49 / 51
第十章 天泣
第十章 第三話
しおりを挟む
「化学メーカーなら化学薬品を手に入れられるだろ。タリウムとか」
不意に紘彬が話を変えた。
「一体なんの話を……」
「峰ヶ崎の葬儀の後、峰ヶ崎の戦友がタリウム中毒で死亡した」
「私がやったとでも言いたいのか」
「峰ヶ崎優司と鈴木啓太、沢井四郎、桜井紘信は、あんたの父親の田中健次と同じ部隊にいた」
田中健次という名字はありふれてるから確信が持てなかったのだが、峰ヶ崎を『死んだ父の戦友』と言ったのを聞いてようやく確証を得た。
鈴木啓太という名前を聞いた瞬間、如月は紘彬の祖父が言っていた『一人は鈴木さんの父上だ』と言う言葉を思い出して思わず声を上げそうになった。
そしてその戦友の息子の息子(戦友の孫)で今の警視総監の名字は鈴木。
この前、警視総監に電話したのはこのことを聞くためだったのだ。
桜井紘信という名前を聞いた途端、陽平がハッとした表情で紘彬を見た。
「確か、あんたの名前は……」
「桜井紘彬。田中健次の戦友、桜井紘信の曾孫だよ」
「じゃあ、峰ヶ崎の菓子が好きだった曾祖母っていうのは……」
「桜井紘信の妻。曾祖父が結婚した時、峰ヶ崎氏の奥さんがお祝いに菓子を贈ってくれて、それが切っ掛けで上野に行ったとき店に立ち寄るようになったんだ」
陽平はこんな巡り合わせがあるのかという表情で紘彬を見た。
「なんで二十年も経ってからだったのかが分からないんだが教えてくれるか? あんたの息子と同じで〝あんたじゃない誰か〟の話としてでもいいぞ」
紘彬の言葉に陽平は俯いて拳を握り締めた。
それから顔を上げ、覚悟を決めた表情で紘彬を見た。
「儂の父は戦友達に殺された。家族を殺された恨みを晴らすために殺したんだから、その家族に仕返しされるのは仕方ない。だから〝誰か〟ではなく儂自身として話す」
陽平は紘彬の目を正面から見詰めて言った。
「その四人は無事に帰ってきたのに父は引き揚げ船の中で死んだ。きっと何かで揉めて四人が父を殺したんだ。食い物の分配とか、何かそんな事だろう」
「知らせを受けた頃はまだ二歳くらいだったろ。勝手な思い込みで……」
「思い込みじゃない! 母がいつも言ってたんだ! 父は引き揚げ船の中で殺されたって」
終戦まで生きていて引き揚げ船にも乗ったと聞いていたのに死亡通知が届いた。
引き揚げ船の中は劣悪な状態だったから食い物の取り合いとか、そんなようなことで戦友達に殺されたんだ、と。
母は事あるごとに戦友達に対する恨み言を言っていた。
陽平はそれを聞いて育ってきた。
「母は一人で儂を育てるのが精一杯で旅行なんて行ったことないまま早死にする羽目になったのに、峰ヶ崎は妻とパリ旅行だなんて……許せなかった」
「おい、出張中だったのは事実だろ。宿泊先だけじゃなく取引先の裏も取ってあったぞ。お前が出張に出てから決まったパリの話は、内緒で戻ってくる理由にはならないだろ」
「戻ってきたのは仕事のためだ。取引先から出された条件を承諾する権限は私には無かったが、次の日までに決めないと契約はしないと言われたんだ」
宿には電話が無かったから判断を仰ぐのには戻ってくるしかなかった。
厳しい条件を出してきたのは断る為の口実だと分かったが、契約を取り付けられれば会社にとって大きな利益になる。
紘彬が言ったように都市部でようやく公衆電話が普及し始めた頃だから他の地域はもっと少なかった。
それで大急ぎで帰ってきて会社に向かっていると帰宅途中の峰ヶ崎と出会した。
その場で取引の話をすると、峰ヶ崎は浮かれていて無理な条件をあっさり承諾するという。
