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第一章 天雨
第一章 第一話
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第一章 天雨
灰色の雲が太陽を隠して少し肌寒い朝だった。
雨が降りそうだな……。
如月風太が空を見上げた時、
「こいつ……!」
男性の声が聞こえてきた。
公園の前でコンビニの制服を着た青年が初老の男のコートを掴んでいる。
ぼさぼさの髪や服装からしてどうやらホームレスらしい。
地面におにぎりなどが散らばっているところを見ると万引きしたのがバレて追い掛けてきた店員に捕まったようだ。
青年が拳を振り上げる。
男は必死で逃げようと藻掻いていた。
「ちょっといい?」
如月の声に振り返った青年は自分と同い年くらいの如月を見て「文句あるのか」とでも言いたげな尊大な表情を浮かべた。
如月は童顔で二十歳そこそこに見えるから人に侮られがちなのだ。
青年に上着の内側から警察手帳を出して見せる。
途端に青年の表情が変わった。
「彼のことは俺に任せてくれるかな」
「あ、はい」
青年が男から手を離した。
「いくら?」
「え?」
「彼が盗った物。いくら? お金払うよ」
「逮捕するんですよね?」
店員が非難がましい視線を向けてくる。
「君が警察まで来て被害届出すっていうならするけど」
「なっ……! 現行犯じゃないですか!」
「なんの?」
「見て分かりませんか? 万引きですよ」
店員が馬鹿にしたような表情を浮かべる。
「俺はその現場を見てない。俺が現行犯逮捕出来るのは君の暴行だけだよ」
「それは正当防……」
「彼は君に暴力をふるおうとしてなかったから正当防衛は成立しないよ。だから被害届を出してもらわないと逮捕は出来ない」
「そんな……」
「君が万引きの現場を見ていて追い掛けてきたなら私人逮捕出来るけど、その場合でも君の供述は必要だから警察まで一緒に来てもらわないと」
如月の言葉に店員がたじろいだ。
「盗ったもの返したところで店頭には戻せないでしょ。でも捨てたらお店はその分損失が出たって事になるんじゃないの?」
如月の落ち着いた言葉に店員は渋々地面に落ちている商品に目を走らせた。
店員は、如月から金を受け取ると行ってしまった。
店員が去ると、如月は男と一緒に公園に入った。
ベンチに並んで座る。
男は伺うように如月を見ていた。
「お金払ったから食べても大丈夫だよ」
如月がそう言うと、男――清水久はおにぎりの包みを開け始めた。
「ホントに逮捕しなくて良いのか? 俺のこと捕まえるのが警察だろ」
「防犯も警察の仕事だよ」
如月はそう言うと清水に名刺を渡した。
「今度お腹空いたら万引きしないで俺に電話して。電話代が無かったら派出所でその名刺見せれば俺に連絡してくれるはずだよ」
「警察ってそんなに給料いいのかい」
「良くないよ」
如月は苦笑した。
「じゃあ金が無くなったら、あんたもホームレスになるだろ」
「俺は警察の寮に住んでるし、そこで食事も出るから心配いらないよ」
如月はそう言うとベンチから立ち上がって警察署へ向かって歩き出した。
オフィスビルの地下一階の駐車場にスーツ姿の男が倒れていた。
鑑識官達が離れたので刑事達が床に横たわっている男の側へ行った。
桜井紘彬警部補が死体の横に膝を突いて死後硬直などを調べ始める。
他の刑事達も死体を調べるのだが紘彬がいる時は彼が真っ先に見ていた。
紘彬は法医学者を目指して医学部を出て医師国家試験にも受かっているので普通の刑事より法医学に詳しいからだ。
二十代半ば、細身ですらっとしているように見えるが実はワイシャツの第一ボタンを外している。
剣道と柔道の有段者で首が太いのでワイシャツの第一ボタンを嵌めると苦しいらしい。
ボタンを外しているのをネクタイで隠しているのだ。
如月は周囲を見回した。
