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「つっ……!」
飛び起きたレンの目に飛び込んで来たのは、眩しすぎる白だった。
桶の水をひっくり返した様に、全身を覆うじっとりとした汗がシーツを濡らしている。
――また……夢……。
それが夢だと気づいても、胸の動悸が収まらない。
頭は割れる様に痛み。固く握られた指は硬直して離れない。
「起きたか。また――うなされていたな」
レンが視線を上げると、其処には男が座っていた。
大樹を思わせる茶色の髪がかかった耳は、人間の其れとは明らかに違う。
その鋭い瞳にも似た切れ長の耳。
其れはエルフ族の特徴だ。
その特徴的な耳を除けば、外見はほぼ人間と変わらない。
だが明らかに異なるのは、その生活習慣だろう。
基本的にエルフ族は、森に居を構える。森を守り、その恵みによって暮らしていく。
彼らが『森の民』と呼ばれる所以である。
その他にも透き通る様な白い肌。
男女ともに整った顔立ちや、他を寄せ付けないその排他的な生活に神秘性を感じる者によって『森の賢者』『神の子孫』などと呼ばれたりもする。
しかし目の前の男の肌は褐色で、其れはダークエルフと呼ばれる種族だった。
「そのまま楽にしていろ。今、茶を淹れる」
「いつも……すまない。リアン」
鉄瓶から注がれたお湯が茶葉を満たし、湯気と共に香りが立ち昇る。
鎮静作用のある薬草を煎じたその芳香を嗅ぐだけで、レンは現実に戻っていく感覚がした。
「急いで飲むなよ」
「……子供じゃないんだ。わかってるよ」
「お前が子供じゃなくて良かった。もしそうだったのなら、俺は今頃頭を抱えている」
そう言って、リアンは濡れたシーツに視線を向ける。
湧き上がる羞恥心を悟られぬ様に、レンが窓に顔を向けた。
「……暑いんだよ。薪をくべすぎじゃないか? 薪代だってタダじゃないだろう?」
季節は秋。まだ冬の足音は聞こえてこないが、窓の外は少し肌寒そうに感じる。
それに比べて室内の温度は、驚くほど快適ではあった。もちろん少しも暑くはない。
「ああそうだ。タダではない。残念ながら、ここは森ではないからな」
何気ない冗談も、エルフが言うからタチが悪い。
そんなやりとりが少し楽しくて、ともすれば淀みがちな空気を払い飛ばす様なその気遣いが嬉しくて。
窓の外を見ながら、レンは少しだけ笑った。
二人が居るこの町の名はノイロン。
辺境にある小さな町で、目立った特産品も無ければ、歴史に刻まれる出来事の舞台にもならない。
世界中に数多く存在する、そんな場所の一つである。
ただ、二人が滞在している宿は――少し変わっていた。
「起きたかお前ら! ほら飯を食え! 飯を! 朝飯を食え!」
艶の良い禿頭に揃えた口髭。窮屈そうな半袖から伸びた腕は、レンの二倍程はあるだろうか。
豪快に笑うその男は、此処『花車亭』の店主だ。
「おはようございます。親父さん」
カウンターの奥に見える小部屋では、軽食と呼ぶには余りある料理がテーブルの上に並んでいる。
「毎朝よくもまぁ……。聖職者が見たら卒倒するんじゃないか?」
リアンが溜息をつく。
『朝食は堕落の始まり』と教会が宣布するくらいに、朝食は貴族などの富める者を除いて一般的ではなかった。
「若造が! そんな事を言っているからお前らは痩せっぽちなんだ。四の五の言わずに飯を食え」
痩せっぽち。と呼ばれる程二人は細くない。
そもそも筋肉が服を着て歩いてる様な店主に言わせれば、誰でも痩せっぽちではないか――と二人は思ったが口にはせず、大人しくテーブルに腰を下ろした。
一度朝食を断った他の客が、文字通りつまみ出される瞬間を目の当りにした事がある。
