31 / 144
第六章 セイレーネスの歌声
第四話
しおりを挟む
「マズっ! 宗二さん、すみませんでした」
清美が慌てて頭を下げた。
小夜も一緒に頭を下げる。
お互い横目で、今日は他の店は無理だねと確認し合った。
「構わないよ。気に入ったの買えた?」
そう言った宗二の顔は引き攣っていた。
「はい。宗二さん、疲れたんじゃないですか?」
清美が宗二を気遣うように言った。
「君達の方が疲れたでしょ。そろそろお茶でも……」
宗二がそう言いかけたとき、人混みの向こうに柊矢の姿が見えた。
「柊矢さん」
小夜が真っ直ぐに柊矢の方に駆けていく。
小夜が目の前に立つと柊矢が小夜の荷物を持った。
「あの人、ホントにただの後見人?」
そうは見えない、と言いたげな口調で宗二が訊ねた。
「本人はそう言ってますけど」
清美も今の小夜を見て自信がなくなった。
あれはどう見ても恋人に駆け寄っていくときの表情だったし、小夜の荷物を当然のように持った柊矢も後見している子供を見る目ではなかった。
「清美、ゴメン、もう帰らないと。宗二さん、今日はすみませんでした」
小夜は戻ってきて二人に頭を下げると、柊矢の元に走っていった。
「買い物は済んだのか?」
柊矢は小夜の肩を抱きながら訊ねた。
「それが……」
小夜が事情を話した。
「その店は今度にしろ。今日は別の店に行く」
「え? 行くって、どういうことですか?」
柊矢に連れて行かれたのは新宿のデパートに入っている店だった。
大人っぽさの中にも可愛らしさがあるデザインの服が置いてある店だった。
「きれい……」
そう言いながら値札を見て慌てて手を引っ込めた。
「まずはこれだな」
柊矢が桜色のブレザーを選んだ。
「試着してこい」
柊矢は有無を言わせず小夜を店員に引き渡した。
小夜が店員に案内されて試着室へ入る。
「良くお似合いですよ」
「サイズもぴったりみたいだな」
「柊矢さん……」
柊矢は言いかけた小夜を遮って服を渡すとまた試着室へ押し込んだ。
全部すむと柊矢はレジで金を払って荷物を受け取った。
「と、柊矢さん、私、こんな高いの……」
「値段は気にするな」
「気にします」
「お前の後見人として、ちゃんとした服も必要だと思っただけだ」
「でも……」
「じゃ、身体で払うか?」
「柊矢さん、それ本気で言ってたら怒りますよ」
「冗談ならいいのか?」
「冗談でもダメです」
「とにかく気にするな」
柊矢はそれで話は終わり、と言う表情で歩き出した。
「清美、おはよう。昨日、あれからどうだった?」
「お茶には行ったよ」
話が弾んだという表情ではなかった。
「宗二さんと上手くいきそうじゃないの?」
「宗二さんが好きなのは小夜だよ。その小夜が柊矢さんといちゃいちゃしてるの見ちゃったら、ね」
「え、いちゃいちゃなんてしなかったよ」
小夜が赤くなった。
「柊矢さんとはそんなんじゃないって前にも……」
「小夜の荷物持って肩抱いて、それで何もないっていうわけ?」
「荷物なら楸矢さんだって持ってくれるし、肩抱くのだって別に特別な意味は……」
だんだん小夜の声が小さくなっていった。
「じゃ、楸矢さんも小夜の肩抱くわけ? 柊矢さんは他の女の人の肩抱く?」
「楸矢さんはしないけど……、柊矢さんが他の女の人の肩抱いてるのも見たことないけど……」
他の女性といっても沙陽くらいしか知らないが、彼女とは睨み合っているところしか見たことがない。
「そゆこと。柊矢さんにとって女って言ったら小夜なんだよ」
「そ、そんなこと……」
不意に中央公園でのことを思い出して耳まで真っ赤になった。
「あ! なんかあったんだ!」
「な、ない! ないよ! 何もなかった! て言うか、しなかった! 柊矢さんが無理強いはしないって言って……」
小夜の言葉に清美が唖然とした。
「しなかったって……、あんた達そんなとこまでいってたの!」
「そんなとこって、キスくらいでそんな……」
小夜がおろおろしながら言った。
「つまりキスしそうになったんだ」
あ……。
口を押さえたが遅かった。
結局、清美に全部吐かされてしまった。
「じゃ、小夜が拒んだんだ。勿体ない」
「だ、だって、本気かどうか分かんなかったし……」
「本気じゃなくたって既成事実作っちゃえばこっちの勝ちじゃん」
「既成事実って、キスくらいで……」
小夜が呆れて言った。
沙陽とだってキスくらいしたことあるだろう。
「あーあ、小夜が柊矢さんとそうなるのは分かってたんだよね。だから小夜より先に彼氏作ろうと思ってたのに」
「そんな、競争じゃないんだから。それに、私、柊矢さんの彼女じゃないし」
言葉にすると胸が少し痛んだ。
そうだ、彼女じゃない。
柊矢さんはそれらしい素振りはするけど、何にも言ってくれてない。
「清美だって宗二さんと……」
「小夜目当てだったんだよ。小夜に振られたらもう連絡なんかしてこないよ」
「清美からすればいいじゃん」
「う~ん」
いつもなら図々しいくらいの清美にしては珍しく消極的だ。
もしかして、宗二さんに本気になった、とか?
