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第六章 涙雨
第六章 第三話
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「君が生きているお陰で犯人の逮捕が早まるかもしれないよ。君の話でようやく何が起きたか分かったんだし、早く犯人を逮捕出来ればこれ以上被害者を出さなくて済むんだよ」
如月が優しく声を掛けた。
次々に涙が落ちてシーツが濡れていく。
しばらくしてから蒼治が顔を上げた。
「……あの、俺、なるべく事件のこと思い出してみる」
「そうしてくれると助かるよ」
如月がそう言うと、
「なら、事件のニュースはなるべく見たり聞いたりしないようにしてくれ」
紘彬が言い添えた。
「え?」
「人間の記憶っていうのは変質しやすいんだ。ニュースとかで証言を何度も変えたってよく言ってるだろ。あれは必ずしも嘘を吐いてたからとは限らないんだ」
事故にしろ事件にしろ、何かが起きるとは思ってない時、大抵の人間は周りのことに注意を払っていない。
その為はっきりと覚えていない事は珍しくないし、当事者も周囲を観察している余裕がない事が多い。
目撃者への事情聴取の時、逃げた犯人の帽子の色を覚えていますか? と聞くと何も被ってなくても帽子を被っていたような気になってくる。
事件だと知った後で走っていく人間がいたことを思い出したような場合、よほど奇抜な格好でもない限り曖昧な記憶しかないからだ。
他の目撃者が帽子を被っていたと言っている、などと言われると、もしかしたら帽子を被っていたのかもしれないと自信が揺らぐ。
その時に「赤ですか? 青ですか?」と聞かれると、つい「赤」です、と答える事はよくある。
確認のために「赤で間違いないですね」と聞かれると赤だったような気がしてくる。
そして最終的にそれが赤だったという確信に変わる。
記憶というのはそれくらい不確かなものだから質問するとき不用意に答えを誘導することを聞いてはいけないし、逆に自分達に都合の良い答えを誘導したい時にこういう手を使うことがある。
何も警察や検事だけではなく弁護士も使ったりする。
逆に何度聞かれても全くブレなかったり、複数の人間が細部に至るまで全く同じ事を言ったりするのは事前に用意していた証言の可能性が高いから疑わしいのだ。
「人の話やニュースを聞くと先入観や思い込みで記憶が変容するから正確に思い出したいならなるべく聞かないようにしてくれ」
「分かった」
蒼治が真剣な面持ちで頷いた。
「あ、でも、警察の事情聴取では聞かれた事ちゃんと話してね」
如月が念のため言葉を添えた。
「如月さん、ありがと。やっぱり一緒に来てもらって良かった」
紘一が礼を言うと、
「まるで俺が役に立たなかったみたいな言い草だな」
紘彬がむっとした口調で言った。
「兄ちゃんは空気読まないし言葉選ばないだろ」
「なんだと」
「まぁまぁ」
如月は紘彬と紘一の間に割って入った。
「俺で役に立てたなら良かったよ。他にも何か出来ることがあったら遠慮なく言ってね」
「やはり田中政夫一家殺害も手口は闇サイト強盗に似てるな」
朝の捜査会議で団藤が言った。
「しかし、色んな点で腑に落ちないことが多いですね」
飯田が言った。
「それなんだ。小林次郎も田中政夫一家殺害も闇サイトと関係があるか早急に調べてくれってお達しだ」
捜査会議が終わると紘彬達はそれぞれ聞き込みに向かった。
その日も紘彬と如月は、桜井家で飲むことになった。
家に入っていくと紘彬の祖父がリビングのソファに座っていた。
紘彬はリビングの前を通り過ぎようとして、ふと足を止めた。
「なぁ、祖父ちゃん、曾祖父ちゃんから戦友の話聞いてるか?」
祖父に声を掛ける。
「いや、戦時中の話はしたがらなかったからな」
「戦後のことは? 戦友と戦後も会ってただろ。何か聞いてないか?」
「ないな」
「祖父ちゃんが耄碌して覚えてないんじゃなくて?」
「桜井さん!」
如月が窘めた。
「焼け野原になった東京で生活を立て直すのは大変だったんだ! 悠長に同窓会なんかやってる余裕なんかない!」
祖父の言葉にそれ以上は無駄だと悟った紘彬は部屋に足を向けた。
如月が後に続こうとした時、
「嫌だわ、また絡まっちゃった」
紘彬の祖母の声が聞こえてきて振り返った。
カセットデッキからカセットを取り出そうと苦戦していたが、テープが機械に引っ掛かってしまっているようだ。
「見せて頂けますか?」
そう言って如月が側へ行くと祖母は場所を空けた。
如月がカセットテープの機械を調べ始める。
「今時カセットなんて古いだろ……って言っても昭和のものじゃデジタル音源も出てないか」
「カセットやビデオをデジタルデータに……」
如月が不意に口を噤んだ。
「どうした?」
「あ、いえ、データをデジタルに変換してくれるサービスがありますよ。調べて桜井さ……警部補にメモをお渡しします」
「最近の機械は……」
「再生だけなら難しくないですよ。分からない時は自分がお教えしますから」
如月はテープをカセットデッキから取り外すと片方の穴にボールペンを差し込んで丁寧に巻き取り、たるみのない状態に戻して祖母に手渡すと紘彬に向き直った。
