上 下
57 / 143

RE057

しおりを挟む
「だめ。駄目だ。やめろ。やめてくれ――――」
 嘆きに満ちた男の声が、耳にこびりついて離れない。


                                    
「黒姫奈」
 衝動的に胸元へ向かった手を、誰かの手が捕まえる。
「黒姫奈、私を見て」
 がっちりと掴まれた手は、どれほど力を込めたところでびくともしなかった。
 拘束に対する反発として振り上げようとした足を――しゅるり――細い帯状に伸びた影が絡め取って、押さえ込む。
 両手を一纏めにされ、組み敷かれた先は冷たく硬い〔クレイドル〕の底。
 押さえつけられてしまえば抵抗もままならない体へ覆い被さってくる男の姿は、直前までの「夢」とはまた別の、にとって「嫌な記憶」を呼び起こす。

「やだっ」
 怯えの滲む声。
 誤魔化しようもなく震えた体。
「ごめん」
 一纏めに掴んでいた手首を放した男が、〔クレイドル〕の底で縮こまろうとした体を抱き起こし、腕の中へとしまい込む。
「お前の嫌がることは、もうしないから」

 その言葉が、吸血鬼に〔花嫁〕の自死を許させるほど重い誓いであることを、は既に知っていた。


                                    
 はっ、と息を呑んだ女の体が、回した腕の中でみるみる弛緩する。
「キリエ……?」
「うん」
 どくどくと脈打つよう溢れ続けていた血が止まり、どこもかしこも血塗れの手が持ち上がる。
「これって……夢?」

 それとも私、義体の使いすぎで自分の体がわからなくなってる?

「夢だよ」
 馬鹿げたことを口走る女の体を、影を渡る要領で、キリエは血溜まりのようになりつつある〔クレイドル〕から連れ出した。
「夢に決まってる」
 キリエが注ぎ込む魔力に侵されて、伊月の「夢」が変質する。
 なんの警戒もなく預けられた体と同様に、魔術師としての伊月が己の眠りを守るため張り巡らせた防壁は、編み込まれた魔力の供給元であるキリエの干渉を阻みはしない。
「ゆめ……」
 固有領域の寝室を再現した空間。下ろされたベッドの上で半身を起こした黒姫奈伊月が、自身の惨状に気付いて顔を顰める。
「普通に起こしてくれればよかったのに」
 伊月が夢を夢と自覚するまで、キリエも何度そう思ったか知れないが。今日ばかりはそうするわけにもいかない理由があった。
「『捕捉できたら殺さず生け捕りにすること』」
「うん……?」
「お前が言ったんだよ」
 無残に肉を抉られた胸元へと口付けて、キリエは小首を傾げた黒姫奈伊月にもはっきりとわかるよう、アストラルボディに近いものがある仮初の体へと魔力を注ぐ。
「それ、くすぐったい」
 折り砕かれた骨を正しく繋げ、足りない血肉を魔力で補い、千切れた血管や神経を敷き直した上へと蓋をするよう皮を張る。
 徒人のマテリアルボディを扱うよう繊細な魔力操作で癒やした体は、作業を終えたキリエが顔を上げる頃にはしっとりと汗ばみ、その肌を淡く色付かせていた。

 熟れかけた体を抱き起こし、膝に乗せた黒姫奈伊月へキリエが強請ると。熱っぽい吐息を零した女の視線が、値踏みするよう落ちてくる。
「ちゃんと捕まえたの? 生きたまま?」
「お前の夢に潜り込もうとしたから、よっぽど殺してやろうかと思ったけど」
「夢魔か何かだったの?」
「知らないよ」
 実際の労力よりも、必要とした忍耐に対する報酬ごほうびを強請るキリエ。
 その頬へと血塗れの手を添えて、黒姫奈伊月はさもおかしそうに笑う。
「相手も、まさかグレード1の〔真祖〕が出てくるとは思わなかったでしょうね」
 機嫌良く、笑い混じりに施されたのは、唇へ塗りつけた血を丁寧に舐め取るようなキスだった。

しおりを挟む

あなたにおすすめの小説

夫の色のドレスを着るのをやめた結果、夫が我慢をやめてしまいました

氷雨そら
恋愛
夫の色のドレスは私には似合わない。 ある夜会、夫と一緒にいたのは夫の愛人だという噂が流れている令嬢だった。彼女は夫の瞳の色のドレスを私とは違い完璧に着こなしていた。噂が事実なのだと確信した私は、もう夫の色のドレスは着ないことに決めた。 小説家になろう様にも掲載中です

選ばれたのは美人の親友

杉本凪咲
恋愛
侯爵令息ルドガーの妻となったエルは、良き妻になろうと奮闘していた。しかし突然にルドガーはエルに離婚を宣言し、あろうことかエルの親友であるレベッカと関係を持った。悔しさと怒りで泣き叫ぶエルだが、最後には離婚を決意して縁を切る。程なくして、そんな彼女に新しい縁談が舞い込んできたが、縁を切ったはずのレベッカが現れる。