そして勝手にパリの話をし始めたのを聞き、亡くなった母を思い出してカッとなった。
思わず、なぜ自分の父を殺したんだと詰め寄ると、峰ヶ崎はそんな事はしていないと白を切った。
それで更に頭に血が上って口論になり、つい突き飛ばしてしまったら工事車両に頭をぶつけて倒れ、動かなくなった。
慌てて周囲を見回したが他の人間の姿は見当たらない。
目撃者がいないなら出張先にいたことにすればバレないかもしれない。
暗くて目撃者の姿が見えないだけかもしれないが、それなら人違いで通せるだろう。
当時は東京の都市部でも街灯が少なくて夜道は暗かった。
暗がりで自分と似ている人間と勘違いしたんだ、自分は遠くの出張先にいたんだから自分ではない、と主張出来るはずだ。
そう思って急いで列車に飛び乗り宿に戻った。
東京へ戻ってくると刑事が話を聞きに来たが出張に行っていたと答えるとそれ以上追及されず、しばらくしてから事故として処理された。
疑われないように葬儀の手配をする峰ヶ崎の妻に親身をなって手伝い、峰ヶ崎を慕っていたかのように振る舞った。
その葬儀に他の戦友達――鈴木啓太と沢井四郎、桜井紘信が弔問に来て記帳していったので住所が分かった。
父を殺した理由を聞き出したかったが峰ヶ崎のように惚けられたらお終いだ。
腕力に自信はないし、言葉巧みに話を引き出すなどという芸当も出来ない。
そんな事が出来るくらいなら口論になったりしていない。
恨んでいる事を知られたら警戒されて殺す事も出来なくなるだろう。
葬式に来た戦友達が甘い物は苦手だというと峰ヶ崎の妻が甘くない菓子を出していた。
戦友達はそれを食べて旨いと言っていた。
そこで理由を知るのは諦めて復讐をすることにした。
峰ヶ崎の妻に菓子会社なのだから香典の礼も菓子にしようと提案した。
葬儀には甘い物が苦手な人がいたから甘みのない物との詰め合わせにして来てくれた人達全員が食べてくれるようにしよう、とも。
そして戦友達への香典の礼として贈る菓子の甘くない方だけに会社で手に入れたタリウムを混入した上で葬儀のときに出した甘くない菓子も入れておいたから峰ヶ崎の思い出として是非食べて欲しいという手紙を添えた。
不意に紘彬が話を変えた。
「一体なんの話を……」
「峰ヶ崎の葬儀の後、峰ヶ崎の戦友がタリウム中毒で死亡した」
「私がやったとでも言いたいのか」
「峰ヶ崎優司と鈴木啓太、沢井四郎、桜井紘信は、あんたの父親の田中健次と同じ部隊にいた」
田中健次という名字はありふれてるから確信が持てなかったのだが、峰ヶ崎を『死んだ父の戦友』と言ったのを聞いてようやく確証を得た。
鈴木啓太という名前を聞いた瞬間、如月は紘彬の祖父が言っていた『一人は鈴木さんの父上だ』と言う言葉を思い出して思わず声を上げそうになった。
そしてその戦友の息子の息子(戦友の孫)で今の警視総監の名字は鈴木。
この前、警視総監に電話したのはこのことを聞くためだったのだ。
桜井紘信という名前を聞いた途端、陽平がハッとした表情で紘彬を見た。
「確か、あんたの名前は……」
「桜井紘彬。田中健次の戦友、桜井紘信の曾孫だよ」
「じゃあ、峰ヶ崎の菓子が好きだった曾祖母っていうのは……」
「桜井紘信の妻。曾祖父が結婚した時、峰ヶ崎氏の奥さんがお祝いに菓子を贈ってくれて、それが切っ掛けで上野に行ったとき店に立ち寄るようになったんだ」
陽平はこんな巡り合わせがあるのかという表情で紘彬を見た。
「なんで二十年も経ってからだったのかが分からないんだが教えてくれるか? あんたの息子と同じで〝あんたじゃない誰か〟の話としてでもいいぞ」
紘彬の言葉に陽平は俯いて拳を握り締めた。
