兵たちが全員ボール人間になっちゃったみたいで、暇になった三部隊も協力してくれたから、それで結果的には助かったわ」
「そうか…………良かった」
リュウは心の底から安堵し、表情を緩める。
町中でも城でも、ハロイン・ファミリーの兵たちは無力化され、幹部たちもこの町から完全に撤退している。これで、実質的にハンドリーツはハロイン・ファミリーから解放されたことになる。
「それで、ユウタの掘った隠し通路から来たケビンを、クリアが護衛役としてここまで案内してくれたんだな」
「えぇ、この場所については庭にいたソングから聞いたわ」
「おい! お前ら、俺のことを完全に忘れてないか⁈ こっからどうしたらいいんだよ⁈」
ケビンは恐ろしい地帯へ足を踏み入れられたものの、そこから先に進めなくなったらしく、両手を挙げたまま固まっていた。
リュウはそれに呆れつつ、ケビンを迎えに行ってやる。仕方なくその腕を引っ張ってやっている間も、ケビンはぶつくさと文句を言っていた。
「全く、マホたちに遅れてせっかく来てやったっていうのに、何なんだよ、この扱いは……。クリアさんもちょっと酷くないか⁈ こんなところに突き落とすなんて!」
「あはは……ごめんなさい。……ちょっと、時間がかかりそうなものでしたから、つい」
クリアクレスが両手を合わせ、控えめに笑って謝ると、途端にケビンは何も言わなくなった。
――美人に弱いからなぁ……。
とにかくも、ケビンを機械の前に立たせられたことで、ようやく本題に入ることができた。
ケビンはガラス窓の中をよく覗き込み、眉をひそめる。
「……動いてる。まずいな」
ケビンは周囲に視線を走らせ、機械の脇にあるコントロールパネルを発見すると、それをいじり出した。さっきまでのおちゃらけた雰囲気は嘘のように引っ込み、深刻そうな顔をして、目の前の暗号のような数字と文字の並ぶ画面を見つめている。そうしながら、話し始めたのだった。
「……調べるのにはかなり苦労したんだ。なんせ、ウォッグ族の人間自らが残した資料はこの世に存在していないらしくて、それ以外から情報をかき集める必要があったからな。……実際にその兵器が使用された千年前の悲劇を目にして、その後それを調査することに人生を費やした男の手記を読んだのが、一番ためになったかな」
「千年…………えぇっ⁈」
そのあまりにも遠い過去の資料に、驚愕するしかない。
ケビンはしかし、淡々と報告を続けた。
「カルチェマニーターは恐ろしい兵器だった。人の姿をボールのような肉塊に変えてしまう、気体の兵器、カルチェ・ジェム。そしてそのボール人間をエネルギーに変えて、破壊行為を行うことのできる機械の兵器、カルチェ・アービン。……その両方が、カルチェマニーターという一冊の本から作り出せるらしい」
ケビンは不気味な大型機械を見上げ、苦々しくそうつぶやく。
大体はリュウが以前、アンナから聞いた話と同じだった。しかし――。
「……お前は、それだけのことを知っても平気なのか? その、知ることは危険だって話を聞いていたんだけど……」
今さらになって少し、心配になった。
「これぐらいのことを知っても、死んだりすることはねぇよ。……けれどどうやら、この二つの兵器を作るその過程では、人が死んでしまうみたいだ。作り方を詳しく知り、動かし方を詳しく知り、それを実行に移す時、脳が破裂するらしい」
「うぇっ……破裂…………」
リュウはぞっとしながら、足下の血の海を見下ろした。
「……この様子だと、脳だけじゃなく体ごと破裂している感じだけどな。まぁ、所詮は大昔の調査資料だから仕方がないか。……けれどとにかく、今の俺みたいによくわからずに機械をいじってる分には、何の問題もないってことだ」
ケビンはげんなりとした顔をしながら、手を動かし続けていた。
