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第一章 ハンドリーツ編
2.隊長班長会議(リュウサイド)
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アンナが目を覚ました翌日、PPPでは隊長班長会議が行われた。
PPPには五つの攻撃部隊と四つの頭脳班があり、それぞれに選ばれた隊長や班長たちによって、隊や班がまとめられている。
その隊長や班長が一同に集まり行われる、月に一度の会議こそが隊長班長会議だった。
会議室の最奥の席にリュウが座り、そこを中心として、左側には攻撃部隊の隊長たちが、右側には頭脳班の班長たちが並ぶ。生憎、第一攻撃部隊の隊長は長期任務のため欠席しているが、それ以外の人間は全員が出席していた。
この場に十一人全員が揃うと、リュウは立ち上がり、みんなの顔を眺めながら口を開いた。
「さて、全員が集まったところで、隊長班長会議を始めたいと思う。今回、主に話し合う内容は、スティマール第三都市のハンドリーツについてだ」
そう言ってリュウは、ケビンが製作した地図を机の上に広げた。みんなの視線も、自然とその地図に集まる。それは机いっぱいに広がるほど大きな、スティマール南東部の地図だった。
リュウはその地図上の一つの印を指差す。
「みんなももう知っているとは思うが、先日、俺とモエギが助けたアンナという少女はここ、ウォッグ村の人間だった」
全ては、大きな勘違いだったのだ。
リュウとモエギはアンナを、倒れていたソラルミ村の住人だと思い込んでいた。だが実際は、ソラルミ村から四十キロも離れたウォッグ村の住人で、そこから歩いてソラルミ村に来ていたのだ。新兵器の実験によって住人の消されていたソラルミ村とは、全くの無関係だった。
「……犠牲になった他の五つの村では新兵器が使われている。それなのになぜか、このウォッグ村でだけはその新兵器が使われていない。アンナの話によれば、ハロイン・ファミリーがこの村に直接やって来て、村人たちを強制的に連行して行ったらしい。……まだ不明な点が多過ぎるけれど、まずはその辺りについて、ケビンの解説を聞こうか。ケビン、いいか?」
リュウが座るのと入れ替わりに、暗号班の班長であるケビンが立ち上がった。
二十九歳のスティマール人(白色人種)である、ケビン率いる暗号班は一応、PPPの仲間内で使う暗号を考えたり、敵の暗号を解読するためにある班だった。だが、そんなに暗号の仕事は多くあるわけではないので、他にもたくさんの仕事を抱えている班だった。暗号を解くためには半端じゃない知識が必要となるため、頭がとても良く、地図を作成したり、調べものをしてくれたりもするので、今ではもはや何でも屋のようになっている。
ケビンはポケットから短い銀色の棒を取り出すと、それを長く引き伸ばした。
「えー、では、暗号班から話をさせてもらいます。まず、ここがそのアンナが住んでいたという、ウォッグ族のウォッグ村だ。そしてそれ以外のソラルミ村、ヘリー村、リップ村、チャップ村、クッグ村になる。今回犠牲に遭った村は六つとも、スティマールの南東部。しかもこの六つの村の中心には、スティマール第三の都市であるハンドリーツがあるんだ」
ケビンは地図の中心部を指し示した。
「ウォッグ村の特例については謎なままだが、他の村では新兵器の実験が行われている。地理的状況から考えれば、その実験の拠点とされているのはこのハンドリーツだ。その新兵器も、ここにある可能性が高いと俺は考えている」
ケビンの見解に、リュウもうなずいた。
「そうだな。…………で、村の状況の方は?」
リュウが問いかけると、ケビンはすぐに脇に置いていた透明なファイルの中から、数枚の写真を取り出す。
「リュウが見てきたソラルミ村と、他の四つの村は大して変わらない。どこもかしこも何かしらの兵器を使った形跡があるのに、建物には全く何の被害も出ていない。それなのに、人の姿だけが魔法のように消えているんだ。村ごと全て燃やされたのは、アンナのいたウォッグ村だけだった」
リュウは机の上に並べられた写真を一枚、手に取った。
白い雪の上にはっきりと記された、何か大きな物が乗せてあったであろう車輪の跡。そして写真には写っていないが、何よりもの証拠は、モエギが直接現場に赴いてまで調べた、特殊な化学兵器を使用したあとに空気中に残るという残留薬臭だ。人の目や鼻では感じられないそれを、他でもないモエギが検出したのだから、間違いはない。
――新兵器は確かに存在する。のだが……。
「この車輪の跡とかは、ウォッグ村にはなかったのか?」
「いや、あるにはあった。……ただ、アンナの話が正しければ、ウォッグ村にあったのはウォッグ族の人たちを連れて行く時に、その人たちを乗せた車の跡だ」
「ケビン、ウォッグ族については?」
リュウがまた問いかけると、ケビンはすでに手元に用意していた分厚い本を机に置いた。ホコリを撒き散らしながら、ふせんを貼っていたページを開けて説明する。
「細かい歴史的背景は省くけど、書物として残っているのは約八百年前からだ」
「おぉ、さすがに古いな」
「今と変わらず昔から、主に農業や狩りによって生計を立ててきた民族だ。ハロイン・ファミリーとの表立った諍いはなかったけれど、ハロイン・ファミリーに毎月のように支払っていた高い年貢には、やっぱり不満があったようだ。サリリア大戦の際には率先して参戦している。でも、割かし早い段階で敗れてるみたいだ」
「つまり、ハロイン・ファミリーに嫌われるだけの理由はあったんだな」
「サリリア大戦の時に、ハロイン・ファミリーとはどこの民族も揉めてるんだから、そんなもんはスティマールの少数民族ならどこでも多少なりともあるもんだよ」
ウォッグ族だけが、ハロイン・ファミリーから特別に嫌われていたわけではない。だとすればやはり、ウォッグ村でだけハロイン・ファミリーの動きが違うことは不可解な話だった。
それを踏まえたうえで、リュウは顔を右隣に向ける。
「じゃあ、次は頭脳班の特別責任者であるモエギに話してもらおうか。モエギ、頼む」
ケビンが席に座ると、代わりにモエギ(十六歳のユイニー人)が資料を手にして立ち上がった。
特別責任者とは、要は頭脳班のトップだ。モエギは天才的な頭脳と聖母のような優しさによって頭脳班をまとめ上げる、頭脳班の人間にとっては教祖様にすら近しい存在だった。
「今回、六つの村を調べる中で、新兵器がどういったものなのかという手掛かりは、何も発見することができませんでした。……けれどつい先ほど、薬剤班のアーロンさんがそれにつながる唯一の物質を、持ち帰ってくれたんです」
「はっ? ……えぇっ⁈」
リュウは驚きのあまり、大きな声を上げた。
そしてそれに驚いたのはリュウだけではなく、会議室のあちこちから困惑の声が上がる。
モエギはリュウと目が合うと、申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「ごめんね。知らせるだけの時間がなくて……」
「いや、別にそれはいいんだけど……」
――アーロンが発見? アーロンって、誰だっけ……。
組織内の人間の名前を忘れるという、トップとしてあるまじきことを考えていたリュウの目に、ふいに、モエギの悲しげな横顔が映った。
――ん? ……モエギ?
モエギは目を伏せ、暗い顔でつぶやいた。
「フランクさん、例のあれを出して下さい」
そんなモエギとは対照的に、薬剤班の班長フランク(七十歳のスティマール人)は、どこか楽しげにヒヒヒと笑い、着ている白衣の内ポケットから、そのしわくちゃの手のひらにちょうど乗るくらいの大きさのボールを取り出し、机の上に置いた。
リュウは眉をひそめる。
それは何というのか、気味の悪いボールだった。でこぼこしていて、肌色と赤と黄色とがぐちゃぐちゃに混ぜられたような、グロテスクな見た目をしている。
それだけでなんとなく、嫌な予感がしていた。
「モエギ…………これは?」
そしてその予感は当たってしまう。モエギは一度唇を噛んでから、ゆっくりと息を吐く。
その目は、訴えかけるようにリュウを見ていた。
「これは人間よ」
その言葉を聞いた瞬間、背筋に悪寒が走った。
部屋の中はしんと静まり返る。ケビンの顔が、緊張で引きつるのが見えた。そんな中で一人、モエギは言葉を紡いでいた。
「これが、アーロンさんの持ち帰ってくれた唯一の手掛かりです。クッグ村の外れに、この一つだけが残されていたそうです。…………おそらく、ハロイン・ファミリーは新兵器によって人間をこの姿に変え、持ち帰っていたんです。これなら建物が破壊されることはなく、人間だけを簡単に回収することができます。だから、アーロンさんの拾ったこれは、敵が落としていったもの……ということになるのだと思います」
――……人間をこんな姿に変えるなんて、どうかしている。ハロイン・ファミリーの奴らは一体、何を企んでいるんだ?