清美の邪魔しちゃったかな。
そのとき予鈴が鳴って、話はそれきりになった。
休み時間、清美にお茶に誘われた。
「清美、怒ってないの?」
小夜は恐る恐る訊ねた。
「怒るって何に?」
「宗二さんとのこと、邪魔しちゃったでしょ」
「元々、宗二さんが好きだったのは小夜じゃん。あたしはチャンスがあればいいなって思っただけ」
清美はそう言って話を打ち切った。
放課後、新宿通りを歩いているときだった。
不意に歌声が聴こえてきた。
ムーシカ……だよね。
これは肉声ではない。
でも……多分、他のムーシコスにも聴こえてない。
聴こえてるなら他のムーシコスが加わっているはずだ。
このムーシカには人を傷付ける意図は感じられないのだから。
「小夜?」
立ち止まった小夜を清美が振り返った。
「ゴメン、清美、先行ってくれる? ちょっと忘れ物したみたい」
「分かった。じゃ、席取っとくね」
清美が行ってしまうと、小夜はムーシカが聴こえてくる方へと歩き出した。
細い路地を曲がったところに、宗二がいた。
「ホント、ムーシコスってムーシカに弱いよね」
壁にもたれたまま言った。
「ムーシカを歌うだけでよってくるのに、どうしてムーシコスの集団って存在しないんだろうね。それとも、僕が知らないだけであるのかな」
「宗二さんもムーシコスだったんですか?」
「宗二は偽名。本名は雨宮榎矢。って言っても分からないよね。椿矢と楸矢とかだったらすぐ分かるんだろうけど」
清美が慌てて頭を下げた。
小夜も一緒に頭を下げる。
お互い横目で、今日は他の店は無理だねと確認し合った。
「構わないよ。気に入ったの買えた?」
そう言った宗二の顔は引き攣っていた。
「はい。宗二さん、疲れたんじゃないですか?」
清美が宗二を気遣うように言った。
「君達の方が疲れたでしょ。そろそろお茶でも……」
宗二がそう言いかけたとき、人混みの向こうに柊矢の姿が見えた。
「柊矢さん」
小夜が真っ直ぐに柊矢の方に駆けていく。
小夜が目の前に立つと柊矢が小夜の荷物を持った。
「あの人、ホントにただの後見人?」
そうは見えない、と言いたげな口調で宗二が訊ねた。
「本人はそう言ってますけど」
清美も今の小夜を見て自信がなくなった。
あれはどう見ても恋人に駆け寄っていくときの表情だったし、小夜の荷物を当然のように持った柊矢も後見している子供を見る目ではなかった。
「清美、ゴメン、もう帰らないと。宗二さん、今日はすみませんでした」
小夜は戻ってきて二人に頭を下げると、柊矢の元に走っていった。
「買い物は済んだのか?」
柊矢は小夜の肩を抱きながら訊ねた。
「それが……」
小夜が事情を話した。
「その店は今度にしろ。今日は別の店に行く」
「え? 行くって、どういうことですか?」
柊矢に連れて行かれたのは新宿のデパートに入っている店だった。
大人っぽさの中にも可愛らしさがあるデザインの服が置いてある店だった。
「きれい……」
そう言いながら値札を見て慌てて手を引っ込めた。
「まずはこれだな」
柊矢が桜色のブレザーを選んだ。
「試着してこい」
柊矢は有無を言わせず小夜を店員に引き渡した。
小夜が店員に案内されて試着室へ入る。
「良くお似合いですよ」
「サイズもぴったりみたいだな」
「柊矢さん……」
柊矢は言いかけた小夜を遮って服を渡すとまた試着室へ押し込んだ。
全部すむと柊矢はレジで金を払って荷物を受け取った。
「と、柊矢さん、私、こんな高いの……」
「値段は気にするな」
「気にします」
「お前の後見人として、ちゃんとした服も必要だと思っただけだ」
「でも……」
「じゃ、身体で払うか?」
「柊矢さん、それ本気で言ってたら怒りますよ」
「冗談ならいいのか?」
「冗談でもダメです」
「とにかく気にするな」
柊矢はそれで話は終わり、と言う表情で歩き出した。
「清美、おはよう。昨日、あれからどうだった?」
「お茶には行ったよ」
話が弾んだという表情ではなかった。
「宗二さんと上手くいきそうじゃないの?」
「宗二さんが好きなのは小夜だよ。その小夜が柊矢さんといちゃいちゃしてるの見ちゃったら、ね」