――っていうかそれ、よくわからずに動かしてるのか……。まぁ、この中で一番機械に強いのはこいつで間違いないから、別にいいんだけどさ……。
ケビンはなおも機械をいじくりながら、話を続けた。
「……何かを知ることによって、人が死ぬなんてことは、本来ならありえない。……だから、現実的に考えるとするのなら、脳の記憶容量の限界を超えたことによる死……っていうことになるのかもな。……普通なら、そんなことも起こらないはずなんだけど」
「脳の? でも、ウォッグ族は……」
「おそらく、ウォッグ族だけが特別なんだ。特殊な脳の作りをしていて、この兵器の全てを知っていても、死ぬことがない」
――言われてみれば、耳がいいだとか、記憶力がいいだとか、その時点で普通の人間とは少し違っている。見たもの、聞いたものを絶対に忘れないということは、人より多くのことを記憶できるということだ。
「人の頭は優秀じゃないから、普通ならそんなに都合よく何でもかんでも覚えていることはできないんだ。提示された全ての情報を、紙から写し取るように綺麗に頭に入れるなんてことは、本来なら不可能だ。でもだからこそ、人の脳はパンクを起こすこともない。ちゃんと取捨選択するようにできているからな。……けれどもし、強制的に人の脳内に入り込める情報体があるのだとしたら、それが脳をパンクさせるほどの情報量を有しているのだとすれば…………もう、想像もできないな。本を一冊、二冊、なんて量じゃないんだろう。何億冊という本の情報を頭に叩き込むようなものだ」
「億……」
確かにそれは、途方もない数字だった。
リュウたちはしばらく、手伝うこともできずにケビンの作業を見守っていた。
だがやがて、険しい表情を浮かべたケビンの手は止まってしまった。
「……ダメだ」
「ケビン、ダメって何が……」
リュウが尋ねると、ケビンは顔を歪めてつぶやいた。
「……言っただろ。俺は簡単にしかこの兵器のことをわかってないんだ。兵器の使用を解除しようにも、その方法がわからない。どれほど機械の内側を探ってみても、そんな方法が一つも出てこない。……初めから、そんな方法は用意されていなかったと考えるのが、妥当なのかもしれない」
「そんな……!」
そう声を上げたのはアンナだった。テツの背中から急いで飛び降りると、コントロールパネルの前へと駆け寄る。だが、そこに並べられた複雑なボタンを前にして、手を付けることもできずに立ち竦んだ。
それはとても、機械をろくに触ったこともないような少女が手の出せる代物ではなかった。
気の毒そうにアンナを見ていたケビンだったが、そこに、リュウはさらに質問を重ねた。
「ケビン、カルチェ・アービンが発動するまでにはどのくらいの時間がある?」
「……わからない。調べても、どこからもそんな情報は出てこなかった。……でも、このボール人間たちがこの兵器を動かすためのエネルギーなのだとしたら…………この人たちが溶け切るまで……あと一時間、あるかないかっていうところだと思う」
ケビンは難しい顔で、機械の中で回り続けているボール人間たちを見やる。
状況は悪く、打つべき手も見えてこない。それでもリュウはまず、現状の把握に努めた。
「発動した場合の被害範囲はどのぐらいになると思う?」
「男の手記によれば、大体町一つを破壊できるぐらいの威力の大爆発が起こるらしい。具体的には書かれていなかったから確かではないけれど、おそらく被害はハンドリーツ全域にまで及ぶだろう……」
悪い情報ばかりが開示されていく中で、ぱちゃんと、水音が響いた。
アンナが、崩れ落ちるようにして血だまりに座り込んでいた。
「私の……せいだ…………」
アンナの頬を、透明な雫が一筋、伝って落ちる。
「私が……兵器をあんな人たちに渡しちゃったから………………私が……ちゃんと考えもせずに、あんな人たちに話しちゃったから…………」
アンナの頬を、次々に涙の雫がこぼれ落ちていく。
