歌のふる里

月夜野 すみれ

文字の大きさ
上 下
10 / 144
第二章 旋律の森

第四話

しおりを挟む
「古典ギリシア語? 四千年前ってすごいね」
 柊矢と小夜の話を聞いた楸矢が驚いて言った。
「でも、なんで分かったの? 古典ギリシア語だって」
「この前、たまたまTVをつけたらイーリアスをやってたんだ。それで大学時代の知り合いが現代ギリシア文学の研究してたの思い出してな」
「けど、なんで古典ギリシア語なんだろ」
「そこまでは分からなかった」
 まさか初対面の教授に、友人にさえ言ってなかった歌の話をするわけにもいかず、その点に関しては聞けなかったのだ。
 それに、他に聞き取れた言葉をいくつか訊ねてみたがギリシア語ではない言葉もあった。

「柊矢さん達が使ってる楽器もギリシアのものですよね。関係があるんでしょうか」
「どうかな」
「まぁ、昔のギリシア語って分かっただけでも進歩だよね。何の進歩かよく分かんないけど」
 確かにギリシア語だと分かったからといって、歌が聴こえる理由は不明のままだ。
 ホントに、何でギリシア語なんだろう。
 それも大昔の。

 その日、小夜が学校から帰ろうとすると歌が聴こえてきた。
 主旋律を男性が歌っていた。
 歌うのは圧倒的に女性で、男性の声はものすごく珍しい。女性の重唱が重なり、風に乗ってビルの間を流れていく。

 もしかして……。
 小夜はバス停に向かわず、甲州街道を真っ直ぐに行って、KDDIビルを通り過ぎたところで右折し、超高層ビル群の中に入っていった。
 そこまで行くと歌っているのが中央公園だと分かった。

 中央公園に行くと、ベンチに座っている二十代半ばくらいの若い男性が歌っていた。
 短く淡い茶色の巻き毛が風に揺れている。中性的な顔立ちをしているが間違いなく男性だ。
 柊矢さんと同い年くらいかな。
 遠くにいたときは男性が弾いてる楽器の音は聴こえなかったが、男性は弦楽器を演奏していた。
 楽器には詳しくないのでよく分からないが、強いて言うなら琵琶びわに似ていた。
 涙滴系るいてきけいのボディに弦が張られている。
 周りを数人の聴衆が取り囲んで聴いていた。
 小夜はスマホを取り出すと柊矢にかけた。

「柊矢さん、この歌、中央公園で歌ってます」
 楸矢は学校に行っていたのでメールにした。

 小夜が歌を聴きながら待っていると、柊矢が来た。
 男性の甘いテノールがビルの間を流れていく。
 もう一つの風のように。
 女性のコーラスがいくつも重なっているが、それはここに集まっている人達には聴こえていないだろう。
 余韻を残して歌が終わった。
 聴いていた人達が散っていった。

 柊矢と小夜は顔を見合わせた。
 どうする?
 この男性は間違いなく歌が聴こえる人だ。
 と言うか、歌う人だ。
 声をかけるべきか。
 二人が同じ事を考えて迷っていると、男性の方が近付いてきた。
 誰かの面影があるような気がするのだが小夜には男性の知り合いはほとんどいない。
 芸能人の誰かに似てるのかな。

「歌、聴いて来たの?」
 男性が訊ねた。
「はい」
 小夜は素直に頷いた。
「君達もムーシコスなんだね」
「ムーシコス?」
 小夜が首をかしげた。
 これもギリシア語?
 多分、古典の。

「ムーシコスに聴こえる歌はムーシカ。君は歌う人、ムーソポイオスだよね?」
 男が小夜に向かって言った。
「え? ムーシコスじゃないんですか?」
「ムーソポイオスは歌手って言う意味。君は演奏家、キタリステースだね」
 男性が柊矢に言った。
「なんで演奏だって……」
 男が歌っていたのだ。
 柊矢が歌っていてもおかしくはないはずだ。

「男性は基本的にキタリステースだからね。僕や僕の弟みたいに男のムーソポイオスは珍しいんだ」
 確かに男性の歌声はほとんど聴いたことがない。
「ムーシコスってのは、ミュージシャンって意味だけど、君達や僕みたいに〝聴こえる〟人種のことを指す言葉でもあるんだ」
「だけど……あんた、楽器も弾いてたろ」
「この程度の演奏なんか簡単だからちょっと練習すれば誰でも出来るよ。でも、演奏は聴こえなかったでしょ。逆に、君が演奏しながら歌っても歌声は聴こえないよ」
 確かに、柊矢が家にいたときには彼の弾いてる楽器の音は聴こえなかった。

