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第十章 天泣
第十章 第二話
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「金属加工を始めたのは峰ヶ崎さんですか? それとも田中さん?」
「峰ヶ崎です。東京オリンピック開催が決定した翌年に所得倍増計画が発表されたんですよ」
東海道新幹線開業や首都高速開通決定、地下鉄工事などで金属加工の需要が増えていた。
オリンピック開催が決定したから特需も見込まれる。
それで最初は菓子作りと兼業で金属加工も始めた。
「当初は一部門だけだったんですが、その一部門の収益が予想以上に大きかったんです」
そこで金属加工業に主軸を移すと会社は一気に飛躍して大会社になった。
「峰ヶ崎は愛妻家でしてね。常々奥さんが海外旅行に行きたがっているから連れて行ってあげたいと言っていて。でも菓子ではそんなに儲からないので……」
「缶の蓋の絵がエッフェル塔なんですけど、もしかしてパリですか?」
「そうなんです! 峰ヶ崎は出張でパリに行く事になった時、奥さんの分の飛行機のチケットも予約したんです。ようやく奥さんをパリに連れていけると喜んでました」
「……それは誰から聞いた?」
紘彬が訊ねた。
「その事を知っていたのは峰ヶ崎氏とチケットの手配をした山本慎也氏だけだ」
「それは、もちろん峰ヶ崎から……」
「飛行機のチケットは旅行会社で社長をしていた山本氏に無理に頼み込んでようやく取れたんだ」
昭和四十二年(一九六七年)六月九日の夕方、なんとかチケットを押さえた山本は帰宅途中に峰ヶ崎の会社に立ち寄ってそれを伝えた。
社員は全員帰った後で峰ヶ崎は一人で残業していた。
峰ヶ崎が仕事中だったから山本はすぐに帰った。
山本が帰ったのが十九時半。
峰ヶ崎はその一時間後、会社近くの人気のない路上で遺体となって発見された。
死因は頭部外傷。
死亡推定時刻は山本と別れた三十分後の二十時頃。
側に止まっていた工事車両に血痕があった為、そこに頭を打ち付けたのだろうという事になった。
事故か他殺か調べるために関係者全員から事情聴取をした。
「儂も警察に話を聞かれたから覚えてますよ。あれは事故だと……」
陽平が戸惑ったように答えた。
山本は死亡時刻の頃、家に着いている。
死体発見場所から山本の自宅までは三十分近く掛かるから死亡時刻に家にいたなら殺すのは無理だ。
家族や社員などを含め、関係者は全員アリバイがあった事から転んだ拍子に事故車両に頭をぶつけたのだろうと結論付けられた。
「あんた、その日は出張中だったって供述してるな。なんでチケットのことを知ってるんだ?」
「あ、葬式の時に奥さんから聞いたんでした」
「その話は奥さんは知らない。知りようがないだろ、峰ヶ崎氏が山本氏からチケットが取れたと聞いたのは死ぬ三十分前なんだから」
「山本さんが帰ってから電話……」
「してない。会社の電話に通話記録はなかった」
「けど、会社を出た後に公衆電話を……」
「峰ヶ崎氏が亡くなったのは都市部でようやく一般家庭に固定電話が普及し始めた頃、公衆電話も少なかった」
屋外に設置された赤電話は十円玉を入れないと掛けられないという仕様上、電話機内部に金が貯まっていく。
そのため盗難防止策として夜間は仕舞うところが多く、終日使える公衆電話は少なかった。
「少なかっただけで全く無かったわけでは……上野なんだし……」
「するはずないんだよ。その日、峰ヶ崎氏の自宅の電話は故障してて使えなかったから」
陽平が息を飲んだ。
出張中だったから電話が故障していることを知らなかったのだ。
「電話で教えようと思ったら会社から掛けてるだろ」
山本は峰ヶ崎の訃報を聞いてすぐに予約を取り消して奥さんには伝えなかった。
その話を聞いた警察は奥さんも含め誰にも言わないようにと口止めした。
チケットのことは〝真犯人しか知りえない事実〟として警察は伏せていたのである。
「出張中のあんたがどうやって聞いたんだ?」
「そ、それは……儂に電話を……」
「あんたに電話する理由は?」
「仕事の打合せで、そのとき話のついでに……。峰ヶ崎は父の戦友だったから儂も可愛がってもらっていて、それで教えてくれたんだ」
「あんた、出張先の宿には電話がなかったから翌日帰るまで事件の事は知らなかったって供述しただろ。携帯電話が無かった時代にどこに電話したんだ?」
紘彬の追求に陽平の視線が泳いだ。
「……事故って判断されたのに、なんでそんな細かい記録が残って……」
「財布や時計は盗られてないから強盗でもなさそうだし、関係者全員にアリバイがあった。峰ヶ崎氏には殺されるような動機も見当たらなかった。それで事故とされたんだ」
だが不審な点があった。
坂や階段でもない平らな場所で転んでぶつかったにしては打撲の程度が酷すぎた。
その検死結果を聞いた捜査官が近所の聞き込みをしたところ死亡推定時刻に言い争うような声を聞いたという証言があった。
だから関係者全員のアリバイを細かく検証したのだ。
当然、田中陽平の宿泊先も確認した。
その晩泊まって翌朝チェックアウトをしたのも、そこに電話が無かったのも事実だった。
「けどチェックインしてからすぐに出掛けて、その後は次の日の朝食の時まであんたの姿を見た者はいなかった」
峰ヶ崎が発見されたのは上野駅の近く。
当時は泊まり掛けになるような遠方への列車は上野駅か東京駅に止まっていた。
「つまり出張先から上野に帰ってきて峰ヶ崎氏を殺害した後、列車に飛び乗れば朝食までに戻れた」