ケビンも、テツも、クリアクレスも、そんなアンナに、何の言葉もかけられずに押し黙る。
けれどリュウだけは、アンナのその細い肩を叩いた。顔を上げたアンナに、力強い言葉をかける。
「アンナ、まだ諦めるなよ。……俺は、まだ諦めない」
アンナの瞳が大きく見開かれる。
「諦めないって…………どうするつもりだよ」
ケビンは怪訝な顔をした。
リュウは軽く笑みを浮かべ、腕まくりをした。
「こんなもん、所詮はただの機械だろ。止められないなら、壊してしまえばいいんだ」
ケビンはリュウのその決断に、卒倒しかけた。
「……アホか―――――――――――――!」
テツはすかさず、後ろからリュウのことを羽交い絞めにする。
「えっ、なっ、何?」
「リーダー殿、それはさすがにまずいでござる……」
暗い顔のテツを不思議そうに見るリュウに、ケビンは頭痛がするように自分の額を指で押さえた。
「リュウ…………あのなぁ、こういうデリケートな機械は、壊せばそれでいいってわけじゃないんだよ。いつ、何をきっかけに大爆発を起こすかわからないんだ。お前が一発、パンチを食らわせただけでドカンかもしれない。そんなことになればな、俺たちに逃げてる時間はないんだよ」
「だったら俺が一人でやってみるから、お前らは避難してろよ」
背の高いテツに羽交い絞めにされ、リュウは足が床に着かないまま、冷静に返す。
それに、ケビンの怒りは爆発した。
「あのなぁ! この町に今、どれだけのボール人間がいると思ってるんだ⁈ 敵の兵隊だけじゃなくて、町の住人も観光客も、みんなボール人間になってるんだぞ⁈ そんな人たちを全員、短時間で移動させられるとでも思うのか⁈ だい、たい! 自分が犠牲になればそれで済むんじゃないかって考えてる思考が気に食わん!」
ケビンはそう言って、リュウの額にデコピンを食らわせた。
「あいたっ……!」
リュウは額をおさえ、拗ねたような顔をする。
「だったら、どうするんだよ……?」
「それを今、全員で考えるんだよ! 一人で先走るな!」
再び、ケビンに怒鳴られてしまう。
リュウはさらに渋い顔になったが、そこに、場違いな笑い声が響いた。
「フッ、フフフ……」
アンナが涙を拭いながら、笑っていた。
リュウもケビンも、途端に黙り込む。
そしてみんなの視線が自分に集中していることに気づくと、アンナはハッとして顔を赤らめた。
「すっ、すみません……! こんな時に笑ってしまって……」
「……いや、別にいいんだけど、どうした?」
まだ宙ぶらりんのままのリュウが、格好つかないままに尋ねる。
「いえ、その……こんな時なのに、皆さん明るいなって…………。誰も、諦めてはいないんだな……って」
アンナは恥ずかしそうに、目線を下へとやりながら話した。
リュウは頬をかく。
「そりゃ、まぁ……」
諦めてはいなかった。ハンドリーツに入り、町の現状を知り、ハロイン・ファミリーの幹部たちを下し、ようやく、兵器を止められるあと一歩というところまできているのだ。
こんなところで、諦められるはずがない。
と、ここで、クリアクレスが両手を広げ、大仰にため息を吐き出した。
「アンナちゃん。PPPのみんなが、こんなに騒がしい人たちばかりだとは思わないでね? こんなに騒がしくするのは、精神年齢の低い男の子たちだけよ」
「えっ、ひどくない?」
急なディスりだった。
「まさか、それ、俺も入ってるのか?」
ケビンは不本意だという顔をする。
「まさか、拙者も入っているのでござろうか……」
テツは困惑していた。
「フッ、フフフフ……」
そしてアンナは、またもや笑っていた。
「あっ、すみません。……でもやっぱり、PPPって楽しい人たちばっかりなんですね」
やわらかく笑って、そんなことを言う。そして、小さな声で続けた。
「私も…………大切なことを思い出しました」
