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第六章 涙雨
第六章 第五話
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「桜井さん、今日は柔道の稽古に行くんですよね?」
如月が退勤時間になっても席に座ったままの紘彬に訊ねた。
「ああ。電話したら行く。もう仕事は終わってるよな。官僚は残業なんかしないだろうし」
紘彬がスマホ画面を操作しながら答えた。
「すると思いますけど……」
警視総監に掛けるのか……。
「それじゃ、お先に失礼します」
如月の言葉に紘彬はスマホを耳に当てながら「お疲れ」というように軽く手を挙げた。
紘彬が建物の外に出ると、ぽつぽつと雨が降ってきた。
大した降りではないし稽古場はすぐ近くだからとそのまま歩き出す。
今頃は真美の通夜が執り行われているだろう。
蒼治のシーツを濡らした水滴を思い出した。
あの時の蒼治の涙のようだ。
「涙雨……か」
紘彬は空を見上げて呟いた。
朝の捜査会議が始まると、
「如月、お手柄だ」
団藤が言った。
「え?」
「カセットテープの中から闇サイトに関するデータが出てきたそうだ」
「そうですか」
「随分早かったな。あれだけ大量にあったのに」
紘彬が感心したように言った。
鑑識、夕辺は寝てないかも……。
「まだ全て解析出来たわけじゃないんだが、とりあえずカセットにデータが入っていたと言う事は判明した」
「鑑識、徹夜?」
紘彬が訊ねた。
如月と同じ事を考えたらしい。
もっとも同情している様子はないが。
「そうらしい。闇サイトのデータが出てきたんで警視庁が引き継ぐ事になった」
「じゃあ、小林次郎の事件は終わり?」
「そうなるな。殺害については斉藤が犯行を認めてるし」
「なんでいつも捜査はこっちで美味しいとこは他所が取ってくんだよ」
「凶悪犯とやりあうのは警視庁の仕事になったって事ですよ」
「警視庁グッジョブ!」
紘彬が親指を立てた。
如月が苦笑する。
「電話回線がなかった理由は分かったんですか? ネット会議とかもしてたのに」
「どうやら近所の家の無線LANを勝手に利用していたらしい」
如月は納得して頷いた。
普通は他人の家の無線ルーターを使うことは出来ないのだがセキュリティを破って勝手に利用する者がいる。
万が一発信元を辿られたりしても突き止められないようにするためで、実際犯罪とは無関係の人の無線LANがサイバー攻撃犯に利用されて警察に疑いを掛けられた事例がある。
「だから今日から桜井と如月は……」
団藤が一通り聞き込みの場所を割り振った。
それが終わると紘彬は如月と共に立ち上がった。
「まどかちゃん、杉島巡査部長に捜査書類送ってくれるように頼める?」
戸口から出ようとした紘彬が振り返って言った。
「誰だ、それは」
団藤が面食らった表情で聞き返す。
「杉田巡査部長です。DNA鑑定の話を聞きにいらした」
如月がこめかみを押さえながら答える。
団藤が「なんだ」という表情になった。
「捜査書類って、田中陽平の娘のか?」
団藤が訊ねた。
「そう」
「分かった、管轄署に要請しておく」
「頼んだ」
紘彬はそう言うと如月と共に刑事部屋を後にした。
「紘ちゃん」
紘一が校門を出ると桃花が声を掛けてきた。
「桃花ちゃんも帰り? 偶然だね」
「うん」
本当はスマホを見ている振りで待ち伏せしていたのだがそれを教える気はない。
二人は並んで歩き出した。
「蒼治君、どうしてるか聞いてる?」
「確か、そろそろ退院のはずだけど」
「そっか。お見舞い行った?」
桃花の問いに蒼治の見舞いに行った時のことを話した。
「きっとすごく悲しいよね」
桃花はそう言うと目を伏せた。
二人が紘一の家の近くまで来た時、蒼治がいるのが見えた。
「あ、蒼治君」
「蒼ちゃん、退院したんだ。良かったね」
「うん、見舞いの時は済まなかった」
蒼治が紘一に謝った。
「気にしなくていいよ」
「蒼治君、その……」
桃花が「退院おめでとう」と言っていいのか分からず躊躇っているのを見ると、蒼治は微笑って、
「サンキュ」
と言った。
「それじゃ、私は帰るね」
蒼治が紘一と二人だけで話したそうにしているのを察した桃花は別れを告げると自宅に足を向けた。
桃花の姿が見えなくなると、蒼治は紘一に向き直った。
「紘兄から捜査について何か聞いてるか?」
「え?」
「犯人が分かったかとか……」
「それはまだみたい」
「もし手懸かりを掴んだって聞いたら教えてくれないか? それか目星が付いたら」
蒼治が真剣な表情で言った。
おそらく復讐を考えているのだろう。
〝復讐しても彼女は帰ってこない〟
〝そんな事をしても彼女は喜ばない〟
〝蒼治が逮捕されたら家族が悲しむ〟
〝暴力でやり返したら犯人と同じになる〟
そんな、ありきたりな台詞ならいくらでも思い付く。
けれど、そんなことは言うまでもない。
蒼治だって百も承知だ。
それでも、サッカーと同じくらい大切な存在だった彼女だ。
何かしないと気が収まらないのだろう。
第三者からしたら無意味な行動でも当人にとっては意義があるのだ。
「教えてくれるか分からないけど、兄ちゃんに聞いてみる」
