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魂の還る惑星 第四章 アトボシ
第四章 第七話
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霧生兄弟の祖母は誰にも打ち明けられないことを、このノートに綴っていた。
このノートは彼女にとっての(「王様の耳はロバの耳」と言うための)地面の穴だったのだ。
だから日付などは記されていなかった。
霧生兄弟の祖父は結婚したときに一度、普通の人には聴こえない歌が聴こえる、と祖母に打ち明けた。
だが祖母が冗談だと思って笑ったら、それきりそのことは口にしなかった。
だから祖母もその話を忘れていた。
しかし生まれた息子は話すより先に歌のようなものを口ずさむようになり、話が出来るようになったとき、何の歌を歌っているのか聞いてみると歌が聴こえるから一緒に歌っているのだと言い出した。
最初、息子は耳が良くて他所の家のラジオの音でも聴こえているのだと思おうとした。
だが歌っているのはラジオから流れてくるような歌とはまるで違っていた。
そのとき、前に夫が言っていたことを思い出した。
息子が歌が聴こえてない自分を見て不思議そうにしているので、もしかして聴こえるのが普通なのかと不安になって周囲の人間にそれとなく聞いてみたが誰も聴こえないという。
やはり、おかしいのは夫と息子の方だ。
ある日、夫の元を男性が訪ねてきた。
二人で何か話していたが、夫は大きな声で男性を怒鳴りつけて追い返すと、自分が出掛けていると思ったのだろう、息子に「歌が聴こえることは誰にも話してはいけない、母親にも絶対に言うな」と言い聞かせていた。
夫と息子は頭がおかしいのだ。
これ以上この二人と一緒にはいられない。
夫に今まで通り接することは出来ないし、自分を慕ってくる息子に優しくするのは無理だが冷たい態度をとって傷付けたくもない。
頭がおかしいのだとしても悪いことは何もしてないのだ。
だから家を出た。
夫が仕事で出掛けているときに息子を近所の人に預け、大急ぎで荷物をまとめた。
しばらく生活できるだけの金がないかと家の中を見て回ったとき、夫が書斎に使っている部屋の箪笥を開けると封筒が入っていた。
何も書いてない普通の封筒で厚みがあったから、きっと金が入っているのだろうと思った。
夫は都内で安く売り出されている物件を買い取ってはそれを貸し出して家賃収入を得ていた。
出物があったとき、すぐに買い取れるようにいつも現金を手元に用意していたからその金だと思ってそれを掴むとすぐに家を出た。
実家に戻り、急いで仕事と部屋を探した。
家から持ち出した封筒の中身は金ではなく折り畳んだ紙の束だった。
そこに書かれていることを読んで夫がおかしいという確信を深めた。
当初、夫の頭が変だというのは気のせいではないか、やり直した方がいいのではないかと言っていた両親もその紙を見せると納得してくれた。
祖母は夫に離婚届を送った。
夫はすぐに離婚届に判を押して送り返してくれた。
そのとき添えられていた手紙に、息子に危険が及ぶかもしれないから歌の話は他言しないで欲しいということと、持ち出した封筒は自分に送り返すか焼き捨てて欲しいと書かれていた。
その後、知人の紹介で今の夫と知り合い結婚し子供も出来た。
だが、やはり息子のことは気になっていた。
普通の人には聴こえない歌が聴こえるなどと言っている気味の悪い息子を可愛がることは出来ないが、それでも折に触れ、あの子はどうしているだろうと考えていた。
それから大分経ち、息子が大人になり結婚した後、交通事故で亡くなったという話を人伝に聞いた。
息子には子供が二人いたらしい。
〝その二人も歌が聴こえるのかしら〟
それが最後の一文だった。
椿矢が言葉を切ると、しばし、その場を沈黙が支配した。
しばらくして、
「頭がおかしい、か。俺が中三のとき付き合ってた彼女も、歌のこと打ち明けたら口には出さなかったけど同じような目で見るようになって結局別れちゃったし、やっぱ俺達って異星人なんだね」