アンナはゆっくりと、血だまりの中から立ち上がる。
「……大切なのは、希望……ですよね。リュウさんが、私にそう教えてくれたんですから」
「…………アンナ?」
その様子に、リュウは異様なものを感じていた。
アンナは震える手で、自分の胸を叩いた。一度唇を噛んで、前を向いた。
「カルチェ・アービンは私が止めてみせます」
「えっ…………えぇっ⁈」
素っ頓狂な声を上げるリュウ。
同じように、テツとクリアクレスも驚きを隠せなかった。
ケビンはややのけ反りつつ、両目を見開く。
「そっ、そんなこと、どうやって………………あっ、こいつみたいに壊すとかいうバカな発想はなしだぞ!」
「……おい」
ケビンは思いっ切り、リュウを指差していた。
アンナはしかし、首を横に振る。
「いいえ、私にそんな力はありませんし、機械に強いケビンさんでも解除できないのなら……きっと、そういう方法ではダメなんだと思います」
リュウはようやくテツの腕を振り払い、地面に着地した。着衣を整えながらアンナに、真剣に尋ねる。
「アンナ、お前なら…………ウォッグ族の人間なら、この兵器を止められるのか?」
「それは…………わかりません。けれど、もう可能性があるとしたら、私しかいないんだと思います」
リュウは、アンナの瞳を真っ直ぐに見つめた。
その目はもう、迷ってはいなかった。弱々しい少女のものではなかった。
助けをただ、待つだけの人間のものでもなかった。
リュウはその決意に、自分でも意外に思えるほど戸惑った。己が救おうと決めた少女が、今度は逆に、自分たちを助けようとしている。そのことに、心が変に納得しなかった。
――そんなの、危険なんじゃないのか……? アンナはPPPの人間じゃない。一般人なのに、そんなことをさせてもいいものなのか? ……でも、それで兵器が止められるのなら……いや、でも、誰かを犠牲にするような方法はやっぱり、いいわけが……。
頭の中であれこれと考えていった結果、リュウはぶすっとした顔付きになる。
それでも、納得していなくても、アンナに向き直った。
「……で、その方法は?」
「はい……まず、私自身がボール人間になって、この機械の中に入り、そして内側から……」
「却下」
「えっ……えぇ――っ⁈」
今度はアンナが大きく目を見開き、秒で反対されたことに本気で驚く。
だがもちろん、反対の意思を示したのはリュウだけではなかった。
「却下だな」
「却下ね」
「それはその、さすがに危険過ぎるでござるよ……」
ケビンもクリアクレスも深くうなずき、テツも、言葉を濁しながらも同意はしなかった。
アンナは慌てた様子で、さらに言葉を続ける。
「でっ、でも、これしか方法が……!」
「いや、そもそもそれで上手くいく保証なんてどこにもないわけだし」
やれやれと、リュウは頭をかく。やはり一般人のアンナが出した案は現実的ではないと、取り下げることができたことに内心ほっとする。
けれど、怯んだかに思えたアンナの瞳にはまだ、強い光が宿っていた。
リュウはそれを認めた瞬間、ドキリとした。
嫌な予感に。
「リュウさん…………上手くいく保証なんて、どんな手段を選んだって、きっとないはずです。今はそれよりも、小さくても、上手くいく可能性に懸けるべきなんじゃないでしょうか? ……私はやれます。思い出したんです。祖父が以前、言っていました。カルチェマニーターの鍵になるのは“理解”と“希望”だって。私には今、その二つがあります。だからできます。……だから、リュウさん!」
アンナは必死に叫ぶ。
リュウは顔を歪めた。
――なんで……そこまで…………。
アンナが握り締め合っている両手は震えていた。
――ビビってるくせに。本当は、怖いくせに。
それでもアンナは不格好に笑ってみせた。
「“希望”は、リュウさんが私にくれたんです。……だから、もう大丈夫なんです」
