歌のふる里

月夜野 すみれ

文字の大きさ
上 下
17 / 144
第三章 風の音色

第五話

しおりを挟む
 霧生家の門の近くに段ボールが置かれていた。
 鳴き声はその段ボールの中から聞こえてきていた。
 子猫が四匹、段ボールの中で鳴いていた。
 小夜はしゃがんで傘を段ボールに差し掛けた。

 どうしよう。
 居候の身で子猫を連れ帰ることは出来ない。
 でも、放っていくことも出来なかった。
 困っていると、後ろから足音が聞こえてきた。
 振り返ると柊矢が立っていた。

「柊矢さん」
「何だ、子猫か」
「あ、あの、これは……」
 小夜が口ごもっていると、柊矢は段ボールを持ち上げた。
「帰るぞ」
「え? え? 柊矢さん、どうしてここに……」
 小夜が柊矢に傘を差し掛けながら訊ねた。
「ドアが開く音がしたから様子を見に来た」
 柊矢は先に立って家に向かった。
 ドアを開け、傘を閉じた小夜を先に通すと、玄関に段ボールを置いた。

「あの、この子達、どうするんですか?」
「うちで飼うわけにはいかないからな。貰い手を探すしかないだろ」
「柊矢さん!」
 小夜が嬉しそうな顔で柊矢を見上げた。
「ミルクでもやっておけ」
「はい!」
 小夜は子猫達に少しだけ温めたミルクをやると、夕食の準備に戻った。
 夕食の支度が出来た頃、楸矢が音楽室から出てきた。

「あれ? 猫の鳴き声」
「さっきそこに捨てられてて……」
「猫なんて久し振りだなぁ」
「猫、飼ってたことあるんですか?」
「たまにね」
 たまに?
 意味が分からず首を傾げていると、
「捨て猫見ると放っておけなくてさ。見つけると拾ってくるんだ。柊兄も俺も」
 拾った生き物云々うんぬんと言っていたのはこのことだったのか。

「でも、全部を飼うわけにはいかないからさ、いつも貰い手探して引き取ってもらってるんだ」
 楸矢がフライドポテトに手を伸ばしながら言った。
「そうだったんですか」
 小夜はフライドポテトの皿を取り上げながら答えた。
「ちょっと味見させてよ」
「楸矢さんのは味見じゃすまないからダメです」
 そう言って取り分け用の皿にポテトを少し載せて渡した。
 楸矢は、これだけ? と言いながらも美味しそうに食べていた。
「明日から猫の貰い手探ししないとね」
「楸矢さんも探してくれるんですか?」
「勿論」
「有難うございます」
 小夜はそう言って、楸矢の皿にフライドポテトを追加して載せた。

「猫? 欲しいけど、うち、マンションだから」
 何度目かの同じ答えが返ってきた。
 確かに都心では一戸建てに住んでる人間より、マンション住まいの人の方が遥かに多い。新宿区に居住している数十万人のうちの大半はマンション暮らしだ。
 たまに一戸建てに住んでる子がいても、家族に猫アレルギーや猫嫌いの人がいるか、猫好きは既に飼っているかで、貰い手は付かなかった。
 自分が拾わせてしまった手前、何とか自力で猫の貰い手を探したかったのだが、一人も見つからなかった。
 がっかりして迎えに来た柊矢の車に乗った。

「どうした? 学校で何かあったのか?」
「猫の貰い手が見つからなくて……」
「あれならもう全部貰われてったぞ」
「ホントですか!?」
 驚いて柊矢の顔を見た。
 自分はあれだけ苦労しても見つからなかったのに。
「楸矢の友達が引き取っていった」
「楸矢さん、友達多いんですね」
「みんな楸矢の気を引きたくて貰っていったんだろ」
 なるほど。
 確かに猫を貰えば話しかける口実になるし、家に呼ぶ名目に使える。
 楸矢さんってモテるんだ。

 学校の帰りに寄り道をせず、車で帰ってくると結構時間が余る。
 学生だから本来は勉強した方がいいのだろうが、小夜はつい歌ってしまう。
 柊矢も勉強に関しては何も言わない。
 まぁ、柊矢さんも楸矢さんも音大付属高校の音楽科だから、普通の勉強より音楽の方を重視しているのかもしれないけど。
 とはいえ、成績が悪くて後見人の柊矢が学校に呼び出されるような羽目になっても困るので、宿題や予習、復習は真面目にやっていた。

「小夜ちゃん、今日のおやつは?」
 楸矢が台所の椅子に座って訊ねた。
 もう箸を手に持っていた。
「ごぼうの素揚すあげです」
「何それ?」
「ごぼうを油で揚げて、少しお塩をかけたものです」
「ふぅん」
 楸矢は自分の前に置かれた皿から、五センチほどの長さに切られたごぼうを箸でつまんで口に入れた。
「あ、美味しい。揚げ物の割りには油っぽくないし」
「そうですか。良かったです」
 小夜はそう言って微笑むと、キャベツの千切りに戻った。

