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序章
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─この國は、腐りきっている。
男は、刀についた血を、一振りで払った。人の血の脂を巻いている。しかしこの刀の斬れ味は、そうたやすく鈍くはならない事を男はよくわかっていた。
一体何人を斬っただろうか。男はよろけるように、前へ進んだ。
あちこちで、火があがっている。空気でさえ、燃えているようだった。吸い込む空気が、熱い。しかし、苦しいなどとは言っていられない事もよくわかっていた。戦場で弱みを見せれば、その先に待つのは死だけである。
男は、視線を上に向けた。
高く掲げられていた旗が、燃えている。散々、苦しめられてきた旗だ。
それが紅く、鮮やかに燃えている。沈んでいく夕陽に重なり、それはとても、美しく見えた。
あの旗をへし折る為に、いったい何人が犠牲になったのだろうか。考える前に、やめた。仕方のないことだと思った。
ひとり、そしてまたひとりと、前方から敵が来る。
─まだ来るのか。既に勝敗は決したはず。
刀を、男は鞘には納めていなかった。抜刀したままの刀で、流れるように、二人を斬る。
血。倒れる前の敵と、目が合った。その目に絶望の色はない。希望の光に似たようなものが映っている。男にはそう見えた。
なぜ、戦うのか。死して尚、その目に光を宿すのか。
「勝敗は決した!抗うのをやめよ!」
男は、声を、肚の底から振り絞った。
これ以上の戦いに意味はない。文字通りの、殲滅戦になる。わかりきっていることだ。
それでも敵は、向かってくる。一瞬の逡巡もなく、立ち向かってくる。
男は、小さく舌打ちした。
前方。簡素な鎧を着ているが、恐らく、纏っている雰囲気からも、隊長格だろうと男は思った。
まだ、隊長格の男が残っている事に、男はほんの少し驚いた。
「戦を、やめさせろ。これ以上の戦いに意味はない。両軍ともに、血を流しすぎた。これ以上は」
男が言い終わる前に、刀を持つ両手に衝撃が走った。
受け流す事ができない。鍔迫り合いになった。
敵も、刀だ。しかし振り下ろされたその力は、刀ではなく、金棒のそれのような威力があった。もはや刀には、言いようのないもの、いわば執念が宿っている。そうとしか思えなかった。
「そなたの装備からするに、隊長格と見た。戦を、やめてくれ。下の者達に、伝えてほしい。もう勝敗は」
諦めていない。相手の口は開いていないが、男にはそう伝わった。まだ、この戦況を覆せると思っているのだ。
「聞け。そなたらの総大将は、死んだのだ。おれが、討ち取った。潔く敗北を認めよ」
火花が散り、離れた。顔。表情が、読み取れない。相手の顔が血にまみれているからだ。相当な数を斬ったのだろう。手合わせをしてみて、かなりの手練れだということもよくわかった。
まだ、こういう敵が、この紅く燃える戦場に生きているのだ。総大将は、もういないというのに、だ。
「まだ」
ぽつりと、相手が何かを呟いた。
「まだ終わらせはしない。鮫島鬼兵太様が生きている限り、この國の希望は消えない」
「よく見ろ、そなたらの旗を。燃えているのが見えぬのか。本陣は、落ちたのだ。勝敗は決した」
「見えぬ!まだ、終わらせはしない」
刀。いや、金棒だ。まともに合わせれば、こちらの刀が折られる。咄嗟にそう感じ、男は一歩半、下がった。
風の音。呼吸を止めた。血が、飛ぶ。自分の血。斬られた。しかし、額の皮一枚だ。
敵が二撃目を繰り出す前に、男は右手に狙いを定めた。何かを考える前に、振り下ろす。
敵の右腕が、刀を握り締めたまま、地面に転がった。鮮血が吹き出る。
「鮫島様はまだ生きている。あのお方が生きている限り、俺は」
敵が言い終わる前に、男はその首を飛ばした。血が吹き出し、血の池が瞬く間にできあがる。
地面に転がる首と、刀を握ったままの右腕に一瞥し、男はようやく刀を鞘に納めた。
國の、腐敗。そんな事はわかっている。わかっているのだ。この國に広がる腐敗を止めることは、恐らくできないのであろう。
「それでも、おれは」
男は、更に歩みを進めた。まだ、島には残党がいる。戦は終わった。反乱軍の総大将は死に、旗も塵と消えた。降伏すれば命は助けると、そう説得して回るつもりだったが、どうやらそういう訳にはいかないらしい事が、男には痛いほどわかった。
「この國の腐敗を止める為ならば、おれは」
前方の敵。いったい何人の賊徒が、この島に潜んでいたのか。眼を閉じ、そして開ける。
そして一振りで、敵を斬り伏せる。
鮮やかすぎる血が舞った。敵とはいえ、同じ人間なのだ。斬れば赤い血が流れる。当然だ。
まだまだ、この刀の斬れ味は落ちはしない。