二人は覚悟を決めたように息を吐いて、皿に手を伸ばした。
「お前ら今日も行くんだろ? まぁ、今日は余りパッとしたモンはねぇがな」
店主がテーブルの上に並べたのは、所謂――依頼書であった。
金銭を対価に様々な依頼を遂行する。冒険者にとっては主な収入源である。
「ほう。商人の護衛。ゴブリン退治。……祖母の買物同行。古城に住み着いているかもしれないヴァンパイアの存在確認……。店主、『余り』パっとした物はない、と言わなかったか?」
リアンの眉がひきつる。
「良いんだよ! 依頼がねぇのは平和な証拠だ」
「平和な証拠……か。物は言い様だな。閑古鳥が幅を利かせていては、鳩も寄って来ないのではないか?」
ノイロンは小さな町だが、宿は他にもある。
そして残念な事にこの花車亭、お世辞にも大繁盛とは言えなかった。
「良く口が回るようだな若造。口寂しいのか? 食い足りないのか? うん?」
店主の反撃に分が悪いと感じたのか、リアンはスッと顔を背けた。
だが実際この宿屋に来る依頼の数は、店主の人柄によるものなのか、客の数を考えれば多い方だろう。
それはリアンも承知の上。おそらく朝食を強いられている事へのささやかな反抗心だろうか。
今のリアンに『森の賢者』の面影はない。
「まぁまぁ。ゴブリン退治でいいんじゃないか? 困っている人がいるなら、それで十分だよ」
ゴブリンは少し剣をかじった者でも討伐できる下級の魔族だ。
其の為報酬額も低く、それなりの冒険者なら忌避する依頼である。
しかし、レンはそうした依頼も率先して受けた。
そんなレンに、リアンは一度も文句を言った事は無かった。
「良し! そうと決まったらたんと食って、さっさと行きやがれ!」
笑いながら戻っていく店主の後姿を見て、二人はそっと器を置いた。
飛び起きたレンの目に飛び込んで来たのは、眩しすぎる白だった。
桶の水をひっくり返した様に、全身を覆うじっとりとした汗がシーツを濡らしている。
――また……夢……。
それが夢だと気づいても、胸の動悸が収まらない。
頭は割れる様に痛み。固く握られた指は硬直して離れない。
「起きたか。また――うなされていたな」
レンが視線を上げると、其処には男が座っていた。
大樹を思わせる茶色の髪がかかった耳は、人間の其れとは明らかに違う。
その鋭い瞳にも似た切れ長の耳。
其れはエルフ族の特徴だ。
その特徴的な耳を除けば、外見はほぼ人間と変わらない。
だが明らかに異なるのは、その生活習慣だろう。
基本的にエルフ族は、森に居を構える。森を守り、その恵みによって暮らしていく。
彼らが『森の民』と呼ばれる所以である。
その他にも透き通る様な白い肌。
男女ともに整った顔立ちや、他を寄せ付けないその排他的な生活に神秘性を感じる者によって『森の賢者』『神の子孫』などと呼ばれたりもする。
しかし目の前の男の肌は褐色で、其れはダークエルフと呼ばれる種族だった。
「そのまま楽にしていろ。今、茶を淹れる」
「いつも……すまない。リアン」
鉄瓶から注がれたお湯が茶葉を満たし、湯気と共に香りが立ち昇る。
鎮静作用のある薬草を煎じたその芳香を嗅ぐだけで、レンは現実に戻っていく感覚がした。
「急いで飲むなよ」
「……子供じゃないんだ。わかってるよ」
「お前が子供じゃなくて良かった。もしそうだったのなら、俺は今頃頭を抱えている」
そう言って、リアンは濡れたシーツに視線を向ける。
湧き上がる羞恥心を悟られぬ様に、レンが窓に顔を向けた。
「……暑いんだよ。薪をくべすぎじゃないか? 薪代だってタダじゃないだろう?」