平日の昼なので上の階のオフィスで働いている社員達の車で駐車場はほぼ満車だ。
如月は紘彬に視線を戻した。
紘彬は警察官になってまだ一年ほどだから如月の方が経歴は長いが階級も年齢も紘彬の方が上だった。
年上だから、と言う訳ではないのだが色々な意味で如月にとって紘彬は憧れの対象である。
「桜井、どう思う?」
三十代半ばの刑事が訊ねた。
紘彬と同じ警部補の団藤団だ。
「そうだな、襲撃者はひどい近眼でボクシング未経験……てとこかな」
「近眼なんて事まで分かるものなんスか!?」
佐久巡査部長が驚いて訊ねた。
「近眼でもなきゃ人間とサンドバッグを間違えたりしないだろ」
「駐車場の真ん中にサンドバッグがあるか!」
団藤が叱り付けた。
その場にいた全員が「またか……」という視線を紘彬に向ける。
如月は溜息を吐いた。
頭の良い人なのになんで所構わず冗談言うかな……。
「ボクシング未経験というのは……」
如月は、こめかみを抑えながら訊ねた。
紘彬が被害者の顔の一際くっきりしている痣を指す。
「これは素手で殴った痕だ。こんな跡がつくほど強く殴ったら拳を痛める。プロにしろアマにしろボクシングやってるなら拳を痛めるようなことはしないだろ」
紘彬がそう答えた。
この人は冗談とまともな事を同じ表情や声の調子で言うから油断出来ない……。
如月は横目で紘彬を見た。
「おい! そこで何をしてる!」
不意に隅の方から警察官の声が聞こえてきた。
如月達が振り向くと駐車された車の間から男が飛び出してきたところだった。
どうやら逃げる前に警察が来て駐車場を封鎖してしまった為、隠れてやり過ごすつもりでいたのを発見されてしまったらしい。
駐車場の出口は左右二ヶ所。
車の間から出た後、近い方の出口に目を向けた男は、制服警官が拳銃のホルスターに手を掛けたのを見て反対方向へ駆け出した。
如月達が突っ立ったままなので捕まる前に走り抜けられると判断したらしい。
男がこちらに向かってくる。
このまま如月達が動かなければ三メートルほど離れたところを駆け抜けられると思ったようだ。
灰色の雲が太陽を隠して少し肌寒い朝だった。
雨が降りそうだな……。
如月風太が空を見上げた時、
「こいつ……!」
男性の声が聞こえてきた。
公園の前でコンビニの制服を着た青年が初老の男のコートを掴んでいる。
ぼさぼさの髪や服装からしてどうやらホームレスらしい。
地面におにぎりなどが散らばっているところを見ると万引きしたのがバレて追い掛けてきた店員に捕まったようだ。
青年が拳を振り上げる。
男は必死で逃げようと藻掻いていた。
「ちょっといい?」
如月の声に振り返った青年は自分と同い年くらいの如月を見て「文句あるのか」とでも言いたげな尊大な表情を浮かべた。
如月は童顔で二十歳そこそこに見えるから人に侮られがちなのだ。
青年に上着の内側から警察手帳を出して見せる。
途端に青年の表情が変わった。
「彼のことは俺に任せてくれるかな」
「あ、はい」
青年が男から手を離した。
「いくら?」
「え?」
「彼が盗った物。いくら? お金払うよ」
「逮捕するんですよね?」
店員が非難がましい視線を向けてくる。
「君が警察まで来て被害届出すっていうならするけど」
「なっ……! 現行犯じゃないですか!」
「なんの?」
「見て分かりませんか? 万引きですよ」
店員が馬鹿にしたような表情を浮かべる。
「俺はその現場を見てない。俺が現行犯逮捕出来るのは君の暴行だけだよ」
「それは正当防……」
「彼は君に暴力をふるおうとしてなかったから正当防衛は成立しないよ。だから被害届を出してもらわないと逮捕は出来ない」
「そんな……」
「君が万引きの現場を見ていて追い掛けてきたなら私人逮捕出来るけど、その場合でも君の供述は必要だから警察まで一緒に来てもらわないと」
如月の言葉に店員がたじろいだ。