「演奏が聴こえるのはキタリステースが特定の楽器を奏でたときだけ。歌声が聴こえるのはムーソポイオスが歌ったときだけなんだ」
「その楽器は何て言うんですか?」
 小夜が訊ねた。
「ブズーキだよ」
「何で、歌が聴こえるヤツと聴こえないヤツがいるんだ?」
 柊矢が素朴な疑問を口にした。
「言ったでしょ。人種だって。血筋だよ」
「血筋? でも、俺の祖父は聴こえなかったぞ」
「本当に? 聴こえないって一度でも言ったことある? まぁ、大分血が薄まってきてるから聴こえないこともあるかもしれないけどね。あるいはお祖母さんの方の血筋なのかもしれないし」
「…………」

 確かに血筋と言われれば、柊矢と楸矢の二人とも聴こえるのは納得がいく。
 それに、祖父は人に言うなとは言ったが、聴こえないとは言ってなかった。
 柊矢が考え込んでいる間に男性は立ち去ってしまった。

「柊矢さん?」
「あ、ああ。帰るか」

 男性が新宿駅の近くまで来たとき、ビルの陰から女性が出てきた。

椿矢しゅんや、あいつらと何を話したの」
「別に」
「あの子は鍵の守人クレーイス・エコーよ」
 椿矢と呼ばれた男性は肩をすくめた。
「言ったはずだよ。関わる気はないって。巻き込まないでくれないかな」
 そう言うと、女性に背を向けて歩き出した。
 椿矢が雑踏へ消えていくのを女性はじっと見つめていた。

 小夜と柊矢が駐車場に向かって超高層ビル群の間を歩いていると、不意に風が変わった。
 風が硬くなったように感じた。

 見ると白い森が出現していた。
 風が吹いてくる方を見ると、森が途切れたところに大きな池があった。
 強いビル風が吹いているにもかかわらず、水面にはさざ波一つ立っていなかった。

「池も凍り付いてるんだ」
 小夜が呟いた。
「凍り付いている?」
「はい。この森も、あの池も、旋律で凍り付いてるんです」
 二人が森に見惚みとれていると、現れたときと同じように静かに消えていった。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

薔薇紳士の興じ事

世万江生紬
ライト文芸
ここは悩み事を抱える人だけが訪れることの出来る、古いけれど綺麗で落ち着く喫茶店『Rose』。この喫茶店の店主、薔薇紳士はお客様のお悩みを紳士に解決する――。

夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。

Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。 そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。 だが夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。 これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。 (1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)

百物語 厄災

嵐山ノキ
ホラー
怪談の百物語です。一話一話は長くありませんのでお好きなときにお読みください。渾身の仕掛けも盛り込んでおり、最後まで読むと驚くべき何かが提示されます。 小説家になろう、エブリスタにも投稿しています。

フローブルー

とぎクロム
BL
——好きだなんて、一生、言えないままだと思ってたから…。 高二の夏。ある出来事をきっかけに、フェロモン発達障害と診断された雨笠 紺(あまがさ こん)は、自分には一生、パートナーも、子供も望めないのだと絶望するも、その後も前向きであろうと、日々を重ね、無事大学を出て、就職を果たす。ところが、そんな新社会人になった紺の前に、高校の同級生、日浦 竜慈(ひうら りゅうじ)が現れ、紺に自分の息子、青磁(せいじ)を預け(押し付け)ていく。——これは、始まり。ひとりと、ひとりの人間が、ゆっくりと、激しく、家族になっていくための…。

Leaf Memories 〜想いの樹木〜

本棚に住む猫(アメジストの猫又)
ライト文芸
──── 誰かの想い、誰かの記憶の葉を実らせた大きな樹木です。 誰にも見つけることが出来ない樹木は、いつか、誰にも分からない気持ち、誰にでも分かる気持ちを抱えた記憶と想いを、誰かに見つけてもらえるように、今日もひっそりと木の葉を揺らしてあなたを待っています。 ──── これは、私の短編小説を書き遺すものです。 皆さんは、連想ゲームというのを知っていますか? 1つの単語、あるいは言葉を中心に、想像出来る事や、言葉を並べていってそこからまた想像出来るものを書いていくという繰り返し。 全体を見ると、葉っぱをつけた木のように見える様です。 この短編小説集は、連想ゲームではありませんが、沢山の小説を葉っぱに見立てて、その登場人物達の記憶を、《記憶と想いの葉》として記録した不思議な短編小説集です。 続きが気になる!という所で終わっていたり、結末や登場人物がこの先どうなるのかではなく、その時の《想い》を中心にしたもので、小説が終わる事は後その《想い》が変化したり展開が変わるんだと、感じていただければ幸いです♪ 短編小説は書いて投稿したことがありませんが、どうか、少しでも楽しんでもらえれば幸いです♪ 2週に1回の金曜日、8時に投稿する予定です♪ 供給が追いつかないこともあるので、投稿が途絶える可能性もあります! ご了承くださいっ!

