創世樹

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第20話 苦悩を捨てた男

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 テイテツはいつものように抑揚も、特別感情を付けるでもなく平坦なトーンでに、己の過去を語り始めた。テイテツの脳裏に、過去の出来事が蘇る――――


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「――おい! 何だア、このレポートはァ!? 書いてある薬剤と実際の薬剤の点数が違うじゃあないか!!」



「は、は、はい! 申し訳ありません! ミスでした!」



「いつでも『ミスでした』が通じると思うのか!! 私たちが行なっている研究は……即ち帝国の未来! 人民の幸福へと繋がる重要な任務なのだ! ほんの少しのミスも許さぬ心づもりで仕事に当たりたまえ!! 帝国を貶める気か!?」



「そ、そんな滅相もありませんよ……」




 ――部下に向けて怒鳴る眼鏡の男……彼こそが在りし日のテイテツ=アルムンドだった。




「――ちっ! もう昼休みじゃあないか。各自、しっかりと食事を摂り、午後の作業への滋養を完璧にするように!!」




 腕時計を見て、食事休憩の時間だと見ると、テイテツは他の研究員たちに碌に挨拶もせず足早に研究室を後にしてしまった。




 彼が去った後、研究員たちは異口同音に溜め息を吐いた。




「はあ……まぁたアルムンドチーフに怒られちまったよ……これで何度目だ? あんなにガミガミ言われたら、やってらんねえよ……」



「ホント、そうねえ……実力とやる気があるのは解るけど……いつもカリカリされたら却って能率落ちるわよね。もう少し人当りが優しかったらいいのに」



「全くだぜ。ここは軍の最前線ってわけじゃあないんだ。云わば後方勤務のひとつ。研究ぐらい伸び伸びやらせてくれよってんだ」



 そこへ、テイテツが出ていったドアからすぐ別の男が入って来た。研究員たちは、テイテツが戻って来たのか、とびくついた。



「――やあ、みんな。午前の仕事は……はは……その様子だと、またチーフにどやされたか……」



「サブチーフ~。何とかしてくださいよお、人員の配置ぃ。アルムンドチーフの下だと窮屈で堪りませんよ……」



 懇願する研究員に、サブチーフという肩書きの男は苦笑いした。



「……まあ、気持ちは解るよ。だが、彼の優秀さは君たちもよく知っているだろ? 洞察力、思考力、推察力、語学力、計算力、情報処理能力、精神的ガッツ、経験、純粋な知能指数の高さ……彼はガラテア帝国の『強さ』の定義から言えば、天才の部類に入る。苦手なのは、感情のコントロールだけさ……」




 サブチーフと呼ばれる彼の言う通りだった。



 テイテツは、当時その知的能力的には帝国で何十年に一人かと思われるほどの逸材であった。



 だが、烈しい気性と上昇志向、そして自身の感情のコントロールの不得手さから、周囲の人間からは嫌われがちだった。



「ルハイグサブチーフ! 今度の人事会議では貴方がチーフに立候補してくださいよ。ルハイグサブチーフなら優しいし、周りに朗らかに指揮出来るし……」


「そうですよー。ルハイグさんなら安泰だし、平穏です……」


 研究員たちは口々にルハイグを推し、テイテツを貶す。



「僕が? ははは……それは無理な話さ……僕は彼に仕事で敵うはずもなく…………何より僕は――――『バグ』の生まれさ…………」



「そ、それは……」

「そんなこと……」


 ルハイグが自嘲して言う『バグ』。これは帝国の学者などで言われる隠語やスラングの一種だ。



 『バグ』とはその名の通りコンピューターソフト類の『不具合』から来ている。ルハイグの家は、心身に障害を抱えて生まれるものが家族の中にいた。



 『力』や『強さ』を盲目的に信奉するガラテア帝国にとって、障害を持つことは『弱さ』と見なされ、それだけで険しい差別の対象だった。



 そして障害という『不具合』を持つ遺伝子を持つ家の者たちは…………学者たちから『バグ』と蔑まれていたのだ。



 ――だが、このルハイグという男は這い上がった。




「た、確かに……ルハイグさんのご家族はハンディキャップを持つ方がいらっしゃいます……でも、ルハイグさんご自身は何の問題もないじゃあないですか!」



「そうですよ! それに、そんな逆境にも負けずに必死に努力なさって……帝国立の大学も首席で卒業されてるじゃあないですか! 逆境にめげずに力を尽くされた……その努力だって立派な『力』ですよ……」