楸矢が淋しそうな笑みを浮かべた。
「……それで祖父ちゃん、歌が聴こえるって言うと怒ったんだ。当然だよね。悪いことしたわけでもないのに祖母ちゃん出ていっちゃったんだから」
夫どころか実の息子でさえ受け入れられないのだ。
家族ですらない地球人に分かってもらえるわけがない。
だから、あれだけ強く口止めしてたのだ。
孫達まで自分や息子のような目に遭わせたくなかったから。
雨宮家の人間は元からムーシコスは地球人ではないことを知っている。
それに一族が全員ムーシコスだから他人と違うという疎外感を覚えることはない上に、同じくムーシコスの一族である霍田家とも大昔からの付き合いだから周囲にはムーシコスが大勢いる。
ムーシコスに拘っている一族連中をバカにしてはいても椿矢もその恩恵を受けてきたのだ。
だが雨宮家や霍田家が特殊なのも自覚している。
直接捨てられたのは楸矢自身ではなく祖父と父親だが、孫達が両親を失ったと知っていたのにそれでも祖母は何も言ってこなかった。
二人のことを〝孫〟とすら書いてない。
ノートを読んだ限りでは祖父に連絡を取って会うのを断られた形跡はない。
息子が亡くなったという話を聞いたことを最後に記述がないのも、彼女にとっては息子の死によって胸のつかえが取れたということなのだろう。
だから連絡をしようという考えすら浮かばなかったのだ。
息子のことは多少気になっていたとは言っても、あくまでも時々思い出すという程度で、気味が悪いとまで書いているくらいだから訃報を聞いたことで縁が切れたと思ってほっとしたのかもしれない。
『子供を捨てるのは悪い親』という認識が刷り込まれていたからずっと罪悪感に苛まれていたのだろう。
ノートにこっそり書いていたのも人に子供を捨てたことを知られて軽蔑されるのを恐れたからに違いない。
だから言い方は悪いが息子が死んだことでその重しから解放されたのだ。
彼女の中ではようやく全て終わったのだろう。
彼女にとって柊矢と楸矢は〝孫〟ではなく名も知らぬ赤の他人なのだ。
楸矢の言うとおり、血の繋がりがあっても祖母と霧生兄弟は異星人同士なのだ。
「ありがと。いつも頼っちゃってごめん」
「気にしなくていいよ。それより気を落とさないようにね」
このノートは彼女にとっての(「王様の耳はロバの耳」と言うための)地面の穴だったのだ。
だから日付などは記されていなかった。
霧生兄弟の祖父は結婚したときに一度、普通の人には聴こえない歌が聴こえる、と祖母に打ち明けた。
だが祖母が冗談だと思って笑ったら、それきりそのことは口にしなかった。
だから祖母もその話を忘れていた。
しかし生まれた息子は話すより先に歌のようなものを口ずさむようになり、話が出来るようになったとき、何の歌を歌っているのか聞いてみると歌が聴こえるから一緒に歌っているのだと言い出した。
最初、息子は耳が良くて他所の家のラジオの音でも聴こえているのだと思おうとした。
だが歌っているのはラジオから流れてくるような歌とはまるで違っていた。
そのとき、前に夫が言っていたことを思い出した。
息子が歌が聴こえてない自分を見て不思議そうにしているので、もしかして聴こえるのが普通なのかと不安になって周囲の人間にそれとなく聞いてみたが誰も聴こえないという。
やはり、おかしいのは夫と息子の方だ。
ある日、夫の元を男性が訪ねてきた。
二人で何か話していたが、夫は大きな声で男性を怒鳴りつけて追い返すと、自分が出掛けていると思ったのだろう、息子に「歌が聴こえることは誰にも話してはいけない、母親にも絶対に言うな」と言い聞かせていた。
夫と息子は頭がおかしいのだ。
これ以上この二人と一緒にはいられない。
夫に今まで通り接することは出来ないし、自分を慕ってくる息子に優しくするのは無理だが冷たい態度をとって傷付けたくもない。
頭がおかしいのだとしても悪いことは何もしてないのだ。
だから家を出た。
夫が仕事で出掛けているときに息子を近所の人に預け、大急ぎで荷物をまとめた。
しばらく生活できるだけの金がないかと家の中を見て回ったとき、夫が書斎に使っている部屋の箪笥を開けると封筒が入っていた。