『朱星光月妖刀奇譚』

てんちょう
ファンタジー
『朱星光月妖刀奇譚』は3部構成で成り立っております。 第1部見どころ  時に1580年戦国時代、恭之介の生まれ育った里が突如バケモノに強襲され里は崩壊し、幼馴染と多くの民を失う。生き残った恭之介は里の仇を取る為、伊賀の里を目指す。だが、恭之介は拾われた子だとこれまで育ててもらった父の遺言で知り驚くが気持ちは変わらなかった。その時、恭之介はそこで知り合った伊賀当主の娘、百井朝陽と出会い淡い恋を実らせ、束の間の安らぎを得た。しかし信長配下のバケモノが伊賀の里に迫ってきた。信長は全国布武の為、側近の森蘭丸は恭之介『新たなる命』を狙うことだった。バケモノ(妖邪衆)に対抗できる唯一の武器3本の妖刀の持つ恭之介、左之助、丈太郎は伊賀の忍びと協力して『天正伊賀の乱』で信長兵を迎え討つ。だが、蘭丸の攻撃によって恭之介が倒れ、時空の狭間へ連れ去らわれようとした時、朝陽は恭之介を庇って、時空の狭間へと飛ばされてしう。恭之介は朝陽が500年後で生きていることを妖刀伝承書で知り、朝陽を取り戻す為500年後の未来への行く手掛かりを知る森蘭丸を探すため、安土城へ挑む。 第2部、3部の見どころ  安土城で信長と蘭丸を倒した恭之介達だったが蘭丸によって再び時空の狭間が生じ、恭之介を道連れに蘭丸は共に時空の狭間へ落ちていった。鷹乃介は助けようと他の仲間たちと別れ、恭之介を追ったがそのままと共に時空の狭間へ落ちていく。 恭之介達が目を覚ました所は、これまでに見たこともない500年後の景色だった。 恭之介達は国の管理下の如月研究所の施設で保護され、そこで出会ったのは500年前に生き別れとなった朝陽だった。でも朝陽は記憶が無く、今は如月奏として1年間この時代を過ごしていた。恭之介達は朝陽の記憶を取る戻すべくこの時代に残り、恭之介は恭介と名を変え、出来るだけ奏の側にいることに決断する。 その為に奏が通う旭日高校へ編入し、そこでかつて共に戦った伊賀の仲間たちの子孫、つぐみ、優悟、俊輔、朱里(しゅり)と出会い、また、恭介に好意を寄せる世界トップアイドル聖歌も加わり、楽しい学校生活を送り始めた。しかし、平穏の時は長くはなかった。 蘭丸の魂が、生き残りの妖邪衆によって復活を遂げようとしていた。学校で起こる奇妙な事件に全生徒が巻き込まれ、恭介達は仲間たちと共に蘭丸を倒すべく挑むのであった。 恭介の出生の秘密と奏の本当の記憶、聖歌との出会い、蘭丸がなぜ恭介にこだわるのか、その悲しい復讐の理由が明らかになっていく。 舞台は過去から未来へと移り、恭介の運命と恭介をめぐる奏と聖歌の恋争い、友情を一杯詰め込んだ作品です。暇があったら読んでくださいね。

戦いに行ったはずの騎士様は、女騎士を連れて帰ってきました。

新野乃花(大舟)
恋愛
健気にカサルの帰りを待ち続けていた、彼の婚約者のルミア。しかし帰還の日にカサルの隣にいたのは、同じ騎士であるミーナだった。親し気な様子をアピールしてくるミーナに加え、カサルもまた満更でもないような様子を見せ、ついにカサルはルミアに婚約破棄を告げてしまう。これで騎士としての真実の愛を手にすることができたと豪語するカサルであったものの、彼はその後すぐにあるきっかけから今夜破棄を大きく後悔することとなり…。

となりのソータロー

daisysacky
ライト文芸
ある日、転校生が宗太郎のクラスにやって来る。 彼は、子供の頃に遊びに行っていた、お化け屋敷で見かけた… という噂を聞く。 そこは、ある事件のあった廃屋だった~

処理中です...