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魂の還る惑星 第八章 Tistrya -雨の神-
第八章 第二話
しおりを挟む小夜は柊矢のセレナーデに本気で感激しているが、それはあくまで恋人が自分のために弾いてくれているからであってクラシック音楽が好きなわけではない。
初めて柊矢が小夜に弾いたセレナーデがエルガーの『愛の挨拶』で、曲が出来たときの経緯などを訊いてうっとりしていたが、だからといってCDなどで『愛の挨拶』を聴いたりはしないしクラシック音楽に興味を持ったりもしなかった。
その後、柊矢が弾いた曲にしても聴くのはあくまで柊矢が弾いてるときだけで、それ以外で聴くことない。
ドラマとかだと、よく初デートの思い出の曲だとか言ってCDを聴いたりするがムーシコスの場合そうなるのはムーシカなのだろう。
ムーシコスはCDを聴く代わりに自分でムーシカを奏でるのだ。
大抵のムーシコスは既存のムーシカを奏でるらしいが、おそらく柊矢と小夜の想い出のムーシカは自分達が創ったものだろう。
結局ムーシコスにとって音楽とはあくまでムーシカであって地球の音楽は恋人と過ごすときのBGMでしかない。
だが〝ムーシコスの血が薄い〟楸矢には演奏さえ出来ればいいから楽器には拘らない、フルートの腕が落ちても構わない、などと簡単に割り切ることは出来なかった。
いくら自分からなりたいと思ったわけではなくても何年間もプロになるために努力してきたのだ。
なる必要がなくなったからといってあっさり練習を止めることなど出来ない。
だからといってプロとしてやっていけるだけの才能や実力がないことも分かっている。
音楽家の末端に名を連ねる程度ならなれるかもしれないが、それでは家族をちゃんと養えるか分からない。
フルートで今の自分と同じような暮らしを家族にさせてやれるだけの収入を得られる保証があるならどんなに無理をしてでも頑張るが、どちらかしか選べないなら家庭を取る。
だがそれを選択したら今までやってきた事が全て無駄になる。
自分は今まで一体何してたんだろう、という思いに駆られる。
普通の大学に行きたいなんて言っておきながらこれだもんなぁ……。
楸矢は溜息を吐いた。
すぐ側で弟が悩んでいるにもかかわらず柊矢はムーシカにあわせてキタラを弾いていた。楸矢は完全に眼中に入ってない。
俺、ホントにイスかテーブルなんだな……。
話しかければ返事はしてくれるから相談には乗ってくれると思うが役に立つ答えは期待出来ないだろう。
柊矢は自分がやりたいことをやってるだけで、楸矢も好きなことをすればいいと思っている――というか、そうしてると思ってた――ようだから「自分のしたいことをしろ」以外の返事が返ってくるとは思えない。
これでよく祖父が亡くなったときに楸矢を育てる必要があるという事に気付いたものだと思いかけたが、単に興味がないから自発的に関わろうとはしなかっただけで社会の仕組みなどに関する知識はあるから働いて金を稼がないと生活していけないということは理解してるのだ。
楸矢に関しても、関心がないから口出ししない――というかしなかった――だけで弟がいることや養う必要があるという事は分かっていたから面倒を見てくれたのだ。
家族への思い遣りでも義務感でもない。ただ、そういうものだからやったに過ぎない。
俺、絶対地球人と結婚しよう。
楸矢は改めて固く決意した。
「デートのお膳立て、もういいんですか?」
清美が意外そうに言った。
楸矢と清美は新宿駅近くの喫茶店にいた。
「ちょっと早かったかなって。今はまだ色々遠慮が先に立って、小夜ちゃん、楽しめそうにないし」
「でも、お花見の時、二人で先にどっか行ってましたよね?」
「うちに帰って音楽室でセレナーデ弾いてた」
正確にはデュエットのムーシカを歌っていたのだが、それを言うわけにはいかないので少しだけ脚色した。
「え、結局家でセレナーデになっちゃうんですか……」
清美が絶句した。
これが普通の反応だよなぁ……。
ひたすらムーシカ奏でて喜んでるの、柊兄と小夜ちゃんくらいだよな。
楸矢は小夜の歌声とキタラの演奏を聴きながら苦笑した。
楸矢が家に向かって歩いていると小夜の新しいムーシカが聴こえてきた。
さっき何曲か歌って小夜はそれでお終いになった。
といっても他のムーシコスも一緒に奏でていて小夜が抜けたと言うだけだが。小夜が止めた後もムーシカは何曲か続いていたがその後、しばらく途絶えていた。
そこへ小夜が歌い始めたのだ。
おそらく新しいムーシカが出来たからまた歌い始めたのだろう。
ラブソングだが、嬉しさとか楽しさが伝わってきて聴いているだけで明るくなるようなムーシカだった。
またムーシコス好みのムーシカだな。
柊矢にしろ小夜にしろ、ムーシコスの一族である椿矢に一番ムーシコスらしいと言われるだけあって二人の創るムーシカはムーシコス好みのものが多い。だから創るとすぐに他のムーシコスが奏でるようになる。
なんか良い事でもあったのかな。
小夜は新しいムーシカを歌い終えるとそこで止めた。他のムーシコスが別のムーシカを奏で始めた。
「ただいま~」
楸矢が台所を覗くと、
「お帰りなさい」
小夜が夕食を作りながら振り返った。
小夜は冷蔵庫から野菜の入った容器と卵を幾つか出すと、野菜入りの卵とじを作って楸矢の前に出した。
すぐに作れるように野菜は事前に下拵えしてあったらしい。
台所のテーブルの上には珍しく花が飾られていた。
ピンク色のチューリップとかすみ草の花束だった。
「ありがと。この花、どうしたの?」
「柊矢さんがプレゼントしてくれたんです」
小夜が嬉しそうに言った。
さっき突然新しいムーシカを歌い始めたのはこれに喜んで創ったのか。
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