ドライヤーと未知なる世界

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4.私の運命共同体

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ビクターの発音は諦めた。
彼が途中で笑い上戸に陥ったために発音練習が出来なくなったからだ。笑われた身としては納得出来ない終わりだけど。
むすり、と頬を膨らませてジト目で見ると、彼は私の手を離し、『すまない、余りにもかわ…いや、一生懸命だったもので』とか何とか言い訳をした。何言ってるのかさっぱりわからないけどね。

「もういいです」

そーりー、と聞こえたので膨らんだ頬をそのままに許しの言葉を発する。
もちろん日本語なのでビクターには伝わらず、彼は私の表情が変わらないのを見て困り顔だ。笑った罰として大いに困らせてやる。

『ヴィック。お前のむっつりは理解されていないと思うぞ』
『もう一撃くらいたいか』
『可愛いのは可愛いとしっかり言ってやれよ。かぶりつきたくなる唇だったってさ』
『……』

いつの間にかセオが復活していた。
胡座をかいた膝の上に頬杖をつき、ニヤニヤと笑っている。それが下品に見えないのだから、世の中はイケメンが得するように出来ているのだ。

『もういいだろ。ベッドの上の女の子から舌っ足らずに名前を呼ばれるなんて最高じゃないか』
『お前こそ思考がいやらしいだろう』
『俺はオープンだからいいんだよ』

ほっ、とセオは勢いをつけて立ち上がり、跪いたままのビクターの隣へ立ち『お手をどうぞ、お姫様』と手を差し伸べてきた。
反射で後ずさる。ぎぶみーよーはん?ぷりんせす?さっきの今で非常に軽く聞こえる。欧米ではこれが普通なのか。

『あらら。俺、警戒されてる?』
『まぁそうだろうな』

手負いの犬のように警戒していると、セオはHAHAと笑って、けれど手を引く様子はない。メンタル強すぎないか、この男。
ジリジリとベッドの奥へ後退していく。後ろについた手に硬質な何かが当たった。
忘れていた。高性能高価格な日本製のドライヤーだ。投げれば武器になるか。

『…それは?』

最終兵器を後ろ手に隠し、いざという時に備えようとしたが、目ざといビクターに見つかったようだ。
セオを押しのけ、身を乗り出してきた。癖なのか最大級の警戒なのか、腰の剣に手が伸びている。私のトラウマがおかえりしそうだ。
問いただすような視線の前に隠し通せるわけもなく、しぶしぶとドライヤーを前に出す。
ビクターは警戒しているけれど、どっからどう見てもただのドライヤーだ。当たったらちょっと痛いプラスチック製だけど、安心安全のコード式だから飛行機にも持ち込める。コード切れてるけど。

『そう言えばずっと抱えてたね、それ。それが今回の魔法具?隠したって事は武器になりえるってわけだ。可愛い顔してやるなぁ』
『エイミー。危害は加えない。それをこちらに渡すんだ』

私の愛用品を見たイケメン二人の反応はそれぞれ違っていた。
ヒュウ、とセオが口笛を吹き、ビクターはより一層顔をしかめた。警戒した先に出てきたのがただのドライヤーだったので拍子抜けを通り越して苛立ったのだろうか。
寄越せと言わんばかりに、ずい、とビクターに手を出され、本能的にドライヤーをかき抱いた。
いわば、これと私は運命共同体だ。何処へ行くにも一緒だと、今決めた。
そんな私の心を知るよしもないビクターは、差し出した手をそのままにこちらを睨んでいる。イケメンの怖い顔は威力二倍だ。気を抜いたら従ってしまいそうで、強くドライヤーを抱きしめる。
無言のまま膠着状態に陥った私たちの空気を破ったのは、明るいセオの声だった。

『まぁまぁ、ヴィック。異界人の出現と魔法具の関係は知ってるだろ?彼女はこちらに怯えているわけだし、そんな神経質になるなよ』
『怯えた小動物ほど噛み付かれると手痛いというだろう。エイミー、いい子だから、こちらへ』
『だから堅物って言われるんだよ、お前。ほら見ろ、余計に怖がってる。エイミー、俺は怖くないよ』

エイミー、エイミー、とイケメン二人が子猫を呼ぶような音で私の名を連呼する。なんだこのハーレム感。
だが騙されてはいけない。彼らの関心はドライヤーにあるのだ。私が懐いた途端、待ってましたとばかりに引き離すに決まっている。
私は撫でれば従順になる子猫ではない。上田恵美、四大卒の社会人。窮地を笑顔で乗り切る技を、社会という戦場で訓練しているのだ。
さぁ、脳内教科書、レッスンツー・ディスイズアペン。

「でぃ、でぃすいず、まいどらいやー!」
『ドライヤー?』
「いえす!いっつまいん!いっつまい……でぃすてぃにー!!」
『ブッ!!!』

セオが盛大に噴いた。
それまで難しい顔をしていたビクターも、心なしかぽかんとした表情で私とドライヤーを見ている。
それほどにおかしな事を言った自覚は、ある。私の運命って……いや、皆まで言うまい。運命共同体を英語で何て言えばいいのかわからなかったのだから仕方のない事なのだ。