娼館で元夫と再会しました

無味無臭(不定期更新)
恋愛
公爵家に嫁いですぐ、寡黙な夫と厳格な義父母との関係に悩みホームシックにもなった私は、ついに耐えきれず離縁状を机に置いて嫁ぎ先から逃げ出した。 しかし実家に帰っても、そこに私の居場所はない。 連れ戻されてしまうと危惧した私は、自らの体を売って生計を立てることにした。 「シーク様…」 どうして貴方がここに? 元夫と娼館で再会してしまうなんて、なんという不運なの!

断る――――前にもそう言ったはずだ

鈴宮(すずみや)
恋愛
「寝室を分けませんか?」  結婚して三年。王太子エルネストと妃モニカの間にはまだ子供が居ない。  周囲からは『そろそろ側妃を』という声が上がっているものの、彼はモニカと寝室を分けることを拒んでいる。  けれど、エルネストはいつだって、モニカにだけ冷たかった。  他の人々に向けられる優しい言葉、笑顔が彼女に向けられることない。 (わたくし以外の女性が妃ならば、エルネスト様はもっと幸せだろうに……)  そんな時、侍女のコゼットが『エルネストから想いを寄せられている』ことをモニカに打ち明ける。  ようやく側妃を娶る気になったのか――――エルネストがコゼットと過ごせるよう、私室で休むことにしたモニカ。  そんな彼女の元に、護衛騎士であるヴィクトルがやってきて――――?

公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-

猫まんじゅう
恋愛
 そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。  無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。  筈だったのです······が? ◆◇◆  「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」  拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?  「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」  溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない? ◆◇◆ 安心保障のR15設定。 描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。 ゆるゆる設定のコメディ要素あり。 つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。 ※妊娠に関する内容を含みます。 【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】 こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)

僕の家族は母様と母様の子供の弟妹達と使い魔達だけだよ?

闇夜の現し人(ヤミヨノウツシビト)
ファンタジー
ー 母さんは、「絶世の美女」と呼ばれるほど美しく、国の中で最も権力の強い貴族と呼ばれる公爵様の寵姫だった。 しかし、それをよく思わない正妻やその親戚たちに毒を盛られてしまった。 幸い発熱だけですんだがお腹に子が出来てしまった以上ここにいては危険だと判断し、仲の良かった侍女数名に「ここを離れる」と言い残し公爵家を後にした。 お母さん大好きっ子な主人公は、毒を盛られるという失態をおかした父親や毒を盛った親戚たちを嫌悪するがお母さんが日々、「家族で暮らしたい」と話していたため、ある出来事をきっかけに一緒に暮らし始めた。 しかし、自分が家族だと認めた者がいれば初めて見た者は跪くと言われる程の華の顔(カンバセ)を綻ばせ笑うが、家族がいなければ心底どうでもいいというような表情をしていて、人形の方がまだ表情があると言われていた。 『無能で無価値の稚拙な愚父共が僕の家族を名乗る資格なんて無いんだよ?』 さぁ、ここに超絶チートを持つ自分が認めた家族以外の生き物全てを嫌う主人公の物語が始まる。 〈念の為〉 稚拙→ちせつ 愚父→ぐふ ⚠︎注意⚠︎ 不定期更新です。作者の妄想をつぎ込んだ作品です。

王が気づいたのはあれから十年後

基本二度寝
恋愛
王太子は妃の肩を抱き、反対の手には息子の手を握る。 妃はまだ小さい娘を抱えて、夫に寄り添っていた。 仲睦まじいその王族家族の姿は、国民にも評判がよかった。 側室を取ることもなく、子に恵まれた王家。 王太子は妃を優しく見つめ、妃も王太子を愛しく見つめ返す。 王太子は今日、父から王の座を譲り受けた。 新たな国王の誕生だった。

婚約者に消えろと言われたので湖に飛び込んだら、気づけば三年が経っていました。

束原ミヤコ
恋愛
公爵令嬢シャロンは、王太子オリバーの婚約者に選ばれてから、厳しい王妃教育に耐えていた。 だが、十六歳になり貴族学園に入学すると、オリバーはすでに子爵令嬢エミリアと浮気をしていた。 そしてある冬のこと。オリバーに「私の為に消えろ」というような意味のことを告げられる。 全てを諦めたシャロンは、精霊の湖と呼ばれている学園の裏庭にある湖に飛び込んだ。 気づくと、見知らぬ場所に寝かされていた。 そこにはかつて、病弱で体の小さかった辺境伯家の息子アダムがいた。 すっかり立派になったアダムは「あれから三年、君は目覚めなかった」と言った――。

処理中です...