リュウは険しい表情を浮かべた。
攻撃部隊の隊長の中で、唯一の女性であるクリアクレスは言い出しづらそうにしながらも、手を挙げる。二十四歳のサラサ人(黒色人種)である彼女は、その美貌と魅惑的な体形で組織内での男性人気が高いが、何よりも人命救助を専門とする第四攻撃部隊の隊長を任されるほどの優しさが、男女両方から支持を得ていた。
「モエギちゃん、その人は…………その、生きているの?」
クリアクレスの質問に、モエギは首を横に振った。
「今の段階ではどうとも……。こんな状態では食事や水分を摂取することができないので、点滴を施してはみたものの、これが有効な手段であると断定することはできません。……それに、村が襲撃に遭ってから昨日で約八日です。すでに凍死していても、餓死していても、何らおかしくはないと思います」
モエギの話す、ボール状になってしまった人間の現状は絶望的だった。この人に栄養を与え続けることは構わないが、それに効果がある保障はない。元に戻る方法も、モエギには見つけられなかったのだろう。
そんな方法があれば、モエギはとっくに実行しているはずなのだから。
リュウはため息を飲み込んで、モエギに話しかけた。
「モエギ、お前はそのボール状の人間…………簡単に言えば、ボール人間か。とにかくそのボール人間を、ハロイン・ファミリーはどこに運んだんだと思う?」
間髪入れずにモエギは即答した。
「ハンドリーツ城」
リュウは目を細める。
驚きはしなかった。それはある程度、予測できていた答えだからだ。六つの村の中心に位置するスティマール第三の都市ハンドリーツ。そのハンドリーツの中には、ハロイン・ファミリーの幹部が複数人住まう、ハンドリーツ城がある。
モエギが席に着くのと同時に、入れ替わるようにしてリュウは再び立ち上がった。
「さて、ここで話を初めに戻そうか。明らかに怪しいこのハンドリーツのハンドリーツ城に、俺は村人たちを助けに行こうと思う。そしてそのついでに、ハンドリーツ城を乗っ取り、ハンドリーツをハロイン・ファミリーの手から解放したいと考えている」
誰かの反対意見が上がる前に、リュウはダンッ、と机を両手で叩いて高らかに宣言する。
「まず、そのハンドリーツに攻め入る前に、先立って事前調査を行いたいと思う。この、俺自身が!」
リュウは己の胸を力強く叩いた。
しかしすぐ、背後に立っていた秘書のアサイチ(十六歳のユイニー人)によって、思い切りファイルで頭をはたかれる。
「痛いっ!」
「寝言は寝て言え、バカ! 総リーダーのお前がそんな易々と敵地に乗り込むな!」
誰よりも早く、アサイチは猛反対した。しかし顔を上げてみれば、ここに集まっているほとんど全員の顔が、一様に暗かった。どうやらみんな、アサイチと同意見のようだ。
「リーダー殿、潜入調査であれば、拙者の部隊が出るでござるよ。少なくともまだ、これはリーダー殿がわざわざ出向くほどの案件ではないでござる」
そう言ったのは、調査・潜入を専門とする部隊、第二攻撃部隊隊長のテツ(三十三歳のユイニー人)だった。常日頃から目元以外を隠す黒い忍者装束に身を包み、口調も忍者を強く意識している彼は、PPP内では忍者コスプレイヤーとして有名だった。
リュウはだが、首を横に振る。
「いや、テツたち二部隊にはしばらく休養を取ってもらいたい。このあいだのスティマール国境であったハロイン・ファミリーとの戦闘から、まだ一週間も経っていないからな。……二部隊の怪我人もまだ回復していないみたいだし」
「しかし、それならばリーダー殿も……」
「俺は平気だよ。体は丈夫な方だし、そもそもそんなに怪我は負ってないしな。ハンドリーツに行って、ちょっと調査するぐらいなら簡単だよ」
「自分が行く前提で話を進めるなよ」
と、後ろからファイルの角で頭を攻撃してくるアサイチ。
――だから、痛いって。
だがここで、机の一番端に座っている第五攻撃部隊隊長のソングが、わざとらしいほど大きなため息を吐き出した。
二十歳のユイニー人であるソングは、PPPの中では最も手厳しい人間として知られている。
「リュウ、あんたのそれは、単に自分が行きたいだけのわがままだろ? 今までならともかく、大きな戦争を仕掛けられるだけの戦力を得てきた今、ガキみたいなくだらない理由で行動せず、総リーダーとしてここに居座り、このアジトを守るべきなんじゃないのか? 大国スティマールに戦争を仕掛けるんだろ? だったら、もっと冷静な行動を取るべきだろう」
鋭い眼差しでそう語るソングに、リュウもさすがに言葉に詰まった。
ソングの言うことは、正論であるうえに容赦がない。
すぐには反論が出てこないリュウに、しかし、意外な方向から助け船はやって来た。
「別にいいんじゃないのか? 俺は、リュウがハンドリーツに行こうが行かまいが、正直どうでもいいけどな」
第三攻撃部隊を率いる、隊長のユウタだった。ユイニー人であり、リュウやアサイチ、モエギとは同い年の幼馴染みであるユウタは、自由人で問題行動の多い人物でもあった。トレードマークのゴーグルを頭に付け、今も行儀悪く足を机に乗せている。とても他人を助けてくれるような人間の態度ではない。だからおそらく、本人は思ったことを言っただけであり、リュウを助けるつもりなど毛頭ないのであった。
「バカなガキは黙ってろよ」
ソングは不機嫌そうにぼそっとつぶやく。
そしてその声はもちろん、ユウタの耳にも届いていた。
「は? 何? お前、俺にけんかを売ってるわけ?」
「こんな安っぽい挑発に乗るなんて、あんたは本当に頭の中がすっからかんなんだな。バカなんじゃないのか?」
「はぁ⁈ 言ったな。聞いたからな。上等じゃねぇかよ、表へ出ろ!」
「ちょっと、やめなさいよ、二人とも! わざわざここにけんかをしに来たわけじゃないでしょ⁈」
くだらないけんかを繰り広げようとしていたユウタとソングを、二人よりも年上のクリアクレスが止める。座席的に二人に挟まれているので、仕方がない部分もあった。
――しかし、ソングよ。言ってることは間違ってないんだろうけれど、お前がガキみたいにけんかをしてどうする……。
リュウはコホンと、一つ咳払いをした。
「……まぁ、ソングの言い分は的を射ていると思う。……でも、これはあくまで俺たちがこれから始める戦いの、ほんの一戦目に過ぎないんだ。これから先、何年続くかもわからない、どれだけの犠牲を強いられるかもわからない、そんな戦いに俺たちは身を投じていくんだ。だからこそ布石として、俺はハンドリーツに行きたいんだよ」
リュウはこの場にいる全員を見回し、言葉を続ける。
「スティマールの都市はどこも同じような形式で作られている。だからこれは今回だけの話じゃなくて、そのさらに奥に位置している軍事拠点の第二都市タカーズバック。そしてハロイン・ファミリーの本拠地であり、ハロイン・ファミリーの幹部のほとんどが住まう、第一都市メガグノード。この二つの都市での戦争に臨むためにも、俺はハンドリーツを見ておく必要があると思う。総リーダーとして、最高責任者として、俺は言ってんだよ」
みんなの真剣な視線も全て、リュウに向いていた。
――そうだ、誰もふざけてなどいない。全員、俺自らが任命した隊長や班長たちだ。バカでも、頭の中がからっぽなわけでもない。全員がそれぞれ、自分の頭で考えて結論を出すだけの能力を、きちんと持っている。
だからこそ、わかってもらいたかった。これは、歴史を変える一戦になるのだと。
――この戦いを勝利に導けるのは、俺だけなんだ。