「あの、思い付いた事があるので署に戻ります!」
如月はそう言うと家を飛び出した。
紘彬が後に続く。
如月が優しく声を掛けた。
次々に涙が落ちてシーツが濡れていく。
しばらくしてから蒼治が顔を上げた。
「……あの、俺、なるべく事件のこと思い出してみる」
「そうしてくれると助かるよ」
如月がそう言うと、
「なら、事件のニュースはなるべく見たり聞いたりしないようにしてくれ」
紘彬が言い添えた。
「え?」
「人間の記憶っていうのは変質しやすいんだ。ニュースとかで証言を何度も変えたってよく言ってるだろ。あれは必ずしも嘘を吐いてたからとは限らないんだ」
事故にしろ事件にしろ、何かが起きるとは思ってない時、大抵の人間は周りのことに注意を払っていない。
その為はっきりと覚えていない事は珍しくないし、当事者も周囲を観察している余裕がない事が多い。
目撃者への事情聴取の時、逃げた犯人の帽子の色を覚えていますか? と聞くと何も被ってなくても帽子を被っていたような気になってくる。
事件だと知った後で走っていく人間がいたことを思い出したような場合、よほど奇抜な格好でもない限り曖昧な記憶しかないからだ。
他の目撃者が帽子を被っていたと言っている、などと言われると、もしかしたら帽子を被っていたのかもしれないと自信が揺らぐ。
その時に「赤ですか? 青ですか?」と聞かれると、つい「赤」です、と答える事はよくある。
確認のために「赤で間違いないですね」と聞かれると赤だったような気がしてくる。
そして最終的にそれが赤だったという確信に変わる。
記憶というのはそれくらい不確かなものだから質問するとき不用意に答えを誘導することを聞いてはいけないし、逆に自分達に都合の良い答えを誘導したい時にこういう手を使うことがある。
何も警察や検事だけではなく弁護士も使ったりする。
逆に何度聞かれても全くブレなかったり、複数の人間が細部に至るまで全く同じ事を言ったりするのは事前に用意していた証言の可能性が高いから疑わしいのだ。
「人の話やニュースを聞くと先入観や思い込みで記憶が変容するから正確に思い出したいならなるべく聞かないようにしてくれ」
「分かった」
蒼治が真剣な面持ちで頷いた。
「あ、でも、警察の事情聴取では聞かれた事ちゃんと話してね」
如月が念のため言葉を添えた。
「如月さん、ありがと。やっぱり一緒に来てもらって良かった」
紘一が礼を言うと、
「まるで俺が役に立たなかったみたいな言い草だな」
紘彬がむっとした口調で言った。
「兄ちゃんは空気読まないし言葉選ばないだろ」
「なんだと」
「まぁまぁ」
如月は紘彬と紘一の間に割って入った。
「俺で役に立てたなら良かったよ。他にも何か出来ることがあったら遠慮なく言ってね」
「やはり田中政夫一家殺害も手口は闇サイト強盗に似てるな」
朝の捜査会議で団藤が言った。
「しかし、色んな点で腑に落ちないことが多いですね」
飯田が言った。
「それなんだ。小林次郎も田中政夫一家殺害も闇サイトと関係があるか早急に調べてくれってお達しだ」
捜査会議が終わると紘彬達はそれぞれ聞き込みに向かった。
その日も紘彬と如月は、桜井家で飲むことになった。
家に入っていくと紘彬の祖父がリビングのソファに座っていた。
紘彬はリビングの前を通り過ぎようとして、ふと足を止めた。
「なぁ、祖父ちゃん、曾祖父ちゃんから戦友の話聞いてるか?」
祖父に声を掛ける。
「いや、戦時中の話はしたがらなかったからな」
「戦後のことは? 戦友と戦後も会ってただろ。何か聞いてないか?」
「ないな」
「祖父ちゃんが耄碌して覚えてないんじゃなくて?」
「桜井さん!」
如月が窘めた。
「焼け野原になった東京で生活を立て直すのは大変だったんだ! 悠長に同窓会なんかやってる余裕なんかない!」
祖父の言葉にそれ以上は無駄だと悟った紘彬は部屋に足を向けた。
如月が後に続こうとした時、
「嫌だわ、また絡まっちゃった」
紘彬の祖母の声が聞こえてきて振り返った。
カセットデッキからカセットを取り出そうと苦戦していたが、テープが機械に引っ掛かってしまっているようだ。
「見せて頂けますか?」
そう言って如月が側へ行くと祖母は場所を空けた。
如月がカセットテープの機械を調べ始める。
「今時カセットなんて古いだろ……って言っても昭和のものじゃデジタル音源も出てないか」
「カセットやビデオをデジタルデータに……」
如月が不意に口を噤んだ。
「どうした?」
「あ、いえ、データをデジタルに変換してくれるサービスがありますよ。調べて桜井さ……警部補にメモをお渡しします」
「最近の機械は……」
「再生だけなら難しくないですよ。分からない時は自分がお教えしますから」
如月はテープをカセットデッキから取り外すと片方の穴にボールペンを差し込んで丁寧に巻き取り、たるみのない状態に戻して祖母に手渡すと紘彬に向き直った。
「あの、思い付いた事があるので署に戻ります!」
如月はそう言うと家を飛び出した。
紘彬が後に続く。
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