それから顔を上げ、覚悟を決めた表情で紘彬を見た。
「儂の父は戦友達に殺された。家族を殺された恨みを晴らすために殺したんだから、その家族に仕返しされるのは仕方ない。だから〝誰か〟ではなく儂自身として話す」
陽平は紘彬の目を正面から見詰めて言った。
「その四人は無事に帰ってきたのに父は引き揚げ船の中で死んだ。きっと何かで揉めて四人が父を殺したんだ。食い物の分配とか、何かそんな事だろう」
「知らせを受けた頃はまだ二歳くらいだったろ。勝手な思い込みで……」
「思い込みじゃない! 母がいつも言ってたんだ! 父は引き揚げ船の中で殺されたって」
終戦まで生きていて引き揚げ船にも乗ったと聞いていたのに死亡通知が届いた。
引き揚げ船の中は劣悪な状態だったから食い物の取り合いとか、そんなようなことで戦友達に殺されたんだ、と。
母は事あるごとに戦友達に対する恨み言を言っていた。
陽平はそれを聞いて育ってきた。
「母は一人で儂を育てるのが精一杯で旅行なんて行ったことないまま早死にする羽目になったのに、峰ヶ崎は妻とパリ旅行だなんて……許せなかった」
「おい、出張中だったのは事実だろ。宿泊先だけじゃなく取引先の裏も取ってあったぞ。お前が出張に出てから決まったパリの話は、内緒で戻ってくる理由にはならないだろ」
「戻ってきたのは仕事のためだ。取引先から出された条件を承諾する権限は私には無かったが、次の日までに決めないと契約はしないと言われたんだ」
宿には電話が無かったから判断を仰ぐのには戻ってくるしかなかった。
厳しい条件を出してきたのは断る為の口実だと分かったが、契約を取り付けられれば会社にとって大きな利益になる。
紘彬が言ったように都市部でようやく公衆電話が普及し始めた頃だから他の地域はもっと少なかった。
それで大急ぎで帰ってきて会社に向かっていると帰宅途中の峰ヶ崎と出会した。
その場で取引の話をすると、峰ヶ崎は浮かれていて無理な条件をあっさり承諾するという。
そして勝手にパリの話をし始めたのを聞き、亡くなった母を思い出してカッとなった。
思わず、なぜ自分の父を殺したんだと詰め寄ると、峰ヶ崎はそんな事はしていないと白を切った。
それで更に頭に血が上って口論になり、つい突き飛ばしてしまったら工事車両に頭をぶつけて倒れ、動かなくなった。
慌てて周囲を見回したが他の人間の姿は見当たらない。
目撃者がいないなら出張先にいたことにすればバレないかもしれない。
暗くて目撃者の姿が見えないだけかもしれないが、それなら人違いで通せるだろう。
当時は東京の都市部でも街灯が少なくて夜道は暗かった。
暗がりで自分と似ている人間と勘違いしたんだ、自分は遠くの出張先にいたんだから自分ではない、と主張出来るはずだ。
そう思って急いで列車に飛び乗り宿に戻った。
東京へ戻ってくると刑事が話を聞きに来たが出張に行っていたと答えるとそれ以上追及されず、しばらくしてから事故として処理された。
疑われないように葬儀の手配をする峰ヶ崎の妻に親身をなって手伝い、峰ヶ崎を慕っていたかのように振る舞った。
その葬儀に他の戦友達――鈴木啓太と沢井四郎、桜井紘信が弔問に来て記帳していったので住所が分かった。
父を殺した理由を聞き出したかったが峰ヶ崎のように惚けられたらお終いだ。
腕力に自信はないし、言葉巧みに話を引き出すなどという芸当も出来ない。
そんな事が出来るくらいなら口論になったりしていない。
恨んでいる事を知られたら警戒されて殺す事も出来なくなるだろう。
葬式に来た戦友達が甘い物は苦手だというと峰ヶ崎の妻が甘くない菓子を出していた。
