干支っ娘!

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九鼠鬼を噛む?

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「あれ? 誰もいない……」
 なるべく急いで来たつもりだったけど、着いた時には誰の姿も無かった。
 昨日と同じ、空に浮かぶ大きな月がベンチを照らしている。この場所から見える景色は、何となく懐かしい気持ちにさせる。小さい頃、僕もここで遊んでいたんだろうか。
「かっ、神崎君、何してるの?」
 振り返ると、汗を浮かべ、肩で息をした中谷さんの姿。
「え? 何してるって、中谷さんが僕を呼んだんじゃないの?」
「えっ? 私呼んでませんよ?」
 僕の言葉に、少し驚いた様子で否定する。
 ここに来た理由を説明すると、やはり彼女は関係ないようだった。

「そうなんですか。私はたまたま神崎さんを見つけたので、気になって探していたんです。夜は危ないですからねっ」
 じゃあ一体誰が僕を呼び出したんだ? 
 ってか夜は危ないって、僕よりも中谷さんの方が何倍も危なそうだけど。補導されないのが不思議でたまらない。
「あ。もしかして中谷さんも知ってる?」
 彼女はコクンと頷くと、照れくさそうに笑った。
「十二支枝、子《ね》の韻です! 改めてよろしくですっ」 
 子の韻? 中谷さんが? 
……初めて会った時に見えたねずみのパンツ。あれは衝撃的だった。ふっさふさのねずみだったし。

「それにしても、一体誰が僕を……」
「う~ん。多分考えても分かりませんよ。とりあえずお家に帰りましょうっ。私、送って行きますから」
「えっ? いや、いいよ悪いし。一人で帰れるから大丈夫だよ」
「駄目です! 神崎君に何かあったら大変ですから。これも十二支枝の役目なんですっ! さっ、行きましょう」
 身体の小ささを感じさせない程、彼女の言葉には力強さがあった。
 そして僕を先導する様に歩き出す。一定の距離を保ちながら。


「私、まだ本当はよく分からないんです」
 立ち止まる事無く、器用に後ろ向きで歩きながら彼女が言った。
「蓮ちゃんみたいに強いわけじゃないし、自分にどんな力があるのかも分からないんです」
「僕も一緒だよ。何をすればいいのか全く分からないし、本当に僕なのか、何かの間違いじゃないのか、って今でも少し思ってる」
 石版を割ってしまったのは事実。そのせいで鬼の封印が解かれ、十二支枝が目覚めたのも間違いない。 だけど、僕は何も変わっていない。
「でも嫌じゃないんですよっ。こんな私でも、誰かの役に立てる力がある。そう思うと何だか強くなった気がして」
 愛嬌たっぷりの、はにかむような笑顔に少し見蕩れる。
 その時、突然彼女が足を止めた。

「戻りましょう。この先は何か嫌な感じがします」
 表情を強張らせた彼女の言葉に、元来た道を引き返す。
「どうしたの?」
「はっきりとは分かりません。でもとっても危険な感じがするんですっ」
 何かを感じたのだろうか。それも十二支枝の力なのか、僕には何も分からなかった。
 鬼に遭遇《あ》ってしまうんじゃないかという不安感が、僕達の足を早める。

 何度か回り道を繰り返し、ようやく家まで続く旧道に出る。だけど、ホッとしたのもつかの間。
 再び足を止めた彼女の頭越し――見えた影に息を飲んだ。

 前に見たものと同じ、夜の闇よりも濃い漆黒の影。
 地面に付きそうな程長い両手をだらりと下げて、僕達の行く手を遮るように其処に居た。
「中谷さん。とりあえず逃げるんだ。あいつの狙いは多分僕だから」
 彼女を危険に晒すわけには行かない。何も出来ない僕でも、逃げる時間を稼ぐくらいは出来るはず――そう思って声をかけたのだが、彼女からの反応はない。それどころか微動だにしない。 
 恐る恐る近づいてみると、いつもは決して縮まらない四メートルはあっという間だった。
「   」
 中谷百合子、完全に活動を停止、である。
 エンカウントした瞬間に、彼女の意識は何処かにいってしまったんだろう。黒目と共に。

 しかし目の前の鬼にそんな事が関係あるはずも無く、ジワジワと距離を縮めてくる。
『またタイミンク良く虎口先輩のカットインが』そんな期待に周囲を見渡してみても、やはり人生そう上手くはいかないらしい。
「こうなったら……。中谷さんゴメン!」
 完全に硬直した彼女を抱きかかえる。お姫様だっこの様な格好の良いものではない。彼女を肩に担いで走り出した。

 高校生にしては類を見ない小ささの彼女は、思っていたよりもずっと軽く。元々力にも足にも自信は無かったが、そこまでスピードダウンしている気がしない。
 ただがむしゃらに走る。コマ送りの様に流れる景色の中、視線は前だけを。闇に光を求める様に。
 だけど、やはり人生は上手くいかないものだ。

 一瞬、目の前が真っ暗になったと思った時、腹部に衝撃が走る。
「かはぁっ!?」
 何が起こったのかは、吹き飛ばされた時に見た、空に浮かぶ大きな月が教えてくれた。
 光は、近くに見えて凄く遠い。