リュウの、己自身の強さに対する絶対的な自信は、揺らぐことがなかった。
そして攻撃部隊の人間なら、リュウの強さはよく理解している。よって攻撃部隊の隊長たちは、それぞれに思うところはあるにしろ、沈黙を選択した。
場の空気は完全に、リュウに味方していた。
このまま意見が通りそうだと、リュウ本人も確信しかけたところで、しかし、ある人物が手を挙げたことで、問題は全く別ものへとすり替わる。
「リュウ、私も一緒にハンドリーツに連れて行って」
リュウはその人物を見て、ギョッとする。
まさか、ここで意見してくるとは思ってもみなかった。
その人物、モエギが急に立ち上がったことで、会議室は震撼する。
「「「えぇ――――――――⁈」」」
医療班の班長であるヴィンセントを除く、頭脳班の三人の声が重なる。
それからワンテンポ遅れて、アサイチが机を両手で大きく叩いた。
「ダッ、ダメだ! ダメに決まってるだろ⁈ 危険過ぎる!」
明らかに、リュウの時とは違う必死さでモエギを止めにかかった。
――……まぁ、その辺の砂漠に放り出しても一週間や二週間なら平気でサバイバルできる俺と違って、モエギはデリケートにできてるからな。何の戦闘能力もないし、どんな劣悪な環境でも平気で生活できるほど、神経の太い人間でもないだろう。
「……モエギさんのことですから、私などでは到底思い至らぬほどの深いお考えがあるのでしょうけれど、今回ばかりは賛成しかねますね。ハンドリーツは表向き平和な都市だとしても、敵地です。モエギさんにもしものことがあれば、私はこれから誰を師事すれば良いのですか?」
冷静に、丁寧にそう伝えたのはヴィンセントだった。大声こそ上げなくても、彼は立派なモエギ信者だ。
そしてそれは、頭脳班の他の人間も同じだった。
「そうだよ、モエギちゃん! モエギちゃんに何かあったら大変だよ!」
何がどう大変なのか、具体性にかける発言をしたのは、モエギの親友であり、兵器班の班長も務めるマホ(十六歳のユイニー人)だ。白衣を着た眼鏡少女のマホは、今にも泣き出さんばかりに、隣のモエギの腕にギューッと抱きつく。
「一緒に行くのがいくらリュウ君とは言っても心配だよー! リュウ君ってちょっと抜けてるところがあるんだもん!」
「そっ、そうじゃ! こんな小汚い小僧にモエギ様を守れるわけがない!」
リュウを指差し、そう賛同したのは、一番の信者であるフランクだった。
「うるせぇよ」
――途中から、ただの俺への悪口になってるじゃねぇか。
とはいえリュウ的にも、モエギを連れて行くことはできれば避けたいプランだった。足手まといになるというマイナス面以上に、もしモエギに何かあれば本当に、この組織自体が瓦解してしまいかねないという危険性がある。
それほどまでに、PPP内でのモエギの存在感は大きかった。
モエギが怪我をする可能性は、リュウがそばにいれば低いはずだが、それでもこの間の村とはわけが違う。ハンドリーツはハロイン・ファミリーの住まう町なのだ。戦闘になった場合、敵が強いうえに複数だった場合、百パーセントモエギを守り抜ける自信があるとは、リュウであっても言えなかった。
リュウは散々頭の中で迷った挙句、渋い顔でモエギにこう言い聞かせた。
「なぁ、モエギ。その…………言い辛くはあるんだけど、それはさすがに俺もどうかと思うぞ。……モエギのことだからもちろん、調査とかそういうことがしたいんだろうけど、やっぱり危険過ぎると思う。お前にもしものことがあった場合、お前の抜けた穴を補えるほど優秀な人間は、今のところいないんだからさ」
責任感の強いモエギなら、こう言えば引いてくれると思ったのだ。
ただ、リュウの言い方がまずかったようで、優秀な人間が他にいない? という感じで頭脳班の人間にはめちゃくちゃ睨まれることになった。さらに、もしかして口説いてる? と思われたのか、アサイチとユウタにもすごく睨まれた。
――もう、色々めんどくさいな……。この発言に他意はないぞ。
リュウはそれから改めて、モエギにこう提案する。
「わざわざモエギが行かなくても、調査なら他の人間に任せればいいだろ? 例えば……」
リュウは頭脳班の面々をざっと見回し、すぐに結論を出した。
「そうだ、ケビンを代わりに行かせるとか」
「はぁ⁈」
急に名前を上げられた暗号班班長のケビンは、顔を歪ませて素っ頓狂な声を上げる。
それに、マホは両手を合わせ、すぐさま感激した様子で明るい顔をケビンに向けるのだった。
「わぁー! それはとっても素敵だね! ケビンさんなら適任だと思うよ!」
「いや、素敵って……」
さっきまで文句を言っていたフランクも、うんうんとうなずく。
「ケビンが行くならば何の問題もない。精々華々しく散ってくるが良い」
「えっ、いやっ、散るって……⁈」
そしてヴィンセントも、ニコニコと笑っていた。
「それならば賛成できます。さすがはリーダー、素晴らしい人選です」
「はぁぁぁっ⁈ ちょっと待てや、お前ら! お前らはモエギさんさえ無事なら、それでいいのかよ⁈ なんてひどい奴らなんだ!」
立ち上がり、もっともなことを叫ぶケビン。
だが、頭脳班の他の面々は言いたいことだけ言うと発言権を完全に放棄し、そ知らぬ顔で会議の続きを待つ。ケビンは頭脳班から見事に生贄として差し出されたのであった。
「まぁ落ち着けよ、ケビン。お前の安全はそれなりに保障してやるから、安心してついて来い」
「はぁ⁈ 何だよ、それなりって! そこは全力で守れよ!」
リュウを指差し、本気で抗議するケビン。
しかしリュウの本音としても、連れて行くのがモエギではなくケビンなら安心だった。
――ケビンなら万が一死んだとしても、誰からも恨まれないからな……。いや、死ぬことはないだろうけどさ……。
ともかく、これで潜入計画がまとまって良かったぜー、という空気が場には広がる。
だが、そんな中で唐突に口を開いたのは、モエギ自身だった。
自然と、みんなの視線が集まる。
「ごめんなさい…………みんな、私を思って言ってくれてるんだってことはわかってる。……でも、やっぱり私が行きたい。この姿にされてしまった人の状態は一刻を争う。ハンドリーツにそんな人がまだたくさんいるっていうのなら、私が直接行ってできることをしたい」
モエギの視線は机の上の、ボール人間に注がれている。悲しみに染まるその瞳がふいに持ち上がり、強さを伴ってリュウに向けられた。
「ねぇ、リュウだって言ってくれたでしょ? 私を優秀な人間だって。それならなおさら、私が行くべきだと思う。まだ治す方法は見つかっていないけれど…………でも、必ず見つけるから。だからお願い、リュウ!」
モエギが、ここまで必死になって何かをお願いすることは珍しい。
リュウは頭の後ろで腕を組み、椅子にもたれかかりながら、これは折れないな、と直感していた。
モエギは基本的に優しく、ユウタと違ってわがままも言わない。けれど、どうしても譲れないことがある時だけは、絶対に引かなかった。それなりに幼馴染をやってきた経験から、リュウもそれだけはわかっていた。
――これは、どうやら連れて行くしかないようだな……。
それでもイエスと言い切れないリュウに代わって、声を上げたのはユウタだった。ようやく身を起こし、姿勢を正したかと思ったら、大きく手を挙げた。
「だったら俺も行く! こんな奴だけにモエギを任せるのは不安だから、俺も行くー!」
「どいつもこいつも……」
リュウは心労が積み重なるような思いがした。
――こんな奴ってな…………お前よりも強いんだからな!
