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第一節「レナトゥスの目覚め」
SCENE-015 本霊と〝恋人〟と〝弟〟と
しおりを挟むしがない分霊にすぎない鏡夜は、本霊の意向に逆らうことなどできはしないが。ドラクレアが鍾愛する伊月の望みは、ドラクレア自身の都合や状況に優先される。
何よりも伊月が最優先だと。それが、他でもないドラクレアの意向なので。
「鏡夜ー?」
伊月に弟として呼ばれた途端。まるで見えない操り糸のよう体を動かしていた〝ドラクレアの意思〟がすっ……と遠退いていくのを、鏡夜は感じた。
「(――何?)」
距離が離れている分、わざわざ声を張るような労力はかけず、〝双子の姉弟〟としての術理的な繋がりを介した念話で、鏡夜が伊月に応えると。間を置かず、乱雑に積み上がった瓦礫の向こうに現れた一匹の竜が、軽く飛び跳ねるような調子で鏡夜の前へと降ってくる。
至極色の鱗を持つ竜に、もののついでとばかり踏み潰された城主もいたが。踏み潰した当人はもとより、その瞬間をしっかりと目撃した鏡夜も、伊月が何も言ってこないうちはその存在に触れないつもりで、素知らぬふりを貫いた。
「(何、じゃないわよ。私のこと放って何してたの?)」
「(ドラクレアの使いっ走り)」
隠すようなことでもないので、鏡夜が素直に答えると。なんの装具もつけていない裸竜の背に跨がった伊月が「はぁ?」と、ガラの悪い声を出す。
「ドラクレアの使いっ走りならヴラドがいるでしょ。ティル・ナ・ノーグの小王さまが」
「僕に言われても困るよ」
倭国――ティル・ナ・ノーグの外――から伊月と鏡夜を連れてきたドラクレアの魔力量と演算能力にかかれば、ティル・ナ・ノーグの行政島に常駐している分霊を、同じティル・ナ・ノーグの異なる場所へ転移させることなど造作もないはずで。
それなのに、あえて鏡夜が都築の対応へ駆り出された理由に、鏡夜自身、これといって思い当たる節はなかった。
「ちょうど近くにいたから、都合が良かったんじゃない?」
ドラクレアにとってはどれもが等しく〝自分の一部〟なので。深く考えず〝一番近くにいた分霊〟を向かわせた、という可能性は充分にある。
(〝鏡夜〟はドラクレアが明確な目的ありきで作り出した分霊ってわけでもないし。ドラクレアの認識としては無役なのかもな)
この場にいないヴラドは〝ティル・ナ・ノーグの小王〟としての仕事があり、キリエは伊月の相手をしていたので。手が空いていた鏡夜を……ということなら、理解はできる。
そんな理由で伊月が納得するかどうかはさておき。
「――ドラクレア。鏡夜は私の弟なんだから、勝手に使わないで」
どすっ、と鈍い音がするほど強く竜の背中を叩いた伊月が非難がましい声を出すと。伊月自身の影から漏れ出したドラクレアの魔力が、ご機嫌斜めな女の指先にまとわりついて許しを請うた。
強大なメトセラの宿命として、存在規模が大きくなりすぎたあまり、感情が希釈されたドラクレア。
分霊という形で意識を細分化しなければ、まともに徒人と関わることもままならない人外は、徒人らしい豊かな情緒を持つ伊月の考えることなど、いちいちはっきりと言われなければわからない。
その代わり、理解が及ばないなりに伊月の言いつけは守るので。ドラクレアの事情にも理解がある伊月は「わかればいいのよ」と、すんなり機嫌を直した。
ドラクレアのとばっちりで強かに殴りつけられた竜は、自分にまで累が及ぶことを恐れ、文句も言わず、置物のよう気配を殺している。
自分が当事者でなければ鏡夜も同じことをしただろうから、キリエの保身を笑う気にはならなかった。
「これからキリエの処女飛行なんだけど、鏡夜はどうする? 転移できるなら先に行ってる?」
「転移しようと思えばできるけど、一人で行っても仕方がないよ」
「じゃあ私のシートベルトね」
「はいはい」
キリエの気性を考慮すると、どちらかといえば伊月の方が鏡夜の命綱だが。伊月の不興を買うとわかっていながら、まったくの他人ほど遠い存在ではない鏡夜のことを蔑ろにするほど、キリエも間が抜けてはない。
伊月に手招かれた鏡夜が背中へ上がり、伊月の希望通りの場所に落ち着くまで。キリエはよく躾けられたワイバーンのように大人しくしていた。
「キリエ、いいわよ」
分霊としては最も多くの意識をドラクレアと共有しているキリエは、伊月の機嫌がすんなり持ち直したことに内心ほっと胸を撫で下ろし。二枚の翼を広げると、努めて穏やかに都築の荘園を飛び立った。
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