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chapter.16
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白い石膏の壁に、白いレースカーテン。
窓の外で生い茂る緑の隙間からの木漏れ日が、その部屋を一層白く見せる眩しい光景。そんな白い陽だまりの中に、一人の美しい女性がいた。
栗色の髪を緩くひとつに束ねた彼女は、窓際に置いた木製のチェアに、緩やかに腰掛け窓の外へと目を向けている。
彼女自身も飾り気のない白のワンピースを着ており、またその肌も陶器のように白いせいか、どこか現実味のない絵画のような光景だった。
二人分のコーヒーカップを手にそこへ歩み寄ると、こちらに気付いた彼女は微笑んで振り返る。ありがとう、貴方が淹れてくれるコーヒーが一番好きよ、とカップをひとつ受け取ってくれる。
香りを楽しむようにつんと尖った鼻先をカップへ寄せて、幸せそうに口元を緩める。大切な宝物を扱うように、そっと両手を添えて、淡い色の唇をカップの縁に触れさせる。どの仕草をとっても美しく見えた。
腰掛ける彼女の傍ら、のびのびと太陽へ手を伸ばす木々へと視線を移し、手元の真っ黒なコーヒーを何も足さずに一口飲む。
苦くてまずいな、と口にはせず思った。それでも、彼女が好んでおいしい、と言って口にするこの味を覚えていたかった。
「……起きたのか?」
ヨウが再び目を覚ました時、初めに聞いたのはジンリンの声だった。
眠りから覚めて、腹の力だけで上体を起こすものの痛みはない。腹に片手を当ててみれば、Tシャツは血塗れになって破れていたが、傷口は既に薄い痕となって残っているのみだ。
辺りを見渡してみれば、どこか建物の内部らしい。屋根の一部が欠けて、相変わらずの曇り空が見えているが、辺りにコフィンはなく、他の仲間たちはそれぞれ仮眠を取っているようだった。
「ジンリン、無事だったんだな」
彼女の姿を認めた途端に、安堵で頬が緩み思わず口に出た。彼女も、自分も、生きている。すると、随分と表情豊かになったジンリンの声が、溜息を交えて静かに言葉を紡ぐ。
「それはこちらの台詞だ……と言いたいくらいだが、おかげで無事だ。ありがとう。あと、すまなかった」
「なんで謝るんだ?俺はあの時、動きたいように動いただけだよ」
「……そうか」
そう応えるジンリンの表情は晴れない。
誰かの寝息と沈黙がその場に流れる。
もう一度腹の傷痕に手をやってみるが、あの迫りくる激痛や悪寒が嘘だったように傷口は塞がっている。誰かが手入れをしてくれたにしても、魔法でも使わない限りありえない治癒速度だ。
ヨウは腹をさすりながら気を失う前の出来事を思い出す。オグの鉤爪を真正面から受けて、全力で投げ飛ばして、アルコが泣いていて、それから――。
「なあ、ジンリン。オグはどうなったんだ?」
朧気になっている記憶を辿り、事の顛末を知ろうと彼女に訊ねると、実にシンプルな答えが返ってきた。
「私が殺したよ」
咄嗟に言葉が出なかった。
そんな様子のヨウへと凪いだ視線を向けながら、穏やかな口調でジンリンは続ける。
「突然酷い耳鳴りがして、忘れていたことを少し思い出して……。気付けば、目の前に血を流して死にそうなお前がいた。……ヨウ、お前は殺したくない、後味が悪いからだ、と言っていたな」
ジンリンの視線は少しもぶれない。
「子どもをあんな姿にして殺す奴が相手でも、仲間を殺そうとする奴が相手でも、同じことが言えるのか」
真正面からの問いに言葉が詰まった。彼女の前で虚飾は無意味だと分かる。
ジンリンのまっすぐな問いかけに、それまで逸らせずにいた視線を手元に落とす。乾いた血で汚れた手元を見詰めながら、答えを探した。ヨウは、まるで自分自身が何者かと問われているような気分になった。
この世界で目覚めて、自分が何者かも依然として分からない状況ではあるが、気付いた時からずっと「相手を殺す」という選択肢はなかった。そこには、本能にも似た、自分の存在を形作る根幹を揺るがす何かがあると、直感が訴えていた。
