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魂の還る惑星 第八章 Tistrya -雨の神-
第八章 第八話
しおりを挟む「そんなに大袈裟に安心するようなこと?」
不思議そうな椿矢に、楸矢は文献が読めなかったことを打ち明けた。
「俺、やっぱ普通の会社員、無理かも。でも、俺の腕じゃ出演料貰うどころかチケットのノルマで却って赤字になりそうだし……」
「え、小劇団のお芝居とかだけじゃなくて、コンサートとかでもそういうのあるの?」
「全部じゃないけど舞台に出る系のは珍しくないよ。子供のバレエの発表会とかだって教室によっては一枚一万円以上するチケット何枚って割り当てがあって、ノルマ引き受けないと出られなかったりするって聞いたことあるし」
「子供のバレエの発表会、一万以上するチケット買ってまで観に行きたい人なんているの!? 家族以外で」
「いるわけないじゃん。だから大抵は自腹だよ」
「そもそも発表会に出られるかどうかが実力じゃなくてノルマ?」
「基本的にはまず実力だよ。その上でノルマ引き受けた人だけ出られるの。実力あってもノルマ引き受けられないと、補欠でノルマ引き受けられる人に役が回されるんだよ」
「じゃあ、衣装代その他に加えてチケット代数万円!? 発表会が将来何かのキャリアに役立つとか言うわけじゃないよね? それなのにそんな大金負担しないと出られないの?」
高が子供の発表会に、という言葉を呑み込んだのが分かった。
「まぁ、大きいホールは借りると高いし」
子供の発表会にそんな大ホールを借りる必要ないだろう、というのはあるが。
出演者の親がチケットを捌かなければ席が埋まらないのは観に来る人がいないということだから小さいホールで十分だと思うが、それなりに知名度のある教室だと体面などがあるのだろう。
「逆に劇団とかの公演でも、その人目当てにお客さんが来てくれるような有名人はそういうノルマないみたいだよ。人気俳優とか」
「……もしかしてソロコンサートだと会場の座席全部自分で捌くの?」
「それは演奏する人によるよ」
音楽家にとってソロコンサートは夢だから、どうしても開きたいが無名だからチケット販売サイトで売りに出したところで捌けそうにないという場合は自分でなんとかするしかない。
親戚や友人知人など知り合い全員に片っ端から頼み込むのだ。
普段、音楽教室で教えてる人の中には生徒に買ってもらったりする事もあるらしい。最悪、借金して自腹を切る。
逆に有名人など頼まれて出る場合はノルマがないどころか出演料も貰える。
「沙陽からそう言う話聞いたことないから知らなかった」
普段、近付かないようにしているとはいっても昔から家族ぐるみでの付き合いがあるから嫌でも顔を合わせることがあった。
「沙陽んちが金持ちなら親戚とかに無料でばらまいて自腹切ればいいだけだし、それに沙陽って顔だけはいいじゃん。大抵の男は沙陽に頼まれたら買うんじゃない? ブランド物のバッグ贈るより安上がりなんだし」
「あれ? コンサートで出演料もらえないとしたら音楽家ってどうやって生活してるの?」
楸矢の話によると一応、演奏の仕事も色々あるそうだ。
テレビや映画、CMを始めとした色々な番組その他諸々のBGMやアーティストのバックバンドなど。あと小さいイベントでの演奏や数は少ないがレストランやバー、結婚式場など色々な場所での生演奏などもある。
沙陽は声楽家だから、おそらくコーラスの仕事をしてるのだろう。
まぁ、霍田家もそれなりの資産家だし今は親と同居しているから出演料をそれほど当てにする必要はないに違いない。
楸矢と話していると、この世には想像も付かない世界があるんだと思い知らされる。
とはいえ椿矢の夢は普通の家庭人であって音楽家ではない。
家族をちゃんと養えるようになりたいというのなら演奏の仕事をするにしても収入にならないどころかチケットのノルマで赤字になるかもしれないコンサートに出たいとは思わないだろう。
今の話を聞いた感じでも音楽家の憧れであるソロコンサートを自分も開きたいと思っている様子はない。
柊矢がヴァイオリニストになりたかったわけではないというのが本気だったのと同様に、楸矢が義務感でプロを目指していただけというのも本心なのだ。
正直、楸矢が憧れてるような普通の家族などというものは存在しない。
どこの家もそれなりに問題を抱えているものだが、それは実際に家庭を持てば分かることだから今話して夢を壊す必要はない。
なんとなく将来、結婚した楸矢から「想像してたのとは違った」という愚痴を聞くことになりそうな気がした。
現代の日本語の文献が読めなかったのは歴史の文献というのは必ずしも読みやすく書かれているとは限らないから普段その手の文章を読み慣れていなければ分からなくても無理はない。
特に素人が書いた郷土資料の中には国語の勉強やり直せと言って書き直させたくなるものも少なくないから楸矢の読解力に問題があったとは限らない。
柊矢に叱られたくなかったのに読めなかった時点で近所にいると知っている椿矢を安易に頼らず頭を使って他の方法を考えついたのだから自力で何とかしようという気概があって機転も利くという事だ。
実社会で必要なのは学業成績よりそういう臨機応変さだから仕事に支障を来すことはないはずだ。
性格も真面目だから仕事で手を抜いたりサボったりすることもないだろう。
一度バイトをしてみればそれほど心配する必要はないと分かりそうなものだが、問題は勉強をする時間を削ってバイトして留年することなく卒業出来るかどうかである。バイトのせいで更に成績が落ちて卒業出来なかったりしたら本末転倒だ。
ふと、視線を感じて顔を上げると通りの向こうに朝子がいて、こちらを見ていた。
「楸矢君、ちょっと待ってて」
そう言って朝子の元へ行こうとしたのだが、彼女は身を翻して細い路地に入っていってしまった。
椿矢が路地の入り口に辿り着いたときには朝子の姿はなかった。
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