そしてさらに恐れていたことが実現し、後ろに立っていたアサイチまでもが手を挙げた。
「だっ、だったら俺も行くよ! ユウタなんかがそばにいたんじゃ、逆に不安だ!」
「はぁ? お前が来たところで何の役に立つんだよ? 戦闘能力ゼロのくせに出しゃばってくんじゃねーよ。お荷物が」
平然とそんなことを言ってしまえるのは、もちろんユウタだ。
しかし、すかさずアサイチも言い返す。
「はぁ? そっちこそ無駄に騒がしくしてモエギの研究の邪魔をするだけだろ? モエギに迷惑をかけたくなかったら、そっちこそ今すぐ考え直した方がいいんじゃないのか?」
「何だと⁈ お前ならともかく、俺がモエギの邪魔なんかするわけないだろ!」
「俺こそするかよ! 俺はお前みたいなわがまま人間とは違うんだよ!」
「いや、お前らさ…………誰も連れて行くなんて言ってないから。もう、いい加減にしてくんないかな? マジで」
次々と起こる幼馴染みたちの騒動に、リュウは渋い表情を浮かべる。
――この騒がしい二人がついてくるとか、考えただけで軽い悪夢だな……。
しかし、プラス思考で考えてみれば、ユウタという確かな戦力がついて来ることは、そう悪いことばかりでもなかった。ユウタになら安心してモエギを任せることができ、そこにアサイチも加われば、暴走しがちなユウタのブレーキ役にもなる。確かにアサイチに戦闘能力はないが、地頭はいいのだから危険を回避することはできるはずだ。そして二人とも惚れているモエギのためであれば、それこそ文字通り、命がけで守るはずだった。
リュウは深いため息を吐き出して、仕方なく決断した。
「わかったよ。ハンドリーツに事前調査で入るのは俺を含めたモエギ、ユウタ、アサイチの四名。それ以外の攻撃部隊と頭脳班は全員、アジトで待機だ。……まぁ、頭脳班はともかく、攻撃部隊にはすぐに声がかかると思うから、そのつもりで」
全員がようやく、渋々ながらもうなずいた。
「じゃあ、最後に出発の日取りについてだけど……」
会議ももう終わりが近いと感じながら、リュウは頭の中でやれやれと思う。面倒事は多そうだったが、それでもとりあえず、これで話はまとまったのだと、少し肩の荷が下りたような気持ちにもなっていた。緩んでいく頭はけれど、微かながら会議室の入り口に人の気配を感じたことで、瞬時に覚醒した。
「誰だ!」
その大声に、すぐさま事態を把握したソングが眉をひそめる。腕を伸ばして大きくそのドアを開け放った。
「キャアッ……!」
すると、ドアに寄りかかるようにして立っていたのか、少女が会議室に転がり込んできた。
リュウは目を丸くし、その少女のことを見下ろす。
「アンナ? どうしたんだよ。なんでこんなところに……」
「あ、はは…………その……私…………」
アンナは倒れたまま、引きつったような笑みを浮かべる。が、ソングの刺すような眼差しが恐ろしかったのか、急に姿勢を正して正座になった。
「そっ、その私、たくさんの人の声が聞こえてきて、みんな真剣そうで、それで……なんだろうって思って……そうして来てみたら、みんなが話し合ってるみたいで……だから、その、盗み聞きをしていたわけじゃ、決してなくて……えっと……」
「はぁ……」
リュウは話を聞きながら、首を傾げた。
―ー話が聞こえたって……この部屋の近くには俺の自室と仕事部屋ぐらいしかないのにか? それなのにこの辺りをうろついていたということは…………迷子か?
そんな平和なことを考えていたリュウとは対照的に、アサイチは怪しむような視線をアンナに向けた。
そして、ドアの一番近くに座っているソングは、射るような目でアンナを睨む。
「あんたが例のアンナか。もう、事の分別がつきそうな年頃なのに、随分と子どもっぽい言い訳をするんだな。それとも、これが曲がりなりにも助けてもらった恩人への感謝の形なのか?」
相手が女、子どもであろうとも一切手加減しないソングの物言いは辛辣だった。
アンナは耳まで真っ赤になってしまい、今にも泣き出しそうなぐらい瞳が潤んでいる。
「ちょっと、やめなさいよ。すっかり怯えちゃってるじゃない」
そんなソングを横から注意したのは、逆に女性や子どもに対しては人一倍優しく接するクリアクレスだ。クリアクレスはアンナのそばまで行くと、隣から優しく声をかける。
「大丈夫? ごめんなさいね。あの男は人に優しくするっていうことがとても苦手なのよ。……道に迷ったのなら客室まで案内するけど、どうする?」
一悶着こそあったものの、こちらもどうやら丸く収まりそうだと、ほっとしかけたのも束の間だった。クリアクレスに促され、部屋から出て行こうとしていたアンナと、ふいに目が合う。
なんだろうと思った次の瞬間、アンナは急に一歩前に出て、リュウたちに向かって大きく、頭を下げてきた。
「あっ、あの…………話を聞いていてごめんなさい! ……でも、その、許してもらえるならですけど、あの、私も一緒にハンドリーツへ連れて行ってくれませんか⁈」
瞬間、会議室の中はしんと静まり返った。
リュウ自身も、話に頭がついていかず、しばし固まる。
それからようやく、頬を引きつらせながらつぶやいた。
「…………なんで?」
「それはっ、その……たっ、助けてもらったからこそ、私も皆さんのお手伝いがしたいんです。……大したことはできないかもしれませんけど、それでもスティマール国内についてなら、少しは詳しいつもりです。きっとお役に立ちますから、だから…………お願いします!」
アンナはもう一度、深く頭を下げる。
けれど、場の空気は最悪に近いほど悪かった。当然と言えば当然だが、危険な敵地に一般人であるアンナを連れて行くことは、モエギ以上に賛同できるものではない。そのうえ、マイナス面こそあれど、プラスになるような面はほとんどないのだ。さらには、よくも知らない一般人。こちらを裏切る可能性というものも、残念ながら否定することはできなかった。
だが、そういう諸々のことを一度脇に置き、リュウは顔を上げたアンナの瞳を、じっと覗き込んでみた。
――嘘をついていない…………とはもちろん言い切れないけれど、何か必死さのようなものは感じる。俺たちの役に立ちたいというのが一番の、本当の目的なのかどうかはわからないけれど、それでも……。
直感で、彼女を連れて行かなければ、本当の意味で彼女を救うことができないような、そんな気がした。
とはいえ、そんな説明で誰も納得することがないのはわかり切っている。
「……アンナ、ハンドリーツについて詳しいか、もしくは行ったことがあるのか?」
リュウはさり気なく尋ねた。
「えっ、えっと、その、行ったことは…………ないです。でも、ハンドリーツはサリリア大戦が起こる前までは、ウォッグ族の住んでいた場所なんです。生活様式や訛りのようなものは近い部分があると、祖父が言っていました」
アンナはたどたどしくも、どうにか答えた。
そしてリュウはすかさず、ケビンの方を向く。
「ケビン、本当か?」
ケビンも手持ちのファイルを開き、難しい顔でページをめくった。
「えーっと…………あぁ、あった、あった。確かに、ウォッグ族はハンドリーツに住んでいたことがある。元々、ハンドリーツは移民の多い町だったからな。でも、サリリア大戦での敗北をきっかけに、ハロイン・ファミリーに追い出されて、それ以降は森の中に移り住んだようだ」
「じゃあ、一緒にいればハンドリーツの住民には怪しまれない、か……」
リュウは考えながらつぶやく。
それを、ソングが厳しい表情で睨んだ。
「おい、まさかこんな人間を連れて行くつもりか? モエギやアサイチならともかく、素性も知れない、何の戦力にもならないような人間を連れて行くなんて、正気の沙汰とは思えないな。あんたはこの事前調査、ピクニックか何かと勘違いしているんじゃないのか?」
――またお前は…………なんでそんなトゲのある言い方しかできないんだか。
リュウは頭をかいた。
「……理由としては、カモフラージュが一番の理由だな。俺たちは全員ユイニー人だし、スティマールではどうしたって目立つ。けれどアンナが一緒にいれば、多少はあっちの警戒心も緩むだろう」
「そんなものは詭弁だ。スティマール人がいいのなら、うちの組織に他にいくらでもいるんだから、そいつらを連れて行けばいい。理由として成立していない」
――さすがはソング。まさしく、その通りだ。けれど……。
「それでも、アンナがいいんだよ。攻撃部隊でも、頭脳班でもない、アンナがいい。感覚的な意見で悪いけど、うちの誰よりもアンナの方が悪目立ちしないと思う。理由なんて、それ一つで十分だ。どうだ、まだ俺に反論するか?」
それに対しては、室内のどこからも反対意見が上がらなかった。
――みんなが俺の意見に納得したというよりも、俺が引かないだろうと思ってみんなが諦めたという方が、正しいような気はするがな……。
ソングも一度は黙った。が、それで終わるような扱いやすい人間ではない。
「それで、寝首をかかれたらどうする気だ?」
「問題ない。それでも、俺が勝てないほどの強敵が現れるとは思えない。誰が相手でも、必ず俺が勝つ」
即答した。そうしなければ、ソングは引かないような気がしたからだ。
それでもソングがリュウを睨む、目の力は緩むことがない。
「話にならないな。不確かな予測論なんか聞きたくもない」
