歌のふる里

月夜野 すみれ

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第三章 風の音色

第二話

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 数日たったが、いくら待っても椿矢の歌は聴こえてこなかった。
 小夜も何事もなく過ごしているので、柊矢も楸矢も気が緩み始めた頃だった。

 小夜は霧生家のある住宅街を歩いていた。
 買い物の荷物が重い。
 こう言うとき、荷物を持ってくれる柊矢達の有難さを痛感する。
 向こうから男が一人、歩いてきた。
 他に人気ひとけはなかったが、住宅街なのだから通行人がいるのは当たり前だ。
 小夜がそのまま男とすれ違おうとしたとき、いきなり腕を掴まれた。

「え?」
 小夜が目を丸くしていると、男が小夜の胸元に手を入れようとした。
「な、何を……」
 小夜は袋を落とすと男の胸を押して引き離そうとした。
 男は小夜のペンダントを探り当てると、思い切り引っ張った。
「きゃ!」
 小夜が前のめりに倒れる。途中で鎖が切れた。

「おい! 何してるんだ!」
 学校帰りの楸矢が通りかかって声を上げた。
 男はペンダントを掴んだまま、走り出した。
「小夜ちゃん! 大丈夫!」
 楸矢が倒れている小夜に駆け寄ってきた。

 エンジン音がして楸矢が後ろを振り返ると、男がバイクに乗って逃げていくところだった。

「痛た……」
 小夜が顔をしかめながら身体を起こそうとした。
 楸矢が手を貸して立ち上がらせる。
「首、怪我してるね。とにかく帰ろう。手当てしないと」

「柊兄! 柊兄!」
 家へ入ると楸矢が柊矢を呼んだ。
「どうした」
 柊矢が二階から下りてきて、楸矢に支えられている小夜を見て目を見開いた。
「おい! 何があった!」
 楸矢は小夜を台所の椅子に座らせながら、柊矢に今見たことを話した。
 柊矢は目を閉じて聞いていた。
 やはり、学校帰りを狙われたか。
 こんなことなら無理にでも送り迎えをするんだった。

「とにかく傷の手当てが先だな」
 柊矢がそう言うと、楸矢が救急箱を持ってきた。
 それを受け取ると小夜の前に膝をついた。
 すぐそばにある柊矢の顔に、小夜は思わず赤くなった。
 オーデコロンかな?
 いい匂い。
 って、ダメダメ!
 そんなこと考えたらますます赤くなっちゃう!
 この程度で赤くなったら、またからかわれちゃう。
 小夜は赤い顔に気付かれないように俯きたかったが、手当をされているのが首だからそうもいかなかった。
 そんな小夜の様子を楸矢は横目で見ていた。

「少し染みるぞ」
 柊矢が傷の消毒を始めると、小夜が顔をしかめた。
「それで、ペンダントを持っていったんだな。それならこれ以上は……」
「あの……」
 小夜が手当を受けながら口を開いた。
「あれ、偽物なんです」
「どういうこと?」
「柊矢さん達のお祖父様の形見を盗られたら困ると思って……」
 小夜はそう言ってポケットから、小さな巾着に入った本物のペンダントを取り出した。

「この前、雑貨店に行ったらそっくりなのが売ってたから買ってきたんです。それを首にかけて、本物はポケットに入れてたんです」
「そうか……」
 小夜のことを考えるなら、本物を盗られた方がこれ以上狙われることがなくなって良かったのだが、彼女の気遣いを思うとそれは口に出せなかった。
「じゃあ、向こうが偽物だって気付いたらまた狙われるわけだ」
 楸矢が言った。
「でも……本物と偽物の違いってなんでしょう」
 小夜が言った。
「え?」
 楸矢が聞き返した。
「私、見比べてみましたけど、違いはペンダントヘッドと鎖の間の留め具の細かい細工しかありませんでした。宝石なら光り方の違いとかで分かりますけど、これは違うし……」
 柊矢と楸矢は顔を見合わせた。

 二人は偽物を見てないから何とも言えないが、女の子の小夜が見て分からないのなら少なくともアクセサリーとしては大して変わらないものなのだろう。
 だが、沙陽はムーシコスの帰還に必要なものだと言っていた。
 だとしたら、何かに使うのだろうし、それは偽物では役に立たない。
 小夜が話している間に首と手のひらの手当は終わり、柊矢は膝の手当てをしようとした。