何も書いてない普通の封筒で厚みがあったから、きっと金が入っているのだろうと思った。
夫は都内で安く売り出されている物件を買い取ってはそれを貸し出して家賃収入を得ていた。
出物があったとき、すぐに買い取れるようにいつも現金を手元に用意していたからその金だと思ってそれを掴むとすぐに家を出た。
実家に戻り、急いで仕事と部屋を探した。
家から持ち出した封筒の中身は金ではなく折り畳んだ紙の束だった。
そこに書かれていることを読んで夫がおかしいという確信を深めた。
当初、夫の頭が変だというのは気のせいではないか、やり直した方がいいのではないかと言っていた両親もその紙を見せると納得してくれた。
祖母は夫に離婚届を送った。
夫はすぐに離婚届に判を押して送り返してくれた。
そのとき添えられていた手紙に、息子に危険が及ぶかもしれないから歌の話は他言しないで欲しいということと、持ち出した封筒は自分に送り返すか焼き捨てて欲しいと書かれていた。
その後、知人の紹介で今の夫と知り合い結婚し子供も出来た。
だが、やはり息子のことは気になっていた。
普通の人には聴こえない歌が聴こえるなどと言っている気味の悪い息子を可愛がることは出来ないが、それでも折に触れ、あの子はどうしているだろうと考えていた。
それから大分経ち、息子が大人になり結婚した後、交通事故で亡くなったという話を人伝に聞いた。
息子には子供が二人いたらしい。
〝その二人も歌が聴こえるのかしら〟
それが最後の一文だった。
椿矢が言葉を切ると、しばし、その場を沈黙が支配した。
しばらくして、
「頭がおかしい、か。俺が中三のとき付き合ってた彼女も、歌のこと打ち明けたら口には出さなかったけど同じような目で見るようになって結局別れちゃったし、やっぱ俺達って異星人なんだね」
楸矢が淋しそうな笑みを浮かべた。
「……それで祖父ちゃん、歌が聴こえるって言うと怒ったんだ。当然だよね。悪いことしたわけでもないのに祖母ちゃん出ていっちゃったんだから」
夫どころか実の息子でさえ受け入れられないのだ。
家族ですらない地球人に分かってもらえるわけがない。
だから、あれだけ強く口止めしてたのだ。
孫達まで自分や息子のような目に遭わせたくなかったから。
雨宮家の人間は元からムーシコスは地球人ではないことを知っている。
それに一族が全員ムーシコスだから他人と違うという疎外感を覚えることはない上に、同じくムーシコスの一族である霍田家とも大昔からの付き合いだから周囲にはムーシコスが大勢いる。
ムーシコスに拘っている一族連中をバカにしてはいても椿矢もその恩恵を受けてきたのだ。
だが雨宮家や霍田家が特殊なのも自覚している。
直接捨てられたのは楸矢自身ではなく祖父と父親だが、孫達が両親を失ったと知っていたのにそれでも祖母は何も言ってこなかった。
二人のことを〝孫〟とすら書いてない。
ノートを読んだ限りでは祖父に連絡を取って会うのを断られた形跡はない。
息子が亡くなったという話を聞いたことを最後に記述がないのも、彼女にとっては息子の死によって胸のつかえが取れたということなのだろう。
だから連絡をしようという考えすら浮かばなかったのだ。
息子のことは多少気になっていたとは言っても、あくまでも時々思い出すという程度で、気味が悪いとまで書いているくらいだから訃報を聞いたことで縁が切れたと思ってほっとしたのかもしれない。
『子供を捨てるのは悪い親』という認識が刷り込まれていたからずっと罪悪感に苛まれていたのだろう。
ノートにこっそり書いていたのも人に子供を捨てたことを知られて軽蔑されるのを恐れたからに違いない。
だから言い方は悪いが息子が死んだことでその重しから解放されたのだ。
彼女の中ではようやく全て終わったのだろう。
彼女にとって柊矢と楸矢は〝孫〟ではなく名も知らぬ赤の他人なのだ。
楸矢の言うとおり、血の繋がりがあっても祖母と霧生兄弟は異星人同士なのだ。
「ありがと。いつも頼っちゃってごめん」
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