「しょ、証拠はあるのか」
「チケットの話だけだな」
陽平は、その言葉をどう受け取れば良いのか分からない様子で紘彬を見た。
「峰ヶ崎です。東京オリンピック開催が決定した翌年に所得倍増計画が発表されたんですよ」
東海道新幹線開業や首都高速開通決定、地下鉄工事などで金属加工の需要が増えていた。
オリンピック開催が決定したから特需も見込まれる。
それで最初は菓子作りと兼業で金属加工も始めた。
「当初は一部門だけだったんですが、その一部門の収益が予想以上に大きかったんです」
そこで金属加工業に主軸を移すと会社は一気に飛躍して大会社になった。
「峰ヶ崎は愛妻家でしてね。常々奥さんが海外旅行に行きたがっているから連れて行ってあげたいと言っていて。でも菓子ではそんなに儲からないので……」
「缶の蓋の絵がエッフェル塔なんですけど、もしかしてパリですか?」
「そうなんです! 峰ヶ崎は出張でパリに行く事になった時、奥さんの分の飛行機のチケットも予約したんです。ようやく奥さんをパリに連れていけると喜んでました」
「……それは誰から聞いた?」
紘彬が訊ねた。
「その事を知っていたのは峰ヶ崎氏とチケットの手配をした山本慎也氏だけだ」
「それは、もちろん峰ヶ崎から……」
「飛行機のチケットは旅行会社で社長をしていた山本氏に無理に頼み込んでようやく取れたんだ」
昭和四十二年(一九六七年)六月九日の夕方、なんとかチケットを押さえた山本は帰宅途中に峰ヶ崎の会社に立ち寄ってそれを伝えた。
社員は全員帰った後で峰ヶ崎は一人で残業していた。
峰ヶ崎が仕事中だったから山本はすぐに帰った。
山本が帰ったのが十九時半。
峰ヶ崎はその一時間後、会社近くの人気のない路上で遺体となって発見された。
死因は頭部外傷。
死亡推定時刻は山本と別れた三十分後の二十時頃。
側に止まっていた工事車両に血痕があった為、そこに頭を打ち付けたのだろうという事になった。
事故か他殺か調べるために関係者全員から事情聴取をした。
「儂も警察に話を聞かれたから覚えてますよ。あれは事故だと……」
陽平が戸惑ったように答えた。
山本は死亡時刻の頃、家に着いている。
死体発見場所から山本の自宅までは三十分近く掛かるから死亡時刻に家にいたなら殺すのは無理だ。
家族や社員などを含め、関係者は全員アリバイがあった事から転んだ拍子に事故車両に頭をぶつけたのだろうと結論付けられた。
「あんた、その日は出張中だったって供述してるな。なんでチケットのことを知ってるんだ?」
「あ、葬式の時に奥さんから聞いたんでした」
「その話は奥さんは知らない。知りようがないだろ、峰ヶ崎氏が山本氏からチケットが取れたと聞いたのは死ぬ三十分前なんだから」
「山本さんが帰ってから電話……」
「してない。会社の電話に通話記録はなかった」
「けど、会社を出た後に公衆電話を……」
「峰ヶ崎氏が亡くなったのは都市部でようやく一般家庭に固定電話が普及し始めた頃、公衆電話も少なかった」
屋外に設置された赤電話は十円玉を入れないと掛けられないという仕様上、電話機内部に金が貯まっていく。
そのため盗難防止策として夜間は仕舞うところが多く、終日使える公衆電話は少なかった。
「少なかっただけで全く無かったわけでは……上野なんだし……」
「するはずないんだよ。その日、峰ヶ崎氏の自宅の電話は故障してて使えなかったから」
陽平が息を飲んだ。
出張中だったから電話が故障していることを知らなかったのだ。
「電話で教えようと思ったら会社から掛けてるだろ」
山本は峰ヶ崎の訃報を聞いてすぐに予約を取り消して奥さんには伝えなかった。
その話を聞いた警察は奥さんも含め誰にも言わないようにと口止めした。
チケットのことは〝真犯人しか知りえない事実〟として警察は伏せていたのである。
「出張中のあんたがどうやって聞いたんだ?」
「そ、それは……儂に電話を……」
「あんたに電話する理由は?」
「仕事の打合せで、そのとき話のついでに……。峰ヶ崎は父の戦友だったから儂も可愛がってもらっていて、それで教えてくれたんだ」
「あんた、出張先の宿には電話がなかったから翌日帰るまで事件の事は知らなかったって供述しただろ。携帯電話が無かった時代にどこに電話したんだ?」
紘彬の追求に陽平の視線が泳いだ。
「……事故って判断されたのに、なんでそんな細かい記録が残って……」
「財布や時計は盗られてないから強盗でもなさそうだし、関係者全員にアリバイがあった。峰ヶ崎氏には殺されるような動機も見当たらなかった。それで事故とされたんだ」
だが不審な点があった。
坂や階段でもない平らな場所で転んでぶつかったにしては打撲の程度が酷すぎた。
その検死結果を聞いた捜査官が近所の聞き込みをしたところ死亡推定時刻に言い争うような声を聞いたという証言があった。
だから関係者全員のアリバイを細かく検証したのだ。
当然、田中陽平の宿泊先も確認した。
その晩泊まって翌朝チェックアウトをしたのも、そこに電話が無かったのも事実だった。
「けどチェックインしてからすぐに出掛けて、その後は次の日の朝食の時まであんたの姿を見た者はいなかった」
峰ヶ崎が発見されたのは上野駅の近く。
当時は泊まり掛けになるような遠方への列車は上野駅か東京駅に止まっていた。
「つまり出張先から上野に帰ってきて峰ヶ崎氏を殺害した後、列車に飛び乗れば朝食までに戻れた」
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