 ルハイグはその言葉に、苦渋を帯びながらも微笑み、頭を掻く。



「……ありがとう。気持ちは嬉しいさ。だが……この身が『バグ』となり得るような劣悪遺伝子保持者、という事実は拭えん。それに――――生まれ持った天才に『努力』という『力』を尽くし切っている者には、勝てんものさ。我が帝国もそれは覆らんだろう」



 『努力』を尽くし切っている天才。即ちテイテツを指して言う。テイテツはルハイグと同じ大学を、同じく首席、否。在学中から数々の革新的な論文を著し賞与を受けていた。実質的な成績はテイテツの方が勝っていた。ルハイグは部下の憂慮を苦笑いに留めた。



「――さあ、昼休みだぞ。今は目の前の研究に集中だ。しっかり食事を摂らんことには、力も出ない。また彼にどやされるぞ?」



「……はい」

「ううむ」


 研究員たちもまた、苦汁をなめるような想いで顔を背け、食事などの休憩に入った。



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「――ぐぐぐ……あの『オニ』遺伝子を持った被験体2体は、今からでももっと安全性を上げられんのか!? 否! それ以前の問題だ…………被験体とはいえ、彼らは『人間』に類するべきではないのか!? 彼らに『人権』は――――」



「――また昼食を携帯食料と缶コーヒーで済ますのか、ヒッズ」



 研究室の近くのラウンジで、ヒッズと呼ばれた眼鏡の天才は、しっかりとした食事を食べる間もなく、携帯食料を口に咥えて傍らに糖分がアリアリの缶コーヒーを啜りながらノート型端末を凝視していた。そこへルハイグが穏やかに声を掛ける。




「――ルハイグか。おい、君はどう思う? アナジストン孤児院に預けた例の『古代戦闘生物・オニ』遺伝子を組み込んだ被験体……院長からの定期報告だと確かに因子を起動していない状態でも既に凄まじい身体能力を秘めているのは明白! だが、因子を起動して臨戦状態に入った際のコントロールや精神面が今のままだと不安定極まりない! このままだと、もうすぐ行なう予定の実戦試験でも事故が起きるぞ!? 被験体2体が暴走すれば、当人は勿論我が軍全体の人命にも影響が――――!」




 ルハイグの存在に気付いたテイテツ――――否、本名・ヒッズ=アルムンドは、傍らのサブチーフに連打のように危険性を論じた。



「ヒッズ。少し落ち着けよ……君はいつも感情的になり過ぎるんだ。せっかく誰にも負けない頭脳を持っているのに、これでは部下の心が離れてしまうよ……」



「これが落ち着いていられるか!! 上は何も解っていない……『力』を得る為とはいえ、これはあまりにも生命倫理、さらには危険性を無視しすぎている!! 大体世界の覇権を獲るぐらいなら、今のままの軍備でも時間の問題だろうが!? そもそも、これほど『力』ばかり崇拝するやり方は欠点だらけ…………人間性を無視している!! 帝国は脳味噌まで見せかけの筋肉で出来たキマイラでも産み出す気なのか!?」



「……ヒッズ。その辺にしておけ。ここには憲兵も来るんだぞ…………」



「――ぐっ…………ッ!!」




 ラウンジの別の席から、軍服を着た男が鋭い一瞥を向けてきている。



「……ヒッズ。ちゃんと食事を摂れ。睡眠も。君は確かに帝国が誇る天才だ。僕も君ほど認めている男はいないと思っている……だが、感情に飲み込まれた人間はどんな者でも破滅へと至るものさ……碌に食事も睡眠も取らないと、いくら君でも病気に罹患して死んでしまうぞ。いいかい。事を成し遂げるには、まず心を尽くすんだ。人間は意志と心の生物だ……それを疎かにすると、人の中で生きられなくなり、化け物に――――」




「……心…………『心』か…………解っているさ……みんな、私がカッとなるせいでうんざりしているんだろ……私は、いくら多少頭が良かろうが、人の上に立つ柄じゃあないんだよ…………」




