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春来たれり
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『私立桃華女学園』
初中高等部からなる全寮制の女子校で、生徒及び教職員全てにおいて女性のみ。
入学に必要なのは平均以上の学力と財力。
その名を知らぬ者はいない程の、超がつくお嬢様学校である。
~で在った。と言った方が正しいのかもしれない。
何故なら、今から一年前に共学制となり『私立桃華学園』にその名を変えたからだ。
普通の女子校が共学になったわけではない。
天使達の楽園とまで言われる名だたる桃華女学園の共学制。
それは全国ニュースになるほどの大改革だった。
右を見ても、左を向いても女の子。
胸いっぱいに深呼吸すれば、脳が蕩けそうな程芳しい桃の香り。
下心を抱いた幾多の男子が涙を流し、笑みを浮かべたのか。
そんなのは僕に関係なかった。遠い世界の話、別次元の話だと言っても過言ではなかった。
――つい先日までは。
旅立ちを称える祝い桜も風に舞い、始まりを色づける。
パリっと糊の効いた新品のワイシャツに桃色のブレザー。
新しい服に袖を通したのは何年ぶりのことだろうか。
鏡に映る自分の姿を眺めながら、僕は笑みを抑えきれずにいた。
「おお、良く似合ってんじゃねぇか武」
背後から声をかけたのは僕の父。
肉体労働で培った筋骨隆々な身体に無精ひげ、頬に残る大きな傷跡が、精悍な顔立ちにハードボイルドに引き立たせている。
まぁ腹巻とステテコで台無しなのだが。
「そうかな? でも何だか落ち着かないよ、ピンクのブレザーなんて」
褒められた嬉しさと気恥ずかしさを悟られまいと顔を逸らす。
思春期ならではの行動だと自分でも思うが、素直にはなれない。
「ピンクが似合うのは男前の証拠だ。忘れ物ないか? 必要な物は全部バッグに詰めたか?」
「あ、うん。元々そんなに荷物なんてないし。――そう言えばコレ、手袋が片方しかないんだけど、父さん知らない?」
高校から送られてきた制服など一式。
その中に含まれていた薄ピンク色の手袋が何処を探しても片方しかない。
荷物を開いた時から両方揃ってるのを見てないから、失くしたとは考えにくい。
「知らねぇなぁ。学校の方で忘れたんだろ、行った時聞いてみな。それより、急いで飯食えよ。入学式に遅刻じゃ目つけられんぞ」
「大丈夫だよ多分。そんな学校じゃないしさ」
「いただきまーす」
傷だらけの欠けた丸テーブル。
上に載っているのは具の無い味噌汁とししゃも三匹、そして漬物。
貧相なのは父が給料日前だからではない。これが我が家の通常だ。
貧相なのは食事だけでなく、住んでる建物も、築七十年はゆうに超えるトタン屋根の長屋。
もちろん二階なんてない。
絵に描いたような貧困家庭で父と二人、僕達はつつましく暮らしていた。
食事を終え、準備を済ませて玄関に。
「じゃあ行ってくるよ」
「おお。頑張ってこいや――っと、渡すの忘れてた」
無造作に放り投げられた箱を、慌ててキャッチする。
それは我が家に存在しうるモノではない、文明の利器。スマートフォンだった。
「まさか……盗んで……? ――って痛っ!」
岩のような拳骨が振り下ろされた。
「馬鹿いってんじゃねぇよ。まぁ――高校生にもなれば必要だろうからな。寮に入るわけだし」
「あ、ありがとう……」
一体どうしてしまったと言うのだろうか。夢にしてはスケールがでかすぎる。
『実はパラレルワールドでした』
そう言われたら無条件で信じてしまいそうだ。
「ほら早く行けよ」
苦笑いを浮べながら、しっしっと手で追い払う仕草をする。
これから当分会えなくなる息子に対してとても適切だとは思えないが、これが僕の父。
「じゃあ、行って来ます」
既に父は背中を向け、肩越しにひらひらと手を振っていた。
面と向かっては出来ないから、それを確認した後、深々と頭を下げる。
――ありがとうございました。
心の中で、そう言いながら。
事の始まりは、突然さらりと放った父の一言。
「そういえば、お前の高校が決まった」
言われた時には、ついに父の頭がイカレてしまったかと心配した。
高校も何も、試験はおろか願書すら出してはいない。
高校のパンフレットではなく、職安のソレを見ていたくらいだ。
我が家の経済状況を鑑みるに、それが一番の選択だと判断していたから。
呆気にとられた僕を見て「何だ、高校行きたくないのか?」と言い放つ父に「行きたい」と告げた時。無造作に投げ捨てられた生徒手帳を見て、僕は思わず笑ってしまった。
それが公立の底辺高なら目を輝かせて喜んだに違いない。
だが、そこに書かれていた文字は余りにも馬鹿馬鹿しいモノだった。
『私立桃華学園』
初中高等部からなる全寮制の一貫校で、県内屈指の進学校でもある。
旧名が私立桃華女学園。いつから共学になったのかは分からないが、元々女子校な事もあり、男子の人数は驚くほど少ないとか何とか。
『桃華学園の制服に袖を通すのが女子の夢』
その言葉に異論を唱える女子はまずいない。
『夢』と言い切るあたり、桃色の制服を着用するのは容易ではない事がお分かりだろう。
成績優秀なのはもちろん、親の財力も必要だ。
一説では『天下の東大より難関』とさえ言われている。
そんな学校の生徒手帳を出されて「はいそうですか」と言える人間は天然を通り越してただの馬鹿だ。