「すまん」
蒼治はそう言って頭を下げると帰っていった。
紘一は黙ってその背中を見送った。
如月が退勤時間になっても席に座ったままの紘彬に訊ねた。
「ああ。電話したら行く。もう仕事は終わってるよな。官僚は残業なんかしないだろうし」
紘彬がスマホ画面を操作しながら答えた。
「すると思いますけど……」
警視総監に掛けるのか……。
「それじゃ、お先に失礼します」
如月の言葉に紘彬はスマホを耳に当てながら「お疲れ」というように軽く手を挙げた。
紘彬が建物の外に出ると、ぽつぽつと雨が降ってきた。
大した降りではないし稽古場はすぐ近くだからとそのまま歩き出す。
今頃は真美の通夜が執り行われているだろう。
蒼治のシーツを濡らした水滴を思い出した。
あの時の蒼治の涙のようだ。
「涙雨……か」
紘彬は空を見上げて呟いた。
朝の捜査会議が始まると、
「如月、お手柄だ」
団藤が言った。
「え?」
「カセットテープの中から闇サイトに関するデータが出てきたそうだ」
「そうですか」
「随分早かったな。あれだけ大量にあったのに」
紘彬が感心したように言った。
鑑識、夕辺は寝てないかも……。
「まだ全て解析出来たわけじゃないんだが、とりあえずカセットにデータが入っていたと言う事は判明した」
「鑑識、徹夜?」
紘彬が訊ねた。
如月と同じ事を考えたらしい。
もっとも同情している様子はないが。
「そうらしい。闇サイトのデータが出てきたんで警視庁が引き継ぐ事になった」
「じゃあ、小林次郎の事件は終わり?」
「そうなるな。殺害については斉藤が犯行を認めてるし」
「なんでいつも捜査はこっちで美味しいとこは他所が取ってくんだよ」
「凶悪犯とやりあうのは警視庁の仕事になったって事ですよ」
「警視庁グッジョブ!」
紘彬が親指を立てた。
如月が苦笑する。
「電話回線がなかった理由は分かったんですか? ネット会議とかもしてたのに」
「どうやら近所の家の無線LANを勝手に利用していたらしい」
如月は納得して頷いた。
普通は他人の家の無線ルーターを使うことは出来ないのだがセキュリティを破って勝手に利用する者がいる。
万が一発信元を辿られたりしても突き止められないようにするためで、実際犯罪とは無関係の人の無線LANがサイバー攻撃犯に利用されて警察に疑いを掛けられた事例がある。
「だから今日から桜井と如月は……」
団藤が一通り聞き込みの場所を割り振った。
それが終わると紘彬は如月と共に立ち上がった。
「まどかちゃん、杉島巡査部長に捜査書類送ってくれるように頼める?」
戸口から出ようとした紘彬が振り返って言った。
「誰だ、それは」
団藤が面食らった表情で聞き返す。
「杉田巡査部長です。DNA鑑定の話を聞きにいらした」
如月がこめかみを押さえながら答える。
団藤が「なんだ」という表情になった。
「捜査書類って、田中陽平の娘のか?」
団藤が訊ねた。
「そう」
「分かった、管轄署に要請しておく」
「頼んだ」
紘彬はそう言うと如月と共に刑事部屋を後にした。
「紘ちゃん」
紘一が校門を出ると桃花が声を掛けてきた。
「桃花ちゃんも帰り? 偶然だね」
「うん」
本当はスマホを見ている振りで待ち伏せしていたのだがそれを教える気はない。
二人は並んで歩き出した。
「蒼治君、どうしてるか聞いてる?」
「確か、そろそろ退院のはずだけど」
「そっか。お見舞い行った?」
桃花の問いに蒼治の見舞いに行った時のことを話した。
「きっとすごく悲しいよね」
桃花はそう言うと目を伏せた。
二人が紘一の家の近くまで来た時、蒼治がいるのが見えた。
「あ、蒼治君」
「蒼ちゃん、退院したんだ。良かったね」
「うん、見舞いの時は済まなかった」
蒼治が紘一に謝った。
「気にしなくていいよ」
「蒼治君、その……」
桃花が「退院おめでとう」と言っていいのか分からず躊躇っているのを見ると、蒼治は微笑って、
「サンキュ」
と言った。
「それじゃ、私は帰るね」
蒼治が紘一と二人だけで話したそうにしているのを察した桃花は別れを告げると自宅に足を向けた。
桃花の姿が見えなくなると、蒼治は紘一に向き直った。
「紘兄から捜査について何か聞いてるか?」
「え?」
「犯人が分かったかとか……」
「それはまだみたい」
「もし手懸かりを掴んだって聞いたら教えてくれないか? それか目星が付いたら」
蒼治が真剣な表情で言った。
おそらく復讐を考えているのだろう。
〝復讐しても彼女は帰ってこない〟
〝そんな事をしても彼女は喜ばない〟
〝蒼治が逮捕されたら家族が悲しむ〟
〝暴力でやり返したら犯人と同じになる〟
そんな、ありきたりな台詞ならいくらでも思い付く。
けれど、そんなことは言うまでもない。
蒼治だって百も承知だ。
それでも、サッカーと同じくらい大切な存在だった彼女だ。
何かしないと気が収まらないのだろう。
第三者からしたら無意味な行動でも当人にとっては意義があるのだ。
「教えてくれるか分からないけど、兄ちゃんに聞いてみる」
「すまん」
蒼治はそう言って頭を下げると帰っていった。
紘一は黙ってその背中を見送った。
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