『ははは!ほんと面白いなエイミーは!まぁ、言葉は通じてるみたいだし、わかってるなら大丈夫なんじゃないか?』
『……本当にわかっていると思うか?』
『彼女がここに呼ばれた意味を?それはないだろうな。異界人は誰も理解しない』

セオは何事か喋りながらにこりと笑う。

『私の運命、ね。あながち間違いじゃないな』
『……』
『ま、警戒されている以上、手荒な真似は控えた方がいいと思うぜ。今日のところは』
『…そうだな。すまなかった、エイミー。それはもう取らない』

私の運命、で二人は納得してくれたようだ。それか頭の痛いやつだと思われたか。なんにせよ、カタコト英語でも気合と意地があれば何とかなるらしい。
ビクターはもう何もしない、とでも言うかのように両手を肩の位置まで上げ、こちらを伺うような視線を向けてくる。
これも罠か。いや、生真面目を体現しているような風に見えるビクターだから、安心していいのかもしれない。
肩の力を少し抜いた。日本人はつくづく甘いのだ。
私の緊張が解かれたのを察知したのか、ビクターが少しだけ口角を上げ、微笑んだ。なにこの彫像。眼福にも程がある。
ゆっくりと、彼は口を開いた。

『エイミー、君はこれから、俺の保護下にはいる。わかるか?』
「……のーあんだすたん」

正直、ゆっくり話されてもわからないものはわからない。
なんで一緒にきたのがドライヤーだったんだ。英和辞典の方がよかったじゃないか。
抱えたままのドライヤーをへし折りたい衝動にかられたが、まがりなりにも運命共同体、一時の気の迷いに振り回されては可哀想だと思いとどまる。これが折れる時は私の心が折れた時だ。

『エイミーはお前と一緒が嫌だってさ』
『茶化すな、セオ。エイミー、これは決められた事なんだ』
「ううーん?」
『んー、これは理解できてないって顔だな』
『弱ったな。伝わらなければ、また怯えられかねん』

皆でうーん、と首をひねる。
私が理解していないことは、おそらくセオとビクターにも伝わっているのだろう。だから子どもを諭すかのような口調で話してくれたのだと思うけれど、いかんせん英単語が聞き取れない。
ネイティブ発音されてもほとんど聞き逃してしまうので、これは私から意思疎通をはからなくてはならない流れだろうか。
自分の言いたいことだけ言って相手の話を聞かないだなんて、あまりいい気持ちではないけれど。

「えっと、あいうぉんとぅ…帰る…Uターン?ゆーたーんとぅほーむ?」
『は?』
『すまない、エイミー。家に帰りたい気持ちはわかるが、我々にはどうにもできない』
『…お前、よく普通に会話できるな……』

必死で脳内教科書並びに英語辞書をめくるけれど、セオの反応からしておそらく通じてない。
おそらくビクターも「わりぃお前何言ってんのか全っ然わかんねぇわ」みたいなことを言っているのだろう。そんなに口は悪くないだろうけど。
ビクターはなおも困った顔をしながら、今度は私にわかりやすいようにだろうか一音一音しっかりと発音してくれた。

『エイミー、君の家には、帰れない』
「えっと…帰れないってこと?…そっか」

ゆっくりと、確実に、感情が伺えないビクターの低い声が私に現実を突きつけてくる。
けれどそれは薄々感じていたもので、思いのほかすんなりと、彼に返事をすることができた。
ほんとうに受け入れられているのかはわからない。まだ心のどこかで、これは夢だと思っているのかもしれない。だからこんなに冷静なのだろうか。
現実味の薄いこの環境で、夢のようなイケメンに挟まれて。けれどコードの切れたドライヤーだけが唯一、私をこの場につなぎ止めている。

『だから、今日のところは、俺の家に帰ろう。かまわないだろうか?』
『ブフッ!!』
『…セオ』
『いや、悪い。お前が真面目な顔して女の子口説いてるから、つい』
『口説いていない』

セオがまた噴いた。真面目な空気が一瞬にして砕け散る。
ビクターのこめかみが引きつっているのが見えたのか、セオはもごもごと言い訳をしているようだった。もちろん何を言ってるのかはわからない。
私が聞き取れたのは、ビクターが『うちに帰ろう』と言ってくれた言葉だけだ。
日本の義務教育も無駄じゃなかった。こんなことならもう少し真面目に勉強しておけばよかったな、なんて、大人になれば誰しもが思うことだろうが、少しでも理解出来たのだから良しとする。
初めて意思疎通が成功したけれど、その感激に浸っている時間は非常に短いものだった。
よくよくビクターの発言を思い返していると、一つの単語が突っかかったのだ。

「…ん?まいはうす?てことは、ビクターの家!?」

…なんですって?
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