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さっくり終わる本編
001 不死鳥女、拾われる
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「ねぇ」
低く柔い声が、鼓膜を。
「ねぇ、起きて」
肩にかけられた手が体を揺らして、ホムラの意識を呼び起こす。
「このままだと、本当に死んでしまうよ」
「だれが……」
「あなた」
「おれ……?」
何故、と訝しく思って目を開けた。ホムラの視界に飛び込んできたのは、抜けるよう白い肌を無防備に晒す、白髪の――
(こいつ、男か?)
吐く息の白さに、回りはじめた頭は「こんなこと」になる前のあれそれを、存外すんなりと思い出した。
(おれは、依頼を受けて山に……それで、道に迷って……)
くるるるる……と、歌うような鳴き声とともに、ホムラにとっては見慣れた鳥が、見知らぬ男の肩に舞い降りて、燃え盛る炎のよう色鮮やかな翼を畳む。
「お前……」
ホムラは、カグツチと名付けたその鳥がそんな風に、ホムラ以外の誰かへ親しげに振る舞う姿を初めて見た。
「この子が、わたしを呼んだの。あなた、なんにもないところに倒れてて、それで……」
「あんたがここまで運んだのか?」
「そう」
「ありがとう。装備もあって重かったろうに、あんたは命の恩人だな」
一年中、雪が降り続くような場所の寒さを怖れず山に立ち入ったホムラの誤算は一つ。
山に入った男を帰さない、女は迷わせて山の奥深くに立ち入らせない、と聞かされていた雪女の里の結界が、何故かホムラのことは誘い込むことも追い出すこともせずに、同じような場所をぐるぐると迷わせ続けた。
その理由がわからないなりに、ホムラは何かしら手を打つ必要を感じていた。
(でもなぁ)
近付けないならいっそ、山ごと燃やしてしまおうか――。
そんな、あまりに物騒でいて、いつもどおりのことを考えながら。ホムラは改めて、カグツチが見つけてきた「救いの手」である男の風体を見遣った。
(こいつ、どう見ても関係者だろ)
実際問題、男の行動が本当の意味でホムラの命を救ったかどうかはさておき。事実だけを見て、助けられた恩を仇で返すような真似は避けたい。
そんなふうに、ホムラが珍しくまっとうな考えを巡らせた矢先。
「あの人たちの里に、いきたいの?」
「……どうして、そう思う?」
「この子が、言ってる。あなた、里に行こうとして迷わされたって」
まるで頭の中を覗き込まれでもしたような気持ちの悪さは、ホムラの中であっという間に霧散した。
「あんた、こいつと話せるのか」
「うん。話せる、よ? こんなにはっきりとした形のある精霊は、はじめて見たけど」
そう言って、雪女の眷属らしき男はカグツチを撫で。気に入らないものが手を伸ばそうものならその鋭いくちばしで肉がえぐれるほど強かに啄むくらいのことは平気でしてのけるホムラの「女王陛下」は、荒れたところなんてどこにもない男の手を、うっとりと目を細めながら受け入れる。
「精霊、ねぇ……?」
カグツチがどういうものなのか、ホムラは知らない。ただ、それはホムラの「中」から出てきたもので。ホムラの傍にいて長続きしているのは、今のところカグツチだけというのが、ホムラにとってたった一つ確かな「事実」だった。
「お前、精霊とかいうやつだったのか?」
見るからに優しい手つきで撫でられ、機嫌良く喉を鳴らしていたカグツチは、ホムラの問いかけに大きく翼を広げてくるっと鳴き返す。
「女王サマはなんだって?」
「あなたのためにご飯をとってきたって」
「あっそう」
別に、カグツチが精霊だろうとそれ以外の何かだろうと、はっきり言ってどうでもよかったホムラは、少しだけ笑いながら、起き上がっていた毛皮の上によっこら立ち上がる。
「寝床をとって悪かったな」