攻撃部隊顔負けの覚悟を、アンナはすでに決めていた。
リュウは目をつぶり、頭を乱暴にかく。それから、ケビンに声を飛ばした。
「ケビン、モエギの作っていたボール人間の特効薬は?」
「一応、完成はしたらしいけど…………って、お前、まさか……⁈」
何かを言おうとしたケビンを手で遮り、今度はテツに話しかける。
「テツ、そこにカルチェ・ジェムはあるか?」
「えーっと…………あぁ、これでござる。あったでござるよ、リーダー殿! ……て、まさか、リーダー殿……」
周囲のガラクタをあさり、ご丁寧にカルチェ・ジェムと書かれた瓶を見つけ出してきたテツは、最終的に顔を曇らせた。
「その、まさかだよ」
リュウはテツから奪うようにして取り上げたカルチェ・ジェムの瓶を、そのままアンナに突き出した。
「こっちが危ないと判断したら、どんな状態でも中断させる。それでも構わないのなら、この方法を試してみよう。……それでいいか? アンナ」
真っ直ぐ向けられた眼差しに、リュウの心からの言葉に、アンナは瞳に涙を溜めながらも、嬉しそうに微笑んだ。
「はい!」
仕方なく、渋々という様子で準備を始めたケビンとテツを尻目に、リュウは機械に寄りかかり、深々とため息を吐き出していた。
「良かったの? 行かせることにして」
その隣に、クリアクレスが現れる。
リュウは渋い顔をした。
「……仕方ないだろ。今は最善を尽くすしかないんだ。打てる手があるなら、打つしかない。…………俺よりもよっぽど、アンナの方がそのことをわかっていた」
不思議そうにリュウの顔を覗き込んでいたクリアクレスだったが、フッと小さく笑みを浮かべた。
「何?」
リュウはその表情に、不機嫌そうに返す。
「あぁ、ごめん。……リュウも、普通の十六歳の男の子なんだなぁって思って」
「元より十六歳の男の子ですが?」
「いや、そういう意味じゃなくて…………まぁ、わからないならいいわ」
クリアクレスは手を振る。その表情は苦笑いに変わっていた。
「?」
最後までクリアクレスの言葉の意味はわからなかったが、その時はすぐにやってきた。
ケビンに紙製簡易ガスマスクを手渡されて、またこれかと思う。カルチェ・ジェムの効果がアンナ以外には及ばないよう、念のためにガスマスクを付けるのだ。
そのマスクを口に付けようとした時、アンナはリュウのことを振り返った。
その顔に、満面の笑みが広がる。
「リュウさん…………もし、私が生きて帰ってこれたなら、きっと、私をPPPの仲間にして下さいね」
リュウはそれに、目を見開いた。
何も言えず、何も返せずに、立ち尽くすしかなかった。
その目の前で、刻々と作業は進んでいく。
アンナは瓶に口をつけ、中の気体を大きく吸い込んだ。すると、ほんの数秒ほどで体がねじれるようにして折れ曲がり、すぐに小さな、一つの丸い物体へと変換される。
それをケビンが拾い上げると、カルチェ・アービンに取り付けられたはしごを上っていった。天井近くにある、大きな機械の細い蓋部分を開けて、そこから中に転がすようにして入れる。
アンナだったものは、すぐにガラス窓の向こう側でくるくると回り始めた。
ケビンは袖をめくり、腕時計で時間を確認する。
「……ボール人間の耐久性を考えると、二十分が限度だろうな。それ以上は、形状が変わる可能性があって危険だ」
「それじゃあ、二十分経って何の変化もなければ、この機械を破壊する……っていうことでいいな?」
付けていたマスクを取ったリュウは勢いよく、自分の拳を自分の手のひらで受け止めた。
テツはゴクリと唾を飲み込み、クリアクレスは緊張した面持ちを見せる。
たがケビンだけは、顔を引きつらせながらもうなずいた。
「あぁ、いいぜ。……この際、全員で心中と行こうか」
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