「だろうな。でも、俺もユウタもアサイチもモエギもいるんだし、何とかなるだろ」
ソングはうんざりした顔でため息を吐き出した。けれど、それ以上はもう何も言わなかった。
それからリュウは改めてみんなを見回す。
「とりあえず、今日の会議はこれで終了とする。ハンドリーツ調査隊の出発は明日の早朝だ。それまでに、三人は仕事を片付けて準備しておくように」
リュウが両手を打ち、そう宣言したことによって、会議はようやく終わりを迎えた。
だが、ちょうど肩の力を抜いたところで、後ろからその肩を叩かれる。
リュウの耳元に、アサイチが顔を寄せ、最後にしっかりと釘を刺してきた。
「リュウ、アンナがスパイだっていう可能性も、ちゃんと考えておけよ」
「わかってるよ。心配ない」
リュウもそれに、真剣な表情でうなずいた。
PPPには五つの攻撃部隊と四つの頭脳班があり、それぞれに選ばれた隊長や班長たちによって、隊や班がまとめられている。
その隊長や班長が一同に集まり行われる、月に一度の会議こそが隊長班長会議だった。
会議室の最奥の席にリュウが座り、そこを中心として、左側には攻撃部隊の隊長たちが、右側には頭脳班の班長たちが並ぶ。生憎、第一攻撃部隊の隊長は長期任務のため欠席しているが、それ以外の人間は全員が出席していた。
この場に十一人全員が揃うと、リュウは立ち上がり、みんなの顔を眺めながら口を開いた。
「さて、全員が集まったところで、隊長班長会議を始めたいと思う。今回、主に話し合う内容は、スティマール第三都市のハンドリーツについてだ」
そう言ってリュウは、ケビンが製作した地図を机の上に広げた。みんなの視線も、自然とその地図に集まる。それは机いっぱいに広がるほど大きな、スティマール南東部の地図だった。
リュウはその地図上の一つの印を指差す。
「みんなももう知っているとは思うが、先日、俺とモエギが助けたアンナという少女はここ、ウォッグ村の人間だった」
全ては、大きな勘違いだったのだ。
リュウとモエギはアンナを、倒れていたソラルミ村の住人だと思い込んでいた。だが実際は、ソラルミ村から四十キロも離れたウォッグ村の住人で、そこから歩いてソラルミ村に来ていたのだ。新兵器の実験によって住人の消されていたソラルミ村とは、全くの無関係だった。
「……犠牲になった他の五つの村では新兵器が使われている。それなのになぜか、このウォッグ村でだけはその新兵器が使われていない。アンナの話によれば、ハロイン・ファミリーがこの村に直接やって来て、村人たちを強制的に連行して行ったらしい。……まだ不明な点が多過ぎるけれど、まずはその辺りについて、ケビンの解説を聞こうか。ケビン、いいか?」
リュウが座るのと入れ替わりに、暗号班の班長であるケビンが立ち上がった。
二十九歳のスティマール人(白色人種)である、ケビン率いる暗号班は一応、PPPの仲間内で使う暗号を考えたり、敵の暗号を解読するためにある班だった。だが、そんなに暗号の仕事は多くあるわけではないので、他にもたくさんの仕事を抱えている班だった。暗号を解くためには半端じゃない知識が必要となるため、頭がとても良く、地図を作成したり、調べものをしてくれたりもするので、今ではもはや何でも屋のようになっている。
ケビンはポケットから短い銀色の棒を取り出すと、それを長く引き伸ばした。
「えー、では、暗号班から話をさせてもらいます。まず、ここがそのアンナが住んでいたという、ウォッグ族のウォッグ村だ。そしてそれ以外のソラルミ村、ヘリー村、リップ村、チャップ村、クッグ村になる。今回犠牲に遭った村は六つとも、スティマールの南東部。しかもこの六つの村の中心には、スティマール第三の都市であるハンドリーツがあるんだ」
ケビンは地図の中心部を指し示した。
「ウォッグ村の特例については謎なままだが、他の村では新兵器の実験が行われている。地理的状況から考えれば、その実験の拠点とされているのはこのハンドリーツだ。その新兵器も、ここにある可能性が高いと俺は考えている」
ケビンの見解に、リュウもうなずいた。
「そうだな。…………で、村の状況の方は?」
リュウが問いかけると、ケビンはすぐに脇に置いていた透明なファイルの中から、数枚の写真を取り出す。
「リュウが見てきたソラルミ村と、他の四つの村は大して変わらない。どこもかしこも何かしらの兵器を使った形跡があるのに、建物には全く何の被害も出ていない。それなのに、人の姿だけが魔法のように消えているんだ。村ごと全て燃やされたのは、アンナのいたウォッグ村だけだった」
リュウは机の上に並べられた写真を一枚、手に取った。
白い雪の上にはっきりと記された、何か大きな物が乗せてあったであろう車輪の跡。そして写真には写っていないが、何よりもの証拠は、モエギが直接現場に赴いてまで調べた、特殊な化学兵器を使用したあとに空気中に残るという残留薬臭だ。人の目や鼻では感じられないそれを、他でもないモエギが検出したのだから、間違いはない。
――新兵器は確かに存在する。のだが……。
「この車輪の跡とかは、ウォッグ村にはなかったのか?」
「いや、あるにはあった。……ただ、アンナの話が正しければ、ウォッグ村にあったのはウォッグ族の人たちを連れて行く時に、その人たちを乗せた車の跡だ」
「ケビン、ウォッグ族については?」
リュウがまた問いかけると、ケビンはすでに手元に用意していた分厚い本を机に置いた。ホコリを撒き散らしながら、ふせんを貼っていたページを開けて説明する。
「細かい歴史的背景は省くけど、書物として残っているのは約八百年前からだ」
「おぉ、さすがに古いな」
「今と変わらず昔から、主に農業や狩りによって生計を立ててきた民族だ。ハロイン・ファミリーとの表立った諍いはなかったけれど、ハロイン・ファミリーに毎月のように支払っていた高い年貢には、やっぱり不満があったようだ。サリリア大戦の際には率先して参戦している。でも、割かし早い段階で敗れてるみたいだ」
「つまり、ハロイン・ファミリーに嫌われるだけの理由はあったんだな」
「サリリア大戦の時に、ハロイン・ファミリーとはどこの民族も揉めてるんだから、そんなもんはスティマールの少数民族ならどこでも多少なりともあるもんだよ」
ウォッグ族だけが、ハロイン・ファミリーから特別に嫌われていたわけではない。だとすればやはり、ウォッグ村でだけハロイン・ファミリーの動きが違うことは不可解な話だった。
それを踏まえたうえで、リュウは顔を右隣に向ける。
「じゃあ、次は頭脳班の特別責任者であるモエギに話してもらおうか。モエギ、頼む」
ケビンが席に座ると、代わりにモエギ(十六歳のユイニー人)が資料を手にして立ち上がった。
特別責任者とは、要は頭脳班のトップだ。モエギは天才的な頭脳と聖母のような優しさによって頭脳班をまとめ上げる、頭脳班の人間にとっては教祖様にすら近しい存在だった。
「今回、六つの村を調べる中で、新兵器がどういったものなのかという手掛かりは、何も発見することができませんでした。……けれどつい先ほど、薬剤班のアーロンさんがそれにつながる唯一の物質を、持ち帰ってくれたんです」
「はっ? ……えぇっ⁈」
リュウは驚きのあまり、大きな声を上げた。
そしてそれに驚いたのはリュウだけではなく、会議室のあちこちから困惑の声が上がる。
モエギはリュウと目が合うと、申し訳なさそうに小さく頭を下げた。
「ごめんね。知らせるだけの時間がなくて……」
「いや、別にそれはいいんだけど……」
――アーロンが発見? アーロンって、誰だっけ……。
組織内の人間の名前を忘れるという、トップとしてあるまじきことを考えていたリュウの目に、ふいに、モエギの悲しげな横顔が映った。
――ん? ……モエギ?
モエギは目を伏せ、暗い顔でつぶやいた。
「フランクさん、例のあれを出して下さい」
そんなモエギとは対照的に、薬剤班の班長フランク(七十歳のスティマール人)は、どこか楽しげにヒヒヒと笑い、着ている白衣の内ポケットから、そのしわくちゃの手のひらにちょうど乗るくらいの大きさのボールを取り出し、机の上に置いた。
リュウは眉をひそめる。
それは何というのか、気味の悪いボールだった。でこぼこしていて、肌色と赤と黄色とがぐちゃぐちゃに混ぜられたような、グロテスクな見た目をしている。
それだけでなんとなく、嫌な予感がしていた。
「モエギ…………これは?」
そしてその予感は当たってしまう。モエギは一度唇を噛んでから、ゆっくりと息を吐く。
その目は、訴えかけるようにリュウを見ていた。
「これは人間よ」
その言葉を聞いた瞬間、背筋に悪寒が走った。
部屋の中はしんと静まり返る。ケビンの顔が、緊張で引きつるのが見えた。そんな中で一人、モエギは言葉を紡いでいた。
「これが、アーロンさんの持ち帰ってくれた唯一の手掛かりです。クッグ村の外れに、この一つだけが残されていたそうです。…………おそらく、ハロイン・ファミリーは新兵器によって人間をこの姿に変え、持ち帰っていたんです。これなら建物が破壊されることはなく、人間だけを簡単に回収することができます。だから、アーロンさんの拾ったこれは、敵が落としていったもの……ということになるのだと思います」
――……人間をこんな姿に変えるなんて、どうかしている。ハロイン・ファミリーの奴らは一体、何を企んでいるんだ?