「盗ったもの返したところで店頭には戻せないでしょ。でも捨てたらお店はその分損失が出たって事になるんじゃないの?」
如月の落ち着いた言葉に店員は渋々地面に落ちている商品に目を走らせた。
店員は、如月から金を受け取ると行ってしまった。
店員が去ると、如月は男と一緒に公園に入った。
ベンチに並んで座る。
男は伺うように如月を見ていた。
「お金払ったから食べても大丈夫だよ」
如月がそう言うと、男――清水久はおにぎりの包みを開け始めた。
「ホントに逮捕しなくて良いのか? 俺のこと捕まえるのが警察だろ」
「防犯も警察の仕事だよ」
如月はそう言うと清水に名刺を渡した。
「今度お腹空いたら万引きしないで俺に電話して。電話代が無かったら派出所でその名刺見せれば俺に連絡してくれるはずだよ」
「警察ってそんなに給料いいのかい」
「良くないよ」
如月は苦笑した。
「じゃあ金が無くなったら、あんたもホームレスになるだろ」
「俺は警察の寮に住んでるし、そこで食事も出るから心配いらないよ」
如月はそう言うとベンチから立ち上がって警察署へ向かって歩き出した。
オフィスビルの地下一階の駐車場にスーツ姿の男が倒れていた。
鑑識官達が離れたので刑事達が床に横たわっている男の側へ行った。
桜井紘彬警部補が死体の横に膝を突いて死後硬直などを調べ始める。
他の刑事達も死体を調べるのだが紘彬がいる時は彼が真っ先に見ていた。
紘彬は法医学者を目指して医学部を出て医師国家試験にも受かっているので普通の刑事より法医学に詳しいからだ。
二十代半ば、細身ですらっとしているように見えるが実はワイシャツの第一ボタンを外している。
剣道と柔道の有段者で首が太いのでワイシャツの第一ボタンを嵌めると苦しいらしい。
ボタンを外しているのをネクタイで隠しているのだ。
如月は周囲を見回した。
平日の昼なので上の階のオフィスで働いている社員達の車で駐車場はほぼ満車だ。
如月は紘彬に視線を戻した。
紘彬は警察官になってまだ一年ほどだから如月の方が経歴は長いが階級も年齢も紘彬の方が上だった。
年上だから、と言う訳ではないのだが色々な意味で如月にとって紘彬は憧れの対象である。
「桜井、どう思う?」
三十代半ばの刑事が訊ねた。
紘彬と同じ警部補の団藤団だ。
「そうだな、襲撃者はひどい近眼でボクシング未経験……てとこかな」
「近眼なんて事まで分かるものなんスか!?」
佐久巡査部長が驚いて訊ねた。
「近眼でもなきゃ人間とサンドバッグを間違えたりしないだろ」
「駐車場の真ん中にサンドバッグがあるか!」
団藤が叱り付けた。
その場にいた全員が「またか……」という視線を紘彬に向ける。
如月は溜息を吐いた。
頭の良い人なのになんで所構わず冗談言うかな……。
「ボクシング未経験というのは……」
如月は、こめかみを抑えながら訊ねた。
紘彬が被害者の顔の一際くっきりしている痣を指す。
「これは素手で殴った痕だ。こんな跡がつくほど強く殴ったら拳を痛める。プロにしろアマにしろボクシングやってるなら拳を痛めるようなことはしないだろ」
紘彬がそう答えた。
この人は冗談とまともな事を同じ表情や声の調子で言うから油断出来ない……。
如月は横目で紘彬を見た。
「おい! そこで何をしてる!」
不意に隅の方から警察官の声が聞こえてきた。
如月達が振り向くと駐車された車の間から男が飛び出してきたところだった。
どうやら逃げる前に警察が来て駐車場を封鎖してしまった為、隠れてやり過ごすつもりでいたのを発見されてしまったらしい。
駐車場の出口は左右二ヶ所。
車の間から出た後、近い方の出口に目を向けた男は、制服警官が拳銃のホルスターに手を掛けたのを見て反対方向へ駆け出した。
如月達が突っ立ったままなので捕まる前に走り抜けられると判断したらしい。
男がこちらに向かってくる。
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