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賀
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〝風に散る 花のふるよを あけに染む 君帰らずや 我の元へと〟
貴晴は庭の桜を見ていた。
もうすぐ満開になりそうだ。
「つつじの君が内裏に入る日が決まった?」
貴晴が聞き返す。
白石が訊ねてきたと思ったら、貴晴に織子が内裏に入る日を告げたのだ。
入内とは違うらしい。
まず内裏に入った上で、色々と準備をしてから春宮の妃になるとのことだった。
そして春宮が即位したらすぐに織子も皇后として立てられることになる。
内親王を差し置いて貴族の娘を皇后にするわけにはいかない、といえば誰も文句は言えない。
「あの、何故それを私に……」
貴晴の言葉に、
「お忘れかもしれないが私の妹も入内する」
白石が答えた。
「…………」
そういえば、そうだった……。
そもそも内大臣の中の姫が狙われたのは春宮への入内が決まっているからだと思われていたのだ。
「検非違使庁では〝鬼〟の残党は――」
白石の言葉に貴晴は思わず顔を上げた。
そもそも〝鬼〟は群盗ではなかった。
左大臣が雇った者達だったから検非違使は全員捕まえたはずだ。
もちろん本当の群盗も跋扈してはいるのだが。
「――丹波国の大江山に逃げたのではないかと考えてそちらを探しに行っている。もし織子内親王様を〝鬼〟の残党が連れ去ったとしてもすぐに捕まえられるように手配してある」
白石が言葉を続ける。
なるほど……。
貴晴が帝の落胤だと知らない白石としては妹が競う妃は少ない方が望ましいということか。
仮に知っていたとしても、貴晴が春宮になって織子を娶るならそれはそれで他の妃は見向きもされない可能性が高いから好ましいことではないだろう。
それに内親王が皇后になったら誰も得をしない――貴族は。
だから遠回しにつつじの君を連れて逃げろと言っているのである。
貴晴も織子も貴族達にとっては邪魔でしかないのだ。
そして、つつじの君と逃げるなら東に行け、と。
だが――。
「あの男は武蔵国に逃げて捕まったはずですが……」
貴晴が言った。
あの男というのは有名な歌物語の主人公のことである。
その男が内親王と駆け落ちする話があるのだ。
「あれは追っ手がいたからだろう」
白石が答える。
つまり追い掛ける気はないと言うことか……。
〝鬼〟の残党が連れ去ったことにする、と。
深夜――
「……祖父上、春宮か、無位無冠の地下人のどちらかと仰いましたね」
貴晴は祖父の邸に忍びこんだ。
祖父の寝ている寝所で訊ねる。
「春宮ではなく、親王として弾正宮になる道は無いのですね、あるいは貴族として弾正尹になる道は……」
「ない」
祖父が言い切る。
「……あの、分からないのですが、母親の女御が不祥事を起こしたくらいで冊立されている春宮を外すのは無理でしょう」
「春宮は帝を呪詛して廃太子されることになっている」
ことになっている……。
貴晴が春宮になると言えば冤罪をでっち上げてでも今の春宮を廃太子する気なのだ。
「分かりました」
貴晴は溜息を吐いた。
「……君、つつじの君」
太政大臣の邸の寝所で寝ていた織子は囁き声で目覚めた。
周囲は真っ暗で何も見えない。
けど、このお声は……。
「多田様?」
織子が囁き返す。
「……内親王は親王か四世までの王でなくては娶れないと聞きました」
貴晴の言葉に、
「はい」
織子が沈んだ声で返事をする。
もし織子が内親王だという事を誰にも気付かれなければ貴族の息子の妻になることも出来ただろう。ただの貴族の姫として。
だが、それはもう叶わない。
貴晴が下級貴族では臣籍降嫁もまず無理だ。
仮に春宮への入内が決まっていなかったとしても。
「私は父と祖父の用意した官職も捨てましたので今は無位無冠の地下人です」
貴晴の言葉に、
「…………」
織子は目を伏せた。
「都にはいられなくなります……」
「…………」
「それでも……」
「…………」
織子の返事はない。
やはり無位無冠では無謀か……。
だが、それでも貴晴は思い切って、
「それでも……それでもよろしければ私と一緒に来ていただけないでしょうか。誰も知らない、どこか遠い地へ」
最後まで言い切った。
「…………」
やはり織子からの返事はない。
ダメか……。
貴晴は肩を落とした。
今から頼めば春宮に……。
いや、さすがにそれは虫が良すぎるか……。
だいたい、廃太子のために春宮に濡れ衣を着せるなど……。
そういうのが嫌で貴族社会を避けていたのだ。
その一番嫌いな貴族や皇族と同じことなど……。
そんな事を考えていると――。
「……ぃ」
織子が微かに何か言った。
「え?」
貴晴が聞き返す。
「はい……」
織子は涙を拭いながらもう一度言った。
「はい……、一緒に連れていってください。どこまでも随いていきます」
「私は何も持っていません。それでも……?」
「何もいりません。多田様がいてくだされば」
織子が答える。
「つつじの君!」
「……あ、お歌は欲しいです」
「詠みます! いくらでも!」
そう答えて貴晴が差し出した手を織子が掴む。
貴晴はその手を強く握り返した。
貴晴は由太が用意した侍女の衣裳を着させると織子を連れて邸を抜け出した。
祖父は御簾の前に跪いていた。
「……〝鬼〟の残党が太政大臣の邸から織子内親王様を攫ったそうです」
祖父が御簾の向こうの帝に上奏する。
「……貴晴は?」
「内親王様をお救いすると〝鬼〟を追っていったそうです」