 そして、ヒッズは衝動的に立ち上がり、テーブルを蹴飛ばした。



「――――だったら、私は『化け物』でいいッ!!」



「ヒッズ…………」



「元々、私は昔っから他人と碌に交われない粗忽者なんだ! 『心』なんて…………こんなに頭を悩ませ、苦しみ……他者にまで苦痛を与える『心』や『感情』なんて、無くなってしまえばいいッ!! 私はただただ思考し、決断するだけ理性の機関になりたい…………『心』なんていらない…………だったら、『化け物』で十分だ!!」




「――――ヒッズ。」




 衝撃でノート型の端末が割れ、コーヒーを辺りにぶちまけた。帝国が誇る頭脳・ヒッズ博士――――否。誰からも期待され、常に力を尽くしながらも、どこか報われない。他人とも上手くコミュニケーションも取れない、なれど、本当は――――



「ヒッズ。君は実に優しい青年だな…………本当に心も持たない『化け物』ならば、他の研究員を哀れんだり、被験体2体の生命まで気にしたり出来ない。僕は、君のそういうところこそが真価だと思うんだが――――」




 ――激情を抑えられぬ、ただの孤独で優しき青年・ヒッズ=アルムンドは、ただただ頭を抱え、その場に泣き崩れていた。




「――うっ……うううっ…………人間の勝手で生み出された生命ひとつ責任を持てなくて…………何が科学だ…………何が天才だ…………くそっ……くそっ…………!」




「ヒッズ…………僕は君を尊敬していた。感情的になりながら、そうやって悩み苦しみながらも『人間』であることに絶望しない君こそが憧れだったんだ。そんな君が……これまでの努力を否定し、『心』を殺そうとするなら――――仕方ない。」




「――――うッ!?」



 ふとヒッズが振り返ると、先ほどの憲兵が、注射器をヒッズの首元に突き刺していた。鎮静剤だ――――





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 ヒッズは、ルハイグの指揮の下、別室の手術台に拘束された。




「――ヒッズ。聴こえるかい。今君は、知覚こそ働いているが、全身は全く動かない状態だ。このままでは、国家に仇為す恐れがある――――そう断じたガラテア軍は、君から『感情』を取り去り、より『理性』のみで生きられるように改造手術を施すことにした――――大切な友をこんな目に遭わせるのは『心』が痛むさ――――だが、君は、君が望む通り『心』を捨て去り、『心』から生じる苦悩から解放されて生きていけるだろう。せめて、執刀は僕……ルハイグ=フェシーラが行なう……さあ、目を閉じて――――」




 ――先ほどまで悲嘆に暮れていたヒッズは、悲しみとも怒りとも――――歓喜とも似つかぬ涙を流した後、穏やかに微笑んだまま、意識を失った――――




 そうして、彼は脳の大脳辺緑系を弱め、大脳新皮質、そして前頭葉を強化する手術――――即ち、『感情』を弱め、『理性』を強める措置を受けた。そしてそれらを一定のバランスでコントロールする電子脳もあちこちに埋め込まれたのだ――――




「――ここは。」




 手術が終わり、ヒッズが目を醒ますと……傍らにはルハイグが座っている。



「目が醒めたかね。気分はどうだい?」




 ヒッズは頭部の違和感から、静かに触れてみる。包帯がぐるぐるに巻かれて、ピンがあちこちに留めてある。



「気分……とても静かだ。何の感情の波立ちも、感慨も特にない。頭部への……手術か。違和感ぐらいだ。」



「これで……君は、君が術前に望んでいた通り……完全に『理性』に従って生きられるようになった。もう煩わしい『感情』に振り回され、余計なカロリーや脳細胞を浪費することもないさ――――これから、君は何を望む?」



「……私は――――」



 ヒッズは、意識が戻ったばかりでやや朦朧としつつも、しっかりとした声で答えた。



「――――アナジストン孤児院へ。出来れば、被験体へのリミッターを持って。」



 ヒッズは、感情を失い、理性のみで生きる存在となりつつも……どこか毅然とそう言い放った。



「――そうか……君の中の『理性』は、君の理想と願いは、やはりそういう行動を取るのか…………わかった。」




 ルハイグは、目の前の大きく変化した……変わり果てたと言ってもいい友を、沈痛なような憐れむような……しかし何かひとつの得心がいったような複雑な情念の面持ちをふっ、と浮かべたのち……傍らに持ってきていたアタッシュケースの鍵を外し、開けて見せた。