季節は秋。まだ冬の足音は聞こえてこないが、窓の外は少し肌寒そうに感じる。
それに比べて室内の温度は、驚くほど快適ではあった。もちろん少しも暑くはない。
「ああそうだ。タダではない。残念ながら、ここは森ではないからな」
何気ない冗談も、エルフが言うからタチが悪い。
そんなやりとりが少し楽しくて、ともすれば淀みがちな空気を払い飛ばす様なその気遣いが嬉しくて。
窓の外を見ながら、レンは少しだけ笑った。
二人が居るこの町の名はノイロン。
辺境にある小さな町で、目立った特産品も無ければ、歴史に刻まれる出来事の舞台にもならない。
世界中に数多く存在する、そんな場所の一つである。
ただ、二人が滞在している宿は――少し変わっていた。
「起きたかお前ら! ほら飯を食え! 飯を! 朝飯を食え!」
艶の良い禿頭に揃えた口髭。窮屈そうな半袖から伸びた腕は、レンの二倍程はあるだろうか。
豪快に笑うその男は、此処『花車亭』の店主だ。
「おはようございます。親父さん」
カウンターの奥に見える小部屋では、軽食と呼ぶには余りある料理がテーブルの上に並んでいる。
「毎朝よくもまぁ……。聖職者が見たら卒倒するんじゃないか?」
リアンが溜息をつく。
『朝食は堕落の始まり』と教会が宣布するくらいに、朝食は貴族などの富める者を除いて一般的ではなかった。
「若造が! そんな事を言っているからお前らは痩せっぽちなんだ。四の五の言わずに飯を食え」
痩せっぽち。と呼ばれる程二人は細くない。
そもそも筋肉が服を着て歩いてる様な店主に言わせれば、誰でも痩せっぽちではないか――と二人は思ったが口にはせず、大人しくテーブルに腰を下ろした。
一度朝食を断った他の客が、文字通りつまみ出される瞬間を目の当りにした事がある。
二人は覚悟を決めたように息を吐いて、皿に手を伸ばした。
「お前ら今日も行くんだろ? まぁ、今日は余りパッとしたモンはねぇがな」
店主がテーブルの上に並べたのは、所謂――依頼書であった。
金銭を対価に様々な依頼を遂行する。冒険者にとっては主な収入源である。
「ほう。商人の護衛。ゴブリン退治。……祖母の買物同行。古城に住み着いているかもしれないヴァンパイアの存在確認……。店主、『余り』パっとした物はない、と言わなかったか?」
リアンの眉がひきつる。
「良いんだよ! 依頼がねぇのは平和な証拠だ」
「平和な証拠……か。物は言い様だな。閑古鳥が幅を利かせていては、鳩も寄って来ないのではないか?」
ノイロンは小さな町だが、宿は他にもある。
そして残念な事にこの花車亭、お世辞にも大繁盛とは言えなかった。
「良く口が回るようだな若造。口寂しいのか? 食い足りないのか? うん?」
店主の反撃に分が悪いと感じたのか、リアンはスッと顔を背けた。
だが実際この宿屋に来る依頼の数は、店主の人柄によるものなのか、客の数を考えれば多い方だろう。
それはリアンも承知の上。おそらく朝食を強いられている事へのささやかな反抗心だろうか。
今のリアンに『森の賢者』の面影はない。
「まぁまぁ。ゴブリン退治でいいんじゃないか? 困っている人がいるなら、それで十分だよ」
ゴブリンは少し剣をかじった者でも討伐できる下級の魔族だ。
其の為報酬額も低く、それなりの冒険者なら忌避する依頼である。
しかし、レンはそうした依頼も率先して受けた。
そんなレンに、リアンは一度も文句を言った事は無かった。
「良し! そうと決まったらたんと食って、さっさと行きやがれ!」
笑いながら戻っていく店主の後姿を見て、二人はそっと器を置いた。
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