祖父が答える。
帝は深い溜息を吐くと空を見上げて呟いた。
〝天つ川 そらを渡りし 風に聞く 野に咲く菊は 九重なりやと〟
完
貴晴は庭の桜を見ていた。
もうすぐ満開になりそうだ。
「つつじの君が内裏に入る日が決まった?」
貴晴が聞き返す。
白石が訊ねてきたと思ったら、貴晴に織子が内裏に入る日を告げたのだ。
入内とは違うらしい。
まず内裏に入った上で、色々と準備をしてから春宮の妃になるとのことだった。
そして春宮が即位したらすぐに織子も皇后として立てられることになる。
内親王を差し置いて貴族の娘を皇后にするわけにはいかない、といえば誰も文句は言えない。
「あの、何故それを私に……」
貴晴の言葉に、
「お忘れかもしれないが私の妹も入内する」
白石が答えた。
「…………」
そういえば、そうだった……。
そもそも内大臣の中の姫が狙われたのは春宮への入内が決まっているからだと思われていたのだ。
「検非違使庁では〝鬼〟の残党は――」
白石の言葉に貴晴は思わず顔を上げた。
そもそも〝鬼〟は群盗ではなかった。
左大臣が雇った者達だったから検非違使は全員捕まえたはずだ。
もちろん本当の群盗も跋扈してはいるのだが。
「――丹波国の大江山に逃げたのではないかと考えてそちらを探しに行っている。もし織子内親王様を〝鬼〟の残党が連れ去ったとしてもすぐに捕まえられるように手配してある」
白石が言葉を続ける。
なるほど……。
貴晴が帝の落胤だと知らない白石としては妹が競う妃は少ない方が望ましいということか。
仮に知っていたとしても、貴晴が春宮になって織子を娶るならそれはそれで他の妃は見向きもされない可能性が高いから好ましいことではないだろう。
それに内親王が皇后になったら誰も得をしない――貴族は。
だから遠回しにつつじの君を連れて逃げろと言っているのである。
貴晴も織子も貴族達にとっては邪魔でしかないのだ。
そして、つつじの君と逃げるなら東に行け、と。
だが――。
「あの男は武蔵国に逃げて捕まったはずですが……」
貴晴が言った。
あの男というのは有名な歌物語の主人公のことである。
その男が内親王と駆け落ちする話があるのだ。
「あれは追っ手がいたからだろう」
白石が答える。
つまり追い掛ける気はないと言うことか……。
〝鬼〟の残党が連れ去ったことにする、と。
深夜――
「……祖父上、春宮か、無位無冠の地下人のどちらかと仰いましたね」
貴晴は祖父の邸に忍びこんだ。
祖父の寝ている寝所で訊ねる。
「春宮ではなく、親王として弾正宮になる道は無いのですね、あるいは貴族として弾正尹になる道は……」
「ない」
祖父が言い切る。
「……あの、分からないのですが、母親の女御が不祥事を起こしたくらいで冊立されている春宮を外すのは無理でしょう」
「春宮は帝を呪詛して廃太子されることになっている」
ことになっている……。
貴晴が春宮になると言えば冤罪をでっち上げてでも今の春宮を廃太子する気なのだ。
「分かりました」
貴晴は溜息を吐いた。
「……君、つつじの君」
太政大臣の邸の寝所で寝ていた織子は囁き声で目覚めた。
周囲は真っ暗で何も見えない。
けど、このお声は……。
「多田様?」
織子が囁き返す。
「……内親王は親王か四世までの王でなくては娶れないと聞きました」
貴晴の言葉に、
「はい」
織子が沈んだ声で返事をする。
もし織子が内親王だという事を誰にも気付かれなければ貴族の息子の妻になることも出来ただろう。ただの貴族の姫として。
だが、それはもう叶わない。
貴晴が下級貴族では臣籍降嫁もまず無理だ。
仮に春宮への入内が決まっていなかったとしても。
「私は父と祖父の用意した官職も捨てましたので今は無位無冠の地下人です」
貴晴の言葉に、
「…………」
織子は目を伏せた。
「都にはいられなくなります……」
「…………」
「それでも……」
「…………」
織子の返事はない。
やはり無位無冠では無謀か……。
だが、それでも貴晴は思い切って、
「それでも……それでもよろしければ私と一緒に来ていただけないでしょうか。誰も知らない、どこか遠い地へ」
最後まで言い切った。
「…………」
やはり織子からの返事はない。
ダメか……。
貴晴は肩を落とした。
今から頼めば春宮に……。
いや、さすがにそれは虫が良すぎるか……。
だいたい、廃太子のために春宮に濡れ衣を着せるなど……。
そういうのが嫌で貴族社会を避けていたのだ。
その一番嫌いな貴族や皇族と同じことなど……。
そんな事を考えていると――。
「……ぃ」
織子が微かに何か言った。
「え?」
貴晴が聞き返す。
「はい……」
織子は涙を拭いながらもう一度言った。
「はい……、一緒に連れていってください。どこまでも随いていきます」
「私は何も持っていません。それでも……?」
「何もいりません。多田様がいてくだされば」
織子が答える。
「つつじの君!」
「……あ、お歌は欲しいです」
「詠みます! いくらでも!」
そう答えて貴晴が差し出した手を織子が掴む。
貴晴はその手を強く握り返した。
貴晴は由太が用意した侍女の衣裳を着させると織子を連れて邸を抜け出した。
祖父は御簾の前に跪いていた。
「……〝鬼〟の残党が太政大臣の邸から織子内親王様を攫ったそうです」
祖父が御簾の向こうの帝に上奏する。
「……貴晴は?」
「内親王様をお救いすると〝鬼〟を追っていったそうです」
祖父が答える。
帝は深い溜息を吐くと空を見上げて呟いた。
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