リュウは険しい表情を浮かべた。
攻撃部隊の隊長の中で、唯一の女性であるクリアクレスは言い出しづらそうにしながらも、手を挙げる。二十四歳のサラサ人(黒色人種)である彼女は、その美貌と魅惑的な体形で組織内での男性人気が高いが、何よりも人命救助を専門とする第四攻撃部隊の隊長を任されるほどの優しさが、男女両方から支持を得ていた。
「モエギちゃん、その人は…………その、生きているの?」
クリアクレスの質問に、モエギは首を横に振った。
「今の段階ではどうとも……。こんな状態では食事や水分を摂取することができないので、点滴を施してはみたものの、これが有効な手段であると断定することはできません。……それに、村が襲撃に遭ってから昨日で約八日です。すでに凍死していても、餓死していても、何らおかしくはないと思います」
モエギの話す、ボール状になってしまった人間の現状は絶望的だった。この人に栄養を与え続けることは構わないが、それに効果がある保障はない。元に戻る方法も、モエギには見つけられなかったのだろう。
そんな方法があれば、モエギはとっくに実行しているはずなのだから。
リュウはため息を飲み込んで、モエギに話しかけた。
「モエギ、お前はそのボール状の人間…………簡単に言えば、ボール人間か。とにかくそのボール人間を、ハロイン・ファミリーはどこに運んだんだと思う?」
間髪入れずにモエギは即答した。
「ハンドリーツ城」
リュウは目を細める。
驚きはしなかった。それはある程度、予測できていた答えだからだ。六つの村の中心に位置するスティマール第三の都市ハンドリーツ。そのハンドリーツの中には、ハロイン・ファミリーの幹部が複数人住まう、ハンドリーツ城がある。
モエギが席に着くのと同時に、入れ替わるようにしてリュウは再び立ち上がった。
「さて、ここで話を初めに戻そうか。明らかに怪しいこのハンドリーツのハンドリーツ城に、俺は村人たちを助けに行こうと思う。そしてそのついでに、ハンドリーツ城を乗っ取り、ハンドリーツをハロイン・ファミリーの手から解放したいと考えている」
誰かの反対意見が上がる前に、リュウはダンッ、と机を両手で叩いて高らかに宣言する。
「まず、そのハンドリーツに攻め入る前に、先立って事前調査を行いたいと思う。この、俺自身が!」
リュウは己の胸を力強く叩いた。
しかしすぐ、背後に立っていた秘書のアサイチ(十六歳のユイニー人)によって、思い切りファイルで頭をはたかれる。
「痛いっ!」
「寝言は寝て言え、バカ! 総リーダーのお前がそんな易々と敵地に乗り込むな!」
誰よりも早く、アサイチは猛反対した。しかし顔を上げてみれば、ここに集まっているほとんど全員の顔が、一様に暗かった。どうやらみんな、アサイチと同意見のようだ。
「リーダー殿、潜入調査であれば、拙者の部隊が出るでござるよ。少なくともまだ、これはリーダー殿がわざわざ出向くほどの案件ではないでござる」
そう言ったのは、調査・潜入を専門とする部隊、第二攻撃部隊隊長のテツ(三十三歳のユイニー人)だった。常日頃から目元以外を隠す黒い忍者装束に身を包み、口調も忍者を強く意識している彼は、PPP内では忍者コスプレイヤーとして有名だった。
リュウはだが、首を横に振る。
「いや、テツたち二部隊にはしばらく休養を取ってもらいたい。このあいだのスティマール国境であったハロイン・ファミリーとの戦闘から、まだ一週間も経っていないからな。……二部隊の怪我人もまだ回復していないみたいだし」
「しかし、それならばリーダー殿も……」
「俺は平気だよ。体は丈夫な方だし、そもそもそんなに怪我は負ってないしな。ハンドリーツに行って、ちょっと調査するぐらいなら簡単だよ」
「自分が行く前提で話を進めるなよ」
と、後ろからファイルの角で頭を攻撃してくるアサイチ。
――だから、痛いって。
だがここで、机の一番端に座っている第五攻撃部隊隊長のソングが、わざとらしいほど大きなため息を吐き出した。
二十歳のユイニー人であるソングは、PPPの中では最も手厳しい人間として知られている。
「リュウ、あんたのそれは、単に自分が行きたいだけのわがままだろ? 今までならともかく、大きな戦争を仕掛けられるだけの戦力を得てきた今、ガキみたいなくだらない理由で行動せず、総リーダーとしてここに居座り、このアジトを守るべきなんじゃないのか? 大国スティマールに戦争を仕掛けるんだろ? だったら、もっと冷静な行動を取るべきだろう」
鋭い眼差しでそう語るソングに、リュウもさすがに言葉に詰まった。
ソングの言うことは、正論であるうえに容赦がない。
すぐには反論が出てこないリュウに、しかし、意外な方向から助け船はやって来た。
「別にいいんじゃないのか? 俺は、リュウがハンドリーツに行こうが行かまいが、正直どうでもいいけどな」
第三攻撃部隊を率いる、隊長のユウタだった。ユイニー人であり、リュウやアサイチ、モエギとは同い年の幼馴染みであるユウタは、自由人で問題行動の多い人物でもあった。トレードマークのゴーグルを頭に付け、今も行儀悪く足を机に乗せている。とても他人を助けてくれるような人間の態度ではない。だからおそらく、本人は思ったことを言っただけであり、リュウを助けるつもりなど毛頭ないのであった。
「バカなガキは黙ってろよ」
ソングは不機嫌そうにぼそっとつぶやく。
そしてその声はもちろん、ユウタの耳にも届いていた。
「は? 何? お前、俺にけんかを売ってるわけ?」
「こんな安っぽい挑発に乗るなんて、あんたは本当に頭の中がすっからかんなんだな。バカなんじゃないのか?」
「はぁ⁈ 言ったな。聞いたからな。上等じゃねぇかよ、表へ出ろ!」
「ちょっと、やめなさいよ、二人とも! わざわざここにけんかをしに来たわけじゃないでしょ⁈」
くだらないけんかを繰り広げようとしていたユウタとソングを、二人よりも年上のクリアクレスが止める。座席的に二人に挟まれているので、仕方がない部分もあった。
――しかし、ソングよ。言ってることは間違ってないんだろうけれど、お前がガキみたいにけんかをしてどうする……。
リュウはコホンと、一つ咳払いをした。
「……まぁ、ソングの言い分は的を射ていると思う。……でも、これはあくまで俺たちがこれから始める戦いの、ほんの一戦目に過ぎないんだ。これから先、何年続くかもわからない、どれだけの犠牲を強いられるかもわからない、そんな戦いに俺たちは身を投じていくんだ。だからこそ布石として、俺はハンドリーツに行きたいんだよ」
リュウはこの場にいる全員を見回し、言葉を続ける。
「スティマールの都市はどこも同じような形式で作られている。だからこれは今回だけの話じゃなくて、そのさらに奥に位置している軍事拠点の第二都市タカーズバック。そしてハロイン・ファミリーの本拠地であり、ハロイン・ファミリーの幹部のほとんどが住まう、第一都市メガグノード。この二つの都市での戦争に臨むためにも、俺はハンドリーツを見ておく必要があると思う。総リーダーとして、最高責任者として、俺は言ってんだよ」
みんなの真剣な視線も全て、リュウに向いていた。
――そうだ、誰もふざけてなどいない。全員、俺自らが任命した隊長や班長たちだ。バカでも、頭の中がからっぽなわけでもない。全員がそれぞれ、自分の頭で考えて結論を出すだけの能力を、きちんと持っている。
だからこそ、わかってもらいたかった。これは、歴史を変える一戦になるのだと。
――この戦いを勝利に導けるのは、俺だけなんだ。