「わたしがしたことだから、それはかまわないけど。もう、動いて平気なの」
「休むにしたって、何か食ってからでなきゃ。腹が減って眠れやしないさ」
思い出したようぐうぐうなりはじめた腹を抱えて、ホムラが毛皮の敷かれていた、浅い洞窟のような場所から抜け出すと。その入口から少し離れた場所に、血抜きもろくにされていなさそうな獲物が転がされていた。
「ま、女王サマのやることだしなぁ」
この際、味は二の次だと割り切って、ホムラはこんがり丸焦げになった鹿を解体していく。
後をついてきていた白い男は、作業が終わるまで、ホムラの手元を物珍しそうに眺めていた。
「燃えろ」
いつものように、余計な肉と、内臓と、今回は売り物になりそうもない皮と、雪の上にしこたま流れた血とを灰の一つも残さず焼き尽くしてから。
(しまった)
すぐ傍に、雪女の眷属らしき男がいたことを思い出したホムラが目をやると。いかにも火の気に弱そうな見かけの男はいたって平気そうに、大きな目をぱちぱちさせていた。
「悪い。あんたの傍で火はまずかったな」
見たところどこも溶けはじめていない男は子供のようにあどけない仕草で、首を横に振る。
「びっくりしたけど、大丈夫」
「そうか? ならいいんだが」
「ねぇ。今の、もう一回」
「あんたが溶けたらさすがに寝覚めが悪いから、小さいやつな」
ホムラが指先に小さな炎を灯して見せると。興味津々の顔を近付けてきた男はそこにふっ、と息を吹きかけて、ホムラの炎をあっという間に凍てつかせた。
(まじかよ)
「これ、頂戴」
無邪気に強請られ、ホムラは頷く。
ホムラの指先から転げ落ちた氷の塊。男が空に翳すよう持ち上げたその「中」では、ホムラの灯した炎とよく似た色が凍りついている。
(あんなんだって、おれの炎だぞ? 焼こうと思えばなんだって焼けるし、おれが消さない限り消えたことだってない。それを――)
ホムラはびっくりしたままカグツチを見たが。炎の化身のような鳥は、男の肩で暢気に羽を繕っていた。
低く柔い声が、鼓膜を。
「ねぇ、起きて」
肩にかけられた手が体を揺らして、ホムラの意識を呼び起こす。
「このままだと、本当に死んでしまうよ」
「だれが……」
「あなた」
「おれ……?」
何故、と訝しく思って目を開けた。ホムラの視界に飛び込んできたのは、抜けるよう白い肌を無防備に晒す、白髪の――
(こいつ、男か?)
吐く息の白さに、回りはじめた頭は「こんなこと」になる前のあれそれを、存外すんなりと思い出した。
(おれは、依頼を受けて山に……それで、道に迷って……)
くるるるる……と、歌うような鳴き声とともに、ホムラにとっては見慣れた鳥が、見知らぬ男の肩に舞い降りて、燃え盛る炎のよう色鮮やかな翼を畳む。
「お前……」
ホムラは、カグツチと名付けたその鳥がそんな風に、ホムラ以外の誰かへ親しげに振る舞う姿を初めて見た。
「この子が、わたしを呼んだの。あなた、なんにもないところに倒れてて、それで……」
「あんたがここまで運んだのか?」
「そう」
「ありがとう。装備もあって重かったろうに、あんたは命の恩人だな」
一年中、雪が降り続くような場所の寒さを怖れず山に立ち入ったホムラの誤算は一つ。
山に入った男を帰さない、女は迷わせて山の奥深くに立ち入らせない、と聞かされていた雪女の里の結界が、何故かホムラのことは誘い込むことも追い出すこともせずに、同じような場所をぐるぐると迷わせ続けた。
その理由がわからないなりに、ホムラは何かしら手を打つ必要を感じていた。
(でもなぁ)
近付けないならいっそ、山ごと燃やしてしまおうか――。
そんな、あまりに物騒でいて、いつもどおりのことを考えながら。ホムラは改めて、カグツチが見つけてきた「救いの手」である男の風体を見遣った。
(こいつ、どう見ても関係者だろ)
