120 / 144
魂の還る惑星 第八章 Tistrya -雨の神-
第八章 第二話
しおりを挟む小夜は柊矢のセレナーデに本気で感激しているが、それはあくまで恋人が自分のために弾いてくれているからであってクラシック音楽が好きなわけではない。
初めて柊矢が小夜に弾いたセレナーデがエルガーの『愛の挨拶』で、曲が出来たときの経緯などを訊いてうっとりしていたが、だからといってCDなどで『愛の挨拶』を聴いたりはしないしクラシック音楽に興味を持ったりもしなかった。
その後、柊矢が弾いた曲にしても聴くのはあくまで柊矢が弾いてるときだけで、それ以外で聴くことない。
ドラマとかだと、よく初デートの思い出の曲だとか言ってCDを聴いたりするがムーシコスの場合そうなるのはムーシカなのだろう。
ムーシコスはCDを聴く代わりに自分でムーシカを奏でるのだ。
大抵のムーシコスは既存のムーシカを奏でるらしいが、おそらく柊矢と小夜の想い出のムーシカは自分達が創ったものだろう。
結局ムーシコスにとって音楽とはあくまでムーシカであって地球の音楽は恋人と過ごすときのBGMでしかない。
だが〝ムーシコスの血が薄い〟楸矢には演奏さえ出来ればいいから楽器には拘らない、フルートの腕が落ちても構わない、などと簡単に割り切ることは出来なかった。
いくら自分からなりたいと思ったわけではなくても何年間もプロになるために努力してきたのだ。
なる必要がなくなったからといってあっさり練習を止めることなど出来ない。
だからといってプロとしてやっていけるだけの才能や実力がないことも分かっている。
音楽家の末端に名を連ねる程度ならなれるかもしれないが、それでは家族をちゃんと養えるか分からない。
フルートで今の自分と同じような暮らしを家族にさせてやれるだけの収入を得られる保証があるならどんなに無理をしてでも頑張るが、どちらかしか選べないなら家庭を取る。
だがそれを選択したら今までやってきた事が全て無駄になる。
自分は今まで一体何してたんだろう、という思いに駆られる。
普通の大学に行きたいなんて言っておきながらこれだもんなぁ……。
楸矢は溜息を吐いた。
すぐ側で弟が悩んでいるにもかかわらず柊矢はムーシカにあわせてキタラを弾いていた。楸矢は完全に眼中に入ってない。
俺、ホントにイスかテーブルなんだな……。
話しかければ返事はしてくれるから相談には乗ってくれると思うが役に立つ答えは期待出来ないだろう。
柊矢は自分がやりたいことをやってるだけで、楸矢も好きなことをすればいいと思っている――というか、そうしてると思ってた――ようだから「自分のしたいことをしろ」以外の返事が返ってくるとは思えない。
これでよく祖父が亡くなったときに楸矢を育てる必要があるという事に気付いたものだと思いかけたが、単に興味がないから自発的に関わろうとはしなかっただけで社会の仕組みなどに関する知識はあるから働いて金を稼がないと生活していけないということは理解してるのだ。
楸矢に関しても、関心がないから口出ししない――というかしなかった――だけで弟がいることや養う必要があるという事は分かっていたから面倒を見てくれたのだ。
家族への思い遣りでも義務感でもない。ただ、そういうものだからやったに過ぎない。
俺、絶対地球人と結婚しよう。
楸矢は改めて固く決意した。
「デートのお膳立て、もういいんですか?」
清美が意外そうに言った。
楸矢と清美は新宿駅近くの喫茶店にいた。
「ちょっと早かったかなって。今はまだ色々遠慮が先に立って、小夜ちゃん、楽しめそうにないし」
「でも、お花見の時、二人で先にどっか行ってましたよね?」
「うちに帰って音楽室でセレナーデ弾いてた」
正確にはデュエットのムーシカを歌っていたのだが、それを言うわけにはいかないので少しだけ脚色した。
「え、結局家でセレナーデになっちゃうんですか……」
清美が絶句した。
これが普通の反応だよなぁ……。
ひたすらムーシカ奏でて喜んでるの、柊兄と小夜ちゃんくらいだよな。
楸矢は小夜の歌声とキタラの演奏を聴きながら苦笑した。
楸矢が家に向かって歩いていると小夜の新しいムーシカが聴こえてきた。
さっき何曲か歌って小夜はそれでお終いになった。