「鬼にでも、なる」
燃える戦場の更に奥。男は、歩みを進めていく。
やがてその背中は小さくなり、炎の中に消えていった。
男は、刀についた血を、一振りで払った。人の血の脂を巻いている。しかしこの刀の斬れ味は、そうたやすく鈍くはならない事を男はよくわかっていた。
一体何人を斬っただろうか。男はよろけるように、前へ進んだ。
あちこちで、火があがっている。空気でさえ、燃えているようだった。吸い込む空気が、熱い。しかし、苦しいなどとは言っていられない事もよくわかっていた。戦場で弱みを見せれば、その先に待つのは死だけである。
男は、視線を上に向けた。
高く掲げられていた旗が、燃えている。散々、苦しめられてきた旗だ。
それが紅く、鮮やかに燃えている。沈んでいく夕陽に重なり、それはとても、美しく見えた。
あの旗をへし折る為に、いったい何人が犠牲になったのだろうか。考える前に、やめた。仕方のないことだと思った。
ひとり、そしてまたひとりと、前方から敵が来る。
─まだ来るのか。既に勝敗は決したはず。
刀を、男は鞘には納めていなかった。抜刀したままの刀で、流れるように、二人を斬る。
血。倒れる前の敵と、目が合った。その目に絶望の色はない。希望の光に似たようなものが映っている。男にはそう見えた。
なぜ、戦うのか。死して尚、その目に光を宿すのか。
「勝敗は決した!抗うのをやめよ!」
男は、声を、肚の底から振り絞った。
これ以上の戦いに意味はない。文字通りの、殲滅戦になる。わかりきっていることだ。
それでも敵は、向かってくる。一瞬の逡巡もなく、立ち向かってくる。
男は、小さく舌打ちした。
前方。簡素な鎧を着ているが、恐らく、纏っている雰囲気からも、隊長格だろうと男は思った。
まだ、隊長格の男が残っている事に、男はほんの少し驚いた。
「戦を、やめさせろ。これ以上の戦いに意味はない。両軍ともに、血を流しすぎた。これ以上は」
男が言い終わる前に、刀を持つ両手に衝撃が走った。
受け流す事ができない。鍔迫り合いになった。
敵も、刀だ。しかし振り下ろされたその力は、刀ではなく、金棒のそれのような威力があった。もはや刀には、言いようのないもの、いわば執念が宿っている。そうとしか思えなかった。
「そなたの装備からするに、隊長格と見た。戦を、やめてくれ。下の者達に、伝えてほしい。もう勝敗は」
諦めていない。相手の口は開いていないが、男にはそう伝わった。まだ、この戦況を覆せると思っているのだ。
「聞け。そなたらの総大将は、死んだのだ。おれが、討ち取った。潔く敗北を認めよ」
火花が散り、離れた。顔。表情が、読み取れない。相手の顔が血にまみれているからだ。相当な数を斬ったのだろう。手合わせをしてみて、かなりの手練れだということもよくわかった。
まだ、こういう敵が、この紅く燃える戦場に生きているのだ。総大将は、もういないというのに、だ。
「まだ」
ぽつりと、相手が何かを呟いた。
「まだ終わらせはしない。鮫島鬼兵太様が生きている限り、この國の希望は消えない」
「よく見ろ、そなたらの旗を。燃えているのが見えぬのか。本陣は、落ちたのだ。勝敗は決した」
「見えぬ!まだ、終わらせはしない」
刀。いや、金棒だ。まともに合わせれば、こちらの刀が折られる。咄嗟にそう感じ、男は一歩半、下がった。
風の音。呼吸を止めた。血が、飛ぶ。自分の血。斬られた。しかし、額の皮一枚だ。
敵が二撃目を繰り出す前に、男は右手に狙いを定めた。何かを考える前に、振り下ろす。
敵の右腕が、刀を握り締めたまま、地面に転がった。鮮血が吹き出る。
「鮫島様はまだ生きている。あのお方が生きている限り、俺は」
敵が言い終わる前に、男はその首を飛ばした。血が吹き出し、血の池が瞬く間にできあがる。
地面に転がる首と、刀を握ったままの右腕に一瞥し、男はようやく刀を鞘に納めた。
國の、腐敗。そんな事はわかっている。わかっているのだ。この國に広がる腐敗を止めることは、恐らくできないのであろう。
「それでも、おれは」
男は、更に歩みを進めた。まだ、島には残党がいる。戦は終わった。反乱軍の総大将は死に、旗も塵と消えた。降伏すれば命は助けると、そう説得して回るつもりだったが、どうやらそういう訳にはいかないらしい事が、男には痛いほどわかった。
「この國の腐敗を止める為ならば、おれは」
前方の敵。いったい何人の賊徒が、この島に潜んでいたのか。眼を閉じ、そして開ける。
そして一振りで、敵を斬り伏せる。
鮮やかすぎる血が舞った。敵とはいえ、同じ人間なのだ。斬れば赤い血が流れる。当然だ。
まだまだ、この刀の斬れ味は落ちはしない。
「鬼にでも、なる」
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