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第3話 恋が引き起こす悲しみは僕には理解出来ない
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年季の入った黒革のカット座椅子へと、お爺さんは手招きする。
僕は座椅子に腰掛け、手に持っていたスタンプカードを見せる。
「いつも通りでお願いします。髪は1センチ、眉毛は2mmで縁を剃って……で、洗顔は無し、ヒゲは剃って」
お爺さんはゆっくりした動作でカードを手に取り、図解部分を確認する。
「はいはい……む……うむ~ん、えっ? んん……」
お爺さんが顔をしかめて唸る。
何か問題か? と思い振り返ると、お爺さんはおもむろに老眼鏡を取り出して掛け、カードを凝視した。
「……あの~……大丈夫ですか? わかります?」
「……ああ、わかったわかった。あんた、ウチの常連さんやったね。荒川……光さん! 孫の人志がいつもスポーツ刈りにしとる! いつもお世話様じゃのう!」
「いえいえ、お世話になってるのはこちらこそ……それより、あの……」
いつも僕の髪をサッパリしたスポーツ刈りにしてくれている理容師さん。人志さんって名前だったのか……今まで名前の話題にならなかったから聞かなかったな……。
いや、そんなことより――――
「その……人志さんと、他の理容師さんはどうしたんですか? 貴方以外誰もいませんけど……」
僕は不安になった。いつも見慣れないこのお爺さんがカットするのか? それに、理容師が揃っていなくなるなんて……。
「ああ……人志らなら、交通事故に遭いましての……実家で療養中ですわ」
「ぱええっ!?」
僕は思わず「はい?」と「ええっ」が変な具合に混ざった奇声を上げて驚いた。
「他の従業員連れて、有馬温泉まで車で慰安旅行に行きましての……長年付き合ってきた彼女がレズビアンだったとかで、いっきなり別れ話を切り出されての……従業員皆で励ます為に行ったらそのまま――――」
「え、ちょっ! 交通事故!? ていうか、レズの人だったの!? 付き合い始める前に気付くもんなんじゃないんですか……?」
続けて驚いた。
突然、いつもカットしてくれていた理容師さん(名前:人志さん)が事故に遭ったと言うのはもちろんだが、付き合っていた恋人が何を思って己の性さがを押し殺してまで男性と付き合っていたのか……僕には皆目見当もつかなかった……。
「……人志は……」
「え、あ、はい」
「車で出発する直前……『みんな! 僕が僕でなくなったら全員で全力で止めてねッ!』と言っておった。そしていつもとは違う重い足取りで運転席に――――」
「それ、もう人志さん、人志さんでなくなってるよ! 魔が差してきてるよ! 運転手交代しろよ!」
「あああ……人志の奴め……停めてあったロードローラーへ事故る瞬間……『僕らの未来あすへッ! アクセラレーションッ!!』と高らかに叫んで笑いながらエンジン全開・アクセル全開・フルスロットルで爆走しおった……」
「ほらほらほら……案の定正気を失ってるじゃん……と、ともかく……御愁傷様で――――」
「どうするかのお……ぶつかったロードローラーの弁償代……人志の車は大破炎上じゃったが……」
「いや! 先に人志さんのこと! 心配しろよ!」
あまりにも急展開な上、人志さんの祖父は思考が飛躍している。いや、思考が別次元にワープしている。僕はこの尋常ならざる話に思わず立場を忘れて突っ込みを入れた。
知らなかった。
破局するのが目に見えていたはずの恋愛がきっかけで、ここまで他人の精神を混沌の底へと叩き落とすことがあるなんて……彼女いない歴=実年齢の僕は、男女の恋愛とか性とかが巻き起こす壮絶な災厄にただただ嘆息した。
僕も気を付けよう……軽々しく異性を求めるもんじゃない。男性の若さゆえのアレを嗜めるモノを眺めているだけで当分はいいや。
そうやってその時僕は、そもそも恋愛に発展していたかも怪しい事案からの結末を見て、多分に偏った恋愛訓を得た。
「ううっ……まあ、幸い人志らは生命に別状が無くて良かったわい……」
「無事だったのか……ロードローラーに向かって爆砕して大破炎上したのに……」
「顔面にガラスとか鉄骨とか刺さりまくって人前に出られる状態じゃあないからの……しばらく、ワシが代理というわけじゃて」
「そ、そうだったんですか……お辛い話をさせてすみませんでした……」
人志さんたち理容師たちが(顔面を損傷したとはいえ)無事だったことにひとまず安心しつつ、僕は椅子に座り直して正面の鏡へ向いた。
「いやあいやあ、こちらこそ胸糞悪い話をして済まなんだ……ほいじゃ、スポーツ刈りにするでの」
「お願いします……」
僕は一度深呼吸して気持ちを落ち着け、目をつぶってお爺さんのカットを受けた。
「――――じゃあやりますよ。ホイッ!!」
――――ひと声、裂帛の気合いを発するなり、ただでさえプルプル震えている腕を更に暴れさせながら、お爺さんはハサミで切る、というか斬り掛かって来た!