リュウの、己自身の強さに対する絶対的な自信は、揺らぐことがなかった。
そして攻撃部隊の人間なら、リュウの強さはよく理解している。よって攻撃部隊の隊長たちは、それぞれに思うところはあるにしろ、沈黙を選択した。
場の空気は完全に、リュウに味方していた。
このまま意見が通りそうだと、リュウ本人も確信しかけたところで、しかし、ある人物が手を挙げたことで、問題は全く別ものへとすり替わる。
「リュウ、私も一緒にハンドリーツに連れて行って」
リュウはその人物を見て、ギョッとする。
まさか、ここで意見してくるとは思ってもみなかった。
その人物、モエギが急に立ち上がったことで、会議室は震撼する。
「「「えぇ――――――――⁈」」」
医療班の班長であるヴィンセントを除く、頭脳班の三人の声が重なる。
それからワンテンポ遅れて、アサイチが机を両手で大きく叩いた。
「ダッ、ダメだ! ダメに決まってるだろ⁈ 危険過ぎる!」
明らかに、リュウの時とは違う必死さでモエギを止めにかかった。
――……まぁ、その辺の砂漠に放り出しても一週間や二週間なら平気でサバイバルできる俺と違って、モエギはデリケートにできてるからな。何の戦闘能力もないし、どんな劣悪な環境でも平気で生活できるほど、神経の太い人間でもないだろう。
「……モエギさんのことですから、私などでは到底思い至らぬほどの深いお考えがあるのでしょうけれど、今回ばかりは賛成しかねますね。ハンドリーツは表向き平和な都市だとしても、敵地です。モエギさんにもしものことがあれば、私はこれから誰を師事すれば良いのですか?」
冷静に、丁寧にそう伝えたのはヴィンセントだった。大声こそ上げなくても、彼は立派なモエギ信者だ。
そしてそれは、頭脳班の他の人間も同じだった。
「そうだよ、モエギちゃん! モエギちゃんに何かあったら大変だよ!」
何がどう大変なのか、具体性にかける発言をしたのは、モエギの親友であり、兵器班の班長も務めるマホ(十六歳のユイニー人)だ。白衣を着た眼鏡少女のマホは、今にも泣き出さんばかりに、隣のモエギの腕にギューッと抱きつく。
「一緒に行くのがいくらリュウ君とは言っても心配だよー! リュウ君ってちょっと抜けてるところがあるんだもん!」
「そっ、そうじゃ! こんな小汚い小僧にモエギ様を守れるわけがない!」
リュウを指差し、そう賛同したのは、一番の信者であるフランクだった。
「うるせぇよ」
――途中から、ただの俺への悪口になってるじゃねぇか。
とはいえリュウ的にも、モエギを連れて行くことはできれば避けたいプランだった。足手まといになるというマイナス面以上に、もしモエギに何かあれば本当に、この組織自体が瓦解してしまいかねないという危険性がある。
それほどまでに、PPP内でのモエギの存在感は大きかった。
モエギが怪我をする可能性は、リュウがそばにいれば低いはずだが、それでもこの間の村とはわけが違う。ハンドリーツはハロイン・ファミリーの住まう町なのだ。戦闘になった場合、敵が強いうえに複数だった場合、百パーセントモエギを守り抜ける自信があるとは、リュウであっても言えなかった。
リュウは散々頭の中で迷った挙句、渋い顔でモエギにこう言い聞かせた。
「なぁ、モエギ。その…………言い辛くはあるんだけど、それはさすがに俺もどうかと思うぞ。……モエギのことだからもちろん、調査とかそういうことがしたいんだろうけど、やっぱり危険過ぎると思う。お前にもしものことがあった場合、お前の抜けた穴を補えるほど優秀な人間は、今のところいないんだからさ」
責任感の強いモエギなら、こう言えば引いてくれると思ったのだ。
ただ、リュウの言い方がまずかったようで、優秀な人間が他にいない? という感じで頭脳班の人間にはめちゃくちゃ睨まれることになった。さらに、もしかして口説いてる? と思われたのか、アサイチとユウタにもすごく睨まれた。
――もう、色々めんどくさいな……。この発言に他意はないぞ。
リュウはそれから改めて、モエギにこう提案する。
「わざわざモエギが行かなくても、調査なら他の人間に任せればいいだろ? 例えば……」
リュウは頭脳班の面々をざっと見回し、すぐに結論を出した。
「そうだ、ケビンを代わりに行かせるとか」
「はぁ⁈」
急に名前を上げられた暗号班班長のケビンは、顔を歪ませて素っ頓狂な声を上げる。
それに、マホは両手を合わせ、すぐさま感激した様子で明るい顔をケビンに向けるのだった。
「わぁー! それはとっても素敵だね! ケビンさんなら適任だと思うよ!」
「いや、素敵って……」
さっきまで文句を言っていたフランクも、うんうんとうなずく。
「ケビンが行くならば何の問題もない。精々華々しく散ってくるが良い」
「えっ、いやっ、散るって……⁈」
そしてヴィンセントも、ニコニコと笑っていた。
「それならば賛成できます。さすがはリーダー、素晴らしい人選です」
「はぁぁぁっ⁈ ちょっと待てや、お前ら! お前らはモエギさんさえ無事なら、それでいいのかよ⁈ なんてひどい奴らなんだ!」
立ち上がり、もっともなことを叫ぶケビン。
だが、頭脳班の他の面々は言いたいことだけ言うと発言権を完全に放棄し、そ知らぬ顔で会議の続きを待つ。ケビンは頭脳班から見事に生贄として差し出されたのであった。
「まぁ落ち着けよ、ケビン。お前の安全はそれなりに保障してやるから、安心してついて来い」
「はぁ⁈ 何だよ、それなりって! そこは全力で守れよ!」
リュウを指差し、本気で抗議するケビン。
しかしリュウの本音としても、連れて行くのがモエギではなくケビンなら安心だった。
――ケビンなら万が一死んだとしても、誰からも恨まれないからな……。いや、死ぬことはないだろうけどさ……。
ともかく、これで潜入計画がまとまって良かったぜー、という空気が場には広がる。
だが、そんな中で唐突に口を開いたのは、モエギ自身だった。
自然と、みんなの視線が集まる。
「ごめんなさい…………みんな、私を思って言ってくれてるんだってことはわかってる。……でも、やっぱり私が行きたい。この姿にされてしまった人の状態は一刻を争う。ハンドリーツにそんな人がまだたくさんいるっていうのなら、私が直接行ってできることをしたい」
モエギの視線は机の上の、ボール人間に注がれている。悲しみに染まるその瞳がふいに持ち上がり、強さを伴ってリュウに向けられた。
「ねぇ、リュウだって言ってくれたでしょ? 私を優秀な人間だって。それならなおさら、私が行くべきだと思う。まだ治す方法は見つかっていないけれど…………でも、必ず見つけるから。だからお願い、リュウ!」
モエギが、ここまで必死になって何かをお願いすることは珍しい。
リュウは頭の後ろで腕を組み、椅子にもたれかかりながら、これは折れないな、と直感していた。
モエギは基本的に優しく、ユウタと違ってわがままも言わない。けれど、どうしても譲れないことがある時だけは、絶対に引かなかった。それなりに幼馴染をやってきた経験から、リュウもそれだけはわかっていた。
――これは、どうやら連れて行くしかないようだな……。
それでもイエスと言い切れないリュウに代わって、声を上げたのはユウタだった。ようやく身を起こし、姿勢を正したかと思ったら、大きく手を挙げた。
「だったら俺も行く! こんな奴だけにモエギを任せるのは不安だから、俺も行くー!」
「どいつもこいつも……」
リュウは心労が積み重なるような思いがした。
――こんな奴ってな…………お前よりも強いんだからな!