「……恐らく、君がそう言うだろうと予想していた。開発が間に合ったんだ……アナジストン孤児院に預けた被験体のリミッターをね。君がそれを願うなら…………これを携えてすぐにでも旅立つといい。」



「そうか。しかし、帝国がそれを許可するはずが…………」



「……そうでもない。実はな。君の研究室での振る舞い方の問題や、大学に在学中での数々の功績……軍はとっくに君を国家に仇為す何らかの知能犯になることを恐れて、君を処刑するつもりだったんだよ…………だが、僕が掛け合って、君を『研究員としては不能な、人体実験台にする』と言うことで……君は既に社会的に死んでいる存在となっている。戸籍なども既に死亡通知書を提出し、受理されている。無論
現に今の君はちゃんとこの世に生きていて、感情を捨てたけれども存在している。生命活動自体は問題ない。だから――」



「――私は、帝国を抜けて在野に下るというわけか。」



「さすがヒッズだ。察しの良さは変わらない。だが無籍で在野に下ると何かと困るだろう。僭越ながら、君の仮の戸籍謄本を用意しておいた。アナジストン孤児院で成すべきことを成したら、次は冒険者ギルド辺りでライセンスを獲得するといいだろう。」



「そうか。わかった。」




 そうしてルハイグは、アタッシュケースの中から偽造の戸籍謄本を取り出し、ヒッズに見せる。



「――ヒッズ=アルムンド。君はたった今からヒッズ=アルムンドではない。ヒッズは死んだ……今から君はテイテツ=アルムンド。テイテツとは蹄鉄《ていてつ》……その理想へと走り続ける早馬の如き君の歩みを守るための保護材をはめたのだ。今日から君も冒険者志望だ。僕が考えた名前だ。出来るだけ早く旅立つといい。」




「テイテツ……テイテツ=アルムンド、か。わかった……しかし、ここまでやるとルハイグ。君にも危険が及ぶのでは?」



 ルハイグは拳を握って応える。


「安心したまえ! 伊達に君と同じ大学を首席で卒業はしていない。物的証拠を残さず、根回しも完璧さ。強いて言えば……君が帝国に留まる方が危険かな」


 ヒッズ、否……テイテツ=アルムンドは深々と頷いた。


「わかった。感謝する。すぐに出発する――――」



「――ああ……寂しくなるが、健闘を祈る。我が友に幸あらんことを――――」



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「――――こんなところですね。こうしてエリーとガイに出会い、冒険者の一派として今に至るわけです。」




「……そんな…………いくら感情的になるのが邪魔だからって、心を殺しちゃったなんて…………」



「――狂気だな。お前の友はマッドサイエンティストもいい所だ。だが…………そのお陰でこの一行の『理性』として助けられているのは、事実だな……」



 思わぬテイテツの過去に、グロウは心を痛め、セリーナは半ば謗って見せる。



「ルハイグが人間として、科学者として異常なのは私も認めます。ですが、あの時は私たちが取れる限界の手段でした。感情が不能となった今では、それを振り返ってネガティブな想いに囚われることもありません。」




「テイテツ…………」



「――ふん。私はどんなに苦しんだとしても感情を捨てて生きるなど御免だな。だが……かつてのお前が『化け物』と化してまで理想を求めた覚悟だけは、認めてやる。」




「ありがとうございます。これからも皆さんをサポート致します――――おや。エリーとガイが戻って来たようですね。」




「――お待たせ~! みんな~」



「すまねえな、エリーの奴、こんな時でも聞かなくてよ――――ん? なんだセリーナ。変な顔して」




 セリーナは渋い顔で2人を睨む。




「……後で、お前ら2人に……仲間たちや子供への配慮やプライバシーと言うものを解らせてやる…………」



「あア……?」



 エリーもガイも、何のことやら、と言った面持ちだ。




「――さあ、全員揃った事ですし、これからの旅の方針について話し合いましょう。」




 ――今や解き放たれ、そして大きなものを喪ったテイテツは、飽くまでもいつもの通りの平坦な、抑揚のない声で皆を集めた――――
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