 地面に激突した衝撃で全身が痺れる。
 中谷さんは……怪我をしていないだろうか……。
 身体が動かない。視界に入るのは、ゆっくりと近づいてくる鬼の姿だけ。
 ああ、もう駄目なんだろうな。
 いっその事このまま気絶してしまえば楽なんだろうが、尋常じゃない腹部の痛みがそうさせてはくれなかった。
 そして、影が僕を覆いつくした。

「あっ、悪霊退散!」 
 僕を覆った影は、前に立った中谷さんの姿だった。何かを持った両手を、鬼に向かって突き出している。
「な……中谷さん……。僕の事はいいから……早く逃げるんだ……」
「にっ、逃げません! 私も十二支枝です! 命に代えても神崎君を守る使命があるんですっ!」
「それに、このお札があれば大丈夫ですよっ!」
 小さい身体を震わせながらも、彼女は気丈に笑って見せた。
「御札……?」
 流石十二支枝。鬼に効く御札なんてものがあるのか。
 近寄れなくなるのか、それとも退治するのか分からないが、何にせよ助かった。
「はい! 御札です! 浴宮神社で買ってきたやつだから効果は抜群ですよね!」
 そうなのか、浴宮神社で。それなら安心だ――って何だって? 家の神社!?
「ちょ、ちょっと待って……。それ通販で仕入れた奴そのまま出してるだけなんだけど……」
 彼女の笑顔が一瞬にして曇った。当然の如く、鬼の歩みは止まる事は無い。
「えっ? えっ? えっ?」
 その場に座り込んでしまった彼女は、完全にパニックを起こしてしまった。
「早く逃げるんだ! 僕の事はいいから!」
 全身の力を振り絞るように叫ぶ。お願いだから逃げてくれ。
 くそっ、何で身体が動かないんだ。僕は何とかの末裔じゃないのかよ。特別な力は無いのかよ!

「いやあああああ!」
 訪れた闇に、彼女が悲痛な叫び声を上げた瞬間。突然彼女の身体が光りだした。
 そして光が消えた時、僕の目に映ったのは信じられない光景だった。

 頭がおかしくなってしまったんだろうか。それとも目の錯覚か。
 一人……二人……三人四人……。目の前には中谷さんが沢山いた。その数九人。
『もっ、もう怒ったでちゅよ!』
 そう言って、九人の中谷さんは鬼目掛けて一斉に飛び掛った。
 目の前で繰り広げられている戦い――これを戦いと呼んでいいのかは分からない。
 余りにも一方的。まさに数の暴力。四方八方の更に上、九方向からのフルぼっこだ。
 九対一などという、有り得ない対決の勝者は、誰が見ても明らかだった。

『ふぅ。びっくりしましたね。大丈夫でちゅか?』
 倒れこんだ僕にワラワラと駆け寄る中谷さんズ。これは夢か幻か。一体僕はどれを見て答えればいいのか、一向に視点が定まらない。
「だ、大丈夫だと思う……。中谷さんが沢山いるのが幻覚じゃなければ、だけど……」
『これ凄いでちゅよね! 私もビックリしました! 私に隠されてた力はこれだったんでちゅね~。うんうん『九鼠猫を噛む』って言いまちゅもんね!』
……それを言うなら『窮鼠猫を噛む』だと思うんだが。窮地の窮であって、九匹の九ではないはずだ。だけど、あえて言わないでおこう。

「と、とりあえず帰ろう――くっ……」
 立ち上がろうとした瞬間、腹部の激しい痛みに膝から崩れ落ちる。
『あっ! 無理しないで下さい! 私が家まで運びまちゅから!』
 そう言うと、彼女は僕を神輿の様に担ぎ上げた。九人で。
『皆で運べば重くない! でちゅ!』
 中谷さんズに担がれて見上げた月は、眩しい程に近く感じた。

『よいしょっ。よいしょっ』
 何だか凄く楽しそうに運ばれている。
 ってかこんなとこ人に見られたら大変だ。田舎道だから大丈夫だとは思うが。
「そういえば、中谷さんはどれが本体なのかな?」
『私でちゅよ』
 うん。全員だ。誰が本体とかなかったらしい。そしてしゃべり方がおかしい事には気づいていないのか? 触れてはいけないのか? 

『でも、良かったでちゅ』
 家まで後少し、ふと彼女が声を出した。
『これで私も十二支枝として、胸を張って生きていけそうでちゅ』
 顔は見えなかったが、その言葉は心からの安堵が読み取れた。
 その気持ち、何だか分かるような気がする。自分にどんな力があるか知らないまま居るのは、とても不安な事だ。

『やっと着きました~。もうちょっとでちゅからね! 皆頑張るぞ~! お~!』
 謎のテンションで石段を上がり始める中谷さんご一行。
 掛け声をかけた所で、全員本体なんだからただの一人芝居だ。
 この心地良い揺れともそろそろお別れか。女の子に抱えられて家まで送ってもらうだなんて、多分最初で最後だろう。ってかこのまま帰ったらやばいんじゃないか?母に見られたら説明のしようが無い。二人や三人ならともかく、九つ子って言い訳は流石に無理がある。
「ねぇ中谷さ――!?」
『きゃっ!?』
 石段を上がりきった瞬間、突然彼女の身体が光を放ち、僕を支えていた彼女達がふっと消えた。
 そして、僕はそのまま地面に叩きつけられた。
「あっ……。大丈夫です……か……?」
「いや……あんまり大丈夫じゃない……かも……」
――これで人数の問題は解決した。
 全身を襲う鈍痛の中、そんな事を考えていた。
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