歌のふる里

月夜野 すみれ

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魂の還る惑星 第九章 Ka'ulua-天国の女王-

第九章 第八話

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 不意に朝子が目を見開いた。
 小夜が歌い終える頃、朝子は、
「グラフェーが、消えた……」
 と呟いた。
 小夜達にはまだムーシケーの海もグラフェーも見えていたが朝子の瞳に映っているのは地球の海だけらしい。
 グラフェーの人間でもあるのにグラフェーまで見えなくなったのはムーシケーが見せている光景だからだ。
 ムーシケーとの繋がりが断ち切られた時点でムーシケーの光景が見えなくなったのだ。
 無くなったのは呪詛のムーシカだけで嵐や強風のムーシカは依然として存在しているがムーシコスではなくなった朝子が歌っても効力は発生しない。
 もうムーシカの力は使えないのだ。
 ムーシケーの処分を朝子がどう思ったのかは分からない。彼女は黙って踵を返すと歩き出した。
「一つ教えてくれ」
 不意に柊矢が朝子に声をかけた。
 朝子が背を向けたまま立ち止まった。
「俺達の親を殺したのはクレーイス・エコーになってムーシケーの意志を知ったからだと言ったな」
「……だったらなんなの?」
「あんたがクレーイス・エコーになったのは十八年前だろ。だとしたら小夜のお母さんが子供の頃に遭った事故とは関係ないのか?」
 楸矢と椿矢がハッとした。
 小夜の母親が養子に出されたのは霧生兄弟の祖父から警告されたからだ。
「子供の頃の事故?」
 朝子は背を向けたままだったが声が怪訝そうだった。
「……クレーイス・エコーになる前のことは知らないわ」
「そうか」
 小夜の母親が子供の頃、事故に遭ったのは恐らく偶然だったのだ。
 朝子の姿が闇に消えると、柊矢は、
「俺達も帰るぞ」
 と言って小夜の肩を抱くとレンタカーが止まっている方へと向かって歩き出した。
 だが楸矢はその場に立ち尽くしていた。
「楸矢君……」
 椿矢が楸矢の方を向いた。
「気持ちがおさまらない?」
「……だって、俺の親や祖父ちゃん殺しておいておとがめなし? そりゃ、消されたくなかった呪詛を消されたのは悔しいだろうけど、家族を殺された俺よりつらい思いをしてるとは思えない」
「……ムーシコスはパートナー以外はどうでもいいって言ったけど、全てのムーシコスが両想いになれるわけじゃないよ。片想いや失恋のムーシカもいっぱいある。まぁ、片想いの相手をパートナーとは言わないけど」
 楸矢は椿矢の言わんとしていることが分からず見つめ返した。
「多分、亡くなったお義兄にいさんってパートナーか、片想いの相手のどっちかだよ」
「……パートナーが死ぬと一緒に死んじゃうんでしょ。片想いだったって事?」
「どっちだったのかは知りようがないけど、パートナーだったとしたら、おそらく地球人かグラフェーの人間の血のせいで引っ張られずにとどまっちゃったんだと思う」
 片想いの可能性もある。
 朝子が養女になったのは小学生の時だから義兄は彼女を義妹いもうととしか見てなくて他の人がパートナーになったのかもしれない。
「ただ、パートナーにしろ、片想いにしろ、ムーシコスは相手に対する想いが強い分、失ったときのつらさは地球人の比じゃないよ」
 ムーシコスは他人が滅多に視界に入らないから目移りもしづらい。
 一度誰かを好きになったら心変わりをすることは稀なのだ。
 ムーシケーの意志が分かったのなら相当ムーシコスらしさが強いはずだし、だとすれば目に映る人間は少ない。
 朝子が独身を貫いてきたのもそのせいだろう。別の人を愛することも出来ず、自分に好意を寄せている人がいたとしても気付くことがなかったから独り身のままだったのだ。
 互いに視界に入る人間が少ないから大抵は両想いになるが稀に三角関係などであぶれる場合がある。
 そうなっても簡単に他の人間に乗り換えることが出来ないから叶わぬ想いを抱えて一人で生きていくことが多い。
 案外、最初に呪詛を作ってしまったのはそんなムーシコスの一人だったのかもしれない。
「彼女はムーシコスではなくなったけど、それで想いが薄れるわけじゃないから、この先一生お義父にいさんを想って苦しみ続けなきゃならない。怒りをぶつける矛先や手段を奪われたまま、ね」
 ムーシカを見ることも聴くことも出来なくなったのなら義兄あにを呪詛した者を突き止める手段も失ったという事だ。
「……もし、それが本当で、物凄くつらいとしても、俺には分からない」
「そうだね。君に彼女の苦しみを知るすべはないし、彼女も君や小夜ちゃんがどれだけつらい思いをしてきたか知らない。心の傷は目に見えないから他人ひとの痛みを理解するのは難しいんだよ」
「……あんた、ムーシコスなのに感情が分かるみたいなこと言うんだね」
 楸矢の言葉に椿矢は苦笑した。
「ムーシコスにだって感情はあるよ。それに、言ったでしょ。柊矢君ほどのムーシコスは珍しいって。柊矢君以外のムーシコスは地球人と大差ないよ」
「……小夜ちゃんも、ご両親のこと、そんなに悲しんだり怒ったりしてないみたいだった……」
「小夜ちゃんはムーシコスだからじゃなくて、元々人を恨んだり憎んだりするような性格じゃないからでしょ。それに小夜ちゃん、人前では泣くの我慢しちゃうって言ってなかった?」
 椿矢の言葉に、あっ!と思った。
 悲しんでるように見えなかったのは他人ひとに心配させないように無理をするからだ。
 自分の気持ちで頭がいっぱいで、そこまで気が回らなかった。
 あれだけ人に気を遣う小夜が自分達の前で取り乱して心配させるような真似をするはずがない。
 部屋で一人になるまでこらえているだけだ。
 柊矢は分かっていたから早く帰ろうとしているのだろう。
 小夜が泣けるように。

「おい! 早くしろ!」
 柊矢の声が聞こえてきた。
「行こうか」
 椿矢が優しく声をかけると楸矢は頷いてから榎矢の方を見た。
「あんた、帰る手段あんの?」
「タクシー待たせてある」
 楸矢は頷くと椿矢と共に歩きだした。
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