ヨウは、しばらくの間を置いた後、やはり変わらない自分の答えをジンリンへと返した。
「俺は、やっぱり殺せない」
「それはなぜだ」
「……殺したくないんだ、どんな奴が相手でも。殺されていい奴って誰が決めるんだ?って考えると、その先には進んじゃいけないような気がしてくるんだ」
正直な胸の内をそのまま言葉にしてみると、ジンリンが問いを重ねる。
「なら、オグを殺した私を軽蔑するか」
「まさか」
間を置かずに答えるヨウに、ジンリンが少し意外そうな目を向ける。
「殺したくないってのは、俺の問題で……なんていうか、俺のワガママだ。誰かを殺してしまったら、俺が俺でなくなってしまう気がするんだ」
「そうか」
見れば、再びそう頷いたジンリンの表情は柔らかかった。
口元に微かな笑みを乗せたまま、ジンリンはヨウに向けて穏やかに言葉を続けた。
「私は、オグを殺して後悔はしていない。だが、ヨウ。お前の考え方は嫌いじゃないよ。どんなに難しくても、できればその考えを貫いてほしいと思うくらいには」
「優しいなぁジンリンは」
いつの間にか起きていたらしいニシキが、寝そべって片肘をついた格好で二人のやりとりを聞いていた。
「何者かに殺し合いを求められてる……って考える方が自然なこの状況で、そんな呑気な主張がどこまで通用するかって話や」
「考えは自由さ」
ヨウが何かを答える前にジンリンがはっきりと応えた。
しかし、そんな答えでは納得がいかないとばかりに下唇を突き出したニシキが、寝そべったままヨウに視線を向ける。
「考え方はそら自由やけどな、問題なんは選択を迫られた時や。何かを守るために誰かを殺さなあかん、って状況まで追い詰められることかて十分あり得るんやで。その時、後悔のない選択がちゃんとできるか?」
本人が自覚しているかどうかは分からなかったが、ニシキの言葉には心配の色がありありと滲んでいた。黙って話を聞くヨウのまっすぐな視線を受けて溜息を吐き、やれやれ、とわざとらしく呟きながら体を起こすと、雑に自身の頭を掻いて言う。
「誰かを殺すの誰かってのにはなぁ、自分も入ってるんやからな?あんた、アルコが起きたら覚悟しといた方がええで」
窓の外で生い茂る緑の隙間からの木漏れ日が、その部屋を一層白く見せる眩しい光景。そんな白い陽だまりの中に、一人の美しい女性がいた。
栗色の髪を緩くひとつに束ねた彼女は、窓際に置いた木製のチェアに、緩やかに腰掛け窓の外へと目を向けている。
彼女自身も飾り気のない白のワンピースを着ており、またその肌も陶器のように白いせいか、どこか現実味のない絵画のような光景だった。
二人分のコーヒーカップを手にそこへ歩み寄ると、こちらに気付いた彼女は微笑んで振り返る。ありがとう、貴方が淹れてくれるコーヒーが一番好きよ、とカップをひとつ受け取ってくれる。
香りを楽しむようにつんと尖った鼻先をカップへ寄せて、幸せそうに口元を緩める。大切な宝物を扱うように、そっと両手を添えて、淡い色の唇をカップの縁に触れさせる。どの仕草をとっても美しく見えた。
腰掛ける彼女の傍ら、のびのびと太陽へ手を伸ばす木々へと視線を移し、手元の真っ黒なコーヒーを何も足さずに一口飲む。
苦くてまずいな、と口にはせず思った。それでも、彼女が好んでおいしい、と言って口にするこの味を覚えていたかった。
「……起きたのか?」
ヨウが再び目を覚ました時、初めに聞いたのはジンリンの声だった。
眠りから覚めて、腹の力だけで上体を起こすものの痛みはない。腹に片手を当ててみれば、Tシャツは血塗れになって破れていたが、傷口は既に薄い痕となって残っているのみだ。
辺りを見渡してみれば、どこか建物の内部らしい。屋根の一部が欠けて、相変わらずの曇り空が見えているが、辺りにコフィンはなく、他の仲間たちはそれぞれ仮眠を取っているようだった。
「ジンリン、無事だったんだな」
彼女の姿を認めた途端に、安堵で頬が緩み思わず口に出た。彼女も、自分も、生きている。すると、随分と表情豊かになったジンリンの声が、溜息を交えて静かに言葉を紡ぐ。
「それはこちらの台詞だ……と言いたいくらいだが、おかげで無事だ。ありがとう。あと、すまなかった」