そしてさらに恐れていたことが実現し、後ろに立っていたアサイチまでもが手を挙げた。
「だっ、だったら俺も行くよ! ユウタなんかがそばにいたんじゃ、逆に不安だ!」
「はぁ? お前が来たところで何の役に立つんだよ? 戦闘能力ゼロのくせに出しゃばってくんじゃねーよ。お荷物が」
平然とそんなことを言ってしまえるのは、もちろんユウタだ。
しかし、すかさずアサイチも言い返す。
「はぁ? そっちこそ無駄に騒がしくしてモエギの研究の邪魔をするだけだろ? モエギに迷惑をかけたくなかったら、そっちこそ今すぐ考え直した方がいいんじゃないのか?」
「何だと⁈ お前ならともかく、俺がモエギの邪魔なんかするわけないだろ!」
「俺こそするかよ! 俺はお前みたいなわがまま人間とは違うんだよ!」
「いや、お前らさ…………誰も連れて行くなんて言ってないから。もう、いい加減にしてくんないかな? マジで」
次々と起こる幼馴染みたちの騒動に、リュウは渋い表情を浮かべる。
――この騒がしい二人がついてくるとか、考えただけで軽い悪夢だな……。
しかし、プラス思考で考えてみれば、ユウタという確かな戦力がついて来ることは、そう悪いことばかりでもなかった。ユウタになら安心してモエギを任せることができ、そこにアサイチも加われば、暴走しがちなユウタのブレーキ役にもなる。確かにアサイチに戦闘能力はないが、地頭はいいのだから危険を回避することはできるはずだ。そして二人とも惚れているモエギのためであれば、それこそ文字通り、命がけで守るはずだった。
リュウは深いため息を吐き出して、仕方なく決断した。
「わかったよ。ハンドリーツに事前調査で入るのは俺を含めたモエギ、ユウタ、アサイチの四名。それ以外の攻撃部隊と頭脳班は全員、アジトで待機だ。……まぁ、頭脳班はともかく、攻撃部隊にはすぐに声がかかると思うから、そのつもりで」
全員がようやく、渋々ながらもうなずいた。
「じゃあ、最後に出発の日取りについてだけど……」
会議ももう終わりが近いと感じながら、リュウは頭の中でやれやれと思う。面倒事は多そうだったが、それでもとりあえず、これで話はまとまったのだと、少し肩の荷が下りたような気持ちにもなっていた。緩んでいく頭はけれど、微かながら会議室の入り口に人の気配を感じたことで、瞬時に覚醒した。
「誰だ!」
その大声に、すぐさま事態を把握したソングが眉をひそめる。腕を伸ばして大きくそのドアを開け放った。
「キャアッ……!」
すると、ドアに寄りかかるようにして立っていたのか、少女が会議室に転がり込んできた。
リュウは目を丸くし、その少女のことを見下ろす。
「アンナ? どうしたんだよ。なんでこんなところに……」
「あ、はは…………その……私…………」
アンナは倒れたまま、引きつったような笑みを浮かべる。が、ソングの刺すような眼差しが恐ろしかったのか、急に姿勢を正して正座になった。
「そっ、その私、たくさんの人の声が聞こえてきて、みんな真剣そうで、それで……なんだろうって思って……そうして来てみたら、みんなが話し合ってるみたいで……だから、その、盗み聞きをしていたわけじゃ、決してなくて……えっと……」
「はぁ……」
リュウは話を聞きながら、首を傾げた。
―ー話が聞こえたって……この部屋の近くには俺の自室と仕事部屋ぐらいしかないのにか? それなのにこの辺りをうろついていたということは…………迷子か?
そんな平和なことを考えていたリュウとは対照的に、アサイチは怪しむような視線をアンナに向けた。
そして、ドアの一番近くに座っているソングは、射るような目でアンナを睨む。
「あんたが例のアンナか。もう、事の分別がつきそうな年頃なのに、随分と子どもっぽい言い訳をするんだな。それとも、これが曲がりなりにも助けてもらった恩人への感謝の形なのか?」
相手が女、子どもであろうとも一切手加減しないソングの物言いは辛辣だった。
アンナは耳まで真っ赤になってしまい、今にも泣き出しそうなぐらい瞳が潤んでいる。
「ちょっと、やめなさいよ。すっかり怯えちゃってるじゃない」
そんなソングを横から注意したのは、逆に女性や子どもに対しては人一倍優しく接するクリアクレスだ。クリアクレスはアンナのそばまで行くと、隣から優しく声をかける。
「大丈夫? ごめんなさいね。あの男は人に優しくするっていうことがとても苦手なのよ。……道に迷ったのなら客室まで案内するけど、どうする?」
一悶着こそあったものの、こちらもどうやら丸く収まりそうだと、ほっとしかけたのも束の間だった。クリアクレスに促され、部屋から出て行こうとしていたアンナと、ふいに目が合う。
なんだろうと思った次の瞬間、アンナは急に一歩前に出て、リュウたちに向かって大きく、頭を下げてきた。
「あっ、あの…………話を聞いていてごめんなさい! ……でも、その、許してもらえるならですけど、あの、私も一緒にハンドリーツへ連れて行ってくれませんか⁈」
瞬間、会議室の中はしんと静まり返った。
リュウ自身も、話に頭がついていかず、しばし固まる。
それからようやく、頬を引きつらせながらつぶやいた。
「…………なんで?」
「それはっ、その……たっ、助けてもらったからこそ、私も皆さんのお手伝いがしたいんです。……大したことはできないかもしれませんけど、それでもスティマール国内についてなら、少しは詳しいつもりです。きっとお役に立ちますから、だから…………お願いします!」
アンナはもう一度、深く頭を下げる。
けれど、場の空気は最悪に近いほど悪かった。当然と言えば当然だが、危険な敵地に一般人であるアンナを連れて行くことは、モエギ以上に賛同できるものではない。そのうえ、マイナス面こそあれど、プラスになるような面はほとんどないのだ。さらには、よくも知らない一般人。こちらを裏切る可能性というものも、残念ながら否定することはできなかった。
だが、そういう諸々のことを一度脇に置き、リュウは顔を上げたアンナの瞳を、じっと覗き込んでみた。
――嘘をついていない…………とはもちろん言い切れないけれど、何か必死さのようなものは感じる。俺たちの役に立ちたいというのが一番の、本当の目的なのかどうかはわからないけれど、それでも……。
直感で、彼女を連れて行かなければ、本当の意味で彼女を救うことができないような、そんな気がした。
とはいえ、そんな説明で誰も納得することがないのはわかり切っている。
「……アンナ、ハンドリーツについて詳しいか、もしくは行ったことがあるのか?」
リュウはさり気なく尋ねた。
「えっ、えっと、その、行ったことは…………ないです。でも、ハンドリーツはサリリア大戦が起こる前までは、ウォッグ族の住んでいた場所なんです。生活様式や訛りのようなものは近い部分があると、祖父が言っていました」
アンナはたどたどしくも、どうにか答えた。
そしてリュウはすかさず、ケビンの方を向く。
「ケビン、本当か?」
ケビンも手持ちのファイルを開き、難しい顔でページをめくった。
「えーっと…………あぁ、あった、あった。確かに、ウォッグ族はハンドリーツに住んでいたことがある。元々、ハンドリーツは移民の多い町だったからな。でも、サリリア大戦での敗北をきっかけに、ハロイン・ファミリーに追い出されて、それ以降は森の中に移り住んだようだ」
「じゃあ、一緒にいればハンドリーツの住民には怪しまれない、か……」
リュウは考えながらつぶやく。
それを、ソングが厳しい表情で睨んだ。
「おい、まさかこんな人間を連れて行くつもりか? モエギやアサイチならともかく、素性も知れない、何の戦力にもならないような人間を連れて行くなんて、正気の沙汰とは思えないな。あんたはこの事前調査、ピクニックか何かと勘違いしているんじゃないのか?」
――またお前は…………なんでそんなトゲのある言い方しかできないんだか。
リュウは頭をかいた。
「……理由としては、カモフラージュが一番の理由だな。俺たちは全員ユイニー人だし、スティマールではどうしたって目立つ。けれどアンナが一緒にいれば、多少はあっちの警戒心も緩むだろう」
「そんなものは詭弁だ。スティマール人がいいのなら、うちの組織に他にいくらでもいるんだから、そいつらを連れて行けばいい。理由として成立していない」
――さすがはソング。まさしく、その通りだ。けれど……。
「それでも、アンナがいいんだよ。攻撃部隊でも、頭脳班でもない、アンナがいい。感覚的な意見で悪いけど、うちの誰よりもアンナの方が悪目立ちしないと思う。理由なんて、それ一つで十分だ。どうだ、まだ俺に反論するか?」
それに対しては、室内のどこからも反対意見が上がらなかった。
――みんなが俺の意見に納得したというよりも、俺が引かないだろうと思ってみんなが諦めたという方が、正しいような気はするがな……。
ソングも一度は黙った。が、それで終わるような扱いやすい人間ではない。
「それで、寝首をかかれたらどうする気だ?」
「問題ない。それでも、俺が勝てないほどの強敵が現れるとは思えない。誰が相手でも、必ず俺が勝つ」
即答した。そうしなければ、ソングは引かないような気がしたからだ。
それでもソングがリュウを睨む、目の力は緩むことがない。
「話にならないな。不確かな予測論なんか聞きたくもない」
「だろうな。でも、俺もユウタもアサイチもモエギもいるんだし、何とかなるだろ」
ソングはうんざりした顔でため息を吐き出した。けれど、それ以上はもう何も言わなかった。
それからリュウは改めてみんなを見回す。
「とりあえず、今日の会議はこれで終了とする。ハンドリーツ調査隊の出発は明日の早朝だ。それまでに、三人は仕事を片付けて準備しておくように」
リュウが両手を打ち、そう宣言したことによって、会議はようやく終わりを迎えた。
だが、ちょうど肩の力を抜いたところで、後ろからその肩を叩かれる。
リュウの耳元に、アサイチが顔を寄せ、最後にしっかりと釘を刺してきた。
「リュウ、アンナがスパイだっていう可能性も、ちゃんと考えておけよ」
「わかってるよ。心配ない」
リュウもそれに、真剣な表情でうなずいた。
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