実際問題、男の行動が本当の意味でホムラの命を救ったかどうかはさておき。事実だけを見て、助けられた恩を仇で返すような真似は避けたい。
そんなふうに、ホムラが珍しくまっとうな考えを巡らせた矢先。
「あの人たちの里に、いきたいの?」
「……どうして、そう思う?」
「この子が、言ってる。あなた、里に行こうとして迷わされたって」
まるで頭の中を覗き込まれでもしたような気持ちの悪さは、ホムラの中であっという間に霧散した。
「あんた、こいつと話せるのか」
「うん。話せる、よ? こんなにはっきりとした形のある精霊は、はじめて見たけど」
そう言って、雪女の眷属らしき男はカグツチを撫で。気に入らないものが手を伸ばそうものならその鋭いくちばしで肉がえぐれるほど強かに啄むくらいのことは平気でしてのけるホムラの「女王陛下」は、荒れたところなんてどこにもない男の手を、うっとりと目を細めながら受け入れる。
「精霊、ねぇ……?」
カグツチがどういうものなのか、ホムラは知らない。ただ、それはホムラの「中」から出てきたもので。ホムラの傍にいて長続きしているのは、今のところカグツチだけというのが、ホムラにとってたった一つ確かな「事実」だった。
「お前、精霊とかいうやつだったのか?」
見るからに優しい手つきで撫でられ、機嫌良く喉を鳴らしていたカグツチは、ホムラの問いかけに大きく翼を広げてくるっと鳴き返す。
「女王サマはなんだって?」
「あなたのためにご飯をとってきたって」
「あっそう」
別に、カグツチが精霊だろうとそれ以外の何かだろうと、はっきり言ってどうでもよかったホムラは、少しだけ笑いながら、起き上がっていた毛皮の上によっこら立ち上がる。
「寝床をとって悪かったな」
「わたしがしたことだから、それはかまわないけど。もう、動いて平気なの」
「休むにしたって、何か食ってからでなきゃ。腹が減って眠れやしないさ」
思い出したようぐうぐうなりはじめた腹を抱えて、ホムラが毛皮の敷かれていた、浅い洞窟のような場所から抜け出すと。その入口から少し離れた場所に、血抜きもろくにされていなさそうな獲物が転がされていた。
「ま、女王サマのやることだしなぁ」
この際、味は二の次だと割り切って、ホムラはこんがり丸焦げになった鹿を解体していく。
後をついてきていた白い男は、作業が終わるまで、ホムラの手元を物珍しそうに眺めていた。
「燃えろ」
いつものように、余計な肉と、内臓と、今回は売り物になりそうもない皮と、雪の上にしこたま流れた血とを灰の一つも残さず焼き尽くしてから。
(しまった)
すぐ傍に、雪女の眷属らしき男がいたことを思い出したホムラが目をやると。いかにも火の気に弱そうな見かけの男はいたって平気そうに、大きな目をぱちぱちさせていた。
「悪い。あんたの傍で火はまずかったな」
見たところどこも溶けはじめていない男は子供のようにあどけない仕草で、首を横に振る。
「びっくりしたけど、大丈夫」
「そうか? ならいいんだが」
「ねぇ。今の、もう一回」
「あんたが溶けたらさすがに寝覚めが悪いから、小さいやつな」
ホムラが指先に小さな炎を灯して見せると。興味津々の顔を近付けてきた男はそこにふっ、と息を吹きかけて、ホムラの炎をあっという間に凍てつかせた。
(まじかよ)
「これ、頂戴」
無邪気に強請られ、ホムラは頷く。
ホムラの指先から転げ落ちた氷の塊。男が空に翳すよう持ち上げたその「中」では、ホムラの灯した炎とよく似た色が凍りついている。
(あんなんだって、おれの炎だぞ? 焼こうと思えばなんだって焼けるし、おれが消さない限り消えたことだってない。それを――)
ホムラはびっくりしたままカグツチを見たが。炎の化身のような鳥は、男の肩で暢気に羽を繕っていた。
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