「あ、膝は自分でやります!」
 思わずスカートの裾を押さえた。
「子供のスカートを覗く趣味はない」
「こ、子供って……」
 小夜が口をぱくぱくさせているうちに柊矢は手早く膝の手当てをした。
「小鳥ちゃん、傷だらけだね。柊兄、全然お守りになってないじゃん」
「楸矢さん、小鳥ちゃんって言うのやめてください。お守りがあったからこの程度で済んだんですよ」
「小夜ちゃんは優しいなぁ」
「手当は終わった。着替えてくるといい」
「有難うございました」
 小夜は逃げるように部屋へ戻った。

 楸矢は小夜の買い物袋の中を覗き込んだ。
 小夜はすぐに着替えて下りてきた。

「楸矢さん、調理する前のもの食べちゃダメですよ」
「食べないよ。ただ、卵が割れてるなって」
「あ、やっぱり割れちゃってますか。今夜は親子丼にしようと思ってたんですけど」
「親子丼! 俺、大好きなのに! くそ、沙陽のヤツ! ぜってぇ許さねぇぞ!」
「そんなに好きなんですか」
 楸矢が自分の好物を口にしたのは初めてだ。
「うん、大好き」
「なら、もう一度卵を買ってきま……」
「いや、行くのは楸矢だ」
 柊矢が小夜の言葉を遮った。

「ちょっと行って買ってこい」
「はーい。行ってきまーす」
 楸矢は部屋に戻ってジャケットを取ってくると買い物に出ていった。
「柊矢さん、私、買い物くらい行けますよ」
「まださっきのヤツがいるかもしれない。今日は念のため家から出るな。それから明日からは俺が学校の送り迎えをする」
「でも、向こうはもう盗ったって思ってるはず……」
「つべこべ言うなら外出禁止だ」
「柊矢さん!」
 柊矢は小夜の抗議を背に受けながら部屋に戻った。

「間違いなくあの小娘が首にかけていたものなんだな」
 代々木のマンションの一室で、三十代後半の男はそう言うと鎖の切れたペンダントを見た。
「間違いねーよ」
 その言葉に、沙陽は男に金を払った。

 男が消えるのを待って、
「晋太郎、それを持っていてもクレーイス・エコーなら邪魔出来るはずよ」
 沙陽は言った。
「分かっている。それはまた考える。どうせたかだか三人だろう」
 晋太郎の言葉に沙陽は溜息をついた。

 これで柊矢は完全に敵に回っただろう。
 もう沙陽の言うことに耳を貸してはくれないはずだ。
 ペンダントクレーイスを奪うのは説得に失敗してからにしたかった。
 だが、十年近く所在が分からなかったクレーイスがようやく見つかったため、気がはやった晋太郎は実力行使に出てしまった。

 折角柊矢がムーシコスだと分かったのに。
 しかも、クレーイス・エコーだった。
 桂ではなく、柊矢の方がムーシコスだと分かったときは、ムーシコスをよそおって自分を騙した桂より、ムーシコスだと打ち明けてくれなかった柊矢を恨んだ。
 でも、柊矢が同じムーシコスで嬉しかったのも事実だった。
 柊矢と一緒にあの森に帰れたら、どんなにいいか。
 柊矢は何も知らないのだ。あの森のことを。
 きっとあの森のことを知れば自分と同じ気持ちになってくれるはずだ。
 なのに……。

「沙陽、何をしている。早速始めるぞ」
「分かったわ」
 沙陽は晋太郎について部屋を出た。

 あれ?
 小夜は親子丼を作りながら、聴こえてきたムーシカに首をかしげた。
 一人で歌ってる。
 この歌声、沙陽さん?
 重唱も斉唱もない。演奏も弦楽器が一つだけだ。
 なんで他のムーシコスは参加しないんだろう。

「ね~、小夜ちゃん、まだぁ?」
 楸矢の甘えるような声に、
「あ、もう出来ます」
 今はご飯作るのに専念しなきゃ。
 小夜の頭からムーシカのことは消えた。
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