「いっ、痛ッ! 痛ッ!! ちょちょちょ、爺さん落ち着いてッ!!」
「動いちゃならんっ!!カットが乱れるし危ないからのッ!!」
「いや、危ないのは爺さんそのものだからッ!! やめて! こ、殺される」
発狂した目の前の老人は荒ぶる腕にハサミとカミソリをデスメタルの曲調の様なテンションで踊らせながら、涙を流していた。
「弁償せにゃならんロードローラーの悔しみ……はらさでおくべきかーっ!!」
「いや、だから人志さんの心配しろって……ぎゃあああああああ!!」
――――昼下がりの街中。
外には聞こえないが、古ぼけた床屋の中で髪の毛と鮮血と狂気が舞う阿鼻叫喚が響き渡っていた――――
僕は座椅子に腰掛け、手に持っていたスタンプカードを見せる。
「いつも通りでお願いします。髪は1センチ、眉毛は2mmで縁を剃って……で、洗顔は無し、ヒゲは剃って」
お爺さんはゆっくりした動作でカードを手に取り、図解部分を確認する。
「はいはい……む……うむ~ん、えっ? んん……」
お爺さんが顔をしかめて唸る。
何か問題か? と思い振り返ると、お爺さんはおもむろに老眼鏡を取り出して掛け、カードを凝視した。
「……あの~……大丈夫ですか? わかります?」
「……ああ、わかったわかった。あんた、ウチの常連さんやったね。荒川……光さん! 孫の人志がいつもスポーツ刈りにしとる! いつもお世話様じゃのう!」
「いえいえ、お世話になってるのはこちらこそ……それより、あの……」
いつも僕の髪をサッパリしたスポーツ刈りにしてくれている理容師さん。人志さんって名前だったのか……今まで名前の話題にならなかったから聞かなかったな……。
いや、そんなことより――――
「その……人志さんと、他の理容師さんはどうしたんですか? 貴方以外誰もいませんけど……」
僕は不安になった。いつも見慣れないこのお爺さんがカットするのか? それに、理容師が揃っていなくなるなんて……。
「ああ……人志らなら、交通事故に遭いましての……実家で療養中ですわ」
「ぱええっ!?」
僕は思わず「はい?」と「ええっ」が変な具合に混ざった奇声を上げて驚いた。
「他の従業員連れて、有馬温泉まで車で慰安旅行に行きましての……長年付き合ってきた彼女がレズビアンだったとかで、いっきなり別れ話を切り出されての……従業員皆で励ます為に行ったらそのまま――――」
「え、ちょっ! 交通事故!? ていうか、レズの人だったの!? 付き合い始める前に気付くもんなんじゃないんですか……?」
続けて驚いた。
突然、いつもカットしてくれていた理容師さん(名前:人志さん)が事故に遭ったと言うのはもちろんだが、付き合っていた恋人が何を思って己の性さがを押し殺してまで男性と付き合っていたのか……僕には皆目見当もつかなかった……。
「……人志は……」
「え、あ、はい」
「車で出発する直前……『みんな! 僕が僕でなくなったら全員で全力で止めてねッ!』と言っておった。そしていつもとは違う重い足取りで運転席に――――」
「それ、もう人志さん、人志さんでなくなってるよ! 魔が差してきてるよ! 運転手交代しろよ!」
「あああ……人志の奴め……停めてあったロードローラーへ事故る瞬間……『僕らの未来あすへッ! アクセラレーションッ!!』と高らかに叫んで笑いながらエンジン全開・アクセル全開・フルスロットルで爆走しおった……」
「ほらほらほら……案の定正気を失ってるじゃん……と、ともかく……御愁傷様で――――」
「どうするかのお……ぶつかったロードローラーの弁償代……人志の車は大破炎上じゃったが……」
「いや! 先に人志さんのこと! 心配しろよ!」
あまりにも急展開な上、人志さんの祖父は思考が飛躍している。いや、思考が別次元にワープしている。僕はこの尋常ならざる話に思わず立場を忘れて突っ込みを入れた。
知らなかった。
破局するのが目に見えていたはずの恋愛がきっかけで、ここまで他人の精神を混沌の底へと叩き落とすことがあるなんて……彼女いない歴=実年齢の僕は、男女の恋愛とか性とかが巻き起こす壮絶な災厄にただただ嘆息した。
僕も気を付けよう……軽々しく異性を求めるもんじゃない。男性の若さゆえのアレを嗜めるモノを眺めているだけで当分はいいや。
そうやってその時僕は、そもそも恋愛に発展していたかも怪しい事案からの結末を見て、多分に偏った恋愛訓を得た。
「ううっ……まあ、幸い人志らは生命に別状が無くて良かったわい……」
「無事だったのか……ロードローラーに向かって爆砕して大破炎上したのに……」
「顔面にガラスとか鉄骨とか刺さりまくって人前に出られる状態じゃあないからの……しばらく、ワシが代理というわけじゃて」
「そ、そうだったんですか……お辛い話をさせてすみませんでした……」
人志さんたち理容師たちが(顔面を損傷したとはいえ)無事だったことにひとまず安心しつつ、僕は椅子に座り直して正面の鏡へ向いた。
「いやあいやあ、こちらこそ胸糞悪い話をして済まなんだ……ほいじゃ、スポーツ刈りにするでの」
「お願いします……」
僕は一度深呼吸して気持ちを落ち着け、目をつぶってお爺さんのカットを受けた。
「――――じゃあやりますよ。ホイッ!!」
――――ひと声、裂帛の気合いを発するなり、ただでさえプルプル震えている腕を更に暴れさせながら、お爺さんはハサミで切る、というか斬り掛かって来た!
「いっ、痛ッ! 痛ッ!! ちょちょちょ、爺さん落ち着いてッ!!」
「動いちゃならんっ!!カットが乱れるし危ないからのッ!!」
「いや、危ないのは爺さんそのものだからッ!! やめて! こ、殺される」
発狂した目の前の老人は荒ぶる腕にハサミとカミソリをデスメタルの曲調の様なテンションで踊らせながら、涙を流していた。
「弁償せにゃならんロードローラーの悔しみ……はらさでおくべきかーっ!!」
「いや、だから人志さんの心配しろって……ぎゃあああああああ!!」
――――昼下がりの街中。
外には聞こえないが、古ぼけた床屋の中で髪の毛と鮮血と狂気が舞う阿鼻叫喚が響き渡っていた――――
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