「小夜ちゃん、進路文系選んだって聞いたけど、普通の高校って高一で進路決めるものなの?」
「進学するかとか、するとしたらどの大学を受けるのかとかは決めてなくても、一応文系か理系かは選んでおかないといけないんです。受験科目が違いますから」
「受験勉強って難しい?」
「さぁ? 私はまだ進学するかも決めてませんから」
「なんだ、普通の大学に行きたいのか?」
 柊矢が台所に入ってきた。
「柊兄! いや、そういうわけじゃ……」
 楸矢が慌てたように手を振った。
「行きたいなら行けばいいだろ」
「……いいの?」
 楸矢が窺うように柊矢を見た。

「お前の進路なんだから俺の了解は必要ないだろ」
「柊兄は俺のために音大やめたから……」
「それとお前の進路となんの関係がある。俺は音大付属も音大も音楽の授業が多いからって理由で選んだだけだからな。今の仕事は好きなときに演奏出来るから音大へ行く必要がなかったってだけだ」
「柊兄はヴァイオリニストになりたかったんじゃないの?」
「別に。なってもいいとは思っていたが、どうしてもなりたかったってわけじゃない」
 楸矢の問いに柊矢の方が意外そうな表情で答えた。
 楸矢がそんな風に考えてたとは思ってなかったらしい。
「なんだ」
 楸矢が拍子抜けした表情で言った。

「だが、お前の成績じゃ今度の入試は無理だぞ」
「柊兄は夜間部とは言え、すぐに受かったんだよね」
 楸矢は参るよなぁ、などとぼやいた。
「音楽の授業が長いからって理由で音大付属に行っていたとは言っても、学生なんだから勉強もしてたに決まってるだろ。お前の成績が悪いのはフルートに打ち込んでるからじゃなかったのか」
 柊矢の責めるような視線に、楸矢は決まりの悪そうな表情で目を逸らせた。
 どうやら柊矢は、楸矢が勉強する間も惜しんでフルートに没頭してると思っていたから成績が悪くても何も言わなかったらしい。
 普通の大学へ行ってもいいということは、フルートに専念していたからと言ってフルート奏者になって欲しいと思っているわけでもないようだ。
 単純に音楽が好きなら、好きなだけやればいいというだけで、それを将来に繋げるべきとか言う考えはないらしい。

「着いたぞ」
「有難うございます」
 小夜は柊矢が開けてくれたドアから車を降りた。
「帰りはいつも通りか?」
「はい。何か変更があったら連絡します」
「分かった」
 柊矢はそう言うと、車に乗って帰っていった。

「いつ見てもいい男~」
 いつの間にか現れた清美がうっとりしたように言った。
「いちいち助手席のドア開けてくれるんだもんね~」
 買い物すれば荷物を持ってくれるんだよ、とは言わなかった。言えば、騒ぐに決まっているからだ。
「ねぇ、小夜、ホントにあの人と何もないの?」
 嫌なこと聞くなぁ。
「ないよ。ただの保護者」
 口にすると少しだけ胸が痛んだ。
「じゃあ、あたしが迫ってもいい?」
「いいけど、あの人の元カノ、すごい美人だよ。それに楸矢さんが柊矢さんは子供は相手にしないって言ってたし」
「元カノが美人ってことは、綺麗な顔は散々見たってことでしょ。なら、もう顔にはこだわらないかもしれないじゃん」

 清美のこの超ポジティブなところ、私も見習わなきゃ。
 そのとき、沙陽の歌声が聴こえてきた。
 やはり、斉唱も重唱もなかった。演奏も楽器が一つだけだった。
 これも人を傷つけるムーシカなのかな。
 特に嫌な感じはしないが、他のムーシコスが加わってないのは何か理由があるからなのかもしれない。
 柊矢さん、大丈夫かな。

 柊矢は家に戻る途中で沙陽のムーシカに気付いた。
 小夜に何かするつもりか?
 車をUターンさせると小夜の学校の近くに止めた。
 出来ることなら学校に乗り込んで小夜の無事を確かめたいが、さすがにそれをするのははばかられた。
 ひどい怪我をすれば救急車が来るはずだ。
 ここにいれば分かるだろう。
 本来ならば、そんな大怪我をする前に助けたいのだが……。

 しばらく待ってみたが救急車は来なかった。
 学校の校庭からはかけ声や歓声などが聞こえてくる。特に騒ぎにはなっている様子はない。
 そのうちに沙陽のムーシカは終わった。
 何かの儀式のムーシカだったのか?
 鍵がどうのと言っていたが、鍵の使い道は鍵を開けることと相場が決まっている。
 つまり、開けたいものがあるのだ。
 あの森へ行く道、か。
 一時間近く待ってみたが、何もなさそうなので車を出した。
しおりを挟む

処理中です...