上 下
29 / 51
第六章 涙雨

第六章 第三話

しおりを挟む
「君が生きているお陰で犯人の逮捕が早まるかもしれないよ。君の話でようやく何が起きたか分かったんだし、早く犯人を逮捕出来ればこれ以上被害者を出さなくてむんだよ」
 如月が優しく声を掛けた。
 次々に涙が落ちてシーツが濡れていく。

 しばらくしてから蒼治が顔を上げた。

「……あの、俺、なるべく事件のこと思い出してみる」
「そうしてくれると助かるよ」
 如月がそう言うと、
「なら、事件のニュースはなるべく見たり聞いたりしないようにしてくれ」
 紘彬が言い添えた。
「え?」
「人間の記憶っていうのは変質しやすいんだ。ニュースとかで証言を何度も変えたってよく言ってるだろ。あれは必ずしも嘘をいてたからとは限らないんだ」

 事故にしろ事件にしろ、何かが起きるとは思ってない時、大抵の人間は周りのことに注意を払っていない。
 その為はっきりと覚えていない事は珍しくないし、当事者も周囲を観察している余裕がない事が多い。
 目撃者への事情聴取の時、逃げた犯人の帽子の色を覚えていますか? と聞くと何も被ってなくても帽子を被っていたような気になってくる。
 事件だと知った後で走っていく人間がいたことを思い出したような場合、よほど奇抜きばつな格好でもない限り曖昧な記憶しかないからだ。
 他の目撃者が帽子を被っていたと言っている、などと言われると、もしかしたら帽子を被っていたのかもしれないと自信が揺らぐ。
 その時に「赤ですか? 青ですか?」と聞かれると、つい「赤」です、と答える事はよくある。
 確認のために「赤で間違いないですね」と聞かれると赤だったような気がしてくる。
 そして最終的にそれが赤だったという確信に変わる。
 記憶というのはそれくらい不確かなものだから質問するとき不用意に答えを誘導することを聞いてはいけないし、逆に自分達に都合のい答えを誘導したい時にこういう手を使うことがある。
 何も警察や検事だけではなく弁護士も使ったりする。
 逆に何度聞かれても全くブレなかったり、複数の人間が細部に至るまで全く同じ事を言ったりするのは事前に用意していた証言の可能性が高いから疑わしいのだ。

「人の話やニュースを聞くと先入観や思い込みで記憶が変容するから正確に思い出したいならなるべく聞かないようにしてくれ」
「分かった」
 蒼治が真剣な面持ちで頷いた。
「あ、でも、警察の事情聴取では聞かれた事ちゃんと話してね」
 如月が念のため言葉を添えた。

「如月さん、ありがと。やっぱり一緒に来てもらって良かった」
 紘一が礼を言うと、
「まるで俺が役に立たなかったみたいな言い草だな」
 紘彬がむっとした口調で言った。
「兄ちゃんは空気読まないし言葉選ばないだろ」
「なんだと」
「まぁまぁ」
 如月は紘彬と紘一の間に割って入った。
「俺で役に立てたなら良かったよ。他にも何か出来ることがあったら遠慮なく言ってね」

「やはり田中政夫一家殺害も手口は闇サイト強盗に似てるな」
 朝の捜査会議で団藤が言った。
「しかし、色んな点でに落ちないことが多いですね」
 飯田が言った。
「それなんだ。小林次郎も田中政夫一家殺害も闇サイトと関係があるか早急に調べてくれってお達しだ」
 捜査会議が終わると紘彬達はそれぞれ聞き込みに向かった。

 その日も紘彬と如月は、桜井家で飲むことになった。
 家に入っていくと紘彬の祖父がリビングのソファに座っていた。
 紘彬はリビングの前を通り過ぎようとして、ふと足を止めた。

「なぁ、祖父ちゃん、曾祖父ちゃんから戦友の話聞いてるか?」
 祖父に声を掛ける。
「いや、戦時中の話はしたがらなかったからな」
「戦後のことは? 戦友と戦後も会ってただろ。何か聞いてないか?」
「ないな」
「祖父ちゃんが耄碌もうろくして覚えてないんじゃなくて?」
「桜井さん!」
 如月がたしなめた。
「焼け野原になった東京で生活を立て直すのは大変だったんだ! 悠長に同窓会なんかやってる余裕なんかない!」
 祖父の言葉にそれ以上は無駄だと悟った紘彬は部屋に足を向けた。

 如月が後に続こうとした時、
「嫌だわ、また絡まっちゃった」
 紘彬の祖母の声が聞こえてきて振り返った。
 カセットデッキからカセットを取り出そうと苦戦していたが、テープが機械に引っ掛かってしまっているようだ。

「見せて頂けますか?」
 そう言って如月が側へ行くと祖母は場所を空けた。
 如月がカセットテープの機械を調べ始める。
「今時カセットなんて古いだろ……って言っても昭和のものじゃデジタル音源も出てないか」
「カセットやビデオをデジタルデータに……」
 如月が不意に口をつぐんだ。
「どうした?」
「あ、いえ、データをデジタルに変換してくれるサービスがありますよ。調べて桜井さ……警部補にメモをお渡しします」
「最近の機械は……」
「再生だけなら難しくないですよ。分からない時は自分がお教えしますから」
 如月はテープをカセットデッキから取り外すと片方の穴にボールペンを差し込んで丁寧に巻き取り、たるみのない状態に戻して祖母に手渡すと紘彬に向き直った。

「あの、思い付いた事があるので署に戻ります!」
 如月はそう言うと家を飛び出した。
 紘彬が後に続く。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

クラスメイトの美少女と無人島に流された件

桜井正宗
青春
 修学旅行で離島へ向かう最中――悪天候に見舞われ、台風が直撃。船が沈没した。  高校二年の早坂 啓(はやさか てつ)は、気づくと砂浜で寝ていた。周囲を見渡すとクラスメイトで美少女の天音 愛(あまね まな)が隣に倒れていた。  どうやら、漂流して流されていたようだった。  帰ろうにも島は『無人島』。  しばらくは島で生きていくしかなくなった。天音と共に無人島サバイバルをしていくのだが……クラスの女子が次々に見つかり、やがてハーレムに。  男一人と女子十五人で……取り合いに発展!?

友達の母親が俺の目の前で下着姿に…

じゅ〜ん
エッセイ・ノンフィクション
とあるオッサンの青春実話です

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

カフェ・シュガーパインの事件簿

山いい奈
ミステリー
大阪長居の住宅街に佇むカフェ・シュガーパイン。 個性豊かな兄姉弟が営むこのカフェには穏やかな時間が流れる。 だが兄姉弟それぞれの持ち前の好奇心やちょっとした特殊能力が、巻き込まれる事件を解決に導くのだった。

ヤンデレ美少女転校生と共に体育倉庫に閉じ込められ、大問題になりましたが『結婚しています!』で乗り切った嘘のような本当の話

桜井正宗
青春
 ――結婚しています!  それは二人だけの秘密。  高校二年の遙と遥は結婚した。  近年法律が変わり、高校生(十六歳)からでも結婚できるようになっていた。だから、問題はなかった。  キッカケは、体育倉庫に閉じ込められた事件から始まった。校長先生に問い詰められ、とっさに誤魔化した。二人は退学の危機を乗り越える為に本当に結婚することにした。  ワケありヤンデレ美少女転校生の『小桜 遥』と”新婚生活”を開始する――。 *結婚要素あり *ヤンデレ要素あり

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

処理中です...