そして、それが本当だと知った時の僕は、さぞ間抜けな顔をしていただろう。
初中高等部からなる全寮制の女子校で、生徒及び教職員全てにおいて女性のみ。
入学に必要なのは平均以上の学力と財力。
その名を知らぬ者はいない程の、超がつくお嬢様学校である。
~で在った。と言った方が正しいのかもしれない。
何故なら、今から一年前に共学制となり『私立桃華学園』にその名を変えたからだ。
普通の女子校が共学になったわけではない。
天使達の楽園とまで言われる名だたる桃華女学園の共学制。
それは全国ニュースになるほどの大改革だった。
右を見ても、左を向いても女の子。
胸いっぱいに深呼吸すれば、脳が蕩けそうな程芳しい桃の香り。
下心を抱いた幾多の男子が涙を流し、笑みを浮かべたのか。
そんなのは僕に関係なかった。遠い世界の話、別次元の話だと言っても過言ではなかった。
――つい先日までは。
旅立ちを称える祝い桜も風に舞い、始まりを色づける。
パリっと糊の効いた新品のワイシャツに桃色のブレザー。
新しい服に袖を通したのは何年ぶりのことだろうか。
鏡に映る自分の姿を眺めながら、僕は笑みを抑えきれずにいた。
「おお、良く似合ってんじゃねぇか武」
背後から声をかけたのは僕の父。
肉体労働で培った筋骨隆々な身体に無精ひげ、頬に残る大きな傷跡が、精悍な顔立ちにハードボイルドに引き立たせている。
まぁ腹巻とステテコで台無しなのだが。
「そうかな? でも何だか落ち着かないよ、ピンクのブレザーなんて」
褒められた嬉しさと気恥ずかしさを悟られまいと顔を逸らす。
思春期ならではの行動だと自分でも思うが、素直にはなれない。
「ピンクが似合うのは男前の証拠だ。忘れ物ないか? 必要な物は全部バッグに詰めたか?」
「あ、うん。元々そんなに荷物なんてないし。――そう言えばコレ、手袋が片方しかないんだけど、父さん知らない?」
高校から送られてきた制服など一式。
その中に含まれていた薄ピンク色の手袋が何処を探しても片方しかない。
荷物を開いた時から両方揃ってるのを見てないから、失くしたとは考えにくい。
「知らねぇなぁ。学校の方で忘れたんだろ、行った時聞いてみな。それより、急いで飯食えよ。入学式に遅刻じゃ目つけられんぞ」
「大丈夫だよ多分。そんな学校じゃないしさ」
「いただきまーす」
傷だらけの欠けた丸テーブル。
上に載っているのは具の無い味噌汁とししゃも三匹、そして漬物。
貧相なのは父が給料日前だからではない。これが我が家の通常だ。
貧相なのは食事だけでなく、住んでる建物も、築七十年はゆうに超えるトタン屋根の長屋。
もちろん二階なんてない。
絵に描いたような貧困家庭で父と二人、僕達はつつましく暮らしていた。
食事を終え、準備を済ませて玄関に。
「じゃあ行ってくるよ」
「おお。頑張ってこいや――っと、渡すの忘れてた」
無造作に放り投げられた箱を、慌ててキャッチする。
それは我が家に存在しうるモノではない、文明の利器。スマートフォンだった。
「まさか……盗んで……? ――って痛っ!」
岩のような拳骨が振り下ろされた。
「馬鹿いってんじゃねぇよ。まぁ――高校生にもなれば必要だろうからな。寮に入るわけだし」
「あ、ありがとう……」
一体どうしてしまったと言うのだろうか。夢にしてはスケールがでかすぎる。
『実はパラレルワールドでした』
そう言われたら無条件で信じてしまいそうだ。
「ほら早く行けよ」
苦笑いを浮べながら、しっしっと手で追い払う仕草をする。
これから当分会えなくなる息子に対してとても適切だとは思えないが、これが僕の父。
「じゃあ、行って来ます」
既に父は背中を向け、肩越しにひらひらと手を振っていた。
面と向かっては出来ないから、それを確認した後、深々と頭を下げる。
――ありがとうございました。
心の中で、そう言いながら。
事の始まりは、突然さらりと放った父の一言。
「そういえば、お前の高校が決まった」
言われた時には、ついに父の頭がイカレてしまったかと心配した。
高校も何も、試験はおろか願書すら出してはいない。
高校のパンフレットではなく、職安のソレを見ていたくらいだ。
我が家の経済状況を鑑みるに、それが一番の選択だと判断していたから。
呆気にとられた僕を見て「何だ、高校行きたくないのか?」と言い放つ父に「行きたい」と告げた時。無造作に投げ捨てられた生徒手帳を見て、僕は思わず笑ってしまった。
それが公立の底辺高なら目を輝かせて喜んだに違いない。
だが、そこに書かれていた文字は余りにも馬鹿馬鹿しいモノだった。
『私立桃華学園』
初中高等部からなる全寮制の一貫校で、県内屈指の進学校でもある。
旧名が私立桃華女学園。いつから共学になったのかは分からないが、元々女子校な事もあり、男子の人数は驚くほど少ないとか何とか。
『桃華学園の制服に袖を通すのが女子の夢』
その言葉に異論を唱える女子はまずいない。
『夢』と言い切るあたり、桃色の制服を着用するのは容易ではない事がお分かりだろう。
成績優秀なのはもちろん、親の財力も必要だ。
一説では『天下の東大より難関』とさえ言われている。
そんな学校の生徒手帳を出されて「はいそうですか」と言える人間は天然を通り越してただの馬鹿だ。
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