戦友達はそれを食べて旨いと言っていた。
そこで理由を知るのは諦めて復讐をすることにした。
峰ヶ崎の妻に菓子会社なのだから香典の礼も菓子にしようと提案した。
葬儀には甘い物が苦手な人がいたから甘みのない物との詰め合わせにして来てくれた人達全員が食べてくれるようにしよう、とも。
そして戦友達への香典の礼として贈る菓子の甘くない方だけに会社で手に入れたタリウムを混入した上で葬儀のときに出した甘くない菓子も入れておいたから峰ヶ崎の思い出として是非食べて欲しいという手紙を添えた。
0
お気に入りに追加
0
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
眼異探偵
知人さん
ミステリー
両目で色が違うオッドアイの名探偵が
眼に備わっている特殊な能力を使って
親友を救うために難事件を
解決していく物語。
だが、1番の難事件である助手の謎を
解決しようとするが、助手の運命は...
女豹の恩讐『死闘!兄と妹。禁断のシュートマッチ』
コバひろ
大衆娯楽
前作 “雌蛇の罠『異性異種格闘技戦』男と女、宿命のシュートマッチ”
(全20話)の続編。
https://www.alphapolis.co.jp/novel/329235482/129667563/episode/6150211
男子キックボクサーを倒したNOZOMIのその後は?
そんな女子格闘家NOZOMIに敗れ命まで落とした父の仇を討つべく、兄と娘の青春、家族愛。
格闘技を通して、ジェンダーフリー、ジェンダーレスとは?を描きたいと思います。
我らおっさん・サークル「異世界召喚予備軍」
虚仮橋陣屋(こけばしじんや)
青春
おっさんの、おっさんによる、おっさんのためのほろ苦い青春ストーリー
サラリーマン・寺崎正・四〇歳。彼は何処にでもいるごく普通のおっさんだ。家族のために黙々と働き、家に帰って夕食を食べ、風呂に入って寝る。そんな真面目一辺倒の毎日を過ごす、無趣味な『つまらない人間』がある時見かけた奇妙なポスターにはこう書かれていた――サークル「異世界召喚予備軍」、メンバー募集!と。そこから始まるちょっと笑えて、ちょっと勇気を貰えて、ちょっと泣ける、おっさんたちのほろ苦い青春ストーリー。
友よ、お前は何故死んだのか?
河内三比呂
ミステリー
「僕は、近いうちに死ぬかもしれない」
幼い頃からの悪友であり親友である久川洋壱(くがわよういち)から突如告げられた不穏な言葉に、私立探偵を営む進藤識(しんどうしき)は困惑し嫌な予感を覚えつつもつい流してしまう。
だが……しばらく経った頃、仕事終わりの識のもとへ連絡が入る。
それは洋壱の死の報せであった。
朝倉康平(あさくらこうへい)刑事から事情を訊かれた識はそこで洋壱の死が不可解である事、そして自分宛の手紙が発見された事を伝えられる。
悲しみの最中、朝倉から提案をされる。
──それは、捜査協力の要請。
ただの民間人である自分に何ができるのか?悩みながらも承諾した識は、朝倉とともに洋壱の死の真相を探る事になる。
──果たして、洋壱の死の真相とは一体……?
💚催眠ハーレムとの日常 - マインドコントロールされた女性たちとの日常生活
XD
恋愛
誰からも拒絶される内気で不細工な少年エドクは、人の心を操り、催眠術と精神支配下に置く不思議な能力を手に入れる。彼はこの力を使って、夢の中でずっと欲しかったもの、彼がずっと愛してきた美しい女性たちのHAREMを作り上げる。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる