異世界ミニチュア生活

Mizuku

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3.幸せの日々の崩壊〈下〉

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 アステイラ王国は壁に囲まれた国だ。
 一層は貴族街、二層は平民街、三層は貧民街。それぞれには壁があり明確に別かれている。
 元は一つの島国の領地でしかなかったが、いつしか魔物と呼ばれる化け物が闊歩するようになり、それぞれの領地で壁を作り自然と独立していったのだ。何十年か前は外交することもあったが壁の外の危険は増すばかり、現在は鎖国状態にある。

 そんな限られた領土しかないアステイラ王国で問題になっているのは、人口の増加である。
 農業も物の生産も一番広い二層の平民街で行われている。当然一番人口が多いのも平民街だ。
 マンションのようなものがないこの国で家と言えば平家である。商店街から離れた場所に住宅街がありそこにたくさんの平家が並んでいる。
 ザックのパン屋も商店街にあり、家は住宅街にある。自宅兼お店というのはこの国にはあまりない。お店はコンパクトに並んでいて自宅ほどの大きさはないのだ。
 家のないものは宿屋に住むか、土地があくまで我慢しなければならない。けれどそんな生活は長くと続かないものだ。犯罪者や金銭面的事情など、なんらかの事情で平民街からあぶれた者は三層の貧民街行きとなる。


 炊き出しの日がやってきた。セレステは無事、父と共に予約のパンを完成させ、現在は他の食料班と一緒に荷馬車に乗って貧民街に向かっている。周りの大人達は「体調が治ってよかったな」などとザックに話しかけている。その様子を横目に見てセレステは息をつく。

 ──今の所問題なし。お母さんのことは誰も触れてないし、問題なさそう?

 母ヘザーのことを彼らが話題にしないのはセレステの仕込みである。「父と母は喧嘩中」「今はそっとしておいてほしい」「母の話題は避けて欲しい」と言っておいたのだ。その場凌ぎでしかないが、今後のことはザックが考えるはずなので今さえ乗り切ればいい。ヘザーとザックが離婚したなんて微塵も思っていない周囲の様子からして、多分引っ越すことになるんだろうなとセレステは考えている。
 父との新たな生活に思いを馳せるセレステを乗せた荷馬車は、二層の壁を越えて三層の貧民街へ入って行った。

 二層と三層の間の壁には当然のことに検問所がある。二層から出るのは楽でも三層から二層には中々いけないのだ。三層は治安が悪いため、三層の人間を二層に入れるわけには行かない。なので炊き出しの日は厳重な警備体制のもとかたまって行われる。三層の人々も炊き出しが欲しい為、基本的には大人しくしている。それでも稀に荷馬車に忍び込もうとしたり、どさくさに紛れて検問所を超えようとしたり、炊き出し班の平民に危害を加えようとする者も現れるため、護衛によって守られている。

「かーっ、俺らみたいな平民が護衛に守られるなんざ、この日だけはまるで貴族になったみたいだぜー」
「!」

 は今のザックには禁句なのだ。セレステはどきどきしながらザックの様子を伺うが、聞いていなかったようでほっとした。

 炊き出しの手伝いをしながらセレステは貧民街の様子を眺める。幼いセレステが炊き出しの手伝いに来るのは数えるほどしかない。
 
 剥がれかけた屋根に壊されたドア、奥に見えるゴミ山には一層や二層で不要となったゴミが積まれている。ボロボロの衣服をまとって炊き出しに来るのはほとんどが子供や老人だ。犯罪者や金銭面的事情で貧民街に行きつく者もいるが、貧民街に住んでいるほとんどは身寄りのない孤児と働けなくなった老人である。
 行き場もなく平民街でうろうろしている者は兵士によって貧民街に連れて行かれる。そのほとんどは貯金もなく、養ってくれる者もいない孤児と老人だ。この国には孤児院も老人ホームもない。
 貴族の資金提供によるこの炊き出しは、三層の貧民を助けるためという名目で行われているが、実際は二層の平民へのアピールだ。
 働けない老人になっても貴族は平民を見捨てていない、必要最低限の食事は用意していますよ、と。老いていずれ行きつく先は三層の貧民街、その平民の恐怖を払拭させたいのだと以前父ザックが言っていた。
 母に捨てられ、父は病んでいる。セレステがここに来る可能性は十分にあった。

 昼過ぎて食料班は撤収となった。パンのなくなったケースを荷馬車に積んでいく。順調だった。

「よー、ザック! 久しぶりじゃねぇか」

 撤収する食料班の代わりに広場で準備するのは衣類などを用意する衣類班だ。その中にはザックやセレステの知り合いもいる。今回セレステは、一緒に行動する食料班の人にしか注意をしていない。衣類班の人がザックに声をかけてくるのは想定外だった。
 栗毛の髪に適当に伸ばした癖っ毛の髪を一つに結んでいる男は、パン屋の常連でもありザックの友人だった。セレステはうっかりしていた。彼はよくザックを揶揄うのだ。

「セレステちゃんも久しぶり! 相変わらずなぁ!」
「「──っ!」」

 いつもであれば軽口で済んだ話だった。けれどザックとセレステの脳内では貴族男バイロンの言葉が思い出された。

 ──「どこの子かも分からぬ君」
 ──「ヘザーとは彼女が独身の頃から懇意にしていてね」

 ザックが悩まされていたうちの一つ。けれどセレステには思い浮かばなかった可能性。
 ということ。

 セレステは全身が冷えていくのを感じた。一瞬のことなのに背中はもう汗でぐっしょりと濡れているような気がした。
 おそるおそるザックの顔を見ると、その表情はであった。能面のように無感情な顔をしたまま、くるりと背を向け、そしてそのまま何も言わずに立ち去った。

「え、あ、ちょ、どーした!?」
「──お父さん!」

 慌てる友人、だが彼は仕事中でその場から動こうとはしない。護衛はこんな時に限って目を離している。職務怠慢にも程がある。セレステは一人で父ザックを追いかけた。

「待って! はぁはぁ、待って!」

 どんどん炊き出しの荷馬車から離れていく。ザックはどこに向かっているのか、目的地などないのか、後から考えたらセレステはとても混乱していたのだ。冷静に考えれば父ザックのことは護衛に報告して自分は荷馬車で待機していれば良かったのだ。だが、そんなことも考えられないほどに、セレステは父を追いかけたかった。

「お父さん!」
「っ!」

 体格差があるといえどザックは早歩きでセレステは全力、すぐに追いつくことができた。けれどザックの腕を掴もうとしたセレステの手をザックは振り払った。

「おと……さん? ど……して……?」

 セレステには一瞥もくれず、ザックは背を向けたまま歩き出した。

 直感で、セレステはそう思った。けれどセレステの足は恐怖で震えてその場を動けないでいた。追いかけないといけないとわかっていても足は縫い付けられたように動かない。

 幸せだった日々はまるで走馬灯のようにセレステの脳内に流れていく。
 我儘は言わなかった、いつもニコニコと愛嬌は忘れなかった、父ザックも母ヘザーも自分を愛していた、自分達は幸せだった──はずだ。
  
「……行かないでっ」

 セレステが振り絞るように出した声、悲痛な顔は、ヘザーが出て行った時のザックの姿によく似ていた。けれど、彼がそれに気づくことはなかった。
 
 立ち去っていく大きな背中。その背中が見えなくなってもずっと、セレステは目を離さなかった。離すことはできなかった。
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