といっても他のムーシコスも一緒に奏でていて小夜が抜けたと言うだけだが。小夜が止めた後もムーシカは何曲か続いていたがその後、しばらく途絶えていた。
そこへ小夜が歌い始めたのだ。
おそらく新しいムーシカが出来たからまた歌い始めたのだろう。
ラブソングだが、嬉しさとか楽しさが伝わってきて聴いているだけで明るくなるようなムーシカだった。
またムーシコス好みのムーシカだな。
柊矢にしろ小夜にしろ、ムーシコスの一族である椿矢に一番ムーシコスらしいと言われるだけあって二人の創るムーシカはムーシコス好みのものが多い。だから創るとすぐに他のムーシコスが奏でるようになる。
なんか良い事でもあったのかな。
小夜は新しいムーシカを歌い終えるとそこで止めた。他のムーシコスが別のムーシカを奏で始めた。
「ただいま~」
楸矢が台所を覗くと、
「お帰りなさい」
小夜が夕食を作りながら振り返った。
小夜は冷蔵庫から野菜の入った容器と卵を幾つか出すと、野菜入りの卵とじを作って楸矢の前に出した。
すぐに作れるように野菜は事前に下拵えしてあったらしい。
台所のテーブルの上には珍しく花が飾られていた。
ピンク色のチューリップとかすみ草の花束だった。
「ありがと。この花、どうしたの?」
「柊矢さんがプレゼントしてくれたんです」
小夜が嬉しそうに言った。
さっき突然新しいムーシカを歌い始めたのはこれに喜んで創ったのか。
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説
小さなことから〜露出〜えみ〜
サイコロ
恋愛
私の露出…
毎日更新していこうと思います
よろしくおねがいします
感想等お待ちしております
取り入れて欲しい内容なども
書いてくださいね
よりみなさんにお近く
考えやすく
Starlit 1996 - 生命の降る惑星 -
月夜野 すみれ
SF
『最後の審判』と呼ばれるものが起きて雨が降らなくなった世界。
緑地は海や川沿いだけになってしまい文明も崩壊した。
17歳の少年ケイは殺されそうになっている少女を助けた。
彼女の名前はティア。農業のアドバイザーをしているティアはウィリディスという組織から狙われているという。
ミールという組織から狙われているケイは友人のラウルと共にティアの護衛をすることになった。
『最後の審判』とは何か?
30年前、この惑星に何が起きたのだろうか?
雨が降らなくなった理由は?
タイトルは「生命(いのち)の降る惑星(ほし)」と読んで下さい。
カクヨム、小説家になろうにも同じものを投稿しています。
ちょっと大人な体験談はこちらです
神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない
ちょっと大人な体験談です。
日常に突然訪れる刺激的な体験。
少し非日常を覗いてみませんか?
あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ?
※本作品ではPixai.artで作成した生成AI画像ならびに
Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。
※不定期更新です。
※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。
淫らな蜜に狂わされ
歌龍吟伶
恋愛
普段と変わらない日々は思わぬ形で終わりを迎える…突然の出会い、そして体も心も開かれた少女の人生録。
全体的に性的表現・性行為あり。
他所で知人限定公開していましたが、こちらに移しました。
全3話完結済みです。
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
大嫌いな歯科医は変態ドS眼鏡!
霧内杳/眼鏡のさきっぽ
恋愛
……歯が痛い。
でも、歯医者は嫌いで痛み止めを飲んで我慢してた。
けれど虫歯は歯医者に行かなきゃ治らない。
同僚の勧めで痛みの少ない治療をすると評判の歯科医に行ったけれど……。
そこにいたのは変態ドS眼鏡の歯科医だった!?
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる