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2024年12月25日。聖夜というのに穢れ切った自分。

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 2024年12月25日。


 久々にエッセイを書いてみた。



 何故エッセイから書き始めるのかと言うと、単純にまだ本格的に『課金ヒーロー』などの執筆中の創作活動を再開するエネルギーが回復していないからである。


 もう筆を置いてから数ヶ月経ってしまうが、前々から言っているようにここ僅か2年近くの苦境は本当に堪え切れないものがあるからだ。

 病気で衰え、不治の母。買い出しに行く度に被害妄想狂の異常者を警戒する恐怖。住んでいる場所が僻地となり、交通機関が非常に便利が悪くなり過ぎたこと。世の中全体の閉塞感や不幸な匂い…………。




 ただでさえ統合失調症で鬱状態になりやすい僕ごときの心を折るには充分過ぎるほどの苦境だ。




 故に、エッセイを書いても暗い内容ばかりになるだろう。もう当初のように『暗い内容になり過ぎないようにしよう』という自分なりのルールは守れそうもない。開き直った。自分にはネガティブ表現をしない創作や、もっと言えばネガティブに生きない人生そのものは不可能だ。




 創作をする気力が回復し切らないのに何故エッセイかと言えば、細かい話だが『ラノベや漫画など複雑で高度な取り組みをやれるほどではないが、何らかの創作物を出すなら……』と思ったのだ。



 ラノベや漫画などはとても高度で複雑な作りになっているから、綿密な創作計画や準備、忍耐や根気が必要だろう。エッセイならば日々起こった出来事に対してつらつらと自分の気持ちを描きつなげるだけだから、僕にとってはまだハードルが低いと感じたのだ。




 ……などと言うと、本気で創作活動をしている人に怒られ、罵倒されそうなものだが。スミマセン。飽くまで自分自身の肌感でそう思うだけです。





 それに、たとえネガティブなアレコレを書いているだけでも、少なくとも『執筆をする』という日常の習慣や癖が身につく。自分を労わりながら書いていれば、徐々にメンタルが回復してきたところでようやく本来の創作活動を再開、となるかもしれない。




 ただ、まだこれは初めの一歩だ。





 体力作りでも創作活動でも何でも、気を長くしてやり続けることというのは一時のテンションなどではなく、調子が悪かろうがやる気が多少出なかろうが、ただただ『習慣』として日常に刻み付けていくのが大事だ、と何処かで読んだ気がする。そうして習慣づけば、気力体力が大きく落ちていても創作が大体出来る。




 さて、今の自分はどうか。





 さすがに、日常に石を置いていくことから離れた今の状態では一時のテンションで書いてしまっている。よほど習慣づくまで時間がかかるだろう。






 要するにエッセイを突然書き始めれば僕の場合いつも通り。自分を癒し、自分の心身が回復するのを待つ儀式のようなものだ。特別エッセイで評価されようとか、創作意欲を全部満たそうとまでは思わない。仮にエッセイのWEB大賞などにエントリーしたとしてもなんらお金にもならないだろう。






 お金。人生に不可欠な物。それ単体ではなんら価値はなく、価値を発揮するのは経済活動によって何かと交換し、手放す瞬間にしか意味は無い物。





 そして、そういう物に執着すると、往々にして人間は不幸になるとも言われる。





 今、僕はお金に執着してしまっている。





 ある意味ではそれもそうだ。障害者年金頼みの生活で、生計を共にしている67歳の母もいつ決定的に病気が悪化して死ぬか解らないのだ。加えてこの未曾有の不景気・物価高・戦争。お金や財産を失って路頭に迷うことの不安と恐怖は常につきまとっている。




 お金だけでなく、僕はたった2年足らずですっかり心が荒み切ってしまったのかもしれない。





 6月に藤本タツキ原作の映画『ルックバック』を映画館に観に行っても、作り手目線で見過ぎたのか、それとも僕が異常なのか、周囲で嗚咽する観客が沢山いたり、同じ日に観に行っていた創作仲間がSNSで「あれは涙が止まらなかったよ」と言っていたりしていたのに、まるで涙が出たり、激しく心を揺さぶられるといった感動体験が無かったのだ。




 さらには、人間ならば毎年嫌でも馴染みの出来事だが、有名人とか芸能人の訃報はずっとニュースに流れて来る。無論一般人だが惨たらしい事件や災害に巻き込まれて死んでいった人の話も。




 数年前の自分なら素直に人の死を悼み、故人を偲ぶ気持ちが働いていたものだが、今はまるで……『この人は生まれながらに清らかで、聖人でした!!!!』というような特別扱いされた報道などを見ると「人間は善と悪必ず両面嫌でもついて来るんだ。勝手に美化して同情を誘うんじゃあねえ!!」と吠えたくなってしまう。




 そのくせ、罪を犯した人やネットで非難されるような人は、希望を失って自害しても叩き続ける、あまりにもグロテスクな人間の惨たらしさ、歪み、卑怯さ。





 今の苦境にまみれて、余裕を失った僕にとっては何もかもそういった醜いものばかり全身に浴びてしまう気がする。人の死まで関わっているのに?




 僕はいよいよその人間としての邪悪な本性が剥き出しになってきて、心の狭い、醜い、穢れ切った人間へと変貌してしまったのだろうか。





 そういう想いが胸に湧き上がってくると同時に、自分が悪に落ちていくようなどうしようもない恐怖を感じてならないのだ。
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