「なんで謝るんだ?俺はあの時、動きたいように動いただけだよ」
「……そうか」
そう応えるジンリンの表情は晴れない。
誰かの寝息と沈黙がその場に流れる。
もう一度腹の傷痕に手をやってみるが、あの迫りくる激痛や悪寒が嘘だったように傷口は塞がっている。誰かが手入れをしてくれたにしても、魔法でも使わない限りありえない治癒速度だ。
ヨウは腹をさすりながら気を失う前の出来事を思い出す。オグの鉤爪を真正面から受けて、全力で投げ飛ばして、アルコが泣いていて、それから――。
「なあ、ジンリン。オグはどうなったんだ?」
朧気になっている記憶を辿り、事の顛末を知ろうと彼女に訊ねると、実にシンプルな答えが返ってきた。
「私が殺したよ」
咄嗟に言葉が出なかった。
そんな様子のヨウへと凪いだ視線を向けながら、穏やかな口調でジンリンは続ける。
「突然酷い耳鳴りがして、忘れていたことを少し思い出して……。気付けば、目の前に血を流して死にそうなお前がいた。……ヨウ、お前は殺したくない、後味が悪いからだ、と言っていたな」
ジンリンの視線は少しもぶれない。
「子どもをあんな姿にして殺す奴が相手でも、仲間を殺そうとする奴が相手でも、同じことが言えるのか」
真正面からの問いに言葉が詰まった。彼女の前で虚飾は無意味だと分かる。
ジンリンのまっすぐな問いかけに、それまで逸らせずにいた視線を手元に落とす。乾いた血で汚れた手元を見詰めながら、答えを探した。ヨウは、まるで自分自身が何者かと問われているような気分になった。
この世界で目覚めて、自分が何者かも依然として分からない状況ではあるが、気付いた時からずっと「相手を殺す」という選択肢はなかった。そこには、本能にも似た、自分の存在を形作る根幹を揺るがす何かがあると、直感が訴えていた。
ヨウは、しばらくの間を置いた後、やはり変わらない自分の答えをジンリンへと返した。
「俺は、やっぱり殺せない」
「それはなぜだ」
「……殺したくないんだ、どんな奴が相手でも。殺されていい奴って誰が決めるんだ?って考えると、その先には進んじゃいけないような気がしてくるんだ」
正直な胸の内をそのまま言葉にしてみると、ジンリンが問いを重ねる。
「なら、オグを殺した私を軽蔑するか」
「まさか」
間を置かずに答えるヨウに、ジンリンが少し意外そうな目を向ける。
「殺したくないってのは、俺の問題で……なんていうか、俺のワガママだ。誰かを殺してしまったら、俺が俺でなくなってしまう気がするんだ」
「そうか」
見れば、再びそう頷いたジンリンの表情は柔らかかった。
口元に微かな笑みを乗せたまま、ジンリンはヨウに向けて穏やかに言葉を続けた。
「私は、オグを殺して後悔はしていない。だが、ヨウ。お前の考え方は嫌いじゃないよ。どんなに難しくても、できればその考えを貫いてほしいと思うくらいには」
「優しいなぁジンリンは」
いつの間にか起きていたらしいニシキが、寝そべって片肘をついた格好で二人のやりとりを聞いていた。
「何者かに殺し合いを求められてる……って考える方が自然なこの状況で、そんな呑気な主張がどこまで通用するかって話や」
「考えは自由さ」
ヨウが何かを答える前にジンリンがはっきりと応えた。
しかし、そんな答えでは納得がいかないとばかりに下唇を突き出したニシキが、寝そべったままヨウに視線を向ける。
「考え方はそら自由やけどな、問題なんは選択を迫られた時や。何かを守るために誰かを殺さなあかん、って状況まで追い詰められることかて十分あり得るんやで。その時、後悔のない選択がちゃんとできるか?」
本人が自覚しているかどうかは分からなかったが、ニシキの言葉には心配の色がありありと滲んでいた。黙って話を聞くヨウのまっすぐな視線を受けて溜息を吐き、やれやれ、とわざとらしく呟きながら体を起こすと、雑に自身の頭を掻いて言う。
「誰かを殺すの誰かってのにはなぁ、自分も入ってるんやからな?あんた、アルコが起きたら覚悟しといた方がええで」
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