「え、いちゃいちゃなんてしなかったよ」
小夜が赤くなった。
「柊矢さんとはそんなんじゃないって前にも……」
「小夜の荷物持って肩抱いて、それで何もないっていうわけ?」
「荷物なら楸矢さんだって持ってくれるし、肩抱くのだって別に特別な意味は……」
だんだん小夜の声が小さくなっていった。
「じゃ、楸矢さんも小夜の肩抱くわけ? 柊矢さんは他の女の人の肩抱く?」
「楸矢さんはしないけど……、柊矢さんが他の女の人の肩抱いてるのも見たことないけど……」
他の女性といっても沙陽くらいしか知らないが、彼女とは睨み合っているところしか見たことがない。
「そゆこと。柊矢さんにとって女って言ったら小夜なんだよ」
「そ、そんなこと……」
不意に中央公園でのことを思い出して耳まで真っ赤になった。
「あ! なんかあったんだ!」
「な、ない! ないよ! 何もなかった! て言うか、しなかった! 柊矢さんが無理強いはしないって言って……」
小夜の言葉に清美が唖然とした。
「しなかったって……、あんた達そんなとこまでいってたの!」
「そんなとこって、キスくらいでそんな……」
小夜がおろおろしながら言った。
「つまりキスしそうになったんだ」
あ……。
口を押さえたが遅かった。
結局、清美に全部吐かされてしまった。
「じゃ、小夜が拒んだんだ。勿体ない」
「だ、だって、本気かどうか分かんなかったし……」
「本気じゃなくたって既成事実作っちゃえばこっちの勝ちじゃん」
「既成事実って、キスくらいで……」
小夜が呆れて言った。
沙陽とだってキスくらいしたことあるだろう。
「あーあ、小夜が柊矢さんとそうなるのは分かってたんだよね。だから小夜より先に彼氏作ろうと思ってたのに」
「そんな、競争じゃないんだから。それに、私、柊矢さんの彼女じゃないし」
言葉にすると胸が少し痛んだ。
そうだ、彼女じゃない。
柊矢さんはそれらしい素振りはするけど、何にも言ってくれてない。
「清美だって宗二さんと……」
「小夜目当てだったんだよ。小夜に振られたらもう連絡なんかしてこないよ」
「清美からすればいいじゃん」
「う~ん」
いつもなら図々しいくらいの清美にしては珍しく消極的だ。
もしかして、宗二さんに本気になった、とか?
清美の邪魔しちゃったかな。
そのとき予鈴が鳴って、話はそれきりになった。
休み時間、清美にお茶に誘われた。
「清美、怒ってないの?」
小夜は恐る恐る訊ねた。
「怒るって何に?」
「宗二さんとのこと、邪魔しちゃったでしょ」
「元々、宗二さんが好きだったのは小夜じゃん。あたしはチャンスがあればいいなって思っただけ」
清美はそう言って話を打ち切った。
放課後、新宿通りを歩いているときだった。
不意に歌声が聴こえてきた。
ムーシカ……だよね。
これは肉声ではない。
でも……多分、他のムーシコスにも聴こえてない。
聴こえてるなら他のムーシコスが加わっているはずだ。
このムーシカには人を傷付ける意図は感じられないのだから。
「小夜?」
立ち止まった小夜を清美が振り返った。
「ゴメン、清美、先行ってくれる? ちょっと忘れ物したみたい」
「分かった。じゃ、席取っとくね」
清美が行ってしまうと、小夜はムーシカが聴こえてくる方へと歩き出した。
細い路地を曲がったところに、宗二がいた。
「ホント、ムーシコスってムーシカに弱いよね」
壁にもたれたまま言った。
「ムーシカを歌うだけでよってくるのに、どうしてムーシコスの集団って存在しないんだろうね。それとも、僕が知らないだけであるのかな」
「宗二さんもムーシコスだったんですか?」
「宗二は偽名。本名は雨宮榎矢。って言っても分からないよね。椿矢と楸矢とかだったらすぐ分かるんだろうけど」
0
お気に入りに追加
3
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。


ママと中学生の僕
キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる